怪人の正体

「それで、あたしに話ってなんだい? 勝負はもう終わり。あんたは勝ったんだから、さっさとその子を連れて帰ったらどうだい? そうしないと今度はあんたも……」

「どうして僕を勝たせてくれたんだ」

 怪人の話をさえぎって問いただす。

「はぁ? なにを言ってるのかわからないよ」

 顔にも声にも動揺は出ていない。見事に隠してしまっている。けれど嘘は見え見えだ。

「騙り部に嘘が通用すると思うなよ。目に鼻に耳、それこそ肌でも嘘が感知できるんだぞ。そしてお前の言動や行動からは嘘しか感じられない」

「あたしはあんたの頭からその子に関する記憶を全て奪った。事実、あんたはその子の名前をすぐに答えられなかった。その名前が書かれたハンカチを見つけるまでは」

「それだよ」

「は?」

「そのハンカチがおかしいんだ」

 僕は手に持っていたハンカチをもう一度広げて見せた。怪人は真剣な表情でそれを見る。

「お前が0番街の怪人でないことはこの際どうでもいい。けれど、お前の力の本質はおよそ見当がついている。お前は人を騙す以上に人から奪うことを得意とする化物だ。そうだろ?」

 僕の問いに対して怪人は否定も肯定もしなかった。ただ黙って話を聞いている。

「お前は彼女が名前を言った時、一瞬にしてそれを奪った。同時に意識も奪った。というより、彼女の存在そのものを奪ったんだろうな。あの瞬間、この世に彼女の居場所はなくなっていた」

 その問いに関しても怪人はなにも答えない。口を固く閉じてこちらを見ている。

 僕の記憶を奪ったというのは嘘、というよりも認識の違いだろう。いくら過去を振り返っても思い出せるわけがない。なぜなら、この世に『西島ふじみ』という女の子は存在していないことになっていたのだから。

 存在を奪う力を持つ化物。そんな強大な力を持った化物がこの町にいる。そう考えただけでゾッとする。八代目の祖父は、九代目の父親は、こいつの存在を認識しているのだろうか。

「人間一人の存在を奪う力。いかにも化物らしい力だよ。すごいと思う。でもそんなすごい力を持っているのに、どうしてハンカチの名前だけは残っていたんだ?」

 ハンカチの名前だけ奪い忘れた、なんて下手な言い訳はさせない。こいつほどの化物がそんな初歩的な間違いを犯すはずがない。やろうと思えば僕も彼女も一瞬で消せる力を持っているのだから。獅子はウサギを捕らえるにも全力を尽くす、と言う。それは化物でも同じだ。

「答えろよ。0番街の怪人を騙る名前のない化物」

 ずっと黙ったままの怪人を問いつめる。

「やっぱり騙り部はおもしろいねぇ」

 幼女の顔の皮が破れるかと思うほど笑う。顔全体を歪ませるような不気味な笑み。文字通り、人間離れした化物にしかできない笑いだった。困ったことに、その言葉に嘘は全くない。

「やっと本性を表したか。そのまま化けの皮を剥いでやるから覚悟しておけよ」

 だが内心焦っていた。やばい。まずい。やりすぎた。調子に乗りすぎた。挑発しすぎた。

 悲観的な言葉ばかりが頭の中に浮かんで消えずにそのまま残っている。今は立っているのもやっとだ。幸いバーカウンター越しで見えていないが、両足はガクガクと震えている。

 怖い。怖すぎる。なにをやっているのだ、僕は。

「むかしむかし、人里離れた山奥に人間を騙して楽しむ化物がおりました」

 突然、怪人が語りだした。顔は幼女のものに戻っているが、声は老齢(ろうれい)の獣のような声をしていると思った。あまりに急だったので面食らったが、足の震えを止めるだけの余裕はできた。

「その化物は何百年、何千年と人間を騙し続けておもしろおかしく毎日を過ごしてきました。しかし、世間で化物のことが噂になっていくうち、山を訪れる者はほとんどいなくなりました。化物も最初のうちは気にしていませんでした。けれど、しばらく人を騙せない日々が続くと、人間に会いたくて騙したくて、いてもたってもいられなくなりました」

 それはまるで、親が子に昔話を読み聞かせているかのような見事な語り口だった。

「けれど化物は、その山を離れることができません。なぜなら化物はその山でしか生きられず、その山を離れてはいけない決まりになっていたのです。なぜそんな決まりがあるのか、誰が決めたのか、何千年も生きてきた化物はとうの昔に忘れてしまっていました。それでもその決まりだけは覚えていて、今も忠実に守って暮らしているのでした」

 僕は黙って怪人の話を聞いている。今のところ嘘が一つも感じられない。なにより興味深い。土地に縛られた化物……か。人間の社会もわずらわしい規則はあるが、化物の世界にもそういったものがあるのか。化物は欲望のまま生きているのかと思ったが、実はそうでもないらしい。

「それから化物は、食べることも騙すことも何もかも忘れて眠り続けました。人が全く来ないのでなにもできないのですから。しかしある日、うるさくて目を覚ますと、一人の人間が立っていました。久しぶりの人間で寝起きだったということもあり、すぐに食ってしまおうと大きな口を開きました。すると人間は怖がることも逃げることもせずにこう言いました。

『なんだなんだ。その大きな口は人を騙すためにあるのではないのか。騙すことが得意な化物と聞いていたが、それはお前のことではないな』と」

 なんだろう。どこかで聞いたことがあるような話になってきた。

「その言葉に怒りを覚えた化物は、自分こそが騙すことが得意な化物だと言いました。すると人間は、大いに喜んで騙し合いをしようと提案してきました。化物が呆気にとられていると、そいつは勝手に話を進めていき、次のような条件付きの勝負をすることになりました。『化物が勝ったら人間はなんでも言うことを聞く。そのかわり人間が勝ったら化物はなんでも言うことを聞く』化物と人間の騙し合いは三日三晩続きました。普通の人間なら長くても数時間で騙されてしまうのに、そいつは違いました。いくら言葉巧みに嘘をついても瞬時に見抜き、逆にこちらを騙そうとしてきます。こんな人間はこの世に生まれ落ちてから初めて会いました」

 隣の席で眠っている西島の体がピクリと動いて右に少し傾いた。

 僕は彼女が落ちないか気にかけながら化物の話に耳を傾ける。

「決着がついた時、空には大きな月が浮かんでいました。勝ったのは……人間でした。化物は生まれて初めて人間に騙されてしまいました。けれど悲しくも悔しくもなく、むしろ清々しい気分でした。そして人間と化物はお互いの健闘を称え合ったそうです」

 語りきった怪人は、とても満足気な表情を見せている。その顔は幼女なのに、何千年も生き続けた歴史が詰まっているような表情だった。怖いとは思わないし、気持ち悪いとも思わない。それよりもほんの少しだけ見とれてしまった。そして怪人の見事な語り口に聞きほれた。

「めでたしめでたし……」

 僕は昔話が完結したことを示す台詞を代弁した。

「ああ、そうか。人間はそうやって話を締めるんだったねぇ。すっかり忘れてしまっていたよ」

 怪人は気恥ずかしそうな表情をしながら頭をかいた。

 もしかして、以前にもどこかで誰かに昔話を聞かせたことがあったのだろうか。

「騙り部一門の頭領は元気かい? 今はたしか……八代目だったか」

 怪人が問いかけてきた。

 そんなことを聞いてどうするつもりだろう。こいつの目的が復讐だとしたら絶対に話せない。しばらく不審に思って観察していたが、不思議なことに今のこいつからは嘘も悪意も感じられない。むしろ昔を懐かしむような視線を向けてくるのでつい口を開けてしまった。

「今は僕の父親が九代目頭領をやっている。八代目は……」

 僕の答えを聞き終える前に怪人の顔が曇り、次第に悲しみの色を帯びていく。

「そうか……八代目は亡くなったのか……」

 幼女のつぶらな瞳に涙がたまる。鬼の目にも涙。いや、化物の目にも涙といったところか。しかし、どうして化物のお前がそんな顔をするのだ。そんな家族が死んだような悲しい表情を。だが勝手に悲しまれるのは困る。

「死んでいない」

 僕は嘘が嫌いだ。だから、八代目が死んだなんて誤解されたまま別れるわけにはいかない。たとえそれが化物相手であっても同じだ。だから正しい情報をしっかり伝えてやろう。

「はぁ? どういうことだい?」

 怪人の顔に困惑の色が帯び始める。ようやくやり返すことができて少しスッキリした。

 嘘は嫌いだし、騙し合いも嫌いだが、やられっぱなしが好きというわけではないから。

「八代目は地獄の閻魔様に自分の嘘が通用するか試しに行ってくると言った。そしてすぐ戻るから心配するなとも言った。だから僕たちは八代目が戻ることを信じて待ち続けている」

 祖父がそう言ってからもう二年近く経ってしまったこと、その遺体は火葬されて骨になって墓の下で眠っていることは黙っておこう。これは嘘ではない。事実を隠しているだけだ。

「あはは! あは! あははは! やっぱり騙り部はおもしろいねぇ! 最高だよ!」

 怪人は先ほどよりもずっと大きな笑い声をあげている。すでに幼女の顔の皮は剥がれ、化物の顔が少しずつ出てきている。なんとも言い難い顔だが、あまり恐ろしくはない。

「おい、化けの皮が剥がれてきているぞ」

 僕が指摘してやるとすぐに幼女の顔の皮を被り直した。なかなか器用なものだ。

「ところで、0番街の怪人と騙り部にはどんな因縁があるんだ?」

 大きな声で笑い続ける怪人にしびれを切らした僕は尋ねる。

「因縁? なんだいそれ?」

 高笑いをピタッと止めてこちらに顔を向ける。その顔は本当に何も知らないようだった。

「だってお前、騙り部に会いたがっていただろ」

「会いたかったよ。だから会えて嬉しいと言ったんじゃないか」

「復讐したかったからじゃないのか。さっきの話に出てくる化物がお前なら、そう考えてもおかしくないだろ。住処の山を追い出され、名前を奪われて0番街に来たんじゃないのか?」

「勘違いするんじゃないよ。さっきの昔話はただ語りたかったから語っただけのこと。その化物があたしで、その人間が騙り部だと言った覚えはないよ」

 怪人は妙な声色ではぐらかしている。嘘をついているのが丸わかりの口調だ。まるで嘘を見破ってごらん、と挑発しているようだ。

「本当のことを教えてくれ。頼む。僕は騙り部のことをもっと知りたいんだ」

 僕はその挑発に乗らず、丁寧に頭を下げてお願いすることにした。人間が化物に対して礼儀を払うのは別におかしいことではない。きっと祖父や父も同じことをするはずだ。

「それなら逆に聞くけど、あんたの知る騙り部は化物相手なら強奪や迫害をするのかい?」

「しない」

「本当にそう思うかい? どうしてそう言い切れるんだい?」

 怪人がニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべて聞いてくる。

「絶対にしない。騙り部は人を楽しませる嘘をついても人を傷つける嘘はつかない」

 それは化物相手でも同じはずだ。ずっと昔の騙り部はわからない。けれど祖父や父、少なくとも僕はそう思っている。 

「それなら、あたしの答えも同じだよ。騙り部の嘘の前では人間も化物も関係ない。皆平等に舌先で転がされてしまうのさ。飴玉のようにコロコロとね。あたしは騙り部から強奪されたことも住処を追い出された覚えもない。だから騙り部に復讐するような因縁もない」

 怪人の表情は、今までに見たことがないほど優しいものに変わっていた。じっと観察しても偽りや胡散くささが感じられないほど自然な表情をしている。だが、それなら……。

「どうして僕たちから奪おうとしたんだよ。意味のわからない勝負なんかふっかけてきて」

「あはは。バカだねぇ。そんなの嘘に決まっているじゃないか。気づいてなかったのかい」

「はぁ?」

 今度は僕が困惑する番だった。

 あの言葉が、あの顔が、あの殺気が嘘だったと言うのか? 信じられない。

「八代目ならすぐに見抜いたよ。あんたはまだまだ嘘を見破る修行が足りないねぇ。感覚はそれなりに鋭いようだけど、圧倒的に経験が足りていないよ。もっと場数を踏むことだねぇ」

 怪人は憐(あわ)れむようにささやいてくる。やはりこいつの騙しの技術は僕よりもはるか上だ。試合に勝って勝負に負けたとはこういう時に言うのだろうか。

「うるさいなぁ。いいんだよ。僕は嘘が嫌いなんだから」

「そのおもしろい嘘だけは褒めてあげるよ」

 嘘ではない。本当に嫌いなのだ。だが何度言っても怪人は聞く耳を持たなかった。

 それでも聞いておかなければならないと思うことがまだまだある。

「この街で行方不明になったという人たちからも全てを奪ったのか?」

「さあねぇ。この街はなにが起こってもおかしくない場所だから人が消えることもあるさ」

「さっきの昔話に出てきた化物は秋葉山を住処にしていたんじゃないか?」

「それも……さあねぇ。あたしとは縁もゆかりもない化物の昔話さ」

 だから嘘つきは嫌いなのだ。まったく信用できない。人間でも化物でもそれは変わらない。

「僕たちはそろそろ帰るよ。聞きたいことも大体聞けたからね」

 このところ毎晩、西島といっしょに家を抜け出してきてしまっている。自宅から0番街までさほど時間はかからないが、それでも夜が明けないうちに帰らなければ家族にバレてしまう。特に母親には気づかれてはいけない。絶対に気づかれてはいけない。父親にはなにやら視線を向けられることが多くなったから、もしかしたらすでに気づかれているかもしれないが。

「もっと上手く嘘をつけるようになったらまたおいで。その子といっしょに可愛がってあげる」

 幼女の見た目をした店主がその容姿に合った声で話す。その手の人にはたまらないだろう。けれど僕にはそういった趣味はないし、できればもう二度と訪れたくない。

「最後にもう一つだけ聞いておこうかな。お前はどうして嘘をつくんだ?」

 人を食べるため? 人を殺すため? それとも生きるため? どれも違う気がする。

「そんなの決まっているじゃないか。おもしろいからだよ」

 怪人は満面の笑みで言った。その表情と言葉に嘘はなかった。

「一つだけ忠告しておこうか。その扉を一歩でも出たらこちらを振り返ってはいけないよ」

 僕は適当に返事して西島を背負う。彼女のささやかで柔らかな胸が当たったのがわかった。少しドキッとしたが、彼女は小さな寝息を立てて眠ったままだ。落ちないように背負い直すと、『0の扉』まで歩いていく。それから大きく息を吸って吐いてから左手でドアノブを握る。

 大丈夫だ。やはり痛みは感じない。ゆっくりドアノブを回してから引くと扉が開いた。

 外に出るとまぶしさで思わず目を細める。明るさに慣れて少しずつまぶたを開けていくと朝だった。一瞬自分の目を疑ったが、これは紛れもなく事実である。

「そんな……どうして……?」

 僕と西島がバーに入ってから長くても一時間程度のはずだ。それなのに、どうして僕たちは太陽を拝んでいる。まるで意味がわからない。街全体を覆っていた嘘はすでになくなっている。怪人の嘘によって幻覚を見せられているわけではない。だからこれは本物の光景だ。

「千と一夜を明かしてみれども騙り尽くせぬこの世の嘘なら騙ってみせよう命尽きるまで。

 舌先三寸、口八丁手八丁、この世に騙れぬものはない。騙り部一門ここにあり」

 背後から騙り部一門に伝わる口上が聞こえてきた。

「騙り部一門の人間だという証明、そして騙り部一門同士の符丁(ふちょう)としても使われている。知ってるかい? これはねぇ、あたしと初代騙り部の言語郎がいっしょに考えたんだ」

 それを聞いて危うく振り返るところだった。だが、なんとか静止することができた。

 怪人の言ったそれは嘘だと思ったが、事実のようにも聞こえる。

 ダメだ。判別がつかない。

 耳から聞こえる情報だけでは嘘と真実があいまいでわかりづらい。

「これはねぇ、騙り部一門の婚姻の儀に使うために作られたんだよ」

 それは知っている。今でも騙り部一門の結婚式で口上が披露されているから。

「その子のこと、大切にするんだよ。あんたがしっかり守ってあげな。半人前の騙り部」

 僕はしっかりうなずいて見せた。それからゆっくりと歩き出してから小さな声でつぶやいた。

「守るよ。不死身のふじみは僕が騙り継ぐと決めたんだから」

 しばらく進んで背後で扉が閉まる音が聞こえてきた。

 そろそろ振り返ってもいいかと一瞬思ったが、またすぐに前を向いて歩く。

「ありがとう西島さん。助かったよ」

 彼女が背中にいてくれたおかげだ。眠っていることがわかっていても感謝の言葉を伝えずにはいられなかった。目が覚めてからしっかりとお礼を伝えよう。

「ん」

 返事のような寝息が彼女の口からもれた。

 

 翌日、僕は一人で0番街を訪れてみた。

 店があったはずの場所には――なにもなかった。

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