めでたしめでたし

「西島ふじみさん! 僕と結婚してください!」

 これが僕の選んだ選択肢だ。

けれど嘘はない。後悔もない。

「……はい?」

 目と口をぎゅっときつく閉じていた西島が、その声に気づいてゆっくりと開ける。

「西島ふじみさん! 僕と結婚してください!」

 聞こえていないのかと思い、もう一度大きな声で僕の想いを伝える。

「聞こえています! そういうことではなくて……早く私を殺してください!」

 西島がこんなに耳を真っ赤にさせて大きな声を出すなんて久しぶりだ。たまっていた涙は、いつの間にかどこかに引っ込んでしまっていた。

「騙り部さん。あなたは私を殺すとおっしゃいましたよね。あれは嘘だったのですか?」

「嘘じゃない。僕は西島さんのことを殺すと約束したよ」

「だったらどうしてそんなことを言うのですか!」

 表情は冷静さを保てているが、耳が真っ赤になっているので恥ずかしいのは明らかだ。

「『結婚は人生の墓場』という言葉があるよね。だったらこれも殺害方法の一つだろう?」

「そ、そんなふざけた殺し方がありますか! ダメです! そんなのダメです!」

「西島さん。君は化物だよね? 不死身のふじみという化物だよね?」

「そうです。私は化物です。どんなに傷ついても死ねない不死身の化物です」

 西島も落ち着いた声で話す。そして嬉しいことに、その言葉に嘘はなかった。

「生きているのが辛いから殺されたい? 辛い現実から逃げたいから殺されたい? そんな理由で安易に死を選ぶなんて……まるで人間みたいだね。そんなのはちっとも化物らしくない。騙り部に頼めば楽に死ねると思ったか? 化物のくせに甘いんだよ! 人間をなめるな!」

 僕は西島に一喝する。少し胸が痛むけれど、今だけは心を鬼に、いや化物にする。

「痛みも苦しみもなく楽に死ねるとか血を吐いて地べたをのたうち回っても死ねるとか思ってないんだろう。それに君を殺すと言った時、時間と場所、方法は僕が決めていいと言った。だから簡単には殺してやらない。僕が一生かけて殺してやる! そう決めたんだ!」

 興奮で顔が熱くて仕方ない。けれど嘘も後悔もない。

しかし、いくら心を化物にしても化物にはなりきれない。

僕は人間だから。心が弱い人間だから。

いじめられて泣いたことも、生きているのが辛いと思ったことも、現実から逃げ出したいと思ったこともある。先ほどはあんなことを言ったけれど、安易に死を選んだ人なんて一人もいないだろう。みんな辛くて苦しんで考えて悩んで、それでも生きていたくないと思ったからそれを選んだ。

その選択が間違っていたかどうかなんて残された人には言う権利がない。それでも、どうか生きる選択肢を選んでほしいと願う。なぜなら僕は、自分勝手でわがままな人間だから。

「それから幸福のもみじの逸話は全部嘘だよ。人を傷つけたり悲しませたりしない騙り部が人の犠牲で成り立つ幸福を認めるわけがないだろ。それは化物でも同じだよ」

「騙り部さん。あなたは本当に……本当に嘘つきですね」

 その通りだ。それは否定のしようがない事実だ。

なぜなら古津家は先祖代々続く騙り部という嘘つきの家系だから。

「よく考えたのですか? 本当にいいのですか? 私は化物ですよ? 私が生きているだけで人に恐れられて傷つけられて……それでもあなたは……私といっしょにいてくれるのですか?」

「うん。それでも僕は……君といっしょに生きたい」

 もちろん、その言葉に嘘はない。

「ダメです……」

「どうして?」

「あなたと私では……釣り合いがとれません」

「たしかに。君はとてもかわいいけれど、僕はお世辞にもカッコイイとは言えないからね」

「冗談を言わないでください!」

 けれど、その言葉も嘘ではない。

「僕の母は秋葉市内でも有名な家のお嬢様だったらしい。蝶よ花よと育てられたと思うけど、それでもこんな山奥にある家に嫁いだ。実家から縁を切られても父との縁を結びたかったと言っているし、後悔もしてないんだと思う。今の僕も同じ気持ちだ。実家との縁を切っても君といっしょになりたいと思っている。どこか知らない土地に引っ越して生活してもいい」

「……そういう問題でもありません。私は化物で、あなたは人間なのですよ?」 

 一瞬、西島がなにか言いかけた気がする。けれどその言葉は飲み込まれてしまった。

「そんなことを言うなら僕だって化物の血を引く人間だ」

「え……? どういうことですか……?」

 やった。食いついてきた。

だが慌ててはいけない。落ち着いて慎重に話す。

「騙り部一門が秋葉山の化物との騙し合いの勝負をして勝ったというのは話したよね?」

 西島は小さくうなずく。

「その称号として秋葉一族から騙り部を名乗り始めたという説が有名だけど、他にもいろいろな説がある。その中には初代騙り部古津言語郎がその化物と結婚して子どもを作ったという説もあるんだよ。だから僕や父は人間と化物の間に生まれた一族ということになる」

 これは嘘でも冗談でもない。本当にそういう説があるのだ。真偽のほどは定かではないが、ここ以外の各地にも人間と化物が結ばれて子孫を残していく昔話は多い。西島も有名なものなら知っているだろう。なぜなら子どもの頃に僕がいくつも語って聞かせたのだから。

「昔からこの国には人間と異なる種族が恋したり結婚したりする伝承がある。だから、人間と化物が結婚するなんて珍しい話ではない。よくある話だし、なにもおかしい話ではないんだ」

 だから、あとは西島自身の気持ちの問題だ。

僕のことを好きになってくれるかどうか。

僕と結婚してもいいと思ってくれるかどうか。

どんなにお願いしてもそれだけは矯正できない。

「騙り部さんは……私のことを人間だと言っていましたよね?」

 西島が無表情で問いかけてくる。

「うん。言った」

 僕は真剣な表情で答える。

「今でもそう思っていますか? 嘘偽りなく答えてください」

 質問に込められた想いが先ほどよりも強くなる。これは冗談を言える余地もない。

「今でも……」

 言いかけてやめる。

子どもの頃にここで初めて会ったときは人間にしか見えなかった。それなのに、化物だと言っていておかしな女の子だと思った。

それから学園で再会した時も人間だと思っていた。だがそれは、彼女は人間であってほしいという願望があったから。奇本による奇跡が起こっていてほしいと思っていたから。そんな人間の僕のわがままがあったから。

 しかし、西島といっしょに暮らし始めてからその考えは少しずつ変わっっていった。

最初はとても戸惑った。0番街の怪人を探しに行って存在を奪われかけ、さつき野めい子さんに会いに行って怖い思いをして、ゴーストライターのことは記憶から消し去りたいと思っている。

それでも世の中にはいろいろな人がいるということがわかった。人間も、化物も、人でなしも。それぞれに考えがあり、それぞれに想いがある。理解できるものもあればできないものもあり、共感したいこともしたくないこともあった。

僕はいくつも小説の新人賞に応募していくつも落選を食らっている。作品の選評には『嘘臭くて人間が描かれていない』と書かれていることもあった。

その度に僕は疑問に思った。小説は嘘によって描かれる物語ではないのか。それなのに嘘臭いとはどういうことなのか。今思えば大量の嘘で塗り固めた小説ばかり書いてしまったせいだとわかる。そして自分の傲慢さが恥ずかしくなる。さらにそれは、西島に対して言っていたことにも通じる。

「西島さん。君の話を聞かずに人間だと決めつけてごめん……」

 先ほどの質問に答える前にこれまでの非礼を謝る。それから今の自分の答えを告げる。

「今は人間でも化物でもどちらでもいい。君が化物と言うならそうだと思うし、君が人間になりたいというなら協力する。僕は……君のありのままを受け入れたいと思っているよ」

 それが今の僕の嘘偽りない答えである。

 西島はその答えに納得していないのか、顔をうつむかせて話す。

「どうして……」

「うん」

「どうして騙り部さんは……」

「うん」

「どうして騙り部さんは、そんなに私に優しくしてくださるのですか?」

 うつむいた彼女の目から涙がこぼれ落ちた。

「男にとって……」

 そこまで言いかけてまたやめた。

恥ずかしさを捨てよう。それに、今でも僕は嘘が嫌いだ。自分に嘘をつくようなことはもうしたくない。少しの勇気を出して彼女に伝えよう。

「僕にとって君は……初恋の人だから」

 それは嘘偽りのない真実。そしてずっと秘めていた僕の想いだ。

「僕は好きな女の子のわがままならできるだけ聞いてあげたいし、頼られたいと思っているよ。好きな子が困っているなら助けてあげたいし、悲しんでいるなら笑わせたいと思っているよ。僕は化物とか人間とか関係なくて……君に、西島ふじみに恋をしたんだから」

 その告白を聞いた西島はどう思っただろう。

怒ったかな。迷惑だと感じたかな。なんの反応もないから不安になる。

西島は地面から腰を浮かせてスカートについた土を手で叩いて払い、立ち上がってゆっくりこちらに向かってくる。長い黒髪が顔にかかっているので表情は見えない。

だがなんでもいい。どんな答えでもいいから言葉を発してほしい。

「西島さん?」

 一歩また一歩と近づいてくる彼女に声をかける。けれど、その歩みは全く止まる気配がない。そしてあと半歩でぶつかってしまう距離まで近づいてきた。そのまま彼女は両手を大きく広げ、僕の胸に飛び込む形で抱きついてくる。

「え、あの、ちょっと……西島さん? ど、どうしたの?」

 胸元に頭をぐりぐりと押し付けている彼女に声をかけると、上目遣いで言った。

「黙っていてください」

「え?」

「嘘つきの騙り部さんの告白なんて聞いてあげません」

 そんなひどい……と思ったが、なにも言えない。僕は一生彼女に謝っても謝りきれないことをしてしまったのだから。当然の報いだ。許してほしいなんて都合のいいことは言わない。許してもらえるとは全く思っていないから。

「だから心臓の音を聞いて本当か嘘か確かめます。もし嘘をついたら針千本飲ませますからね。私からの質問には『はい』か『いいえ』で答えてください。いいですか?」

 西島にそんなことができるのかわからないが、はいと答えるとすぐに新たな質問をされる。

「蒸気亭に行くと約束したことを覚えていますか?」

「はい」

「いっしょに蒸気パンを食べましょう」

「はい」

「いろいろなところにデートしましょう」

「はい」

「私と手をつないで歩いてください」

「はい」

「私といっしょに料理をしてください」

「はい」

「浮気しないでください」

「はい」

「私より長く生きてください」

「はい……はい?」

 いや、さすがにそれは難しいのではないか。

「私を傷つけないと約束してください……」

 僕が答えに困っていると新たな質問が届く。

「私を悲しませないと約束してください……」

 答える間もなく新しい質問が届けられる。その声には、悲しみの感情が混じっていた。

「もう家族と離れるのは……嫌です……。お願いです……私を一人にしないでください……。私を離さないでください……。ずっと私の手を握っていてください……。騙り部さん」

 嘘偽りのない純粋な想いが込められた言葉を聞いて、僕の目からも涙が流れていた。

空いていた両手を西島の背中にそっとまわす。

痛くならないように優しく、それでも力強く抱きしめる。

もう二度と離さないように。もう二度と彼女を傷つけたり悲しませたりしないために。

「君を絶対に一人にしない。だから……どうか僕と結婚してください」

 僕は胸の中で泣いている女の子にもう一度求婚する。

「ダメです」

たった一言で僕の心が傷つき悲しんだ。

けれど、鼻先に西島の匂いではなく嘘の臭いがした。つまり彼女は嘘をついている。すぐにそれがわかってホッとした。

「騙り部さんは私にたくさんの嘘をついてきました。嘘が嫌いだと嘘をついていましたし、小説家になるという素敵な夢のことも隠していました。いくら私があなたの言うことを信じるといっても、全てを信じるような女ではありませんからね。そのプロポーズを信じてほしいというなら言葉だけでなく行動でも示してください。それができたら……お受けしますから」

 今度の彼女の言葉には嘘の要素が見られない。それに耳が真っ赤になっているから本当だろう。言葉の嘘と真実を見分けるのは簡単なのに、女心を理解するのはとても難しい。

 しかし、行動で示せとはどうすればいいのだろう。プロポーズと言えば婚約指輪を渡すというのが定番だろうが、そんなものは用意していない。ここは素直に正直に聞いてみよう。

「ごめん……。そうだよね。ずっと君を騙し続けてきた僕のことなんて信用できるわけがない。それならどうすれば信じてくれるか。西島さんの希望を教えてくれる?」

 西島はなにも言わなかった。そのかわり目を閉じて、少し震える唇を差し出してきた。

 それを見た僕は驚いた。だがすぐに微笑んだ。

昔、母や祖母から教えてもらったことがある。しゃべりすぎる騙り部の口を閉じさせる方法があることを。しかしその詳細はどんなに頼んでも教えてもらうことはできなかった。そのかわりこう言われた。

「いつか好きな人ができたらわかるようになる」

 西島に恋したことでわかるかと思ったが、幼い僕にはまだわからなかった。

それからずっと意味を考えていたけれど、今ここでようやくわかった。 

なるほど。確かにこれは口を開く気にならない。

 それにしても、騙り部一門の人間はいくつになっても恋や愛の話が好きなロマンチストばかりらしい。

そしてそれは西島にも言える。僕の両親を見てうらやましいと言ったり手をつなぎたがったり、まるで恋焦がれる乙女のようではないか。

いや、化物だって恋をすることがあってもいい。なぜなら僕が初めて恋したのは――化物だと名乗る女の子だから。

「ん」

 なかなか行動で示そうとしない僕を西島が引き寄せようとする。だが彼女の力は人間の女の子ほどしかないから全く動いていない。

これ以上不安にさせるのはいけないと思い、その小さな唇に僕の唇をしっかり重ね合わせる。そこからかすかな震えと温もりが感じられた。

 僕らはそのまましばらく行動で愛を示し合った後、言葉でも愛を誓うことにした。

「病める時も健やかなる時も……」

 化物だと名乗る女の子がそれを唱えるのがなんとも可愛らしいと思った。けれど騙り部一門に伝わる婚姻の誓いがあることを教えると、すぐに思い出した顔をする。

「ありがとう。覚えていてくれたんだね」

「忘れるわけがありません。愛するあなたが教えてくれたことですから」

 言った西島も言われた僕も顔を真っ赤にさせて笑う。

それから互いの両手を握り合い、顔を近づけて目をつむる。そして声を合わせて述べる。

「千と一夜を明かしてみれども騙り尽くせぬこの世の嘘なら騙ってみせよう命尽きるまで。舌先三寸、口八丁手八丁、この世に騙れぬものはない。騙り部一門ここにあり」

 それは騙り部一門の口上であり、騙り部一門の皆が家族だという証。

そして騙り部一門が婚姻を結ぶときの誓いの言葉である。嘘しか言わない騙り部も、惚れた相手には嘘を言わないのが規則だから。

「ふつつかものですが、末永くよろしくお願いします。騙り部さん……いえ、正語さん」

「死が二人を分かつまで、こちらこそよろしくお願いします。ふじみさん」

 今、僕らの間には一つも嘘がない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

不死身の少女を殺す話 川住河住 @lalala-lucy

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ