第9話 お前は――誰だ!

 ――あ~こりゃ失敗だわ。細胞が一番古いから腐ってやがる。


 ARグラスを握りしめた朱翔は息を殺しながら忍び足で病室を出る。

 既に面会時間は終了。

 薄暗い廊下に人の気配はなく、エアコンの駆動音のみが響いている。

 医師や看護師が常駐するスタッフステーションの照明を避けるように朱翔は階段で屋上へと向かう。

「よし、ここなら」

 朱翔は人気のない屋上に訪れていた。

 忍び返しのついた二メートルあるフェンスに囲まれた屋上は当然ながら朱翔以外の人はいない。

 既に時刻は夜の二三時なのだから当然のこと。

 巨大生物の出現がなければ、遊び疲れて熟睡か、テスト前ならば勉強会に勤しんでいただろう。

 屋上に訪れた理由はただ一つ。

 ARグラスに映る赤玉色の人型と話をするためだ。

「もう一度聞く。お前は誰だ?」

 これで五度目、誰何しようと一切の反応を示さない。

 AGグラスをかけた時のみ確認できる存在。

 バグでも幽霊でもないと記憶のない身体が訴える。

 あの巨人と同じ赤玉色、ないはずの記憶を刺激する雷、無関係であるはずがないのだ。

「一体、お前は誰なんだ? 何者なんだ? どうして俺のARグラスだけに映る? おい、答えろよ! 何か言えよ!」

 必然と朱翔の語気は荒くなっていく。

 一年前に目を覚ませば落雷で記憶を失っていた。

 もしやこの赤玉色の人型が記憶喪失の原因なのかと。

 確かにこの一年、記憶がなかろうと周囲の人たちの支えにて日常を謳歌できた。

 身体の重さと物足りなさに苦しい時もあった。

 幼馴染三人の接し方からして朱翔が記憶を失う以前でも人として好まれる日々を過ごしていたのが薄々と感じられる。

 今の日常は楽しい――あの日、巨大生物が出現する直前、白花に打ち明けた想いに嘘偽りはない。

 嘘偽りはないが、心の奥底では過去を求める自分がいる。

 あの三人が幼馴染みだとしても一年以上前の思い出話を決してしない。

 気を使っている――というより隠している匂いをどこか感じてしまう。

 だからこそ知りたい。いや知らねばならない。

 何気ない日々が、今この瞬間が、思い出として積み重なるに連れて過去への羨望が増していく。

 そして、記憶喪失と深き関りがあろう赤玉色の人型がいる。

「くっそ!」

 朱翔はままならぬ現状に苛立ち、フェンスを殴りつける。

 硬く編み込まれた網目は金属音を出すだけだ。

「……俺は一体、誰なんだ?」

 この一年、何度も自問した柊朱翔は何者か――

 両親とされる夫婦とのDNA鑑定では子供であると確認される。

 ARグラスに登録された個人認証用のセキュリティ――網膜・声紋・指紋が柊朱翔当人だと認証している。

「なら記憶が正しいと決める基準はなんだ?」

 満天の星空を朱翔は仰ぎ見る。

 星はいつだって変わらず綺麗なはずなのに、今見上げる星空は感情に涙を走らせる。

 無意識のまま星空に右腕を伸ばしていた。

 星がこの手で掴めると五指を開きかけた時、真横から誰かに伸ばした手を掴まれる。

「は、白花!」

 掴んだ人物が白花であることに朱翔は驚きを隠せない。

 朱翔を驚かせるのは穏やかな彼女が浮かべるはずのない必死の形相をしていることだ。

「どこ、どどに――とととととと、飛び降りは、だ、ダメですよ!」

 どうやら屋上からの飛び降りと勘違いされたようだ。

「い、いいですか! 今は色々と大変、変態なご時世です! 巨大な記憶喪失とか、ゲームが暴れるとかで、もう悲観のあまり飛び上がらないでください!」

 白花はまくしたてる様に早口だが、所々おかしな発言があり、人肌の温もりをその腕で感じながら朱翔は苦笑する。

「何故、そこで笑うのですか?」

 笑われたのが癇に障ったのか白花は口元をヘの字にと不機嫌そに曲げる。

 失礼を承知だが、口元をヘの字に曲げた白花は可愛らしく見えてしまう。

「ただ星を掴めると思っただけだよ」

「……驚かせないでください。紛らわしすぎます」

「ごめんごめん」

 平謝りしながら朱翔は別に疑問を走らせる。

 フェンスの高さは安全性のため二メートルは軽くある。

 加えて、忍び返しと呼ばれるフェンス越えを防ぐ器具が取りつけられている。

 ただ腕を伸ばしただけで飛び降りを勘違いするには彼女らしからぬ行動である。

<クアンタムデヴァイサー>において、窮地だろうと心乱すことなく敵弱点に正確無比な狙撃を行う彼女が?

 書道において流水のように清らかな文字を書き記す彼女が?

 一目で二メートルあるフェンスに気づかず、必死の形相など本当にらしくなかった。

「というよりなんで屋上に?」

「朱翔さんの後姿が見えましたので、つい気になって……」

「そうなんだ。てっきり蒼太やたんぽぽに触発されて、夜這いに来たのかと思った」

「……怒りますよ?」

 肉体に訴えるのがたんぽぽなら白花は心に訴える。

 まったく笑っていない陰のある微笑みは朱翔にぞわりと総毛立つような悪寒を走らせた。

「改めてお聞きしますが、先ほどから誰とお話ししていたのですか? お前は誰だとか何度もお尋ねしておりましたし」

「そこまで見られていたか」

 隠し事は通じないなと朱翔は観念して打ち明ける。

「あの巨人と同じ色をした人が朱翔さんのARグラスに映っているいると?」

 白花が疑問を浮かべるのは当然のこと。

 論より証拠と朱翔はARグラスを白花にかけてもらう。

「普通に朱翔さんしか映っていませんけど?」

 怪訝な顔をされた朱翔は困った表情を走らせる。

「あ、もしかしたら」

 思い立った白花はARグラスを朱翔にかける形で返せば、自分のARグラスを装着する。

 それはまるで出勤前の旦那にネクタイを結ぶ新妻のように手慣れていた。

 次いで朱翔のARグラスに視界共有を求めるコールが白花から届く。

「ああ、そうかその手があったか、流石は白花!」

 朱翔のARグラスには今なお赤玉色の人型が映る。

 幽鬼のように今なお佇む姿は徐々に気味悪さを抱かせてきた。

「あなたは誰ですか! 朱翔さんに何用ですか!」

 視界共有を承認した途端、白花が今までにない怒気のこもった声で誰何する。

「どういう原理か分からないけど、視界を共有すれば見えるみたいだ。と、とりあえず、白花、落ち着こうか」

 猫のように毛を逆立て威嚇している白花を朱翔はどうにか落ち着かせる。

「この赤い人、先ほどからうんともすんとも言いません!」

「そうなんだよ。話しかけても反応ないから困っていたんだ」

 言葉が通じぬのかと朱翔はいぶかしむ。

 ARグラスにはあらゆる言語を一瞬で翻訳可能なシステムが組み込まれている。

 世界中の人たちと円滑なコミュニケーションが行えるが、赤玉色の人型にはあらゆる言語が通じない。

「なんだ?」

「あら?」

 今まで無反応であった赤玉色の人型の右腕が動くと同時、朱翔のARグラスに数多の情報が勝手に表示されては消えていく。

「なんで勝手に動いているんだ!」

 ARグラスに趣味趣向を紹介するシステムはあろうと、勝手に動作するシステムなどない。

 過剰動作によりバッテリ内臓のアーム部が熱を帯びる。

「くっ!」

 熱湯の蒸気を間近で浴びたような熱量に朱翔は歯噛みすれば、ARグラスを落とす形で外す。

 ARグラスから温度上昇の警告アラート。

 このままでは高温により火傷とデータ損壊の危険性ありと警告文が表示されている。

「あ、終わりました」

 視界共有をしていた白花が抑揚気味に言う。

 そして、ARグラスに表示された文字を読み上げた。


「地球は狙われている。朱翔、君の力を貸して欲しい」

 


 

 

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