biocyborg girl(バイオサイボーグ・ガール)

目鏡

biocyborg girl(バイオサイボーグ・ガール)

 別れ際の彼女の顔を、今もよく思い出す。夕陽に赤く染まった髪、頬をつたった一筋、溢れ出るそれを堪え、圧し殺したようなあのほほ笑み。

 彼女は思いを受け止めきれなかったのだと、今はそう思う。そして、それは僕も同じだった。


 新学期が始まって程なく、彼女は転校して来た。


 担任が出席をとっている最中、ノックのあとガラリと扉は開かれ、副校長に連れられて静々と教室に入る女の子。教室内はざわめいた。スラリとした肢体。ショートボブの黒髪が揺れ、チラリと見えた頬は眩いほどに白く、ほんのり紅潮していた。


 副校長は担任に何かを耳打ちし、言った。

「今日からこのクラスで共に学ぶこととなった日々野しおりさんです。彼女は今年の春先に大きな事故に遭い、この区内にある先端医療病院に入院されていました。現在は外出もできるほど回復し、そのリハビリも兼ねて、最寄りの中学である本校に通うこととなりました。入院でカリキュラムに遅れも生じているが、クラスの皆で彼女の力になってあげてほしい。よろしく頼む」


 担任が黒板に書く。日々野しおり


「大きな事故?」

「リハビリ?」

「てか、ちょー可愛くね?」

「先端医療て、庶民は行けなくない? セレブ?」

「マジ顔ちっちぇー」

「なんか、全然大事故あったぽくなくない?」


 ざわめきの中、疑問や好奇の言葉があちこちから聞こえる。が、そんなざわめきを一瞬で浄化するような、澄んだ声が響いた。


「日々野しおりです。勉強は遅れていて、皆さんにご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします。病院からは主に体の運動能力と代謝機能のモニタリング、リハビリの為と言われています」


 運動能力と代謝機能?


「日々野さんには体育、音楽、美術等を頑張ってもらいたいと考えています。他の学科は、主に課題等を使って補強していく予定で、それから、もし彼女から勉強について質問されたら、皆サポートしてあげて欲しい。私からのお願いは以上です」

 と担任は淡々と言った。

「はーい」という一同のぬるい返事。

「では、彼女の席は──」

 と担任が言いかけた時、それを遮り彼女は身を前のめりにして言った。

「あの、私は、家の火事で、重傷を負って、死んでいてもおかしくない状況で、生きてるのも不思議な程で──、それで、私の全身の60%の体組織はバイオロボティクス再生医療によって復元されました。つまり、私の体の半分以上がバイオサイボーグ人体なんです」


 バイオサイボーグ?! 


 どうリアクションをとっていいのか? という空気がクラス中に漂う。


「なっ、ロボット?」

「バイオサイボーグって、なに?」

「あれでしょ? 半生身の家政婦ロボ的な?」

「じゃ、あの顔も再生? 可愛く作り過ぎじゃね?」

「どうりでスペック高いわぁー」

「偽物かよっ!」

「頭はAIじゃないよね?」

「全身整形なの? マジ? 治しすぎぃ」


 手のひらを返したような辛辣な囁きが、ひそひそと飛び交う。


「あ! で席は、一番後ろの、大和!」

 突然担任が僕の名前を呼んだ。

「え、はい?」

「大和、手を上げてくれ」

「はい」

「手を上げている大和君の隣の空いた席が、日々野さんの席です。彼は学級委員長補佐の係だから、分からない事があれば、彼に訊くといい」

 担任が彼女にそう言った次の刹那、彼女と目が合った。

 彼女は、なんとも言えない、何を考えているのか想像もつかない目をして、僕を見た。どこか辛そうな、まるで曇り空のような眼差し。でも、むしろ、彼女はとても綺麗だった。


「あと、昼休みに学級委員長の二ノ宮さんに学校案内をしてもらうといい。二ノ宮さん、よろしくお願いします」

「ハイ」

 委員長はスッと手を上げた。いつも朗らかな委員長らしい明るい声で。おっとりとしていて、でもテキパキと仕事をこなす真面目な女子。彼女のサポートが、このクラスでの僕の係でもある。


 日々野さんはサッと僕の隣の席まで来て、そして軽く会釈をし、静かに座った。座った後は、背筋を伸ばし、真っ直ぐに前を見ていた。授業中はずっと身動きもせず黒板を見つめていた。まるで気配を消すかのように。僕が注意を払わなければ、そこに居るのか居ないのかも分からない程に。


 次の授業は体育。


「てか、女子はソフトボールで男子はマラソンって、俺ら男子手抜きされてね?」

「マジほんと、ゆかり先生って女子びいきだからな」

「あー、なんか足つってきたイテェ、ここで倒れたらゆかりん俺をマッサージしてくんねぇかなぁ? エロいの」

「しねーわ」

「つっか、ゆかりんジャージ脱いでくんねぇかなぁ。ゆかりんの生足みてぇ、ホットパンツ姿見てぇ」

「お前変態か。てか年増の生足のどこがいいんだよ」

「まだギリ20代だっつーの。つっか、ゆかりん先生のスペックに勝てる女子いるかぁ? うちのクラスに?」

「山川マリ」

「あー、マリっちねぇ、アレ気が強すぎじゃね? 美人だけど、癒されねぇよ。もうほぼヤンキーでしょ」

「つっか、山川もジャージ脱いでくれねぇかなぁ。山川の生足見てぇ」

「てか、お前そればっかだな。変態」

「いいじゃんよぉ、山川のあの長い脚! あの豪快なフォームから投げられる剛速球、俺のバットで打ち返してぇ」

「お前、デッドボールで死んでろ!」

「てか、あれは? 山川の相方のマッキー」

「荒瀬マキコ? うーん、まあ可愛いけど、あれ馬鹿でしょ?」

「おまっ、ヒドイわぁ、ほんわかゆる可愛系って言ったれぇ」

「つっか、お前の方が成績下だろぉ?」

「ちげーわ」

「てか、大和は誰が好みなんだよ?」

「え?」

 クラスの男子三人組のすぐ後ろを走ってた僕に、突然話しが振られた。

「つっか、大和君は委員長に決まってんでしょ」

「マジ? 大和、もしかして付き合ってんの?」

「そんなわけ──」

「てか、委員長も結構さぁ、よく見ると可愛いよな。メガネだけど」

「まぁ顔立ちは悪くはないけど、地味かな」

「オイっ! つっか、大和君の前で地味とか言ってると、後でシバかれるよぉ」

「あ、やべぇ、大和すまん」

「いやそんなこと──」

「てか、ああっ! サイボーグ女、控えから出てきたぞっ! 代打じゃね?」

「マジか? おお、そのロボパワー見せてくれ!」

「てか、ソフト部エース山川と初対戦とかヤバくね? 面白れぇ」

「ちょー面白れぇ!!」


 女子の方を見ると、日々野さんがバットを凛と構えて打席に立っていた。


 1球目、見逃しのストライク。山川の得意の剛速球、ストレートだった。2球目は下に沈みこむ球、ドロップか? ボール。3球目、シュート気味のストレート、これも見逃しのストライク。そして4球目、ファール。

 初めてバットを振った。思いのほか鋭いそのスイングに、僕等は目を見張った。

 そして5球目、コーン! といういい打音と共にボールは勢いよく高く上がり、そして、こちらに飛んできたっ!!

「うぉっ!! 飛んできたっ!」

「つっか、えええっ!」

「これはホームラン級の飛距離! マジやべぇ」


 ボールはグラウンド外周を超えて転がっていく。外野手の高橋さんがボールを追って走って来る。

「なにあれ? てゆーか、顔だけじゃなくて手足もサイボーグなわけ? 反則よっ」

 と悪態をついて行った。

「高橋マジウケる」


 日々野さんはゆっくりとランニングをするように、ダイヤモンドを回っていた。


 その後の昼休み。


 弁当を開けた僕の所に、委員長が日々野さんを連れてやってきた。

「大和君ごめんなさい。昼休みに彼女と校内を回ろうと思ってたんだけど、私、急に生徒会に呼ばれちゃって、それで大和君、代わりに日々野さんを案内してあげてくれないかな? ほんとゴメン!」

 委員長は顔の前で両手を合わせて、ペコリと頭を下げた。

「いや、そんな謝らなくていいよ委員長。全然大丈夫だから、補佐が僕の役目だからね。全然」

「ほんと! ありがとう大和君、じゃ私、急いでるから行くね。よろしくね。日々野さん、大和君と一緒にね」


 で、僕が案内をすることとなった。

「あの、お弁当──」

「ああ、後でいいですよ。じゃあ、とりあえずは体育館とか、回りましょうか?」

「はい」


 校内を二人で歩く。彼女は終始無言だった。各学校設備、美術、家庭科、視聴覚室等を説明しながら回り、僕が彼女に話す事や問いかけには「はい」「いいえ」「普通です」など、ほとんど一言で返事をするだけだった。

 最後、動物係のウサギ飼育小屋の前でだけ、少し口を開いた。

 彼女はウサギを見つめていた。

「日々野さんは、動物好きなの?」

「……」

「あの、日々野さん?」

「え? あ、ごめんなさい。そうね、動物好きです」

「そうなんだ。僕も動物好きなんだよ。だから、実は委員長補佐と兼任して動物係もしているんだよ」

「そうなの? 動物はいいわね」

「そうだね。ウサギって、皆知らないかもしれないけど、意外と人に懐くんだよね」

「私もウサギ好きよ。人よりも動物が好き」

「え? そうなんだ──」

「人間よりも」


 そう言って、彼女は小屋の格子を握りしめていた。


 案内が終わり、なんとなく彼女ともっと話せるような気がして、そして、もっと彼女と話しがしたいと思って、僕は昼ごはんを一緒にどうかと尋ねたが、断られた。

「大和君、ご厚意はありがとう。でも私、学校では何も食べないの。病院から支給されるドリンク剤を飲むだけ。ごめんなさい」

 と言って、彼女は教室を出て行ってしまった。


 彼女は基本的に無口で、クラスの誰とも積極的には話さず、積極的に親しくなろうとせず、積極的に友達を作るつもりも無いといった感じで、独りで過ごしていた。なのでクラス中の注目を浴びつつも、どこか近寄り難いオーラに包まれ、誰もが彼女を遠巻きに観察し、そして裏では辛辣な噂が飛び交うこととなっていった。


 が、僕は動物の話をして以来、特に尋ねられなくとも、授業のアドバイスやら、学校行事の説明やら、各教科の教師の癖やら、前の学校ではどうだったかなど、積極的に彼女に話しかけ、クラスで孤立していない、無視されていない、それにクラスの皆も実は好意的なんだよ。というような雰囲気作りを心掛けるようになっていった。


 動物が好きなら、本当は心の底では人も好きなはずだ。人付き合いも嫌いじゃないはず。そんな独りよがりな考えで、僕は彼女に接した。


 この時、僕が彼女に興味を持っていたのは間違いない。

 無口で無表情だけど、時折見せるほほ笑み、その凛とした佇まい。知的な眼差し。神秘的にさえ見える彼女。でも、ウサギを見つめる彼女を見て、きっと心優しい人なんだと、僕はそう感じていた。


 ある時、山川達ソフトボール部の面々が、

「あんたさ、ウチらとソフトやらない?」

 と突然、日々野さんに声をかけたのだった。

「え?」

「あんた、経験あんでしょ? あのスイングを見たら分かるわ。前の学校でやってたの?」

「野球です」

「へー、女子野球部あったんだ。ここはソフトしかないしさ、それに折角転校してきたのに、独りぼっちでボーっとして、無駄に時間過ごすのも退屈でしょ?」

「野球とソフトボールは違うから」

「違うけど、経験は活かせるわよ。あのスイング、腐らせるの勿体ない」

「でも──」

「なに?」

「それに──」

「それとも、ぼっちで塞ぎこんでいたいの?」

 日々野さんは一瞬黙って、山川マリを見つめた。

「私は、──独りぼっちじゃない」


 傍らで僕は人知れずハッとした。


「え? 大和君? 動物係の? でもぉ、動物相手じゃ、やっぱ独りも同じじゃないかなぁ、なんてぇー」

 一緒に来ていた荒瀬マキコが、柔らかく辛辣な事を言う。

「ねぇ委員長! 部活やってないコはクラスの係とか、何かやらないといけないんだよね?」

 山川は突然大きな声で、委員長に話を振った。

「え? あっ、そうだけど、日々野さんは、転校してきたばかりだし」

「そろそろ何か決めた方がよくね? そうでしょ? 委員長!」

 委員長もこちらにやってきた。

「うん、そうね、日々野さんどうする? なにか係やる? それとも──、でも私も、日々野さんが体育でソフトボールやってる姿、とても素敵だったし、とても上手だと感じたから、折角だから山川さん達とソフトボール部に入るものいいんじゃないかなぁって、そう思うんだけど、どうかしら?」

 

 すると、日々野さんは無言で立ち上がって、そして委員長と向かい合う。

「えっ」

 と、委員長が声を発したその刹那、日々野さんは委員長のスカートの裾を掴み、スッと捲り上げたのだった! ショーツが見えそうになるギリギリのところで──

「え!? なに、やっ!」

 委員長は日々野さんの両腕を掴み、それを止めた。

「二ノ宮さん、綺麗な足。ふくらはぎも引き締まっていて、太ももも程よく筋肉がついていて張りがあるわ。とても綺麗な足をしているわね」

 

 日々野さんの言う通り、スカートを捲し上げられ露わになった、とても綺麗な足が、僕の目に飛び込んできた。


「ちょっ、なにやってんの! 日々野さん、あなたっ!」

「やっ、やめて、日々野さん! や、大和君──」


 委員長はとても恥ずかしそうな顔をして、僕の方を向き、助けを求めてきた。

「あ!」

 僕は思わず日々野さんの腕に手をおいて、彼女に目で止めるように訴えた。

 その時、彼女はまた何を考えているのか想像もつかない目をして、僕を見た。

 そして、彼女はスカートの裾を離した。

「学級委員長だけで終わらせるには勿体ない綺麗な足だわ。委員長も運動部に入ったらどうかしら?」

 そう言って、日々野さんは教室を出て行ったのだった。


「大和、あんた彼女がこんな目に遭ってんのにボーっと彼女の足見てんじゃないわよ」

「え! あっ、ごめん。でもとかそんな──」

「そういう意味じゃないわよ!」


 この一件以来、日々野さんの孤立感は一層色濃くなってしまった。


 それから間もなくの事たっだ、僕がウサギ飼育小屋の清掃をしていると──、

 

「手伝うわ」

 そう言って、日々野さんは突然現れて清掃を手伝ってくれた。

 

「雄と雌の一羽づつ、ちゃんと小屋も隔てて一緒にはしないのね」

「雄雌一緒にしちゃうとすぐにどんどん増えちゃうんだよ。繁殖の時期は動物顧問の副校長が決めるって」

「副校長先生が顧問なの?」

「意外でしょ? 動物好きで、いろんな動物の飼い方に詳しいよ。いつかフクロウとかも飼育したいと言ってたよ」

「ふーん」

「日々野さんは、なにか動物飼ってたの?」

「え? えっと、子猫を、あ──」

「そうなの!」

「猫も可愛いよね。僕も好きだよ。田舎のばあちゃん家に三毛猫がいるよ」

「そう」

「雄? 雌?」

「えっ」

「飼ってる子猫」

「──雄」

「へぇ、今どれくらい? まだ子猫? 1歳ぐらい?」

「あの──」

「ん?」

「火事で、亡くなったの」

「えっ! あ、──ごめん。色々無神経に聞いちゃって、あの、──思い出させちゃたね」

「うんん。いいの。仕方のないこと」

「うん」

「とても可愛かった」

「うん」

「私は、子猫を助けようとして、無理して、それで、火事に巻き込まれて、酷い火傷して──」

「──そうなんだ」

「私は生きてるのに。魂が無くなってしまったら、再生もできないの」

「うん。──日々野さんは、傷も綺麗に治ったんだね」

「治った? うん。そう、ね──」

「また子猫、お家に迎えたいと思う?」

「……」

「私、前の学校でも、今までも、友達があんまり、ほとんどいなかったから、猫を飼い始めて、なのに、失ってしまったわ」

「──うん」

「……」

「でも今は、僕、友達でしょ? もう失わないよ」

 言ってから、少し恥ずかしくなった。

 そして、日々野さんはそんな僕を、また何を考えているのか分からない目をして見た。

「って、勝手に友達だとか言ってごめん。でも、あの、日々野さんがよければ、僕は、友達になって欲しいし、というか、僕は今までそのつもりでいたというか──」

 僕は訳の分からないことを口走っていいた。

「うん」

 とだけ、日々野さんは答えてくれた。


 その日以来、日々野さんは毎日ウサギのお世話を手伝ってくれるようになった。


 それからしばらくして、ウサギが縁となり、今まで時折清掃を手伝ってくれていた委員長も交えて、三人で動物係をするようになった。一緒に昼休みを過ごし、お昼を食べ、放課後を過ごし下校するようにも。


 このまま少しずつ日々野さんの友達の輪を広げていって、僕がその架け橋になれれば、そして日々野さんのほほ笑む回数がもっと増えていけば、きっと楽しい。彼女も、そして僕も。そう考えていた。


 そんなある時、

「大和君、日々野さん、ごめんなさい、また生徒会の臨時集会に呼ばれちゃって、今日は先に二人で帰ってて、多分文化祭の事だと思う」

「そうなんだ。文化祭も近いしね」

「たまには無理ですって断ったら? なにかといったら呼び出して、きっと生徒会はだらしない人達ばかりで、二ノ宮さんに頼りっきりなんじゃない?」

「うんん、そんなことないと思うけど、でも頼りにされると、なんだか断れないというか──」

「ほら、デキる女はツライわねぇ」


 で、二人で下校することとなった。考えてもみれば、日々野さんと二人きりで下校するのはこの時が初めてだった。僕はなんだか少し緊張した。


「以前は友達が少なかったなんて、僕には想像できないな。人から好かれそうなのに」

「そう、かしら?」

「うん。勉強も、スポーツもできるし、クラスの皆もどの授業でも一目置いてるよ。きっと」

「私は、そうは思わないわ。それに、少なかったじゃなくて、ほぼいなかったの。友達」

 僕は、「なぜ?」と訊くのをなんとなくためらった。

「──大和君もさ、私のとか、見たいと思う?」

「え?」

 

 日々野さんの以前の写真。つまりは60%バイオサイボーグ化する以前の、彼女の元の姿。


「クラス中の皆、それが知りたいんでしょ? そんな噂ばっかりだし。家政婦ロボットのカタログとかで、私と見た目が同じもの、探したりしてる生徒もいるみたいだしね」

「そんなこと、馬鹿だよね」

 僕は軽く笑って流した。

 興味が無い訳ではない。でも、バイオサイボーグ再生医療がどういうモノなのか分からない僕は、少し怖くも感じた。

「家政婦ロボットも、見た目は人間とほぼ変わらないタイプもいるしね」

「怪我や傷を治したというだけのことでしょ? 再生医療って。日々野さんは日々野さんで、変わらないでしょ?」

 いま目の前にいる日々野さんが僕にとって日々野さんで、それで十分だと僕は思った。

「そう、ね。傷を、治した、そうね」

 そう言って彼女は、ポータブル端末を取り出し、画像を見せてくれたのだった。

 

 そこには、野球のユニフォームを着て、バットを肩にかけてポーズをとる日々野さんが映っていた。髪は今よりも短く、今よりも少し幼く、まるで少年のような凛々しさのある彼女。

「これは小学6年生の時」

「野球のユニフォーム姿だ。小学校から野球をやってたんだ」

「そう。低学年の頃から」

「かっこいいね。でも、見た目は、髪が少し短くて、幼いけど、全然変わらないし、日々野さんだね。可愛いね」

 可愛いとか口走って、恥ずかしくなった。しかし本当に、顔立ちは今とまったく変わらず、彼女はとても綺麗だった。

「整形してなかったんだ。とか、思わなかった?」

「いやそんなこと──」

「冗談。外見は再生医療でほぼ完全に復元できるみたい。でも、変えようと思えば変えられるみたいだけど。それに、──変えられるのは、それだけじゃないの」

「それだけじゃない?」


 日々野さんは、もう一枚画像を見せてくれた。

「え!?」

 そこには、水着姿の子供達が複数映っていた。小学校のプール? でも、そこには男子しか映っていなかった。

「あれ? これって──」

「右端が私」

「えっ!?」

 そこには、男子のスクール水着姿で、上半身を出した、日々野さんが映っていた! 顔はそのまま日々野さんだが、その姿は完全に少年で──、

「これは──」

「私、事故にあう以前は、男の子だったの」

「えっ!?」

「だだ、身体だけはね。生まれてから、私、自分が男だと心で認識したことは無い。ずっと心に違和感を持ってて、今まで生きてきたの」

「じゃあ──」

「再生医療の最中、性同一性障害との診断が確定して、それで──、父親は最後まで反対だったけど」

「そうだったんだ」

 僕は、少なからず動揺した。もうなんと言えばいいのか分からなくなった。

「驚いた?」

「──うん」

「誰にも言わないつもりだったんだけど──」

「こんな大切な事、僕に──、僕が、日々野さんのこと、質問ばかりするから──」

「いいの。大和君には、包み隠さず話したいと思ったから。だから、いいの」


 そう言って、日々野さんはほほ笑んだ。


 それは僕が増えることを望んだ、彼女のほほ笑み。とても柔らかく優しい、彼女ほほ笑みだった。


 彼女は以前、男の子だった。

 目の前の日々野さんが、日々野さんであればそれでいい。そう思っていた僕だが、しかし実際にはこの時、深く考えこんでしまったのだった。「それじゃあ──」と言いかけてためらった会話。家の火事、無理して、大怪我、再生医療、全てが複雑に絡み合って、僕の心に淀んだ。


 次の日、僕はいつもと何も変わらない、そう心に留めて登校した。こう考えている時点で何かが違う。でも、そうするしかなかった。


 が、日々野さんはその告白以来、さらに明るく活発になった。それは僕に対しても、そしてクラスの他の生徒に対しても。

 

 だがその後、僕と日々野さんの関係に、妙な隙間が生じてしまうこととなる。


 疎遠になったり、避けているわけではない。表面上はいつものように親しく話す。が、が違うのだ。目に見えない透明な隙間。それがどうしても振り払われない。


 きっかけは些細な事だった。


 下校前、「二ノ宮さんは生徒会らしいわ。帰ろう」と言って、日々野さんは僕の手をとり強く握って、自分の方に引き寄せた。まるでタンゴように。そこに偶然現れた委員長のキョトンとした表情、立ち尽くしたその目。瞬間的に、僕は適当なことを言って、その手を振りほどいた。その刹那、日々野さんの目が一瞬、いつかのあの曇り空のような眼差しに変わったのを、僕は図らずも見逃さなかった。

 

 それからしばらくして、日々野さんは山川マリのいるソフトボール部に入った。

 それに伴い、僕と過ごす時間も少しづつ減っていった。それは、僕が彼女と他の生徒達の架け橋になれたという事で、喜ぶべきなのだろうか。


「ソフトを始めたのは病院の指示、運動機能のモニタリングのため。動物係が飽きたわけではないのよ」

 そう僕に言っていた。


 そんなある時だった。


「今週一杯で、日々野さんは先端医療病院を退院し、本校を転校することとなりました。寂しくはなりますが──」

 と担任は淡々と言った。


 余りにも突然だった。僕は隣にいる日々野さんの方を向いた。すると彼女は僕の方を見て、そして無言で、またいつかの、あの何を考えているのか分からない眼差しで僕を見つめるだけだった。


 僕は、ちゃんと伝えたいと思った。


「大和君、今日も私、生徒会の集会で、先に──」

「うん」

「日々野さんはソフト部の練習、もうすぐ終わるみたいよ」

「そう」

「ちゃんと伝えたいこと、あるんだよね?」

「うん。ありがとう、委員長」

「うんん。大和君、私は明日もここにいるし、その先もこの学校にいるわ。いつでも一緒に下校できるし、──それでいいの」

「──うん」


 僕は校門を出て走った。彼女と二人で歩いて、彼女が秘密を打ち明けてくれた帰り道。その日も夕焼けに、赤く染まった帰り道。


 僕は、彼女に後ろから声をかけた。

「日々野さん!」

「!?」

「転校だなんて──」

「大和君! ごめんなさい、言うタイミングが、──言い出しづらくて」

「元の中学に戻るの?」

「いいえ、元の学校には戻らない」

「じゃあ──」

「遠いところ。もう、お別れになっちゃうね」

「遠くても、お別れじゃないよ」

「もう会えなくなるよ」

「僕は、友達でしょ? 僕はもう、失わないって言ったよ」

「うん。でも──」

「僕は、君の事知ってるし、僕が誰よりも君の事知ってる! じゃなくて、その、誰よりも僕は君の事が知りたい。もっと君の事が知りたいんだ。日々野さんは大切な事を僕に打ち明けてくれた。僕は特別な絆を感じたんだ! だから、これからもずっと、友達で、じゃなくて、僕は、君の事が好きなんだ! 日々野さん。出来れば僕と、その、付き合って欲しいんだ。遠くても構わない」

「──」

「その、僕は──」

「私なんかに、そんなことまで言ってくれて、ありがとう。大和君」

「今すぐ返事してとは言わない、けど、転校しても、便りは欲しい。端末でリンクしなくても、手書きで手紙でもいいから──」

 そうして、僕は自分の住所を書いた紙を渡した。


 そして彼女は、「うん」とだけ答えてくれた。

 

 その後、僕が中学3年の三学期を迎えても、彼女からの便りは届かなかった。


 だけど、別れ際に彼女が教えてくれた引越先の都市の高校を、僕は受験するつもりだ。

 

 遠くても構わない。遠回りでも構わない。僕はもう一度、本当の彼女を知ったうえで関係を作り上げたい。関係を再生したい。絆を再生したい。そう強く心に思っている。

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