第5話 再・動
――トモダチタノシー!
誰かが言ったような記憶が朱翔の中で反響する。
過ぎ去った時のように過去は思い出せない。
されど、未来は先へと繋がっている。
ポジティブに考えろ。
ゼロになっただけでマイナスとなったわけではない。
思い出も友情もゼロから培えばいい。
「なら、今を楽しまないとな」
朱翔はARグラスをかけなおす。
蒼太とたんぽぽを誘わず白花と二人っきりのゲームデートなのだ。
今この瞬間を楽しまずして何をする。
「ええ、わたくしに心配かけた罰です。今日は足腰立たなくなるまでギシギシ付き合ってもらいますからね」
「そうだね。(よし、蒼太とたんぽぽにはお礼として後日シメとこう)」
屈託のない笑顔で朱翔は返しながら心の声ではしっかり決意する。
確かに一六歳となればそれ相応に性知識は得ているのだが、白花はやや控えめで抑えめな方である。
余計な入れ知恵が誰か、記憶喪失とはいえ悟れぬ朱翔ではない。
(いや、もしかしなくても、すぐ近くであの二人が覗いている可能性も否定できないな)
第六感を走らせた朱翔はARグラスに<クアンタムデヴァイサー>のフレンド欄を投影させる。
近くにフレンド同士がいた際にニアミスを防ぐためのゲーム内機能の一つだ。
(当たり前だがログインしていないなら一覧に出ないよな)
フレンド欄に映るのは白花のみ。
記憶喪失の身、友達と呼べる相手など片手で三つ数えるしかいない。
即ちフレンド登録しているのは白花、蒼太、たんぽぽの三人だけなのである。
記憶喪失だからか、近所や学校では誰からも一歩距離を置かれているのが原因であった。
「もしかして、蒼太さんやたんぽぽさんのことですか? 蒼太さんは二人より四人だろうと合流する気満々でしたが、たんぽぽさんが組手の相手をさせるとかで、嫌がる蒼太さんを道場に引きずり込んでいましたわ」
友情を一瞬でも疑った朱翔は己を恥じた。
「お二人は今頃、道場でギシギシやっているのでしょうね」
「ソウダネー」
やや棒読みで朱翔は返してしまった。
正しい使い方を教えるべきか悩むが、道場の床板を踏む込めばギシギシ音がするので、あながち間違っておらず修正にも困る。
「……気を取り直して、遊ぶか!」
ゲームデートなのだ。
遊んで遊んで、足腰立たなくなるまで遊ぶ!
いざ参戦とフリーミッションに参加しようとした時、アスファルトが揺れた。
「きゃっ!」
白花が思わず倒れかけるも朱翔は彼女の肩を両手で受け止める。
「あ、ありがとうございます」
「なんだ、今の揺れ? 津波か?」
太平洋上に浮かぶ人工島なのだ。
地面ある本土と違い、島で生まれ育った者ならば揺れの原因は真っ先に誰もが津波だと想起する。
海浮かぶ人工島だからこそ津波対策は敷かれていた。
津波による非常事態が確認された際、全ての建造物は地下に収容される。津波が押し寄せようと人工島底部に供えられた衝撃を吸収するショックアブソーバーやアンカーにより耐え凌ぐ設計が施されていた。
「津波警報は出て――うっ、何だ、この臭い!」
ARグラスで情報を得ようとした朱翔だが、海風に運ばれた生ゴミの臭いが周囲に漂い出す。誰かが生ゴミでもぶちまけたのか、臭いは刻々と増大し続けては鼻を摘ませるのを強要させる。
次に響くのは圧壊音。道路走る電気自動車が前触れもなくプレス機にかけられたように潰されている。
不可視のプレス機が足跡を刻むかのように道路に亀裂を走らせては自動車は潰し続け、流出した潤滑油に混じって赤き液体が潰された自動車から流れ出ている。
「何が、起こって、ぐっ!」
臭いを脳が刺激したからか、朱翔に突き刺すような鋭い頭痛が駆ける。
「ここから離れよう!」
警戒孕む朱翔の判断と行動は速かった。
白花の手を掴むなり、イの一番駆け出している。
「なんだあのでかいの!」
潰されぬよう逃げ惑う中、誰かが叫んだ。
一人、また一人と不可視のプレス機の正体に気づいたように叫んでいる。誰もがARグラスを装着しており、まさかと朱翔はもたつきながらもARグラスを装着する。
露わとなった巨大生物の姿に朱翔は無意識に言葉を走らせる。
「帰ってき、うわっ!」
巨大生物は腐敗激しい四足獣の姿をしていた。獣なのか、爬虫類なのか、骨まで露出した腐敗により判別がつかず、漏れ落ちる体液はアスファルトを溶解させている。毛一つ無い体表には青白いプラズマを走らせ、停止するなり全身を青白く明滅させてきた。
「え?」
朱翔の視界と思考は青白い閃光に塗り潰される。
「うっ、うう、ぐううっ!」
全身をつんざく激痛で朱翔は目を覚ました。
気づけばアスファルトに身を横たえていた。握りしめた手から温もりが消えていた。左腕に走る鋭い痛みの原因は突き刺さったコンクリート片だった。
「何だよ、これ……」
眼前に広がる光景に朱翔は愕然とし舌を凍てつかせる。
倒壊し瓦礫と化したビル、鳴り止まぬサイレンと瓦礫の中より響く悲鳴、巨大生物は闊歩を止めず、時折青白いスパークを巻き散らしては破壊活動を繰り返している。
「そ、そうだ、白花! 白花!」
我に返るなり朱翔は白花を探して駆け出していた。
「何なんだよ、一体何が起こっているんだよ!」
自問の疑問は自答を得ない。
平穏な日常は呆気なく崩され、地獄が蹂躙する。
誰にも予定があった。今日の予定があった。明日に予定があった。友達と映画を見る約束があった。今日、恋人にプロポーズの決意をしていた。難航していた契約が身を結んだ。子供が産まれた。誰もが抱いていた明日が、未来への可能性がこの瞬間、消え失せた。
「……朱、翔さ、ん」
瓦礫の中より聞こえた微かな声。朱翔は瓦礫の隙間より覗く白き手に痛みを堪えながらも駆け寄った。
「今助ける!」
痛む左腕を気合いで動かしながら朱翔は瓦礫をどかしていく。腕が見えた。顔が見えた。下半身は巨大な鉄骨の下敷きとなっていた。
そして、少し離れた位置には見覚えある青いサンダルと両足が横たわり、非情な現実を見せつけている。
「良かった。あなたが、無事で……」
「ど、どこが無事だよ! どこが!」
消え入りそうな声で白花は朱翔の無事な姿に安堵している。
決して助からぬ現実に直面した朱翔は今にも恐怖により倒れそうだというのに、目を逸らしてはならぬと叫ぶ本能が憎い。
「手、握って、ください」
朱翔は涙を飲み込み、白花の手を朱翔は握りしめる。冷たい。ほんの先ほどまで感じたはずの温もりが無い。振動が秒感覚で増している。見上げれば巨大生物がプラズマをまき散らしながら戻ってきていた。瓦礫に埋もれた者、救護する者をプラズマで容赦なく焼き尽くしている。
「わたくし……あなたと出会えて幸せでした」
「俺だって騒がしくも賑やかな日々、本当に楽しかった」
もう彼女は長くはない。すぐ側には巨大生物が迫っている。
だから、最期まで彼女に寄り添おう。
巨大生物がすぐ側で動きを止める。全身よりプラズマを走らせれば、朱翔は白花の手を握りしめたまま静かに目を閉じた。
――覚えのある雷が朱翔の意識を貫いた。
唐突に夢から覚めたような戸惑いが朱翔を襲う。
すぐ前には腐敗した巨大生物。
瓦礫を俯瞰する朱翔は無意識のまま右拳を巨大生物に叩き込んでいた。
「ぐげげげげげげえっ!」
巨大生物は殴り飛ばされ、巨体を横転させる。横転させる度、瓦礫に部位を削られ、腐肉をまき散らしている。
「俺、生きている、のか?」
巨大生物のプラズマで焼き殺されたかと思った。身体に触れようと焦げ一つどころか左腕の怪我すら無い。
「え?」
遠方に聳える高層ビルが朱翔の姿を映す。瓦礫の上に立つのは朱翔ではない。
「俺、なのか、ぐっ!」
考察する時間など与えられない。巨大生物は朱翔を敵と認識したのか、腐敗してもなお残る鋭き牙で飛びかかる。
「こいつ!」
牙による噛みつきを身を屈めるようにして回避した朱翔は拳を握り締め、頭上を越える瞬間に登り龍の如く拳を放っていた。
絶叫をあげ垂直に突き上げられる巨大生物。
全身よりプラズマをばらまけば宙で体勢を立て直してきた。
そのままアルマジロのように身を丸め、重力落下を織り交ぜた質量による体当たりを敢行する。
「そんなもの避け――くっ!」
避けるなと理性が叫ぶ。
今避ければ瓦礫に埋もれた人々が圧死する。
どうすると考える瞬間すら惜しい。
朱翔の中で言葉が走る。この力を使えと誰かが囁いてくる。
「うおおおおおおおおっ!」
赤き巨人の両腕より白き光が集う。白き光は巨大生物と距離が縮まるにつれて太陽の如く輝きを増して行く。
「サンシャインブラスト!」
クロスした腕より目映き光線を放つ。光線は巨大生物と激突。巨大生物が全身よりプラズマをバリアとして迸らせ、光線を霧散させている。
「もう誰も、失わせない! 誰であろうと可能性を奪わせない!」
光線の輝きは衰えるどころか増していく。巨大生物のプラズマをはぎ取り、その腐敗した肉体を焼き焦がす。
「はああああああああああっ!」
光線に全身を飲み込まれた巨大生物はその身を少しずつ消失させていく。断末魔をあげることさえ許さず、細胞片残さず光となって消え失せた。
「なんで泣いているんだ。俺は……?」
愛しき人を失ったからではない。救えなかった後悔でもない。
覚えてない何か、喪失してしまった過去が朱翔に悲しみを与えているとしか思えない。
眼下では瓦礫に埋もれた人たちの生命が今にも散ろうとしている。
巨大生物を訳も分からぬまま倒そうと、失った生命は戻らない。
「この力は……」
声がもう一度語りかける。可能性を救う力だと使用を働きかける。
「ヒーリングオーロラ!」
巨人から七色に輝くオーロラが発せられる。オーロラより降り注ぐ粒子が眩さを増加させるに反比例して巨人の質量は消失していく。巨人の姿が完全に消え失せた時、瓦礫は時間を巻き戻したかのように元の建造物の姿となり、負傷者どころか死者すら元の状態に回復させていた。
「三〇点だぞ、我らがリーダー」
ビルの一角で一部始終を眺めていた人物はハスキーボイスで辛辣な採点を下す。
「以前のあんたなら完璧だったんだが、不完全ながらも再動はよくできたほうか」
青緑色の野球帽を目深く被り、素顔は伺えない。
ただ口端に浮かべる笑みには愉悦混じりの切れがあった。
「ああ、分かっているが、俺とお前の出番はもう少し先だ。朱翔の奴には過労死寸前まで背負って貰わないといけないし、島に眠るお前のお仲間も出て来てからが俺たちの本番だよ」
周囲に誰もいないにも関わらず宙を仰ぐようにして誰かと会話と続けている。
次いで指鉄砲を作れば人差し指を天高く向ける。
「俺は言ったぜ、地球人舐めんなよ、と」
バーンと、擬音を発していた。
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