第五話 最後の女王

 あいにく僕は、地球の姿を肉眼で見たことがない。

 人間の身体でいた時の最後の記憶は――ちょっと曖昧ではっきりしないがまだ地上にいたはずだった。次に気がついたときにはすでにこの雄鶏ルースター星人の身体ボディで、太陽系から遠く離れた場所にいたのだ。それ以来、太陽系に近づいたことはない。

 まあそういうわけで、低軌道から青い海と緑の大地に覆われた岩石地球型惑星を見下ろした時、なんとなく故郷の星のことを思い出してしまうが、それは僕自身が見た地球の姿が思い出されるからではなく、かつてテレビで見た国際宇宙ステーションとかスペースシャトルとかから撮影された映像が呼び起こされるからだろう。

 要するに、僕はシュトレーム星を見て、地球を思い出したわけだ。もっともよく見れば、大陸の形なんかは当然のことながらまったく違っていて、逆にここが地球ではないということを強く思い知らされるのだけれど。

 シュトレーム星系、第三惑星にして主惑星、シュトレーム星の低軌道ステーションは、シュトレーム星と宇宙をつなぐ玄関口、中継点だ。官民共用のこのステーションは、外宇宙からの船を受け入れる施設であることはもちろん、地上との行き来を担うスペースプレーンの発着港でもあった。星間文明国家ではありがちの、地上から遠く静止軌道の反対まで伸びる軌道エレベーターがないことも、シュトレーム星が他の星以上に地球に似ていると感じられる理由かもしれない。

 僕の船、星間貨物船チキンライダー号は、管制の指示で軍用の港ブロックへの進入航路にいた。これは僕に問題があるからではなく、僕が抱えている“荷物”のせいだ。ワープアウトして寄港目的を連絡した際、軍がらみの犯罪者引き渡しに対応できる設備はそちらにしかない、といかにもな理由を告げられたのだ。シュトレーム星系政府と僕との関係(知らされている限り、この星系の法執行機関に手配されていない)を考えたら、そう警戒する必要などないようにも思えるが、軍隊とか警察組織には、いい思い出がない。つい身構えてしまう。軍用ブロックへの係留は、なんとなく、自ら罠にハマろうとするかのような嫌な感触があった。

 懸念事項は、もう一つあった。

 僕が抱えている“荷物”――予期せず配送する羽目になった、二人の犯罪者だ。これの引き渡しについて考えると、本当に頭が痛かった。

 スパイ容疑のテスカ少尉については、再起動したカイトの機転で、その犯行の一部ではあるが録画映像という証拠があり、それほど手間取らないだろうとは思っていた。しかし宇宙船運航妨害容疑のサルヴェール氏については、犯行の瞬間が全電子システムオフによる航行サイレント・ランニング中だったということもあり、物的証拠が一つもなかった。おまけに彼を逮捕したシュトレーム軍人は、一人セドランはすでにあの世に行き、もう一人テスカはスパイ容疑で逮捕されている。スパイの証言を証拠として採用するだろうか、とか、そもそもテスカが証言をしてくれるのか、等の不安材料にくわえ、万一、サルヴェール氏が罪に問われることなく解放され、拘束を不当なものとして訴えを起こす、というようなことでもあれば……いやまあ、いまさら民事訴訟のひとつやふたつ、増えたところでどうってことないが(星間民事訴訟での財産差押はかなり困難だ。他の星系に逃げられたら大抵手が出せない)、彼の場合はバックについてる星間軍需企業デザミー社が少々厄介だ。あの手の会社は星系国家と違い、影響範囲が複数の星系にまたがっているので、ちょっとやそっとじゃ逃げられない。仮に逃げられたとしても、その網にかからないように仕事をするとなると、やはりかなり面倒なことになる。

 そういうわけで、シュトレーム星系までの道中、僕はこのサルヴェール氏の扱いについてかなり真剣に悩んだ。途中で宇宙空間に放出したほうが遥かにリスクが少ないかもしれないと思いついたからだ。結局そのようにしなかったのは、人道的な配慮、などではなく、居ないなら居ないで、やはり説明が面倒だと気がついたからだ。僕の船が戦略反物質弾頭プラネットデストロイヤーを運んだと主張して報酬をもらう以上は、それについてきセットだったはずのサルヴェール氏の不在を説明できないのはマズイ。

 殺害容疑を掛けられて逮捕、勾留されるのと、民事訴訟のどちらがマシか、という天秤だ。

 マシな方を選んだつもりだったが、それでも確信なんてものはないわけで。接岸を間近にして、僕はまだ、この判断は本当に正しかったのか、などと思い悩んでいた。今更悩んだってどうすることもできないのに――自殺を偽装するとか?

 僕はため息をついて、座席に縛り付けたままだったサルヴェール氏を振り返り、睨みつけた。ホント、マジでこいつが余計なことをしなければ、こんな悩むことなんてなかったのに。何を怯えた目をしているのだ、被害者みたいな面しやがって。ホント腹立つ。

『ユウキさん』

 スピーカーから響いたのは、カイトの声だ。

「なんだ?」

『ヒトを殺しそうな目をしてマス』

「そのつもりだったらここに来る前にやってる」

 しかし、どうやら彼らが怯えているのは、僕の目つきのせいらしい。反省して顔を前へと向ける。

 それにしても、やはり軍とか政治がらみの仕事は割に合わない。次からはきっぱりと断ろう。

 カイトは文句一つ言わずに操船してくれていた。AIらしい几帳面さで、桟橋へと完璧なアプローチ。固定アームが接続される振動が伝わる。

「さて、仕事をはじめようか」

 僕は両手を叩いて気合いを入れてから、シュトレーム星系軍警察を迎え入れるため、席を立った。


 犯罪者引き渡しは、思いの外すんなりいった。

 桟橋に係留したチキンライダー号を訪れた軍の担当者は、なんら揉めることもなくあっさりと二人を引き取っていったのだ。

「ごくろうさまです! あとはわたくし共におまかせください!」

 と気持ちいい敬礼(シュトレーム式)と共に言った軍警察MPの中尉に、僕は思わず呆れ顔をしてしまう。

「えっと……いいの? ――いいんですか?」

 確かに、事前に報告書は送信してあったが、事情聴取のために同行を求められるぐらいのことは覚悟していたのだ。

「もちろんです! ありがとうございました!」

 船から降りたくない、とは思っていたが、まさか本当に船を降りずに済ませられるとは。

 呆気にとられていると、彼はなぜか右手を差し出してきて、僕はつい反射的に握ってしまう。すると大尉は嬉しそうに相好を崩した。一体何なんだ?

「あっ、セドラン中佐の遺書を――」

「そちらについては、別の者が参ります! それでは、私はこれにて失礼します!」

 再びビシッと音がしそうな敬礼をして、中尉はエアロックから出ていった。

 入れ替わりに、違う軍服を着た男が入ってくる。

「失礼します。シュトレーム星系軍近衛師団所属、ケルツ大尉であります」

「近衛師団っていうと、お姫様の?」

「はい、シュトレーム陛下の命を受けて参りました」

 まあなんでもいいけど。僕は用意していた遺書を差し出す。

「これがセドラン中佐の遺書です。表のアクセスコードを確認してもらえれば……」

 しかし、彼は受け取ろうとしなかった。そればかりか、手のひらをこちらに向け、拒否する姿勢だ。

「女王の命で、あなた様をお迎えにあがりました」

「……は? なに? 迎え?」

 完全に予想外の答えに、僕は間抜けにも聞き返す。

「はい。女王陛下は、シュトレーム星とその同盟国コリを救ってくださった恩人であるチキンライダー殿を、是非とも王宮へとご招待したい、と」

「は? いや救ってないし。いいよそんなの。これだけ持ってってもらえれば」

 僕は遺書をしつこく差し出すが、彼は頑として受け取ろうとしない。

「申し訳ありません。それはチキンライダー殿が、ご自分で女王陛下にお渡しください。私は、それを決して受け取らぬよう、厳命されております」

「…………」

 僕は事前の連絡で、セドラン中佐の遺書を預かっていることを合わせて連絡していた。しかし、大尉は「受け取らぬよう厳命されている」と言った。これは遺書、それも女王陛下の忠実な部下のそれだ。それを「決して受け取らぬよう」とはヒトとしていかがなものか、と思わなくもないが、使いである大尉にそれをさせない理由はすなわち、これを僕に持ってこさせたいのだ。

 ただの遺書であれば、桟橋にでも放り出してさっさとここを離れる、ということだって、僕にはできる。しかしことに限っては、できない。なぜならこの遺書には、今は亡きセドラン中佐が僕と約束した、今回の仕事の報酬について、書かれているからだ。これを女王が受け取る確証がないとなると、損をしかねないのは僕の方だ。

 大きな損害だ。約束された報酬は、僕の目的である貯金、その天文学的な額を、なんと半分にする価値があるモノなのだ。それを支払えるのは、シュトレームの女王陛下しかいない。それが受け取れると思ったから、荷物を運んだのだ。二回の超空間跳躍ハイパースペースジャンプと、帝国軍との追いかけっこ。燃料や精神力など、かなりのモノを費やした。貯金を崩してまで。それが全部フイになる? とてもではないが看過できない。

 僕は遺書これを女王に届けなければならない。遺書の内容を報酬についてまだ知らない女王に、僕がそうすべき真の動機はわからないだろう。しかし、旧知の仲であるセドラン中佐のよりにもよって遺書を、邪険に扱うことはないと踏んで、「決して受け取らぬよう」指示を出した。そうすればこれを持って、僕が彼女の前に現れざるをえなくなる、と考えたから。

 僕が遺書だけ置いたらさっさと帰ってしまうだろうことを知っていたから。

「あのお姫様アマァ……」

 思わず口をついた呪詛の言葉は、日本語だったから、目の前の近衛師団大尉には通じなかったはずだ。通じていたら大変だ。不敬罪で逮捕されたかもしれない。

 つい、恨みがましい目で彼を見てしまうが……しかしよくよく考えてみると、彼も仕事で来ているだけ。こんなこと、好きでやっているわけではないだろう。女王付きの士官として、いいように使われているのだ、きっと。そのように考えれば、彼もまた僕と同じ、彼女の被害者だとも言える。

 彼に恨みをぶつけるのは、お門違いだろう。

 それでも僕はわざとらしく盛大なため息をついてみせて、それから訊ねた。

「わかりました。それで……どこへ行くって? 女王はどこに?」

 大尉はさすがなもので、表情一つ変えずに言った。

「シュトレーム王宮……王都バルトローネへご案内します」

 やっぱそうなるよね。僕は再びため息をついた。

 船から降りたくなかったのに、それどころではない。まさかこのステーションから離れて、地上へ降りることになるとは。


 チキンライダー号に、大気圏内飛行能力はない。

 そもそも星間貨物船として作られているためだ。大気圏再突入に耐えられる構造ではないし、密度の濃い大気の中を飛ぶために揚力を生む方法もない。エンジンには重力を振り切る十分な力があるが、燃料をバカ食いする。甚だしく不経済だ。

 だから、船は宇宙ステーションに置いておくしかない。

 というか、それが普通だ。世の中には単体で大気圏内飛行能力を持つ宇宙船もあるが、よほど特殊な場合を除き、そういうものは無駄が多く、無意味だ。地球でも道路を走る船や、海を行ける自動車が、存在はしても一般的ではないのと同じだ。あまりにも環境が違うのだから、それに合わせてモノを作るのは、当然だ。

 地上と宇宙を結ぶのに、特化した交通機関があるのだ。

 銀河文明では、いまやロケットはほとんど使われない。進んだ文明がある星では軌道エレベーターを備えているのが一般的だが、この星、シュトレーム星には、まだそれはなかった。建設の計画はあるし着手もしているが、テロの標的になりやすく、なかなか完成に至らないとか。政情不安なこの国らしい事情だ。

 そういうわけで、宇宙ステーション−地上間の交通機関は、主にスペースプレーンが担っていた。僕はケルツ大尉に案内され、巨大なステーションをほぼ横断するように移動し、スペースプレーンの発着場へやってきていた。どうやら民間機を使うらしい。

「旅客機に乗るのは久しぶりです。昔は僕も、自前の地上往還機ドロップシップを持ってたんですよ。死んだ荷主の貨物からちょろまかしたヤツ。反重力駆動フロータードライブのイカしたヤツで……」

 搭乗待ちの間に世間話のつもりで話したのだが、ケルツ大尉がドン引きしていたのがわかったので、僕はクチバシをつぐむ。そういえば、アレドロップシップの末路もいい思い出ではなかった。

 スペースプレーンは、扱いとしては地球の旅客機に似ている。先頭にコックピットを持ち前後に長い形状で、内部は通路を挟んで座席がずらりと並んでいる。大気圏内を飛行する際に揚力を生み出す翼は、超音速に対応したデルタ翼で、シルエットは地球の超音速旅客機コンコルドに似ているが、サイズはずっと大きいし、出せる速度は15〜20倍に達する。

 マッハ30で飛ぶ超高速旅客機だ。

 案内されたのはファーストクラスで、指定された席は広々としていい座り心地だった。客室乗務員に飲み物を薦められたが、酒を頼もうとしたらケルツ大尉に断られてしまった。

「いいじゃないか、ちょっとぐらい」

「シラフでいたほうがいいかと思いますよ」

 まるで僕のためだと言わんばかりの言い方では、従うしかない。

 正直、飲まなきゃやってられないという気分だったのだけれど。

 客席は半分ほどしか埋まらなかったが、スペースプレーンは定刻に離岸した。そういえば、惑星地表に降りるのは久しぶりだ。

 宇宙ステーションを離れたスペースプレーンは、補助スラスターで更に十分な距離をとってから、進行方向へメインスラスターを噴射。減速・降下シークエンスに入る。速度が落ちると、惑星の引力に引かれ、高度が下がる、という寸法だ。降下はゆっくりとなされ、濃い大気に突入する前に機種を進行方向に向けるよう姿勢制御。大気に接した後は、機体下面全体でそれを受けて、更に速度を下げていく。空力加熱で、機体の表面温度は上昇。外から見れば、全体がプラズマに包まれているはずだった。しかし断熱が効いている内部にはもちろん影響はない。耐Gシートのおかげで、身体にかかる負担も最小限だ。ただまあ、それなりに揺れるし、循環器に疾患がある人や妊婦などの搭乗には医師の許可が必要だ。そういうあたりが、軌道エレベーターにやはり劣る。

 僕にとっては、振動が心地いいぐらいだ。船の運航に責任がない、ということもあって、眠気を誘う。

 眠っている間に再突入フェイズが終わっていて、目を開けたときには、スペースプレーンは大気圏内飛行に移っていた。速度は音速を僅かに超える程度。窓から景色を望めば、空の色が紫から、徐々に青に変わっていく。遥か下方に見えていた雲が、だんだんと近づいてくる。

「それにしても、大変ですね大尉も。僕みたいなただの運送業者のために」

 軍の大尉といえば、結構偉いし、それも本来は王政府の警護を担当する近衛師団の所属だ。はっきり言って、小間使いをさせられるような立場ではない。

 これまでほとんど表情を見せなかった大尉が、僕の言葉にはじめて、少しだが微笑む。

「そのようなことありません。国の英雄のエスコートですから。大変名誉な仕事ですよ」

 大尉の返事に、僕は眉根にシワを寄せる。

「大尉とは、初対面ですよね? 僕」

「お会いするのは、ええ、はじめてです」

「ではは知らないはずだ」

 そう言うと、大尉は苦笑を浮かべた。

「あなたはこの星では有名人ですから」

「有名? 僕が?」

 大尉は頷く。

「レティシア王女に助力し、クーデターから王家と国を救った英雄、チキンライダー」

「はっ……はあっ!?」

 僕は驚いて声を上げてしまった。機内であることを思い出し、なんとかトーンを下げる。

「し、しかし……僕はただ運転手役をやらされただけだ」

 それも、半ば騙された形で。

「私が聞いている話とは、ちょっと違いますね」

 大尉の口調からすれば、“聞いている話”が誇張されたものであるということは、知っているのだろう。

「えっ、それって……僕のこと、どのぐらいの人が知っているんです?」

「テレビドラマになりましたからね」

「……ウソだろ」

 驚かされたと同時に、そういうことか、と僕は先日の出来事を思い出す。テスカ少尉(当時)と初めて会った時、僕のことを「7月革命の英雄」などと言った。あの時は次に言われた言葉のほうが気になったので問いただすには至らなかったが。

 シュトレームのお姫様やセドラン中佐は、事件の当事者だから、彼らが僕のことを恩人だと思うのは(見解の相違はあれど)わかるのだが、それがまさか、国民全体に周知されているとは。

 クーデターをされるぐらいには、人気を失っていた王政権だったのだ。プロパガンダ、イメージアップのために、国民に人気のある若い王女と、たまたまそれを運ぶ羽目になった僕を、利用したのだ。しかもおそらくかなり誇張した形で。

 それにしても、テレビドラマとは。どんな人物がこのニワトリ人間雄鶏星人役をやったのか、少し興味ある。ドラマを見て確かめる気には全然ならないけど。

「……じゃあ、ステーションでやけに見られてたのは? 雄鶏ルースター星人が珍しかったからではなく?」

雄鶏ルースター星人の見分けは我々には難しいので、そうじゃないかと思いながらも確信が持てない、といったところだったのではないでしょうか」

「……軍警察MPの中尉が握手を求めてきたのも?」

「軍の若い連中は皆、あなたのように女王陛下のために活躍したいと思っているのです」

 軍警察の連中が、ろくな事情聴取もせず、僕の話を鵜呑みにして犯罪容疑者を引き取っていったのも、きっとそれだ。救国の英雄が不正な真似などするはずない、などと思いこんでいるのだ。

 ある意味では助かった。しかし。

「マジかよ……めっちゃ恥ずかしいんだけど」

「あと、我々、ファーストクラスに案内されましたけど、チケットはエコノミーだったんですよね」

「えっ」

「航空会社の配慮でしょうね」

 気づかぬ内のVIP待遇にも、そういう人物の招待にエコノミー席しか用意できない王家の経済面にも、驚く。経済的に余裕がない国なのは知っていたけど……

「大丈夫です、現政権にお金がないのは、みんな知ってますから」

「そういう問題かよ」

 どうせ王家の支払いだからとか思って、調子に乗って酒なんか飲まなくてよかった。

 それにしても、これまで宇宙のどこにいっても、大抵爪弾きモノ扱いというか、日陰者扱いで、実際法に触れる仕事ばかりしてきたのだから、表を堂々と歩けるような立場でもないと思っていただけに、ここでは真逆で、いい意味の有名人と扱われている、そういう風に見られていると思うと、急激に居心地が悪くなってくる。ゆったりとしたファーストクラスの座席ですら疎ましい。

 何かの間違いが起きてこの機が出発地に戻らないだろうか、などと考えたが、しかしこの機に、宇宙にもう一度上がる燃料はないだろう、間違いが起きても、降りるのは地上のどこかの空港だ。

「僕はただの運送密輸業者なのに」

雄鶏ルースター星人のクリーンなイメージも、“伝説”の補強に一役買ってるのだと思います」

「冷静な分析、ありがとう。あと、僕は雄鶏ルースター星人じゃないから、本当は」

「そうらしいですね。でもそういうことは、一般国民は知りませんから」

 今すぐこの星系を離れたいという僕の気持ちとは裏腹に、スペースプレーンは定刻通りにバルトローネ宇宙港へと着陸した。


 宇宙港は閑散としていて、恐れていたような騒ぎとかは起きなかった。期待していたわけではない。

 話が本当なら僕は国家的VIPであるはずだが、迎えの車などは用意されておらず、普通に客待ちしていたタクシーで移動する。まあいいんだけど。

 王都バルトローネは、かつては美しい街だった、らしい。

 伝統的な尖塔をあしらった建築物と、この地方で産出する鉱物の美しい青で統一された家々の屋根、その一部は今でも残っていて、神秘的ながらどこか懐かしい気持ちにさせられる。

 しかし、星間文明への仲間入りと、その過程に起きた惑星統一戦争、続く内戦で、そういった伝統的な景観は、大部分が失われてしまった。これでもだいぶ復興してきたというが、今でも散発的に起こるテロで、生々しくも破壊されたままの建造物も多い。

 作り直された新しい街と、破壊され廃墟同然の建物、綺麗に舗装されたばかりの道路、穴だらけの道、そういうものを交互に見せられながら、車は進んでいく。

「しかし、一時期よりはだいぶ落ち着いたんですよ。ここ一ヶ月、王都での新しいテロはなかったはずです」

「へ、へぇ……」

 そういう話をしながら、やがて車は、王都の中心部へと達していた。

 遠くからでも、その中心にそびえ立つ王宮の姿は、よく見える。複数の白く高い尖塔と、それを彩るように配置された鮮やかな青。このような国であっても、その城に損傷したような形跡はない。テロリストもそれを標的にするのは憚られるのか、それとも損傷は最優先で修復してしまうのか――

 ところが、タクシーはその城の前を通り過ぎた。てっきりその正門から中へと入っていくのだと思っていた僕は、思わず後ろの窓から振り返る。

「あっ、あの……」

「ああ、王宮はね、引っ越したんですよ」

 ケルツ大尉がなんでもないように答える。

「は?」

「あなたもご存知のテロの後、前国王が退位して、レティシア様が女王として即位されたわけですが」

「ええ」

「女王の新政策の一つとして、不必要なまでに豪華で維持費も膨大になる王城を、払い下げましてね」

「払い下げ……えっ? 売ったの? お城を?」

「現在は民間企業が、病院として活用しています」

 言ってるそばから、緊急走行中の救急車と思しき車両が、正門から飛び込んでいくのが見えた。

「病院?」

「スペースは多いし頑丈だしで、いいみたいですよ」

「そりゃあまたずいぶん……思い切ったことを」

 タクシーはそのまま少し走り、途中の路地を入って、大きいがとても古い建物の前で止まった。車を降りる。

「王宮に案内するって、言ってませんでした?」

「はい、ここがそうです」

「豪邸だったんでしょうねぇ……昔は」

「没落した貴族から接収した建物です。土地はともかく、家屋に資産価値はまったくありません」

「っていうか、廃墟ですよね」

「見た目は悪いですが、中はそれなりに手を入れてます。あなたの船と同じですよ」

 そういう風に言われると、入らないわけにはいかない。

 僕はケルツ大尉に続いて、その廃墟――王宮へと入った。


 中は大尉の言うようにリフォームされていたが、そこは王宮というより事務所、オフィスのようだった。事実そうなのだろう。中では軍服だったりビジネススーツだったりする人たちが忙しく働いているようだった。大尉の案内で、その人らが行き交う通路を進んでいく。

 彼らの中には、僕の顔を見て驚いた顔をする者や、意味有りげに視線を送ってくる者、もっとわかりやすくすれ違いざま握手を求めてくる者などがいたが、基本的には皆、僕らが通るのを邪魔しないようにしてくれた。正直助かったという気分だ。

 案内されたのは、広い部屋にたくさんの机が並べられたモロに事務所、という趣の部屋の、一番奥にパーティーションで仕切られただけのスペースだった。下げられたプレートに手書きで「女王執務室」と書いてあった。

「失礼します。陛下、ただいま戻りました」

 ケルツ大尉に続いてパーティーションの中を覗き込むと、部屋の主が立ち上がるところだった。

 知っている――いや、知っていたはずの少女は、僕が覚えているより少し背が伸び、そして大人の女性になっていた。変わらず整った顔立ち。ゆるくウェーブした金髪を、今は高めで一つにまとめポニーテールにしてある。着ているものも他の女性スタッフと同じようなオフィスカジュアルで、女王というよりベンチャーの若手女社長という雰囲気だ。

「ケルツ大尉、遠路ご苦労様です」

 部下を労った若き女王は、それからようやく、僕の方を向いた。その顔に微笑みを浮かべる。

「お久しぶりです、チキンライダー殿。このようなところまでお呼び立てして申し訳ありません。職務上、王都を離れることができないのです」

「ご無沙汰してます、様」

 僕はわざとそっけなく言って、用意していた遺書を取り出した。

「セドラン中佐から預かってきました」

 女王は恭しくそれを受け取る。

 僕は、それを渡したらさっさと帰ってしまいたい気分ではあったが、ここまで来たのだから、そこに書かれていること、つまり僕への報酬については、女王から確約をもらっておきたかった。だから椅子を薦められたときに、拒まず腰を下ろした。

「部下が大変お世話になりました。チキンライダー殿には、またお力をお借りしてしまい――」

「あー、そういうのいいんで。僕は仕事で飛んだだけ。とりあえずそれ、読んでください」

 頭を下げかけた女王を制して、僕は背もたれに身体を預けた。応接セットは古いソファだったが、座り心地はよかった。別のスタッフがお茶を持ってきてくれたが、携帯容器入りペットボトルだった。経費削減だろうか。

「大尉も座ったら?」

「いえ、わたしはここで」

 立ったままだった大尉に一応、言ってから、女王の方を見ると、彼女は自分の机――執務机と呼ぶには随分質素なビジネスデスク――からペーパーナイフを取ると、封書を開いた。

 出てきた便箋は一枚きり。女王は立ったまま、さほど時間を掛けず目を通すと、俯き加減に目を閉じた。

 忠実な部下の死を、悼んでいるのだろう。

 顔を上げた女王は、こちらの方を向いた。

「アンタルからの報告では、コリの異常活動は、安定へと向かいつつあることが観測されたようです。そのことで交渉材料を失った帝国軍も、撤収に入った様子だとか。コリ星系の危機は、おそらくこれで回避されるでしょう。あなた様のご尽力のおかげです」

「それを聞けば、セドラン中佐もきっと喜ぶでしょう」

 僕は荷物を運んだだけ。そういう手柄は彼のものだ。

「報告は受けています。テスカ少尉が、帝国のスパイだった、と。あなた様には重ね重ねご迷惑を」

 僕は面倒くさそうに顔の前で手を振る。

「あなた方も知らなかったんでしょう。難しいかもしれませんが、人事採用にはもう少し気を使った方がいいかもしれませんね」

 女王は首をすくめてみせる。そういう仕草をすると、立場よりもずっと幼く、かわいくも見える。

「現在のシュトレーム政府のリソースでは、士官学校入学以前から国内に潜入している工作員スリーパーを事前に見つけることは、ほとんど不可能なのです」

「そうでしょうね」

 僕は興味なさげに言った。実際、シュトレームの事情に興味などない。僕の興味は報酬だけだ。

 僕の反応に女王は少しムッとしたようだったが、構う必要はない。僕は仕事をした。報酬を約束された。その話がしたいだけだ。

「久しぶりの再会です、もう少し喜んでくれてもよろしいのではなくて?」

 頬を膨らませて言う女王に、僕は怪訝に首を傾げる。

「僕が? 喜ぶ? あなたとの再会を?」

 今度こそ、女王は怒ったようだった。鋭くした視線で僕を射抜いてから、そのままの目で立ったままだった忠実な軍人を睨みつける。

「ケルツ大尉、ここは結構です。あなたは……そうね、少し休憩でもしてきたら?」

「はっ? ……いや、しかし陛下」

「席を外してほしいのです。――心配しなくても、このヒトはわたしになにもしません」

 大尉は少し心配そうな目でこちらを見たが、それは僕が何か悪いことをやらかすのを心配した様子ではなかった。

「命令です」

「――かしこまりました」

 大尉は敬礼すると、パーティーションの向こうに消えていった。

 女王はふぅっとため息をつくと、今度は僕を睨みつけるようにした。

「ご招待にノッてくれたのに、どうしてそうツレない態度なんです?」

 さっきまでの態度とは打って変わり、まるでお友達に接するように、礼儀正しくもざっくばらんな口の聞き方をした女王に、僕は反射的にパーティーションの方を見た。これ、ただ仕切られているだけで、大きな声を出してしまうと外に丸聞こえだ。

「僕は報酬の話をしたかっただけだ。だから来たんだ」

 声を潜めて言ってやる。

「ああ、なるほど」

 女王は再び、遺書が書かれている便箋に目を落とした。

「優先使用権、ね。細かい規約は確認しなければいけないけど――確かに星系政府には認められていますね」

 それから目だけをこちらに向け。

「いいでしょう。あなたのご尽力、ご事情を思えば、決して法外な報酬とはいえません。なにより当政府には、“あれ”を使うような予定も余裕もありませんし」

 僕は思わず笑みを浮かべてしまう。

「ありがとう! 助かります。じゃあ僕は用が済んだんでこれで。詳しいことは後ほど連絡しますんで」

 腰を浮かしかけたところで、

「ただし――」

 女王は意味有りげな微笑を浮かべて、顎に手を当てた。

「知っての通り、我々が提供できるのは優先使用権だけです。使用料については、ご自分で用意していただく必要があることは」

「そりゃあもちろん」

 命をかけたとはいえ、あの程度の仕事で“例の機械”の使用料をふっかけるのは、さすがにやりすぎだ。どちらにせよ、一国の王女、いや、女王であっても、シュトレームの状況を考えたら、支払い能力はないだろう。

「では、資金の用意が?」

「いえ、それはまだですけど」

 隠すようなこともないと思い、僕は言った。

「だからお金が貯まったらまた連絡するんで、その時に手配してもらえれば」

「なるほど。そうすると、困りましたね」

 困りましたね、などと言いながら、女王はどこかおかしそうに言った。

「わたくし、近々王位を返上しますの。もちろん政権も離れます。そうすると、政府に認められている優先使用権について、行使する権限はなくなります。ですからこの報酬の“お支払い”は、それまでにさせてもらわないと」

「えっ、王位、返上?」

 僕は間抜けみたいに聞き返した。

「王位を返上って、女王を辞めるってこと? なぜ? ……いや、いつ?」

「そうですね……」

 若い女王はかわいらしく顎に人差し指を当てて言った。

「調整中ですが……遅くとも二ヶ月以内には」

 たったの二ヶ月で“例の機械”の使用料、天文学的数字の金額を集める? とてもではないが無理だ。

「ど、どうしてそんなことに――そ、そうだ、後任の王様に引き継いでくれれば……どうせ親戚なんでしょ?」

 女王は「残念ですが」と全然残念じゃなさそうに首を横に振った。

「シュトレームは、王政そのものを廃止するのです。次期政権は、民主的な選挙によって選出された一般国民の代表者によって運営されるでしょう。――これがわたしの、シュトレーム女王としての、最後の仕事になります」

 少し誇らしげに、女王は言ったが、僕にとってはそれどころではなかった。

「えっ!? じゃあ報酬は? 僕は燃料費も建て替えてんだぞ? かなり危険な橋だって――」

 自分の声が大きくなりかけていることに気づき、僕は慌ててクチバシをつぐむ。

 女王は首を傾げ、

「なんなら、運送料相当額を普通に金銭でお支払いしましょうか? 貧乏国家ですが、そのぐらいならなんとか」

「そういう問題じゃなくて!」

 女王はうんざりした様子で、ため息。

「なにも、お支払いしない、とは言ってないのですよ。ただそれを支払える期間に限りがある、と。受け取りができないのは、あなた様のご事情でしょう?」

 女王は意地悪く微笑む。

「なんで――そんな嫌がらせみたいに」

「あら、あなたが先に、わたしにイジワルしたんじゃないですか」

「はあ?」

「だってそうでしょ。久しぶりの再会なのに、嬉しくない、だなんて!」

 打って変わって、上目遣いに睨みつけてくる彼女に、僕はさっさと視線を逸らす。

 会いたくなかったのは、事実なのだ。

 彼女はしばらくそうして睨んでいたが、僕が何も言わなかったので、諦めたようにため息をついた。

「でも――本当はあなたの力になりたいのですよ」

「本当に?」

「本当です! しかし、シュトレームの民主化は、できるかぎり早く成し遂げなければなりません。そのためには一刻も早い王位の返上、王政の廃止が必要なのです。そのためにこの二年、準備してきたのです。選挙だって――」

「なに? この二年、準備してきた?」

 僕の引っ掛かりがなんだったのかわからなかったらしい、女王はキョトンとしながらも肯定した。

「ええ」

「じゃあ――セドラン中佐は知っていて――わかっていて、そういう提案をした? うまくやれば、いっさい支払わなくてよくなるかもしれない報酬を提示した?」

 女王は、あっという顔をしてから、何も言わずに視線を反らした。

 あの野郎! 僕は恒星へと消えていったセドラン中佐のことを思い出す。そういえば、実直そうな顔をしていながら、抜け目のない男だったのだ、彼は。そのことはわかっていたはずなのに!

 僕は心の中で彼に、地獄で待ってろ、と祈ってやってから、とはいえ、依頼を受けた段階でそれを見抜くのは不可能だったはずだ、と自らを慰めた。

 僕が相当ガッカリしているように見えたのだろう、若き女王は気遣わしげな表情で言った。

「あの……本当に、金銭でお支払いしましょうか? もちろん優先使用料と同じ額はお出しできませんが、通常の運送費に多少、色を付けるぐらいなら」

 僕は答える元気もなく、脱力してソファに身体を預けていた。なにせ、随分と近づいたと思われたゴールが、また元の位置に戻ってしまったのだ。さすがにコレはキツイ。

 契約不履行だ、と言ってしまいたい気持ちもなくはないが、そもそもが代理人との口約束だし、向こうに支払う意思がないわけではない。支払いを受け取れないのは彼女の言う通り、僕の問題だ。ゴネたってどうにもならないだろう。ではそれに匹敵する金銭を出せと言っても、それは法外に過ぎる額だし、この状況のシュトレーム政府にはそのような財産などないだろう。

 とっくに王宮まで売っぱらってしまっているのだ。

 パーティーションの中は、しばらく沈黙に包まれていた。

「ラプノー星の機械マシン……ユウキさんはアレで、ご自分の身体を取り戻すおつもりなのですよね」

 女王の言葉に、僕は自分の船、その物置奥深くに隠してある金庫、そこに収めてあるモノのことを思い出す。

 僕の本来の、つまり地球人としての身体の細胞とDNA情報が収められた、手のひらサイズの保存容器だ。

 今、残っている僕の身体と言えるものは、雄鶏ルースター星に保管されている同じものバックアップを除けば、それだけだ。

 細胞とDNA情報。それがあれば、銀河文明のクローン技術で、肉体の再生が可能なのだ。

 再生された肉体に脳移植し、地球人としての姿を取り戻す。それが僕が、地球に戻って元の人生を取り戻すために、どうしても必要なことだった。

 しかしこのクローン技術には、問題があった。

 時間がかかるのだ。たとえば僕の、失われた時分の地球人年齢二十歳前後の肉体を再生するなら、やはり地球時間の二十年を必要とする。このタイプのクローン製造設備は銀河には結構あって、雄鶏ルースター星にもあったが、それを待っていたら、地球に帰る頃には二十年が経過してしまう。

 二十年経って、二十年前の姿で帰ってくる、ということになるのだ。

 それでは地球に戻っても、元の生活を取り戻すことにはならない。

 であれば、もっと早く肉体を再生する方法が必要になる。そして、そういう技術も、銀河には存在する。

 高速複製技術ハイスピードクローニングだ。それを使えば、もっと短い時間で、クローンが作れる。

 ではなぜそうしないのか。それはもちろん、これにも問題があるからだ。

 高速複製技術は、短期間で人間のクローンを作れる。つまりは、短時間でたくさんの兵士、労働力が作れるのだ。それは容易に、銀河のあらゆるパワーバランスを変えかねない。

 そのため高速複製技術を持つ星系、国家は、ほぼ例外なく、これを国家機密、もしくは軍事機密として扱っているし、当然のようにその技術は門外不出だ。

 

 そう、何事にも例外はある。その唯一の例外が、ラプノー星だ。銀河で唯一、高速複製技術ハイスピードクローニングの商業利用を認めている技術国家。金さえ出せば、誰でも高速複製技術ハイスピードクローニングを利用できる。

 もちろん銀河中に使いたい者がいる。しかし、設備は有限だ。順番待ちの列はとてつもなく長く、そこに普通に並んだら、軽く百年は待たされる。

 少しでも早く使うためには、べらぼうに高い補償金を払って、順番待ちに割り込むしかない。

 そしてもちろん、機械そのものの利用料も必要だ。銀河で唯一のサービスだ。その利用料が法外なのも、誰も非難できない。

 優先利用権は、その懸案の片方、高額な割り込み補償金の問題を解決してしまうのだ。僕がセドラン中佐の提案に簡単に乗ってしまった理由が、わかってもらえたんじゃないかと思う。

「そうでもしなきゃ、地球に帰れませんからね。こんな姿じゃ」

 僕は羽毛に覆われた腕を広げてみせる。

「わたしは――少し、複雑です」

 女王は俯いて、言った。

「地球という星は、公的にはまだ星系外文明と出会ってすらいない、原始的な星だとおっしゃってましたね」

「……ええ」

「では、帰られたら、もう宇宙に出てくることは、ないのでしょう?」

「そうなりますね」

「そうしたら、もう二度と、お会いすることはできないでしょうし。それは……寂しいです」

 女王の声はだいぶ小さかったが、それでもちゃんと聞こえた。

 僕が黙っているのをどう思ったのか、彼女は顔を上げると慌てたように言った。

「も、もちろん、ユウキさんが一日でも早くご自分の身体に戻れることを、祈っております。本当です」

 僕はやはり何も言わず、頷くに留めた。

 いずれにせよ、この話は終わりだ。そうできる日は、また遠ざかってしまったようだし。

「それにしても……民主化ねぇ。本当にできるんですか?」

 宇宙に進出してまで、王政とか封建制度を維持してきた国なのだ。

 銀河は広くて、銀河連盟に加盟するような高度文明をもつ星系であっても、ひとつの王家が治める、というような国はある。そこの住民がそういう社会システムのほうが都合がいい性質をしていたり、近隣星系と付き合っていく中でそういう政治構造が有利だったりすることもあるのだ。

「どうでしょうかね」

 女王は不穏な返事を平気で口にする。

「しかし、今は国全体で、民主化へ向けて動いていますよ。テロもずっと少なくなったし」

「反対勢力がいないってわけじゃないんでしょ」

 僕の言葉に、女王は肩をすくめる。

「そりゃあまあ……これまで貴族だ王族だって甘い汁を吸ってきた人たちは、どうしたって喜べませんよね。でもそういう存在が、国民の反感を買うわけですから」

 国家元首が率先して王政をやめようとしているのはいいことかもしれないな、と思いつく。僕は地球の歴史にも詳しくはないが、処刑された王様はいくらでもいたはずだ。

「そういうことなら、女王様も一市民として立候補するってプランもあるんじゃないの? なんだかんだいって、国民には人気、あるんでしょ?」

 彼女は僕が“女王様”と呼んだからだろう、ちょっとムッとした顔を見せたが、その後は困ったような表情を作る。

「実際、わたしを担ぎ上げようって勢力は、あるんですけどね。でも、お断りです」

「いやちょっと待ってよ……お姫様が大統領だかとにかく選挙で一番偉くなれば、最初言ってた報酬、もらえるんじゃね!?」

 僕は思わず身を乗り出した。

「立候補してくださいよマジで!」

「いっ、いいえ、わたしは……」

 苦笑を浮かべた女王は、やがて申し訳無さそうな顔をして、

「ユウキさんには申し訳ありませんが……わたしが、元王家の人間が政権に残ってしまったら、王政を廃止した意味が、なくなってしまうかもしれませんから……」

 そういうもんかねぇ。

 僕はソファに身体を預け直す。

「じゃあ、もう政治の世界とはお別れするんですね、女王を辞めたら。晴れて一般人だ」

 何気なく言った僕の言葉に、彼女はなぜか嬉しそうに微笑んだ。

「そうなんですよ。自由の身、です」

 自由の身、か……

 彼女の口からそういう言葉が出て、僕は彼女の境遇というやつを、考えてしまう。

 王家に生まれて、お姫様なんて呼ばれて、政情不安なこの国に振り回されてきたのだ、彼女の人生は。女王になったことだって、自ら選んだわけではないはずだ。ここに至るまで、何一つ自分で選んだことなどなかっただろう。王位の返上だって、決断したのは彼女だろうが、時代の要求がそうさせたのだ。

 ずっと囚われの身だったのだ、彼女は。国家の囚人。だから彼女はおそらく、自然に言ってしまったのだ、自由の身だ、と。

 しかし、彼女に本当の自由が訪れるのだろうか? この星で彼女は、元王族、元女王だ。この星系の民は、彼女を本物の一般人にしてくれるのだろうか。実際、彼女を担ぎ上げようという勢力があるという。そういう者達は、彼女を再び政治に利用しようとするのではないか――

「ユウキさん、わたしを連れて、逃げてくれませんか?」

 まるで僕の思考を見透かしたようにそう言われ、思わず心臓が跳ね上がる。

 僕が彼女に会いたくなかった理由は、実はこれだ。僕は、彼女が僕になんとなく好意を持っているのを、知っていた。

 こんな身体雄鶏星人のボディでモテたって仕方ないとは思うが、でもたぶん、女性にモテる理由は、この外見だ。誠実な印象の雄鶏ルースター星人の見た目でありながら、アウトローな密輸屋というギャップ。そしてユーモラスな外見が、世間知らずの女性の警戒心を解いてしまうのだ。

 あとフカフカの羽毛が生み出す包容力(物理)。

 でも僕の方は。

 自分のものではない身体に入っているせいか、僕の生理的欲求、というか感覚は、本来のものとは違うと感じる。雄鶏ルースター星人と共通しているだろう食欲、睡眠欲などは普通に感じるが、それ以外の点に関しては、欲求とか感覚が希薄なのだ。かつては確かにあったはずの、可愛い女の子と仲良くなりたい、好かれたい、みたいな感覚も、いまは感じない。仕事をしていてその方が得だと思えば倫理や法に反することも躊躇なくできるようになってしまっているのも、もしかしたらそのせいかもしれない。雄鶏ルースター星での脳移植の際に、なんらかの不手際があってそういう情緒を感じる神経回路を失ってしまった、とは思いたくないが――

 話が逸れてしまった。

 とにかく、かつての地球人ボディを持っていた時の僕なら、妙齢の女性に言われたいセリフ、トップ5に入ったであろう言葉も、いま現在は、言われても冷静に思うだけなのだ。

 どこへ? そして、どうする?

 地球へ? まさか。彼女を地球に連れて行ってどうするのだ? 結婚? まさか。愛してもいないのに。僕が一生、面倒を見ることなどできない。

 ではまったく違う星へ? しかし、僕が面倒を見続けられないのは同じだ。そういう場所へ放り出してしまって、それで彼女を待っているのは、ここに残るよりももっと過酷な運命かもしれない。何の後ろ盾もない女性が、故郷を遠く離れた星で生きていくなど、簡単ではない。生きていくだけなら可能だろうが(なにせ僕だってやれてる)、それはこれまでお姫様としてやってきた彼女にできる生き方だろうか。違うと思う。

「報酬さえいただければ、どこにでもお運びしますよ」

 だから僕は、そのように答えるのだ。

「僕は運送屋ですからね。でも快適な旅がしたいなら、旅客船に乗った方がいい」

 彼女は賢い人だから、僕が拒否したのが伝わっただろうに、しかし彼女は微笑んだ。断られる想像は、していたのかもしれない。

「では、そのときはお願いしますね」

 その微笑は寂しそうだったかもしれない。でも、それを気にするのは、僕の仕事ではない。


 王宮での会食、などと言われたらお断りしようと思ったのだが、僕のために用意したものではなく、むしろ僕はついでで、メインは王宮スタッフの慰労会の方だということだったので、参加することにした。美味しい料理が出ると言われたのが決め手だ。

 かつては豪奢であっただろう広い食堂ダイニングも、装飾の類や高価な家具類は取り払われ、今は普通のテーブルやら、椅子が並べられている。今日のパーティは立食形式で、参加者もざっくばらんな雰囲気だった。

 目立たないよう隅の方に陣取り食事をはじめた僕だったが、参加者がわざわざ、次々に僕の方へやってきた。挨拶されたり、握手を求められたり、記念撮影まで。有名人になった気分だった。実際有名人なのかもしれないが、自覚がないのに急に放り込まれたのだから、実感はない。

 ケルツ大尉も、酒を注ぎにきてくれた。なんだかニコニコして、なにか言いたげだったが、結局「よろしくお願いしますね」とわけのわからないことを言っていた。そう言えば、「よろしく」に相当するようなことは、この夜、何度も言われた気がする。

 セドラン中佐も言っていたが、まさかとは思うが、またシュトレームの危機の時に助けてほしい、とか思っているのではないだろうか。

 正直、もう勘弁してほしいのだけれど。だいたい、本当の僕には、ヒーローのように活躍するような腕も、度胸もないのだ。

 ホント、マジで平和裡に民主化を成功させてほしい。

 その夜はさんざん飲まされて、途中からの記憶はない。目が覚めたときにはもう昼前で、屋敷内の一室のベッドに寝かされていた。かつては客間だったらしいが、今はベッドが複数置かれて、仮眠所として使われている場所だ。

 二、三日ゆっくりしていけば、とケルツ大尉が言ってくれたが、丁重にお断りした。女王は見送りには出てこなかったが、きっと忙しかったのだろう。

 空港まで、今日はいていた公用車で送ってもらい、僕はシュトレームの地を離れた。

 もう二度と、この地表まで来ることはないだろう。衛星軌道までなら、仕事で来るかもしれないけど。

 僕が留守にしている間に、カイトが仕事をとってくれていた。航宙規格スタンダードコンテナ一つ。中身はシュトレーム星特産の織物。

『ところで、織物ってなんです?』

「布だろ」

『知ってますヨ、検索しましたんで。ただの布を、わざわざ他星系で売るんですか?』

「文化によって独特の模様が入ってたりして、喜ぶ人もいるんだよ。敷物ラグにしたり」

『そういうもんですか』

 正直、中身がどのぐらいの利益を生むのか、わからないし興味もない。荷主がそうして欲しいといえば、運ぶのだ。それが僕ら、運送業者だ。

 そういえば結局、中佐と約束していた報酬は諦めた。どう頑張ったって、行使可能期間中に使用料を稼ぎ出せそうにない。それよりも赤字を出さないことが大切だと判断したのだ。幸いシュトレーム星系政府は、運送にかかった費用をきちんと支払ってくれた。儲けはほとんどなかったが、この帰りの便で取り戻せそうだった。

 新たにコンテナを抱え込んで、チキンライダー号はシュトレーム低軌道ステーションを離れる。

 あんなやりとりがなければ、もう少し遊んでいってもよかったかもな、などと、青と緑の星を見下ろしながら思う。気まずい思いをして、その上で長居ができるような精神は、さすがに持ち合わせていなかった。

 警報が鳴ったのは、船が超空間ハイパースペースに入った直後だった。ディスプレイに表示されたのは船内図。コンテナと繋ぐシャフト通路のハッチが開いたという表示だ。先日、セドラン中佐が通ってコンテナに乗り込んだあそこだ。

「ちゃんと閉まってなかったかな? 気密に問題がなければ放っておいて到着後にでも――」

『どうやら、他の問題があるようです。シャフト通路のセンサーに動体反応』

「動体?」

『密航者ですね』

 カイトが言ったのと、背後のシャフト通路と繋がる扉が開いたのは、ほぼ同時だった。

 振り返った僕は、そこから顔を出した人物を見て、すでに握っていた銃をホルスターに戻した。腕組みをして言う。

「どういうつもりですか、女王陛下」

 無重力作業でよく使われるシンプルなツナギ姿の“密航者”は、乱れた髪を整え、一息ついたように息を吐いてから、僕の方へと顔を向ける。

「ああ、それ、もう違いますから。国を捨てたんだから、女王じゃありません」

「なるほど。それはそれとして、密航は重罪ですよ、お姫様」

「大丈夫、はじめてじゃないから」

 なにが大丈夫なんだか。

 彼女は僕の射るような視線などものともせず、隣の座席までやってくると腰掛けた。

「お姫様、いったい――」

「そのお姫様っていうの、やめてくださらない?」

 僕の言葉を遮るように、彼女は言った。

「レティシアって名前があるの、わたし」

 それからいたずらっぽく微笑んで。

「あなたはもっと親密に、レティって呼んでくださっていいのよ」

 僕は彼女を無視して、前へと向き直る。

「カイト、出港前に積荷のチェックは?」

『管制から通関検査終了済みの報告があったので』

 船のセンサーより強力な走査設備を持つ通関の検査済み報告があれば、慣例的に船側で荷のチェックはしない。星間貨物の税関は厳しいのだ。

「宇宙ステーションの管制も……いや、もしかして、シュトレーム政府全体がグルなのか?」

 僕は昨夜の食事会、慰労会のことを思い出す。彼らがたびたび言っていた「よろしく」は、もしやこのことだったのか?

 王位を返上した元女王の将来を憂いていた者は、おそらく、政府中枢にも多くいたのだろう。彼らは、女王が国家のために青春を捧げて献身的に働いてきたのを見ていた。ここらで解放してあげたいとでも思ったのかもしれない。

『積荷自体が罠だったわけですネ』

「大掛かりなことしやがって」

 女王を密航させるために、貨物まででっち上げたのだ。おそらく積み上げた絨毯の下に、生命維持装置付きの気密カプセルエマージェンシー・ポッドみたいなものを隠してあったのだろう。まったく。

「こんなことしなくたって、さ」

 ちゃんと報酬さえ払ってくれれば、普通に運んだのに。

「お願い。なんでもするから、連れて行って――この船に置いてください! 働きます、わたし!」

 さっきまでの慇懃無礼な口調とはガラリと変わり、殊勝げに言う彼女を振り返ると、こちらに向けて手を合わせていた。あの拝むスタイルは、両手がある文明ではお願い事をするときに高い採用率を誇る。

 それにしても、この船に置いてください、とはね。

 行き先が決まった旅ではない。だから、普通に客として乗るということが、できなかったのだ。彼女はどこか遠くに行きたいというより、僕といっしょに行きたいだけなのかも……

 僕はため息を一つ挟んで、クチバシを開く。

「なあお姫様、“冷たい方程式”って話を知ってるか?」

「えっ……いいえ」

 それはそうだろう。アレは地球のSF短編小説だ。

「緊急に薬を届ける任務を受けた星間貨物船に、密航者が乗り込んでいたんだ。だけど小さな船には、一人増えた重量を十分に減速させるだけの燃料がない。このままでは、薬は現場に届けられずに、多くの人が死ぬ。さて、どうしたと思う?」

 お姫様はつばを飲み込んだ。

「ど、どうしたの?」

 僕はなんでもないように首を傾げて、オチを告げる。

「密航者を放出した。重量は元に戻り、薬は無事に届けられ、犯罪者一人の犠牲で、多くの人が助かったそうだ。めでたしめでたし。さて――」

 僕は前を向く。

「カイトくん、今回の輸送では、何人が乗り込む予定だったかな」

『一人です』

 僕はわざとらしく自分を指差し、それから“密航者”のことも指差す。

「あれぇ、ひとり多いなあ。このままじゃマズイんじゃないかなあ」

 もしくはカルネアデスの板。もちろんそんな話は創作、選択を迫る状況を作るために都合のいい設定に過ぎない。現実の星間航行では、必ずマージンを取る。何にでも、余裕は必要だ。出発直後のチキンライダー号には、銀河の端から端まで行って、お釣りがくるほどの余裕がある。

 僕はお姫様を振り返った。彼女は青ざめていた。ちょっと脅かしすぎたか。

「宇宙では、時には放り出されたって仕方ないって場合もあるんです。これに懲りて、密航なんて二度としないことですね」

 彼女は素直に頷いた。

「ごめんなさい」

「あなたは人を――僕を信用しすぎですよ」

 確かに以前は助けた。でもそれは、そういうめぐり合わせだっただけだ。僕がいつでもどんなときでも、彼女の味方をするとは、思って欲しくない。

 しかし――

 僕はお説教が効きすぎたのか、すっかりしょげてしまったお姫様を横目で見てから、考える。

 さて、どうしたものか。

 悪いが、彼女の希望を叶えてやることは、できない。相棒はカイトがいる、十分だ。優秀な人間であればまだ考えるが、レティシア元女王の特技は政治だろう。星間輸送で、すぐに役には立たないだろう。

 一番親切な行いは、彼女を元の星シュトレームに戻すことだろうか。しかしすでに超空間ハイパースペース航行中で、引き返すには当初設定したワープアウト座標に出てから、もう一度、超空間跳躍ハイパースペースジャンプを行う必要がある。これは無駄な時間と燃料を費やすだけで、おまけに彼女には恨まれるだろう。どうせ恨まれるのなら、そこまでしてやることはない。次の寄港地で放り出すのが一番だ。

 そりゃあまあ、その場合、彼女にはきっと過酷な日々が待っていて、これから彼女がする苦労のことを思うと多少心が痛まないでもないが、しかしそもそも、それは彼女が自分で選んだ結果だ。小悪党の密輸業者の船に密航なんかしてしまったのだ。それがそもそもの間違いだ。

 即座に宇宙空間に放り出されないだけ、ありがたいと思ってもらいたい。

 僕も鬼ではないのだ。できることならば、彼女の特技が活かせて、かつ彼女の身の安全が保障できるような、そういう場所で降ろしてやれれば、とは思う。しかしそのような都合のいい心当たりなど、あるはずが――いや、待てよ……

『いいじゃないデスか、働いてもらえば』

 カイトが余計なことを言い出す。僕はディスプレイを睨みつけるが、カイトに対して効果はない。

『いつも航行中の食事に文句言ってるし、料理とかしてもらえばいいデショ』

「なに言ってんだ、相手は元女王だぞ? 料理なんかできるはずが――」

「できます! 料理! 趣味なんです!」

 おいおい。

 僕は呆れて首を横に振る。

「ダメだ。――まずは履歴書を書け。働かせて欲しければ、自分の価値を説明するんだ」

 僕の言葉を聞いて、彼女は屈託のない笑顔を見せる。タブレット端末を渡してやると、喜んで入力を始めた。

 僕が本当に考えていることも知らずに――

 様々な思惑を乗せて、チキンライダー号は超空間ハイパースペースをワープアウト、通常空間へと移行していく。



終わり

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