雨天の散歩
あいにくの天気、というべきか、幸いにも雨というべきか。
朝からずっと降り続いている。夜になれば
最近は無表情でもなんとなく感情が読めるようになってきた。きっと見つけるまで探すつもりだったのだろう。それこそ時間を気にせず夜遅くまで。
「あの時のことをもう忘れたの? また母さんに怒られてもいいの?」
その言葉を聞き終える直前、彼女の顔色がさらに曇り、体が小さく震え始めた。そのまま何度も首を横に振って見せた。あの時の説教がよほど怖かったのだろう。
「大丈夫だよ。今日見つからなくても、明日も探すのを手伝うから」
さつき野駅なら自宅からそう遠くない距離にある。下校途中でも自宅に一度戻ってからでも問題ない。けれど西島は、相変わらず不安そうな表情のまま話をする。
「でも今日がダメだったら……次はいつ雨が降るかわかりません」
そうだった。彼女が愛読するオカルト雑誌の情報によればさつき野めい子さんが現れる条件はいくつかある。一つはさつき野駅周辺であること。そしてもう一つは雨が降っている夕方以降の時間帯であること。この二つの条件を満たしていないと現れないらしい。一つ目はともかく、二つ目はなかなか難しい。梅雨入りした六月ならともかく、今はまだ五月である。今日は朝から雨が降っているけれど、明日の朝には晴れてしまう。それから一週間近く晴れの日が続くと天気予報が出ていたはずだ。
「それなら、今日のうちに見つけられるようにがんばろう」
効果的な策を思いつかなかったので適当にごまかす僕。
「はい、がんばりましょう」
こちらの提案に元気よく返事をしてくれる西島。
「さつき野めい子さんは身長が高くて髪が長いと言っていたけれど、他になにか情報はないのかな。例えば、とても綺麗な女性とかとてもかわいい女の子とか」
今日中に探し出す。そのためには尋ね人の情報が必要だ。あいまいではない正確な情報を。事前にネットで検索したり本を探したりしたのだが、それらしい情報は見つけられなかった。
そこで数少ない情報源のオカルト雑誌を読んでいる西島に聞いてみる。
「知りません」
先ほどのやる気ある返事とは裏腹のそっけない返答をされる。しかも体を反転してこちらに顔を見せようともしない。けれど顔を見なくてもすぐにわかる。
「あの、西島さん?」
「なんですか?」
「怒ってる?」
「怒ってません」
嘘だ。幼い子どもがつくようなわかりやすい嘘だ。それで思わず笑ってしまった。
「騙り部さん。綺麗な女性やかわいい女の子がいいなら0番街へ行ったらどうですか?」
背を向けられたまま怒りの感情を込めて言われた。彼女がどうして怒っているのかようやくわかった。なにか気に障ることでも言ったかと思ったけれど、そういうことか。
「ごめん、西島さん」
こういう時は言い訳せずにすぐ謝る方がいい。そしてすぐに誤解を解くに限る。
「さつき野めい子さんが美人じゃなくても可愛くなくても真面目に探すから。安心して」
「もういいです!」
西島はすぐにさつき野駅へ入っていってしまう。
こんなに感情をむき出しにする彼女を見るのは久しぶりだ。けれど怒り以外の感情が混じっていると感じたのは気のせいかな。それより早く彼女を追いかけようと慌てて動きだす。
東口から入って階段を上がっていくと改札付近にいた駅員に話を聞いている西島を見つける。僕は券売機のそばで待つことにした。話はすぐに終わり、彼女が駅員に頭を下げて振り返る。ちょうど僕と目が合ったが、すぐにそっぽを向かれた。どうやらまだ怒っているらしい。
「駅員さんは、さつき野めい子さんのことを知ってた?」
「知りません」
それはどちらの意味だろう。本当に知らないのか、怒って答えたくないから言っているのか。
また黙って歩き出したので僕も後をついていく。東口を出る直前に立ち止まり、傘を開いてすぐに歩き出す。少しずつ駅から離れていくが、どこへ行くつもりだろう。
「あの、西島さん。駅から離れてしまっているよ。いいの?」
「さつき野めい子さんはさつき野駅前よりも公園での目撃情報が多いですから。駅員さんもそんな背の高い女性は見たことがないとおっしゃっていました」
彼女は歩みを止めずに返答する。だが、ようやくまともに答えてくれて少しホッとする。
僕らがさしているビニール傘に大粒の雨が落ちていく。同じようにアスファルトの道路にも落ちて激しい音を鳴らしている。雨の勢いは弱まることを知らずさらに増していく。
駅から近い公園の前までやってきた。ブランコやすべり台といった遊具、葉の生い茂った木々、背の高い鉄塔が同じ敷地内にある。高校生の僕らには狭く感じるけれど、小さな子どもたちにはこれでも十分な広さなのかな。
「え?」
隣に立つ西島が小声でなにか言った。激しい雨音で消されてしまったので聞き返す。
「騙り部さんは、どうして私のわがままを聞いてくれるのですか?」
その呼び名をやめてくれたら教える、と意地悪を言いたくなる。だが、そんな雰囲気でないのは考えるまでもないことだ。それでもここで真実を言っていいものかどうか悩む。
「0番街の怪人もさつき野めい子さんもいるかどうかもわからないのに、どうしていっしょに探してくれるのですか?」
ふと隣の西島の肩が震えているのが見えた。寒さではない。感情がたかぶっているようだ。
「男っていうのはかわいい女の子に頼られるのが嬉しい生き物なんだよ」
主語を『僕』にするのはなんとなく恥ずかしくて、とっさに『男』にしてしまった。けれど、それ以上に恥ずかしいことを言ってしまっていることに遅れて気がついた。一気に顔が熱くなるのを感じる。何度同じ
「それに、西島さんを殺すというお願いに比べたらこれくらいどうってことないよ」
僕は恥ずかしさをごまかすために笑って話す。
「今でも私は思っていますよ。騙り部さんに殺してほしいと」
西島はこちらに顔を向けて話す。悲しいことに、その表情と言葉に嘘はなかった。
そして僕の手を取ってそのまま彼女の細い首を掴まされる。男と違って喉仏がなくてなだらかで柔らかな触り心地。このまま力を入れれば骨は折れなくても息を止めることはできるだろうか。爪を鋭く突き立てれば出血するだろうか。もちろんそんなことはしないが、もし実行してもすぐに治ってしまう。なぜなら彼女の体は傷つくことを決して許さないから。
「どうか私を殺してください。騙り部さん」
西島はあの時と同じようにお願いしてくる。
「どうして僕にそんなことを頼むんだよ」
僕もあの時と同じようにぼやいた。今回は、その後に明確な拒否の言葉と理由もつける。
「殺さない。君は人間だ。化物ではない」
「いいえ、人間ではありません。化物です」
その目には強い意思が感じられる。絶対に譲れない主張を宿しているかのようだ。
けれどそれはこちらも同じ。いくら彼女のお願いでもそれだけは聞けない。
「こういうのはあまり言いたくないけど、事故で亡くなったご両親が悲しむと思わない? 大事故で助かった君に生きてほしいと思っているんじゃないかな」
「私の父と母は……」
その後に続く言葉はなく、なぜか重苦しい表情だけを見せている。
しばらくの間、僕と西島は雨の中で見つめ合う。どちらもお互いの目から視線を外さないし、言葉も発しない。だがその時、僕の右手が触れていた彼女の喉が鳴る。それはまるで猫が飼い主に甘えるような鳴き声をあげているかのようだった。
それを聞いて思わず笑ってしまう。彼女は笑わなかったが、恥ずかしそうに顔を背けた。
「こんなところでなにやってんだお前ら?」
突然、雨音よりも大きな声で話しかけられた。僕も西島も驚いてすぐに離れる。
毎日のように教室で会う男が不可解そうな顔をして立っていた。友人の新保である。
「……なにもしていない」
僕は嘘が嫌いだ。けれど、これは嘘ではない。なにもしていないのは本当のことだから。
「嘘が下手すぎるぞ、正語。いや、騙り部」
新保がにやりと笑っている。0番街で会った化物よりも邪悪な笑みに感じた。
それはまるでスクープを見つけた新聞記者というよりおもしろいおもちゃを見つけた子どものような顔だ。
これはまずい。バレたら学園で噂話の種にされてしまう。
「それなら西島さんに聞いてみるか。なあ、ここでなにをしていたんだ?」
「……なにもしていません」
西島は顔を背けたまま話をする。彼女の耳がほんの少しだけ赤くなっているのが見えた。
「正語に首を触られていなかったか?」
「……触らせていません」
顔を背けても声と言葉に動揺が出ているのが丸わかりだ。新保の質問はなおも続く。
「教室でも正語と仲良さそうに話をしていたけど、二人は付き合っているのか?」
「ちゅきあってません!」
噛んだ。これ以上ないというほど思い切り噛んだ。
「あはは! 西島さんっておもしろいな!」
新保が未だかつてないほどに大笑いしている。小学校からの付き合いでもこんなに楽しそうに笑っている姿を見たことがない。
「あはは。いやあ、西島さんがこんなにおもしろい人だと知らなかったよ」
新保はひとしきり笑った後、くるりと僕の方を向く。質問、いや、からかいの矛先を変えた。
「正語。ここであったことは見なかったし聞かなかったことにしてやる。そのかわり……」
どこからどこまで知っているのかわからない。だが見聞きされたのは間違いないだろう。
「わかった。今度なんか奢ってやるから、これ以上なにも聞かないで黙っていてくれよ」
僕がそう言うと、新保はすぐに了承した。それからまた口を開く。
「なにか探しているように見えたけど、手伝ってやろうか? もちろん、別料金だけどな」
さて、どうしたものか。さつき野めい子さん探しは僕だけの問題ではない。西島にも確認を取らなければいけない。目配せしてどうするか尋ねると彼女はすぐにうなずいた。
それを確認できたらもう十分だ。すぐに探し人の詳細を伝える。
「さつき野めい子さんという背が高くて髪の長い女性を知らないか?」
「さつき野めい子さん? 誰だそれ?」
新保は少しも考えることなくすぐに聞き返してきた。博識で記憶力の優れた彼がすぐに知らないと答えるということは本当に知らないのだろう。この周辺で雨の日の夕方以降によく現れると追加の情報を伝えてもダメだった。
「助けになれなくて悪いな」
新保が申し訳なさそうに謝る。先ほど口止め料をたかってきた奴とは思えない善人ぶりだ。
「気にしなくていいよ。じゃあ、また学校で」
新保に別れの言葉を告げて西島に帰ろうと促す。彼女も軽く頭を下げてから家路につく。
「あ、そうだ。背の高い女は知らないけど、背の高い不審者が出るから気をつけて帰れよ」
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