第33話 異種との邂逅

 ――地球、爆発させたら綺麗だろうな~!


「おい、朱翔! 起きろよ、朱翔!」

 聞き覚えのあるハスキーボイスが深淵に沈む朱翔の意識を揺り動かす。

「うっ、うう、み、みそら?」

 上昇していく意識と共に朱翔の瞼が開かれた時、みそらの顔が映りこむ。

「よし、目が覚めたな、とっと動くぞ」

 言うなり踵を返すみそらに問おうと手を伸ばした朱翔は身体が浮いているのを把握した。

「疑似重力が停止している?」

「停止しているのはそれだけじゃねえぜ」

 ARグラスがみさらから送信されたデータを受信する。

 フロンティアⅦ各ブロックのカメラ映像だが、非常灯のみが唯一の明かりとなった船内から人の気配が消えていた。

 どのブロックのカメラを見ようと誰一人とおらず、咄嗟に朱翔はARグラスに供えられた無線通信機能でクルーたちに呼びかけた。

「こちら柊朱翔、何故、誰も船内にいない? 応答してくれ」

「するだけ無駄ぽいぜ――ほれ、きた!」

 何かが這いずるような音が扉一枚の向こうから振動で伝わってくる。

 みそらは息を殺すよう目で促しては天井を指させば、朱翔は黙って実行した。

 這いずる音が扉の前で止まる。

 扉が軋む悲鳴を上げ、開けた隙間から虚ろな目が室内を覗き込む。

 双子の兄妹は必死で息を殺す中、虚ろな目は室内を嘗め回すように見渡せば、誰もいないと知るなり部屋から遠ざかる。

『なんだよ、あれ!』

『俺様が知りたいわ!』

 メンテナンス用ハッチに身を隠した朱翔とみそらはARグラスのチャットで問答を繰り返す。

 確かなのはクルーではないことだ。

『俺様が知るのは、あの目ん玉がクルーの誰も彼もを連れ去ったってことだ』

 ライブラリ映像が朱翔のARグラスで再生される。

 時間は朱翔が白花とビデオチャットを終えた直後。

 フロンティアⅦのとある通路に忽然とそれは現れた。

 それはまさしく一目でタコと呼べるもの。

 日本では馴染みの、欧米ではデビルフィッシュとして知られている海産物。

 宇宙は時として海として例えられるが、明らかに地球の海に住まうタコとは異なり触手が二〇本もあるなど一線を越えていた。

 タコはクルーの一人と出くわせば、触手で絡み取り、背後に現れた黒き穴に放り込んでいく。

『宇宙タコ!』

『誰かれ構わずどっかにクルーを連れ去ってんだよ』

『意思疎通はできそうにないな』

『……友達になろうとは思うなよ』

『生憎、思えないね』

 残念そうに朱翔は肩をすくめるしかない。

 宇宙生物の存在はSFの世界だとされてきた。

 確かに火星から飛来した隕石より微生物の化石が発見されたことで、地球外生命体が存在する期待が高まった。

 フロンティア計画においても、異種との邂逅を説く者もいたが、存在を確認されたわけではないため一笑されていた。

『みそら、船底に行くよ』

『流石、兄妹、考えることは同じなこった』

 朱翔は部屋に降りる愚策は行わず、壁を蹴ってメンテナンス用通路を進む。

 疑似重力が死んだ今、船内は無重力に支配されている。

 幸いなのは空気を生成し循環させる生命維持装置が停止していないことだろう。

『工具で立ち向かうのは無理みたいだ』

『おうよ、仮に銃があっても無意味だぞ』

『無重力空間で銃なんてぶっ放してみろ。発射反動にて生じた慣性で後方にぶっ飛ぶぞ』

 無論、無抵抗で終わらぬクルーもいた。

 工具を片手に立ち向かおうと宇宙タコには一切通じない。

 クルーの中には元軍人だっている。

 いるにも関わらず抵抗虚しく宇宙タコに捕縛された。

 加えてこのフロンティアⅦは宇宙での家だ。

 デブリ破壊用の自衛手段が船体に備えられようと、クルーの武器所持は認められていない。

 あくまでフロンティア計画は宇宙での生活圏を確立させるための壮大な有人惑星間航行計画。

 宇宙開発技術が一歩間違えば戦争を誘発させる側面を孕んでいる以上、宇宙飛行士の武器所持は断固として認められていない。

 一発の銃弾が戦争を引き起こすと歴史は語っていた。

 ならばこそ双子の兄妹が取るべき行動は一つだ。

『あの宇宙タコはクルーの捕獲を優先している。映画だとその場で捕食するのが定番だけど、あの黒穴に放り込んでいる。テイクアウトで食べるのか、それとも誰かの走狗かは知らないけど、船体を破壊する意志は見えない』

 一切の声を出さず、ARグラスのチャットで意志疎通を行いながら狭きメンテナンス用通路を進む。

 下手に声を出そうならば金属製の通路故に反響を起こし、宇宙タコを引き寄せるリスクがある。

 壁を蹴る音もリスクとなるがケーブルに接地するなどしてリスクを分散させていた。

『おうおう、一匹だけじゃなかったか』

 各ブロックに設置されたカメラより他の宇宙タコの存在を確認した。

『たった一匹で九八名のクルーを短時間で捕獲できるはずはないと思っていたが、何匹いるんだよ、これ?』

『急ごう』

 互いに頷きあえば、船底へと迷わず進み続ける。

 フロンティアⅦの船内図は頭に叩き込んである。

 万が一のトラブルが発生した場合、迅速に対応できるよう幾度となく訓練を繰り返してきた。

 よもや機材の故障ではなく、宇宙タコ襲来とは、想定外すぎる。

 いや、想定外に起こるからこそトラブルというのだ。

『……ライト、クリア』

『……レフト、クリア』

 船底ブロックに辿り着こうとすぐに降り立つ愚行は起こさない。

 注意深く、開けたハッチの隙間から周囲を伺っている。

 宇宙タコが徘徊しているからこそ、迂闊に飛び込めば捕縛される。

 映画でよくあるワンシーンだ。

 苦難苦境を乗り越え、ついに脱出の希望を見出した瞬間、絶望への滑落が開始される。

 一瞬でも気を緩めてはならない。

 恐れは希望の影につきまとうものだ。

『設備は無事だな』

 安全を確信した双子の兄妹は船底ブロックに降り立った。

 フロンティアⅦの船底ブロックには緊急時の脱出艇が供えられていた。

『……脱出する』

『助けないのか?』

『助ける術がない。対抗手段がない。ならば地球にこの危機を伝えるのが僕たち二人のミッションだ』

 朱翔の表情と声には覚悟があった。

 リーダーとして時に切り捨てる決断を迫られる。

 憤り、罵り、誹り、中傷は覚悟している。

 下手をすれば宇宙飛行士の資格を永久剥奪されるだろう。

 それでも構わないと朱翔は思った。

 自分がダメになるだけ。

 大切なのは、次に繋ぐこと、繋げること。

 フロンティア計画はそうして続いてきた。

 たかだがタコのせいで計画が終わるなど断じて認められない。

『ファーストコンタクトがワーストコンタクトなんてあってたまるか!』

 朱翔はARグラスを介して脱出艇のハッチを開く。

 宇宙飛行士を目指したのも、抱く夢を成就させるため。

 笑い飛ばされようと、いると信じて進んできた結果、夢に一歩近づいている。

『よし、脱出!』

 みそらが脱出艇に乗り込まんとした時、右足に何かが絡みつき、進行を妨げた。

「みそ、ぐっ!」

 顔面から倒れこむみそらを助けんとした朱翔だが、見えぬ何かが胴に巻きついた。

「まさか、こいつ!」

 きつめのハーネスを無理矢理装着されたような拘束。

 絡み、巻きつく不可視のものに色がつく。

 正体は何人のクルーを捕獲した触手。

 触手は扉の隙間から伸びており、ひときわ大きな宇宙タコが扉を押し退け姿を現した。

「くっそが、ここに来てでけえのくるかよ!」

「ここだからだろう!」

 絶体絶命の文字が双子の兄妹に脳裏に過る。

 このままエサとして捕食されるのか、それともタコとは異なる種故、解剖や実験動物の末路か。

「諦めてたまるか! 帰ったら白花と結婚するんだぞ! 結婚する前から白花を未亡人にしてたまるか!」

「帰ったらなウハウハな有名人生活が待ってんだぞ! てめえを逆に捕まえて明石の漁港に卸してやるわ!」

 双子の兄妹は諦めなかった。諦める理由などなかった。

 足掻き、もがき、噛みつき、殴りと抗い続ける。

 背後に黒き虚が現れた。

 捕獲したクルーを放り込んだ黒き穴!

 触手が動く、穴に放り込まれると絶望を走らせた瞬間、宇宙タコは前触れもなく破裂、粒子となって消失した。

「な、なんだ?」

「自爆、じゃないな」

 宇宙タコがいた場所に誰かいる。

 舞い散る粉雪のように漂う粒子の中に立つ存在。

「「お前は、誰だ――」」

 朱翔とみそらは赤と青に輝く二つの人型を誰何した。

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