15:ラムネのビー玉が手から溢れる①
「皇帝……なぜ、ここに?」
今宮の後ろにいるマナは、いつもと変わらない妖艶な笑みで風音の全身を舐め回すかのように視線を巡らせていた。相変わらず、露出具合がすごい。今宮の真っ赤な顔色は、きっとそのせいだろう。
予想していなかった人物の登場に驚きすぎて、無意識に椅子から立ってしまう風音。他国の皇帝が、こうも簡単にお忍びだろうが移動して良いものではないと知っているからなおさら。
「なに、ユウトに子どもができたって言うから見に来たのさ」
「できてません!」
「おや、ルナ。話が違うじゃないか」
「いえ、そんなこと一言も口にしていません」
「そうか?ふむ、……私との子どもを望むあまり夢でも見たか」
「あのですね……」
「なんだ、夜の誘いか?いいぞ、今日は空いてる」
他国の皇帝でなければ、きっと暴言をはいていたに違いないだろう。ねじ曲げられた「事実」に、風音のツッコミが追いつきそうにない。
さらに、その口調は「今日の朝食は何?」という日常会話とさほど変わらないもの。居心地が悪そうにこれでもかというほど顔を真っ赤にする今宮が可哀想になった風音は、その「日常会話」に終止符を打つべく深呼吸をし、
「……で?本当は何をしに来たんですか」
と、少々ムスッとした表情になって、今まで座っていたソファへと雑に座り直した。その態度は、他国の皇帝にするものではないのだが、今宮がそれを咎めることも、マナが機嫌を悪くすることもなかった。
「なんだ、つれないやつだな。私の血を、ななみにあげようと思って来たんだよ」
「……血?」
「あいつと同じ血液型なんだ、私は」
「え、血液型って?」
「彼女も、ボンベイのHLA型なんです」
「珍しいとは聞いていましたが、聞いたことない血液型ですね……」
先ほどの話し合いでユキの血液型を正確に聞いていなかった風音は、その事実に驚き目を見開いた。
そうなのだ。魔法界においても、その血液型は珍しいとされている。むしろ、そんな血液型があることすら知られていないかもしれない。知られてしまえば、犯罪に使われてしまう可能性もある。
ユキとマナが同じ血液型であることを知ったのは、偶然だった。
「そうなんですよ。下手に知られて、ただでさえ高額な血液がさらに高騰するのを恐れてあまり公にはしてないものです。」
「まあ……そうですよね」
「ということで、貴重なんだ!どうだ、尊敬したか!」
「……まあ」
そんな言われ方して、尊敬できるわけがない!
空返事をしながら、風音は以前ザンカンで起きた事件で致命傷を負った彼女の治療をしたマナのことを思い出す。魔力量が多いため、あそこまで正確なことができたのかと思いきやからくりがあったようだ。今更ながら、納得してしまう。
「それに、血の気が多いのか何なのか、この方は一般より2倍近くその身体に血が流れてるんです」
「ははは!絶倫は辛いな!」
「今、それは関係ないです!」
「なんだ、ルナ。顔が赤いぞ」
「……あなたの発言のせいです」
「なんだ、お前も私の身体が目的か?いいぞ!相手になってやる!」
「違います!!!」
と、今宮はおちょくられていることも知らずに顔を真っ赤にしてマナを睨みつけている。彼も、親しくしてはいるもののマナには勝てないらしい。
「……ありがとう」
その様子に苦笑しながら、風音がお礼の言葉を呟いた。なんだかんだふざけてはいるものの、こうやってユキのことを助けてくれている事実は変わらない。しかも、自国での仕事があるだろうにこうやってレンジュまで来てくれることなんてそうそうない。それをわかっているからこその、感謝の言葉だった。
「……」
「……」
お礼を言われると思っていなかったのか、それを聞いた2人は双方ぽかーんとした表情になって言葉を発した彼の方を見ている。数秒間沈黙が続くと、マナが頰を紅潮させ、
「……ルナ、ルナ!聞いたか!今、ユウトが私にお礼を言ったぞ!!」
と、どこぞの武井のようなことを言い出す始末。
本当に、心から嬉しそうな表情になって今宮に自慢している。
「聞きましたけど……」
「ユウト~~~」
「おい!やめろ!」
そのまま、マナは嬉しさのあまりか座っている彼に向かって体当たりをかましてきた。無論、大きめの胸が迫ってくるものだから、風音は息を吸い込めず苦しそうに悪態をつくことしかできない。少々、外野から見れば羨ましいと言えそうな光景だが、本人にしてみれば死活問題なのだ……。
「はは、照れるな!出番まで可愛がってやるぞ!」
「〜〜っ!ん!ん!」
必死に呼吸をしようとも、やはり叶わないらしい。ガスマスクをしていてこうなるとは、よほどのことだろう。
そのやりとりを端で見ていた今宮は、
「では、私は別の仕事があるのでこれで失礼します。ユウトさん、案内お願いします」
と、「何も見ていません」と言う感じの態度でそそくさと立ち去ってしまう。その表情には、デカデカと「自分じゃなくてよかった」と書かれていた。
「(裏切り者……!)」
もちろん、風音の心の声は彼に届かない。
今宮のコツコツと一定を保った規律正しい靴音が、次第に遠ざかっていく。廊下はよく音を反射する素材のようで、かなり鮮明に響いた。これも、敵襲に備えての対策なのだろうと、意識が朦朧とする中風音が思考を働かせていると、
「……キメラを保護した気持ちの変化は?」
完全に足音がしなくなった廊下で、マナが普通のトーンに戻して話しかけてきた。もちろん、ホールドは解除されている。隣に腰掛け、少々心配そうな視線を風音に向けていた。
「特に……」
「そうか。ありさから聞いたよ、あまり無理はしないようにな」
「……あなたは、オレの家族とどんな係りなんですか?」
「んー、気になるのか?しかし、まだ教えるわけにはいかないんだ」
「何故」
「もっと面白い状況にならないと、私の口が開かなくてな!」
「どんな理由!?」
「ははは!」
気に入られているのかなんなのか、マナは風音と遊びたいらしい。ツッコミを入れる彼の頭を、力強くワシワシと撫でながら笑っている。
本気で教えてくれないことを悟った風音は、ため息とともに口を閉ざした。すると、
「……私が皇帝直属の管理部に推薦したよ」
「誰かが推薦しないと入れないところなので、疑問にしてましたが。あなたでしたか」
「ああ、そうだ。強力な推薦者だろう?」
「……不純な理由でしたら怒りますよ」
「ははは、否定はしないぞ!」
と、明るく笑いだす彼女の言葉に眉を潜めていると、
「だが、それだけじゃない」
続きがあるらしい。その言葉に安堵した風音は、やっと普通の表情になって彼女の方へと顔を向ける。
「……事後報告で申し訳ないが、ユウトの過去を全て見させてもらったよ。空間魔法で」
「はあ!?」
風音は、空間魔法の存在を知らない。しかし、そんなことよりも過去を覗かれた方に重きがいったらしい。廊下全体に響き渡るほどの、大きな声を出してしまう。その声を右手で遮ったマナは、
「悪かった、軽率だったよ。君がキメラに執着する意味が知りたくてな。レンジュの皇帝専属魔法で覗いてしまったんだ。もうしないよ」
「……なんですか、その魔法は」
「手っ取り早く言えば、レンジュの皇帝に受け継がれている強力な魔法ってところだな。ほら、私が時間を止められる魔法を保持していると話しただろう。それも、同じ類のものだ」
「……そこまでして、オレの過去を覗きたかったんですか」
「では、お前は私がキメラについて質問したら答えてくれたか?」
「……皇帝命令であれば」
「私はそれが好きではない。ちゃんと、腹を割って話してくれるかどうかを聞いたつもりだったが」
「……」
黙っているということは、答えが決まっていることである。風音は、その過去を言うつもりがなかったようだ。それほど後悔しているものなのか、もう終わったことと思っているのか。彼にしかわからない。
「悪かったよ。この通りだ」
「……皇帝が一般市民に頭を下げないでください」
「拗ねるな。お前の優しい性格は、昔から知ってるんだ。……顔を見せてくれ」
こんな素直に謝罪されれば、怒るに怒れない。ため息をつきつつ、そんな嫌味を言ってしまうのは勘弁して欲しいところ。
すると、マナがガスマスクに手を触れながら優しい表情になってお願いをしてきた。それは、何故か風音には逆らえないもの。魔法で強制的にされているわけでもないのに、だ。
「……どうぞ」
風音は、短い言葉を発すると素直にマスクを外した。それをマナとは反対の席へと置き、彼女と向き合う。
その皮膚には、通常であれば目下から頬までに止まっているはずの刺青が、鼻筋付近までうっすらと広がっていた。さらに、その蔦のようなデザインの呪いの上には、バラの蕾がいくつか咲きそうな勢いで描かれている。
「進行が早いな……。吸収は?」
「……してません」
「なぜ」
この呪いは、定期的に刺青に溜まってしまった余分な魔力を取り除いて置かないといけない。吸収を怠ると、こうやって刺青自体が身体を蝕んでいってしまうのだ。それを放置してしまうと、全身に呪いが広がってしまい下手したら死に至る。
それを知っているだろうマナは、眉をひそめながら風音の頰に手をかざし緑色の光を出してきた。それを頬に沿って滑らせるように動かすと、さらに光が強いものになる。
「他人の心配をするなら、まずは自分のケアをしないとな」
「……っ」
「なんだ、いい顔するじゃないか」
「この感覚……あんま、っ好きじゃない」
「慣れろ。死ぬまで一緒のものだぞ」
光を当て続けていると、刺青が生き物のようにゴソゴソと動き出した。それと一緒に、くすぐったそうに逃げようとする風音を素早く反対側の手で止めるマナ。彼のその表情が気に入ったらしく、少々サディスティックな顔を披露している。
完全に逃げ場を失った風音は、その感覚を我慢しつつ治療の光を受け入れた。徐々に蕾が薄くなり蔦が短く、そして、濃くなっていく。そのまま、蕾は肌の上から消えてしまった。
「……ありがとうございます」
「自分じゃできないって難儀だな」
「……」
「だからこそ、風音一族はフェロモンを放って孤独を逃れようとしている、か」
「……」
そう。この吸収は、自分ではできないものだった。血族でなくても良い、他人がしないといけない行為。自身から放たれている厄介なものに気づいた風音は、彼女が言った原理を理解しているのだろう。何も言えずに、下を向いている。
「家に帰ってないのか?」
「……キメラについて調べていたので、帰りにくくて」
「そうか……。知りたければ、禁断の書でも開けば良いのに」
「そこまでの度胸はありませんよ……」
「知ることは、悪いことではない。悪いのは、知った後に放置することだ」
「……天野は開いたって聞きました」
「あいつは好奇心の塊みたいなやつだからな。知らないことがあるのが許せないらしいよ」
「オレは、あいつが羨ましい……。自分の境遇から必死に足掻いて、明るくいられるあいつが」
「お前だって、同じものさ。私から見てると、ななみと変わらないさ」
マナは、ユキのことを「ななみ」と呼ぶ。それは、ここに来ても変わらない。
風音が名前を訂正しようとするも、何か意味があるのだろう。特に気にせず話を進める。
「……オレは、天野もサツキも守りたい。あいつらには、笑っていてほしい」
「そうか。ユウトはやはり優しいな」
「優しいんじゃない、臆病なだけです」
「……それを優しいと言うんだ。今度は、自分を犠牲にしないやり方が見つかると良いな」
「……天野たちには話さないでくださいね」
「そこはわきまえてるよ。私の中で完結させておこう」
「ありがとうございます」
お礼を言うと、風音はソファに置いたガスマスクを口につけた。これは、魔法使いになると決めたアカデミー生時代からつけているもの。故に、顔にないと落ち着かないのだ。
呪いを吸収してもらい頬の重さがなくなったのもあり、マスクの重さをいつもより強く感じてしまった。それでも落ち着きを優先させる風音は、そのアンバランスな感覚から逃れるように、左足を組む。
「お礼を言われるようなものじゃないさ」
「……」
「ユウト」
「はい」
「……私のことは、名前で呼んでくれないか」
「……マナ」
「ありがとう」
「お礼を言われるようなものじゃありません」
「ははは!やはり、お前は可愛いよ」
「……茶化さないでください」
風音は、いつまでも茶化される会話を止めるべく、そのまま前を向いた。そこには、無機質な白い病院特有の壁が広がっている。
「……」
「……」
何か言いたそうな顔をしたマナに気づいたが、そのまま黙って見ないふりをした。これ以上、過去の話はしたくなかったため。
それを感じ取ったのか、彼女も黙ったまま。寄りかかった背中から、ソファを介して壁の冷たさが伝わってきた。
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