幻想紀談詩抄 阿修羅の前にて

泊瀬光延(はつせ こうえん)

幻想紀談詩抄 興福寺阿修羅像の前にて


俺は東京から奈良に来て

阿修羅像の前に佇んでいた


新聞に載っていたこの興福寺の

脱活乾湿像の写真を見た時

俺の心は打ち震え

ふらりと列車に飛び乗った

ここが俺の終着駅


俺は闇に紛れこの宝物庫に

誰も居なくなる時を待った

廻りの八部神将達は

知らぬ振りを続けていた

主の眠りを妨げぬ様に


俺は阿修羅に誰何した


お前はいづくより来た


阿修羅は静寂の中に

ゆるりと顔を俺に向け

透き通る様な音色の

声とも無き声で答えた


私は遠い昔にこの国に

月と日輪を持ってきた

私は追われて逃れて来たのだ


追われて?


遠きインドラの世界から

あるときは

ギリシャの大理石のヒヤキントスとなり

あるときは

莫高窟(ばっこうくつ)の天使となった

そしてこの大和では

古朝鮮の王子として崇められ

皆が私にあくがれて そして

万福将軍と呼ばれた仏師が

この面影を残したのだ


俺の前世もお前を追ったのか?


そうだ、忘れたか!

お前は私を追い求め

私は『お前』から逃れてきたのだ


俺は思い出した!

さうだ!俺はお前を追い続け

お前は 黴臭い息が詰まる

この宝物倉に隠れ

千二百年も佇んでいた

お前はその姿に封印され

身動きも出来ず

やってきた俺の前で

恐怖(おのの)いているに違いない


  阿修羅の目は遂に大きく見開かれた


ふふ・・・私がお前を怖れる?

お前にまた犯されることをか?

お前にまた魂の全てを

奪われることをか?

やってみろ!

私の呪いを解いてみろ!

遠い昔のやうに私を愛せ!

私をお前の肉体の奴隷にしろ!

お前の思い上がりを

いまこそ思い知らせてやる!


  阿修羅の長い腕(かいな)が蠢(うごめ)いた

いつの間にか阿修羅は

作られたままの赤い姿と碧眼

四臂には月と日輪

心臓を突き通す矢羽根に

それを入れる首長の器を

持っていた


見ろ!

これはお前のために

神より下された護身のかいな

上の腕の月と日輪は

お前の心の陰と陽(おもて)を照らし出し

中の腕は優しげに

お前の顔をなぜるじゃろう

そしてお前はまた負けるのじゃ

再び千年(ちとせ)の永き世を

私を求めて彷徨うが良い


俺は四本のかいなに抱かれて

阿修羅の口を貪った


  阿修羅の右の顔が嗤った

  阿修羅の左の顔が泣き出した


阿修羅の真中の顔が

悲しみの眼で俺を見る


そのとき凄まじい快楽と

苦痛が俺を引き裂いた

阿修羅の合わせた両の手が

俺の心臓(こころ)を掴み出したのだ




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幻想紀談詩抄 阿修羅の前にて 泊瀬光延(はつせ こうえん) @hatsusekouen

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