依頼Ⅱ⑦
「この街には君を介しても私では捕捉出来ない何かが潜んでいる。だから私ではない目が必要だった。あれがその目だ」
終電ギリギリに眞由を駅まで送り届け、奏のマンションまでの夜道を音葉とポチが行く。
家族や恋人が心配する。あの後では卑怯な言い方だとは思ったが、そう言って眞由と半ば強引に別れた。
ここから先の話は解決した事件の依頼人である眞由を関わらせるべきではないと思ったから。
「あなたにも大師の正体は分からないんですか」
かつて『ティンダロスの猟犬』と遭いながらも今に至るまで捕捉されることのない謎の少年。
「そう名乗ったのかい? 大師、
「彼はかつて、一度あなたたちに遭ったことがあると言ってました。どうして枯れ葉私の前に現れて、どうして今更私をこんなことに巻き込んできたんですか……」
いつからか、人ではないものたちと自分の中でそれなりの折り合いをつけて生きてきたつもりだった。
耳を塞いで、聞こえるはずのない声たちをいないものとして生きる道を選んだはずだった。なのに今更になって、耳を塞ぐことも目を逸らすことも出来ないほど近くに
「私は普通に生きたいだけだったのに……」
あの夜からずっと抱え込んでいた不満。奏にも誰にも吐露することの出来なかったそれを、人ではないポチには明かすことが出来た。
明かしたところで困らせることにはならないと思ったからだろう。もし奏だったならきっと、困ったように笑いながら意味のない慰めを口にさせることになってしまうから。
「これからもずっと、彼や
音葉が志すのは法の道。決して退治屋や霊能力者なんていう普通から外れた道などではない。
一人、田舎を飛び出してようやく自分の道を進めるはずだった。なのにいつまで経っても普通じゃないものからは逃れられない。
「私はただ、みんなと同じように生きたいだけなのに」
ポチは何も答えない。何も言わず、立ち止まった音葉を眺めているだけだ。
返答を期待していたわけではない。根拠のない空虚な否定も残酷な肯定も望んでいない。ただ誰かに話しておきたかっただけだ。
「すまないが私には君の心は理解できない。私は悩みは不安とは無縁のただそう在るだけの存在だからね」
「分かっています。私たちはお互いに理解出来ない、相容れない。人と邪神なんです。それが当たり前です」
「一応、君を快楽漬けにして不安と不満から解放され、それ以外何も考えられないようになる場所に案内することは出来るが」
「なんですその恐ろしい誘いは!?」
今までで一番恐ろしい提案だった。
悪魔の誘い、というか悪徳商法の勧誘でももっと上手い文句があるだろうというぐらいに怪しくも、言っている存在が存在だけに笑い飛ばすことも出来ない。
「ふむ、やはりそうなるのが自然な反応か。私もそう思うのだが、それでも訪れる者が後を絶たないのだからやはり人は分からない」
「気持ちは分からなくもないですが、謹んでお断りします……」
「私に出来るのは
「……それでも、一つでも怯える影が減るのなら。それだけで十分です。この不安は私自身が折り合いをつけなければならないものですから」
大師との出会いがきっかけなのは間違いない。けれど人ではないものたちの声を聞いてしまう体質は音葉生来のもの。
音葉が一生向き合っていかなければならない、彼女自身の問題だ。今はただその理不尽を愚痴りたくなっただけ。自分のせいで奏が被害を受けてしまったしまったことで、弱気になってしまっただけなのだ。
「もし知っているのなら教えてください。彼は、大師は何者なんですか? これから先、いつ現れるかも分からない彼の影に怯えて過ごすのは嫌なんです。目的も理由も分からないまま、巻き込まれたことへの文句だってたくさんあります。私自身が彼と向き合うためにも、私は彼が何者なのか知りたいんです」
現れては
ならば知るしかない。彼らの名を、彼らの対抗手段を。それがたとえ深淵を覗き込むことと等しくても。
「──『サンジェルマン伯爵』。かつて我らの個体の一つが接触した時はそう名乗っていたよ」
「『サンジェルマン』……それが彼の名前」
「本名かは定かではないがね。だが少なくとも
十八世紀のヨーロッパ諸国各地で目撃された不老不死の錬金術師。
それが『サンジェルマン伯爵』という
これまで音葉が出遭った
それぞれの
「奴が何故この国の、この街の君の前に現れたのかは分からない。言ってしまえば興味もない」
「でしょうね」
素直すぎるポチに音葉は苦笑した。その素直さがむしろありがたい。
目の前のポチが決して人ではない存在なのだと思い出させてくれる。
「君と奴が繋がるのなら、私は君を利用して
「なら私もあなたを利用するだけです」
ポチはそれでいいと笑った。
共生ではない、共犯とも言い難い。決して対等ではない。けれど音葉は邪神の恩恵に預かる信奉者になる道は選ばなかった。
それは多分、自分が望む普通とは最も縁遠い生き方だと思ったから。
「これからも私は、君を覗き込む深淵となろう」
声だけを残響のように残して、ポチが闇に溶けるように消える。
その後にははじめからなにもいなかったように、ただ夜の暗闇だけが広がっていた。
「……ありがとうございました」
音葉は暗闇に一礼して、脇目も降らずに奏の待つマンションへと駆けていく。
◇ ◇
「やほー。おっちゃん、おかえりー」
汗を浮かべて部屋に飛び込めば、数刻前の症状が嘘のように回復した奏がくるくると回転椅子に乗って音葉を出迎えた。
「その様子だともう心配はなさそうですね……」
「まーね。って言っても一週間が一日に短くなっただけなんだから、どうやったのかは知らないけどそんな焦らなくてもよかったのに」
本心か、それとも責任を負った音葉を気遣ってかは分からないが、奏の様子は呑気そのものだ。
そんな奏に音葉は息が整うのを待たずに近づいて、その体を抱きしめた。
「うえっ? ちょ、どったのおっちゃん?」
「よかった……」
「大げさだって。私はどう転んでも最初からあんな奴の為に危ない橋を渡るつもりはなかったんだから」
背中をタップする奏に構わず、それから暫くの間、音葉は小さな親友の無事を静かに確かめ、喜びと安心に震えていた。
「どうやって『ツチノコ』退治したのかも知りたいし、お腹も空いたからさ。ちょっと遅いけどご飯にしよーよ」
観念して身を任せながらも、どうにか早くに抜け出したい奏の提案にようやく音葉は手を緩める。
たった半日だったが、積もる話もたくさんできた。気にも留めていなかった空腹も襲ってきている。
「ええ、そうしましょうか」
「一人とおまけで頑張ったおっちゃんの祝勝会ってことで。ま、レトルトしかないけどね」
「十分ですよ」
ああ、でも、と音葉は奏から離れて、
「期限切れには気を付けてくださいね」
病み上がりなんですから。
そう悪戯っぽく釘を刺した。
ロア・ロア・ロア! ~都市伝説が消えるワケ~ 詩野 @uta50
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2011/3/11/詩野
★0 エッセイ・ノンフィクション 完結済 1話
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