4:家族と仕事、瀬戸際の決断



「ご苦労様でした」


 そこは、立派なオフィスだった。

 机と椅子が複数並び、ホワイトボードに印刷機、ロッカーといった事務用品がきちんと並んでいる。窓から差し込む日差しが、こんなにも素晴らしいものだったのか。そう、見ている人を錯覚させるほど綺麗な光景だった。


「こんな場所だったのね」


 ここは、先ほどまで書類に埋まっていた2課の部屋。

 今は、見違えるほどきれいなオフィスと化していた。誰もが、このビフォーアフターを信じないだろう。


「今日がゴミ回収日で良かったよね」


 あの書類の山は、ほとんどが処理済で、廃棄可能なものだった。必要だったのは、ひとつの長机で収まる程度の量。後は、廃棄物としてシュレッターにかけ、袋にまとめて回収者へ渡してきた。

 2日はかかると思っていた早苗。やってみたら午前中で終わってしまったので、拍子抜けしてしまったようだ。むしろ、達成感を覚えたのかその顔は晴れやかだ。


「あらやだ、イケメンじゃないの」


 書類の山の奥にはやはり他の2課メンバーもいたようで、ユキがいつも通りその女性職員に囲まれていた。

 男性は、藤代しかいない様子。他は、全員女性の部署のようだ。


「ほんと!ねえ、藤代さん。この子、ここで雇いましょう」

「そうね!こんなイケメン拝めるなら、私いくらでも仕事しちゃう」

「私、仕事教えるわ!」


 ユキも、まんざらでもない様子。

 ちやほやされると、女性職員の手の甲に口をつけたり抱き寄せて顔を近づけたりしている。それに反応し、「私も」「私も」といつも通り人が押し寄せていた……。


「いやいや、能力的には後藤さんを雇いたいよ」


 そんな様子を見ながら藤代が発言するものだから、


「(あれ、私の良いところ顔だけ?)」


 と、若干凹んでしまうユキ。

 まあ、そうですね。顔だけですね。なんせ、ほとんどあの山崩したのは早苗であって、ユキはお絵描きしてましたから。


「改めまして、下界3チームの後藤です」

「同じく、天野」

「「どうぞよろしくお願いします」」


 すっきりとしたオフィスの中、早苗とユキは改めて自己紹介すべく同時に頭を下げた。その挨拶を見て、女性職員はますます、


「やだーー」

「かわいいいーーーー」


 と、黄色い声で騒ぐ。それを見た藤代は、苦笑するしかない。


「さて、ひと段落したから歓迎会でもしようか」


 そのまま彼は次席から立ち上がり、周囲にシールドを展開させると指を一振りさせると何もないテーブルの上に飲み物と食べ物を並べた。そのシールドは、魔法禁止の建物対策か。飲食が並べられると、同時に消えてしまう。

 それよりも、出された量がものすごい。ここにいる人たちの倍はありそうな飲食の量だ。誰がこんなに食べるのだろうか?


「お昼ご飯も兼ねてね」

「わーい、藤代さんのおごりですかあ?」

「いただきまーす」


 女性職員は、藤代の言葉を聞くや否や食べ物に手を伸ばし始めた。それを見たユキは、この勢いではすぐに食べ物はなくなるだろうと納得する。


「待ってよ!先に乾杯しましょう」


 その中でも一番落ち着きのある女性が、他の職員の手を止める。


「そうね!さすが瀬田さん!」

「ビールはあり?」

「乾杯しましょ!」


 と、大はしゃぎ。瀬田と呼ばれた女性は、


「仕事中だからアルコールはダメに決まってるでしょう!……騒がしくてごめんなさいね。私の名前は、瀬田アリス。一応、藤代さんの補佐役です」


 と言い、にっこりとユキたちに笑いかけてきた。その笑みは、見ている人の警戒心をといてくれるもの。早苗の肩が、自然と下がっていく。

 紺色のスーツに身を包んだ彼女のその姿は、まさにエリート。長い髪を後ろで1つに縛り、ピシッと決まっている。見るからに仕事ができそうな人物だが、周囲の反応を見る限りそれは容姿だけではなく実力も伴っているのだろう。


「よろしくお願いします」


 アリスの言葉に、早苗も挨拶を返した。しかし、ユキは彼女を見ても他の女性のようになぜか「挨拶」はしない。むしろ、なんだかその視線を避けているような態度だ。


「めったに外部の人間が来ないものだから。許して頂戴ね」

「だから藤代さん、あんな外見なのね」


 ユキが、藤代を見ながらズバッと言う。その言葉に女性職員が大笑い。お腹を抱えて笑う出す人もいれば、直接藤代の背中を叩いて喜んでいる人もいる。明るい部署だ。


「あははは、言われてるー」

「ほんと、もっと言ってやってよ~」


 早苗は、そんな様子を見ながらオロオロするばかり。魔警=厳粛な場所と思っていた彼女は、軽くカルチャーショックを受けているに違いない。そして、初日から礼儀というものがないユキの姿にも慌てているだろう。


「本当、私も言ってるんだけど。髭くらい剃らないと、また浮浪者と間違えられるわ」


 が、特に気を悪くした様子の人はない。むしろ、アリスは面白がっているように補足を加えてくる。


「えー、間違われたことあるんですかあ」

「なにそれー、聞きたあい」

「録音して朝礼で流しましょう!」


 と、女性職員が食いつく食いつく。最後の発言に、藤代が顔を真っ青にしたことも記載しておこう。

 2課の女性陣は、とにかくテンションが高い。


「まあ、後で藤代さんから聞いてくださいな」


 それを聞いて、藤代があたふたし始める。側から見ていて、おもしろい取り合わせだ。


「さ。まずは、乾杯しましょう!みんな、グラス持って!足りない人いる?」


 場を仕切り直すように、アリスは目の前に並べられているグラスを1つ掲げ乾杯の音頭を取る。2課の職員がテーブルの上にあるグラスを持ち始めると、ユキと早苗も近くの飲み物を掴む。全員がグラスを持つと、


「はい、藤代さんよろしく」

「へ?」


 と、急に話を振るものだから、藤代がビクッと肩を上げる。自分に話がくるとは思っていなかったらしく、他の人と同様にグラスを掲げているところだった。


「何よ、所長なんだから当たり前でしょう」

「そうよ、締まらないわねー」

「早くしてーお腹すいて死にそう」


 男性1人に女性多数では、彼の肩身が狭くなるのも頷ける。この光景が、今まで続いてきたものだということは、見ているだけの2人にもよくわかった。思わず、顔を合わせて笑ってしまう。


「わかったよ。……じゃあ、後藤さん天野くん改めましてようこそ。今日から1週間、魔警任務よろしくね」


 奇跡的に名前を間違わずに言えた藤代は、


「乾杯!」


 とグラスを上げた。


「乾杯!」

「乾杯!」

「乾杯〜」


 それに倣い、他の職員もみんなで乾杯の言葉を続ける。その声が反響し終える前に、パーティ状態になったのは言うまでもない。各々が好きな食べ物を片手に、早苗とユキの周りを囲んでいく。


「主席チームだって本当?」

「肌綺麗~。お手入れどうやってるの?」

「どこ出身なの?」

「どこに住んでいるの?」


 女性職員は、自由だこと自由だこと。ユキたちが、飲み物すら口に出来ないほど質問は続く。


「ははは、君の言う通りのところだよ」


 ユキは、相変わらず意味の分からない言葉で周囲を盛り上げている。もう、これは一種の才能だろう。次々と彼の目の前にある皿に食べ物が積まれるも、やはり口にできる時間はない。それよりも、女性を口説く方が大事らしい。


「いやーーーユキくんカッコ良い!」

「もっと声聞かせて~」


 これで酔っていないのだから、この課にお酒を入れたら大変なことになるだろう。テンションが異常に高い女性職員が多く、藤代はそんな様子を端の方で苦笑いしながら見ている。いや、標的が自身から逸れているため機嫌が良いのかもしれない。


「……瀬田さんは、どうして2課に入ったんですか?」


 早苗はというと、ユキがちやほやされている中をくぐり抜けてアリスへ話しかけていた。ちょっと距離をとるだけで、人口密度がグッと下がる。


「うーん、何だろう。元々魔警に入りたくて国家試験受けていたの。最初は1課目指していたんだけど。ここの所長見ていたら2課も悪くないなって」


 そう言って、彼女は藤代の苦笑いしている顔を見た。その表情に、尊敬のまなざしが感じ取れる。

 2人は、近くの椅子を手繰り寄せて座って話をすることにした。その目の前では、相変わらずユキが女性陣を湧かせている……。


「じゃあ、藤代さんを支えようと思ったんですね」

「ははは、そういうことなのかな。おっとりしすぎてね。私がいないと、どんどん仕事溜め込んじゃう人だから」

「……で、あの山なんですね」


 早苗の言葉に、アリスは笑いながら


「そうなの。ちょっと帰ったらあれよ。私に休みをなくさせる気なのかな」


 というものの、言葉とは裏腹に声は明るい。

 話を聞く限り、藤代に対して恋愛感情はなさそうである。すがすがしいほどの上司部下の関係に、早苗は憧れを抱いた。


「でも、良いですね。仕事って、つまらないイメージでした」

「いやいや。仕事は、楽しい面と辛い面両方ないと成り立たないの。楽しいだけじゃ、けじめも何もない」


 そう言うと、アリスはグラスにあった飲み物を一気に飲み干した。その飲みっぷりときたら。一瞬、アルコールでも飲んでいるのか?と思うほどの豪快さ。しかし、見ていてとても気持ちの良い飲み方だった。


「早苗ちゃんも、ここで働きたいの?」

「……はい。私、どんくさいけどできたらここで……。おじいちゃんが、魔警の1課で働いていたんです」


 早苗が持っているグラスを見つめながらそう言うと、聞いていたアリスが驚きの表情を見せる。目の前のテーブルにあった食べ物へ伸ばしていた手が止まり、その衝撃でお皿がカタン落ちた。


「……え!?苗字聞いた時からそうかなとは思ってたけど。もしかして、後藤京造の孫!?」

「あ、はい。おじいちゃんは京造です」

「すごい!後藤と言ったら、泣く子も黙る魔警の番犬とまで言われた男だよ!もう大尊敬してたよ」


 落ちたお皿を拾いながら、アリスが大きな声で笑う。幸い、皿はプラスチックだったので割れはしなかったようだ。


 そう。後藤京造とは、1課でも有名な敏腕魔法刑事。魔法の腕だけでなく、体力もありあまるほど持っていて一目置かれる存在だった。実績も、当時の魔警の中では断トツ。彼にかかる事件で、解決しないものはないと評価されていた。


「でも、家族にとっては元気なおじいちゃんでよかったんですけどね」

「……なんで早苗ちゃん。こう呼んでも良いかしら?……早苗ちゃんは魔警を目指したいの?」


 しかし、彼は休暇中に魔法連続殺人犯と遭遇しあっけなくこの世を去っている。その突然死に、魔警の職員は課を問わず追悼式へ足を運んだものだ。それほど、彼は周囲の人間に慕われていた。

 早苗の口から出た言葉には、魔警に対する嫌悪感が。それを、アリスは瞬時に感じ取る。


「おじいちゃんと同じ世界が見たいんです。私、失敗の方が多いから無理かもですが」


 アリスは、近くにあった新しいお皿にチキンやサラダをのせると無言で落ち込んでいる彼女へ渡した。

 それを受け取るため、前を向いた早苗。その彼女の行動は、なぜか「無理じゃないよ」と言われているような気を植え付けてくる。目が合うと、自然と笑みが溢れてきた。

 お礼を言い、もらった食べ物を一口。レモンのかけられた唐揚げが、ジュワッと口の中に広がる。それは、まだ温かかった。


「……おいしい」

「藤代さんが出す料理、下の食堂から持ってきたものなんだけどおいしいのよ。もっと高いもの出せばいいのにねえ」


 そのはっきりとした言葉には、笑うしかない。本人に聞こえたのか、奥にいる彼の眉がピクッと動いた。それに、早苗はまたしても笑ってしまう。口を抑えながら、そんな藤代の様子を見ていた。


「本当に魔警を目指すなら上界試験に合格しなさい。そしたら、私のところに来て」

「は、はい!その時は、お世話になります」


 アリスが、仕切り直すかのように先ほどとは違う真剣な表情をして話しかけてきた。

 早苗も彼女にならい真剣な表情で返すと、態度が気に入ったのか、


「よし、じゃあ食べ終わったら午後の仕事教えるから」


 と、笑いながら背中をトンと叩いてきた。


「はい!」


 その行為は、早苗にとって気持ちの良いものだった。もらった食べ物を彼女と一緒に食べつつ、晴れやかな気持ちで午後に意識を向ける。




 ***



「え―――、ユキくんあのドラマに出てるのー」

「通りでイケメンだ」


 ユキは、相変わらず騒がれている。そして、なぜかその周りには食べ物がたくさん。きっと、「貢ぎ物」だろう。ユキもユキで、面白がってその「貢ぎ物」を周囲にいる女性たちに箸を使って「あーん」するものだから収拾がつかない。


「お姉さんたちが居ないと、俺はただの人間だよ」


 居ても人間だと思うが。

 ユキの言葉に、行動に、女性職員の声が高くなっていく。……どこで覚えてきたんですか、そのテクニック。


「はいはい、じゃあ食べ終わった人から仕事に戻りましょう」


 そこに割って、食べ終わったアリスが入っていく。残念そうな女性陣に向かって、またまたいろんな対応をしていた人がいたことはまあ割愛しよう。


「片づけは藤代さんに任せましょ」


 その言葉に全員が賛同し、藤代の顔をまた苦くさせた。ユキと早苗が、その光景を見ながら笑う。

 藤代が出した食べ物と飲み物は、綺麗さっぱりなくなっていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る