幻想紀談詩抄 阿修羅の前にて
泊瀬光延(はつせ こうえん)
幻想紀談詩抄 興福寺阿修羅像の前にて
俺は東京から奈良に来て
阿修羅像の前に佇んでいた
新聞に載っていたこの興福寺の
脱活乾湿像の写真を見た時
俺の心は打ち震え
ふらりと列車に飛び乗った
ここが俺の終着駅
俺は闇に紛れこの宝物庫に
誰も居なくなる時を待った
廻りの八部神将達は
知らぬ振りを続けていた
主の眠りを妨げぬ様に
俺は阿修羅に誰何した
お前はいづくより来た
阿修羅は静寂の中に
ゆるりと顔を俺に向け
透き通る様な音色の
声とも無き声で答えた
*
私は遠い昔にこの国に
月と日輪を持ってきた
私は追われて逃れて来たのだ
追われて?
*
遠きインドラの世界から
あるときは
ギリシャの大理石のヒヤキントスとなり
あるときは
莫高窟(ばっこうくつ)の天使となった
そしてこの大和では
古朝鮮の王子として崇められ
皆が私にあくがれて そして
万福将軍と呼ばれた仏師が
この面影を残したのだ
俺の前世もお前を追ったのか?
*
そうだ、忘れたか!
お前は私を追い求め
私は『お前』から逃れてきたのだ
俺は思い出した!
さうだ!俺はお前を追い続け
お前は 黴臭い息が詰まる
この宝物倉に隠れ
千二百年も佇んでいた
お前はその姿に封印され
身動きも出来ず
やってきた俺の前で
恐怖(おのの)いているに違いない
阿修羅の目は遂に大きく見開かれた
*
ふふ・・・私がお前を怖れる?
お前にまた犯されることをか?
お前にまた魂の全てを
奪われることをか?
やってみろ!
私の呪いを解いてみろ!
遠い昔のやうに私を愛せ!
私をお前の肉体の奴隷にしろ!
お前の思い上がりを
いまこそ思い知らせてやる!
阿修羅の長い腕(かいな)が蠢(うごめ)いた
いつの間にか阿修羅は
作られたままの赤い姿と碧眼
四臂には月と日輪
心臓を突き通す矢羽根に
それを入れる首長の器を
持っていた
*
見ろ!
これはお前のために
神より下された護身のかいな
上の腕の月と日輪は
お前の心の陰と陽(おもて)を照らし出し
中の腕は優しげに
お前の顔をなぜるじゃろう
そしてお前はまた負けるのじゃ
再び千年(ちとせ)の永き世を
私を求めて彷徨うが良い
俺は四本のかいなに抱かれて
阿修羅の口を貪った
阿修羅の右の顔が嗤った
阿修羅の左の顔が泣き出した
阿修羅の真中の顔が
悲しみの眼で俺を見る
そのとき凄まじい快楽と
苦痛が俺を引き裂いた
阿修羅の合わせた両の手が
俺の心臓(こころ)を掴み出したのだ
了
幻想紀談詩抄 阿修羅の前にて 泊瀬光延(はつせ こうえん) @hatsusekouen
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