第10話

 二日後。

 男は扉を乱雑に二度叩き、ドアノブを捻る。窓際のベッドでは、一人の少女が身を起こし窓外を眺めていた。シーナは男の突然の訪問に目を丸くし、そののち小さく笑顔を浮かべる。

「ドアを開けるのは、返事をしてからですよ」

「そこまでは聞いていなかった」

「どうかしましたか?」

 シーナはベッドから足を投げ出し、男へと向き直る。

「目を覚ましたと聞いた」

「もしかして、お見舞いに来てくれたんですか?」

 彼女は嬉しそうにそう言い、立ち上がる。村の粗末な診療所の床は、少女の体重にすら耐えられぬとばかりに、ミシミシと音を立て声高に抗議の声を上げた。

「どうしました?」

「…いや」

 男は少女の頭頂から爪先までをまじまじと見、先日の戦いを想起する。少女は男より頭一つ以上小柄だ。腕も足も、この辺鄙な村の娘たちと比べても大差無い。刀を振るい、獣人と大立ち回りを繰り広げていたあの姿が嘘のようである。

「お前は強いな」

「私が、ですか?」

 男の顔を見上げ、シーナは小さく首を傾げた。

「刀を使うのが上手い」

「私なんてまだまだですよ。貴方こそ、あの最後の…」

 シーナは一瞬目を伏せる。

「最後の突きは素晴らしかったです」

「あれは俺がやったんじゃあない。ただ――」

 男はガシガシと頭を掻く。あの時のことはうろ覚えだった。ガハルの首へ返しの一撃を入れようとした次の瞬間、気付けば彼の刀は獣人の心臓を貫いていた。

「ーーそうだ。あの時、声が聞こえた。ダメだ、と。俺じゃああいつの首は斬れない、と。そうしたら、いつの間にかあいつの心臓に刀が刺さっていた。それだけだ。俺には何もわからない」

「なるほど…」

 シーナは指を顎に当て、思案する。

「ハッキリしたことは言えませんが、身体に染み付いた動作の記憶というものは、例え長い年月が経とうと簡単には消えないと聞きます。ですが…」

 何事か考え込む少女を、男は居心地悪そうに見つめる。シーナはハッと顔を上げ、気まずげに笑う。

「そ、そうでした。貴方とは色々とお話ししたいことがあったんです。とりあえず、あれから何か思い出したことはありましたか?」

 男は無言で首を振り答える。

「なら、村のことは聞きましたか?」

「全員出て行くんだろ?」

 二人は窓の外へ目を向ける。昨日から始まった村人総出の荷造りも既に佳境である。

「…近年続く魔獣の被害によって、元々このような隔絶された村には疎開指示が出されていました。これも良い機会だ、なんて言ってはいましたが…」

 シーナは窓に手の平を当て、寂しげに俯く。

「よくわからんが、死ぬよりはマシなんじゃあないのか?」

「確かにそういう考えもあります。ただ、命と天秤に掛けられるほど大切な物を持つ人も珍しくはありません。そしてその対象は、物だったり、人だったり…故郷だったりするんです」

「そうか。よくわからんが、わかった」

 少女の言葉を理解できないながらも、彼は神妙な顔で頷き答えた。

「…ええっと、話を戻しますね。私は明日の朝一で村を出るつもりですが」

「傷はどうなんだ?死なないのか?」

「ええ、普通に旅をする程度には。それで、貴方はこれからどうするつもりなんですか?」

「村の人間から、一緒に付いて来たらどうかと言われた。詳しくはわからなかったが、悪いようにはしないらしい」

「一緒に付いて行くつもりなんですね?」

「…わからない」

 男は窓から視線を戻し、困ったようにシーナの顔を見る。

「俺は俺をどうすればいいのかわからない。お前はどうするべきだと思うんだ?」

「それを決めるのは貴方自身です。貴方は何をしたいのですか?」

「俺が、何をしたいか…」

 男は腰の刀にそっと触れる。一昨日の戦い以降、折を見て刀を振ってはいたが、どうも上手くいかない。あれ以来、刀の軌道が最適かつ美しいものへと近づいてゆく喜びを感じることはなかった。そして何より、この少女と共に刀を振った時に覚えた高揚感のようなものは、とても心地良かった。

「俺は…もっと刀を振りたい。俺はきっと、刀を振るのが好きなんだ。記憶を失う前の俺が騎士だったというのなら、それはきっと刀を振りたかったからだ」

「…そうですか」

 シーナは彼の黒い刀を見、そして彼の顔を見上げ笑う。

「それなら、ひとつ提案があります。貴方、私と一緒に来ませんか?」

「お前と一緒に? どういうことだ?」

「一緒に旅をするんです」

「それは、お前と一緒に色々な場所へ行く、という意味か?」

「はい」

 シーナはそう言うと、病室の壁に貼られた色褪せた地図を指差す。男はそれを興味深げに眺める。

「少し事情がありまして、私は騎士として動きながら世界を回っています。いい加減に一人旅にも飽きた頃ですし、同行者がいればきっと楽しいはずです」

 男は地図に触れ、少女の言葉を反芻する。騎士として働くシーナと共にいれば剣を振るう機会も巡って来るだろう。悪い提案とは思わなかった。

「それと…」

 シーナは机の上に置かれた白い刀へ目を向け、言葉を続ける。

「実は、ガハルとの戦いで少し無理をし過ぎてしまいまして、しばらくはまともに剣を振るうことが出来なさそうなんです。近くの町まで戻るとしても、一人で山道を踏破する自信が…」

「それは村の人間と一緒に行けば良いんじゃあないのか? 明日には護衛の騎士が来るんだろ?」

「まあ、それはそうなのですが…。私、中央騎士団の方とはあまり会いたくなくて…」

 彼女は困ったような表情で彼の顔を伺う。

「貴方も、当面の路銀も行く宛ても無いでしょうし、可能なら近くの町まででも同行して貰えれば有難いのです。対価は旅路の資金。望むなら騎士団への紹介もしましょう。どうですか?」

 彼は僅かに思案する。この村に彼を知る者はいなかった。自身の生い立ちにさほど興味がある訳ではないが、知れるものならば知りたいという思いもあった。旅の途中で自身のルーツを知ることもあるかもしれない。彼は一人頷く。

「わかった。だが、一つ条件がある」

「条件、ですか?」

 シーナは小さく首を傾げる。彼は首肯する。

「俺に、刀の振り方を教えてくれ。俺は強くなりたい。俺は上手く刀を振れるようになりたい」

 少女は男の瞳を真っ直ぐに、まるで何かを測るかのように見つめる。

「…わかりました。では、これで決定です」

「ああ、決定だ」

 シーナはベッドに腰掛け、一転して嬉しそうに笑う。何がそんなに喜ばしいのか、彼には理解が出来なかった。

「なら、あと一つ決めなければならないことが出来ましたね」

「決めなければならないこと? それは何だ?」

「貴方の呼び名です。記憶が戻るまで、暫定的にでも呼ぶ名前が無ければ不便でしょう? 何か希望とか、候補みたいなのはありませんか?」

「いいや。そもそも、名前を呼ぶのは俺ではなくお前だ。それなら、お前が決めるべきだろう」

「私が…ですか?」

 シーナは予想外の返答に目を丸くし、そのまま真剣な表情で考え込む。想定していなかった反応に男は困り果てるが、少女はそんな男を尻目に言葉の響きを確かめるように何事かを呟いていた。

ーーそんなに難しいのならば、他の奴に。

 見かねた男がそう提案すべくと口を開こうとした瞬間、シーナが勢い良く顔を上げた。

「笑ったりは…しないですよね?」

 質問の意図は読めなかったが、シーナの剣幕に男はコクコクと頷き答えるしかなかった。

「…ハルク、というのはどうでしょう?」

 シーナは僅かに頬を染め、呟くようにそう言った。

「ハルク?」

「はい。大きな意味としては、『旅人』。細かく言うと『目的地への移動のため』というよりも『何かを探し出すため』に旅をする者、といったニュアンスですね」

「そうか。よくわからんがーー」

 シーナは頬を膨らませ、抗議するように彼を睨む。

「…よくわからんが、とても良いと思う。ああ、とても良い」

 彼が慌てて発言の軌道修正をすると、シーナは安堵したように、まるで花が咲くように笑った。

「そうですか! 実は、私も結構良いと思ったんです。それでは、長い付き合いになるか短い付き合いになるかはわかりませんが…よろしくお願いしますね、ハルク」

 シーナはそう言い、右手を差し出した。その行動の意味を、彼は短い村での生活で学習していた。彼も同じく右手を出し、彼女の手を握ろうとする。しかし、互いの指先が触れる寸前、突然少女の手が引き戻される。彼は視線でシーナへと問いかける。

「私の名前は、シーナですよ?」

「…そうか。よろしく頼む、シーナ」

「はい」

 シーナは満足したように彼 ーーハルクの手を握り、小さく揺らす。少女の手の平の感触は、その華奢な身体には不釣り合いなものだった。

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NOBLE WHITE なつづき @natudukisyou

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