3:後ろがあれば、前もある



「いやあ、今日だったかな。すっかり忘れてたよ」


 ユキと早苗が2課のある本館4階に到着するも、真っ暗だった。薄暗いので完全に見えないことはないが、思っていた執務室と異なっていたため早苗が困惑する。


「い、いえ」

「……」


 そこは、想像を絶するほどの書類の山が広がっていた。床が見えないのはもちろん、壁も窓もその奥の様子も、下手したら天井も見えない。きっと、明かりをつけたら即座に火事になるだろう。

 今も、声はするが、誰と話しているのかわからない。むしろ、自分たちは書類としゃべっているのではないかと思うほど。


「こっち、来てもらえるかな?」


 山の向こうで、声がする。どう考えても、書類を片付けないと行けないのだが……。


「えっと……」


 早苗は、返答に困る。

 どこか、自分では見つかっていない行き方があるのではないかとか、魔法を使って行くのかとか、彼女らしいことを考えていた時だった。


「よっこらしょ」


 オロオロする中、ユキが書類を一部どけて道を作り始めた。


「ユ、ユキくん!?大事な書類かもしれないし、触るのは……」

「大丈夫。これ」

「……なるほどね」


 ユキが、早苗に見せた書類には、「廃棄」の文字が。良く見ていらっしゃる。

 早苗も、それにならって「廃棄」の文字が書かれている書類をどけていく。よくよく見ると、ほとんどがそう書かれていた。ちゃんと説明してほしいものだ。


「やあ、ありがとうね」


 その書類の山を崩すと、中からボサッとしている髪型の成人男性が現れた。数日風呂に入っていないのだろう、少し周囲の空気が荒んでいる。デスクの前で立ち上がり、2人の居る方へ手をあげていた。


「あの、下界3チーム後藤と天野です。よろしくお願いします」

「お願いしまーす」


 その男性を見ると、ユキと早苗は風音から渡された書類を差し出し挨拶する。お辞儀をしたは良いものの、本当にこの人が魔警職員なのかと疑ってしまうほどの容姿に目が行く2人。


「うんうん、近藤さんと綾野さんね。僕は藤代というんだ。よろしくね」


 くたびれたスーツに、くたびれたネクタイ。髭が伸びきって、浮浪者を連想させる彼の名は、藤代と言うらしい。相当脳をやられているのだろう、ユキたちの名前を聞き間違えている。


「藤宮さん、よろしくね!」


 そんな藤代に、ブーメランを送りつけるユキ。早苗は、そんな言葉に笑いをこらえてる。


「うんうん、元気だね。今回は、この書類をいるものといらないものに分けてほしいんだ。もちろん、建物内は魔法禁止ね」


 藤代は、そう言って今ユキたちが抜けてきた書類の山を指さしてきた。

 どうやら、名前の間違いに気づいていない様子。それほど、激務が続いているのだろう。


「これ、全部ですか?」


 その書類の多さに、早苗は思わず質問をしてしまう。部屋に埋め尽くされた書類は、全てしっかり読み込めば1年はかかるであろう量だ。魔法を使わずに短時間で裁くのは難しいだろう。


「うん、まずは片付けないと、歓迎もできないしね」


 ケロリとそう話す藤代は、やり方のマニュアルを手渡してきた。この量が日常化しているということだろうか、マニュアルには「大量の書類をさばくコツ」まで書かれている。それを受け取った早苗は、マニュアルがあることに安心したのか多少表情を穏やかにする。

 とはいえ、薄暗い中で小さな文字を読むのも苦労しそうだ。


「いやあ、最近違法な身体変化や瞬間移動が多くてね。いつの間にかこんなになっちゃったんだ。ははは」

「…… (ごめんなさい!)」


 まさか、藤代も目の前にその違法魔法を使っているやつがいるとは思っていないだろう。ユキは、その光景に多少罪悪感を覚えたらしい。


「(まあ、やめないけどね☆)」


 ……だそうだ。

 頑張れ、藤代。


「よし、じゃあやっちゃうぞー☆」


 ユキの若干ごまかしの入った掛け声で、早苗もやる気を出したのか、


「がんばろ!」


 と、一言発するとマニュアルを読みながら書類の山に手を付け始める。やはり暗闇に近い薄暗さ故、書類と顔の距離は近い。

 正直、どこから手をつければ良いのかレベルの量なので2人とも今日中に終わる気がしていない。明日もここで任務なのだろうか?詳しい説明がないので、とりあえず目の前のことをやるしかない。そんな彼女の後ろ姿を見ながら、ユキも山崩しに向かった。


「……若いって良いなあ」


 それを見た藤代は、遠い昔を思い出すかのような表情を見せる。すると、


「あなたも十分若いじゃないですか~」

「そうよそうよ!」


 書類の向こうから、また別の声が聞こえてくる。早苗は驚き、肩をビクッとさせて声の方を振り向いた。とはいえ、書類の山で見えはしない。キョロキョロと周囲を見渡すも、諦めたのかそのまま作業に戻っていく。

 ユキは数人の気配を感じ取ってたので、そのまま作業に没頭する。ノってきたのか、鼻歌なんか歌っていた。


「そんな、もう30歳後半ですよ」


 藤代は、その声に笑いながら元いた席につく。


「ふふ、まるで初老ね」

「藤代おじさん」

「もうお腰が限界でなくて?」

「あはは」


 書類越しだが、声の感じからして4人以上はいそうだ。藤代はその声に赤面しながら、作業に戻っていく。ユキと早苗もそれにならい、黙々と目の前の書類を崩していった。


「(こうちゃんのとこでも書類整理やったことあるけど、楽しいなあ。平和だし)」


 皇帝は知っての通り書類整理が大の苦手で、よくユキにもやらせていた。本人は、「社会勉強」だの「お主の仕事」だの「今日のノルマ」だのそれらしいことを言っていたが、まあ本当の理由は「やりたくないから」に尽きる。その態度を隠そうともしないので、面白がって手伝ってきたものだ。

 そのせいか、ユキは書類整理が割と好きだった。血なまぐさいこともないし、人が傷付くこともない。彼女にとって、それは特別なこと。

 思い出し笑いをしながら進めていると、隣にいた早苗の手が止まっているのが見えた。


「ユキくん。この書類、なんか気持ち悪いの……」


 そう言って顔を真っ青にしながら1枚の書類を見せてきた。そこには、何も書いていない白い紙が握られている。

 ユキには、瞬時にそれが何を示しているのかが分かったのか眉をひそめた。それは、うっすらとではあるが殺気のようなものを纏っている。さらに、まるで目が付いているかのようにこちらをのぞいているように錯覚させてくる。これは……。


「おや、またありましたか」


 手を止めていた2人の方に、藤代が寄ってきた。そして、早苗から書類を受け取ると一瞬にしてそれが燃えてなくなっていく。魔力を感じさせないその魔法は、コントロールができていないと出せないもの。目の前にいる彼も、優秀な魔警職員の一員ということか。

 にしても、手際が良すぎる。ユキは、その動作でこれが初めてではないことを感じ取った。


「藤代さん、今のは?」


 目の前の出来事に唖然とする早苗が、恐る恐る聞くと


「盗撮みたいなものですね。今、魔警全体で問題になってるんです」


 と、言いながら灰になった用紙を床に散らす。床に散った灰は、そのままどこかから吹いてきた風に流されてなくなっていった。すると、微弱な殺気も一緒に消えていく。


「早苗ちゃん、よく気づいたね」

「いえ、何だか触ったら気分が悪くなって。良く分からないけど」


 ユキは、彼女の洞察力に感心した。それは、下界レベルの魔法使いが気づけるものではない。ユキでさえ、気をつけていないとわからないほどそれはわかりにくいものだった。

 早苗は、そう言って口を手で押さえている。殺気に当てられたのだろう、まだ真っ青な顔をしていた。


「大丈夫?」

「うん……もう大丈夫」


 ユキは、そんな様子の彼女の背中を軽くさすった。質の悪い魔力は、人間の精神や体調に支障をきたす。

 きっと、早苗は無意識に魔力を垂れ流しアンテナを張っているのだろう。その特異体質に、彼女自身気づいている様子はない。今伝えても混乱するだけと判断したユキは、作業に戻っていく彼女を静かに見送った。精神的なダメージなら、何かに集中していた方が良いだろう。


「いやあ、あれを見つけるのは大人でも難しいです。近藤さんはすごいですね」


 近藤さんとして覚えている藤代は、早苗を見て感心していた。……名前を覚える気はないらしい。いや、わざと間違っているような様子も、決して無関心を貫いている様子もない。単に、性格の問題だろう。ユキは、呆れを通り越して笑ってしまう。そして、


「……あれって、最近なんですか?」

「うーん、そうだね。黒世あたりから始まった気がするよ」


 と、何気なく質問してみた。その言葉に、ユキは少々考え込む。もし、本当に黒世から始まったのだとすると、それは謎に包まれている事件の大きな手掛かりになるためだ。

 ここの書類は、そこまで重要ではない。しかし、皇帝に直結する書類が敵に渡ってしまったら厄介なことになる。そこまで考えるだけの余裕は、藤代にはないらしい。


「……もうちょっと危機感もたないと」

「え?」

「さー、書類片付けちゃうぞー!!」


 ユキの小さな呟きは、藤代に届かない。

 そのまま両手で拳を作って気合いを入れると、先に再開している彼女と一緒に書類の山に挑んでいく。




 ***




「2課に張ってたやつ、消されました」


 そこは、魔警2課の執務室に負けないほどの薄暗い部屋だった。壁にかけられたろうそくだけでその空間は照らされている。そのろうそくも魔法の一瞬なのか、風が吹いても揺らぎがない。

 椅子にふんぞり返っている人物は、目の前の光が消えると楽しそうに声をあげる。逆光で顔は見えないが、声からして少年のようだ。小柄な体格だが、筋肉で覆われているがっしりとした身体が衣服から覗く。


「3課のも消されたよー」


 その声に反応したのか、向かい側に座っていた男性も続けて発言してきた。こちらは、少々背が高いので成人男性だろう。甘い声が部屋に響く。


「でも、まだ2課には大きいの残してありますので」


 少年が、椅子をギィギィと鳴らしながらそう呟く。その椅子の音が不愉快だったのか、


「うるさいぞ!!」


 と、また別のところから声が飛んできた。

 その声が飛んできたところでは、2つの影が重なるように身体を絡め合う男女の姿を拝める。その女性の口から艶かしい声が木霊し、部屋中に響き渡っていた。


「はあい」


 その声で目を赤くした少年は、その声を聞きたくないのか再びギィギィと音を鳴らす。それによって遠くから舌打ちが聞こえたが、これ以上の言葉は飛んで来なかった。


「いつまで盛ってんですか。別の部屋でしてください」

「なんだ、混ざるか?」

「……僕、未成年なんですけど。法律的な問題というかなんというか」

「あはは、一理あるねえ。純情な子だよ、君は」

「法律なんてクソくらえじゃん。混ざりたきゃ混ざれ。それとも、お前の隣にいる女と盛るか?」

「僕はそんな淫らじゃない!」


 その少年の焦り声に、隣に立っていた女性がクスクスと笑ってくる。


「……なんだよ」

「いえ、楽しそうだなと思って」

「……楽しくない」

「いつでもお相手しますよ?」

「……いらない。隣にいるだけで良い」

「そうですか」


 誘いを断られた女性は、服の奥に隠された胸に光を灯す。その光は、規律的に透明感のある温かなものを見せつけてきた。その光から逃れるように、少年が


「次の作戦は?」


 と、話を変える。すると、


「様子見だな。これでレンジュが動かなければザンカンに侵入する」

「御意」

「それぞれ、使い捨てのコマを用意しておけ。祭りをしようと思う」


 そう言いながら、奥にいた男性が動きを早めてきた。その動作に反応し、女性の声が一段と大きなものになる。

 ギィギィと椅子を鳴らす少年は、その声に反応してさらに瞳を赤く光らせる……。


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