And You And I

高橋末期

And You And I


 ヤモリのレンズがわたしの瞳を覗いていた。


「そんじゃ、この式をレイプしに行ってくる」


 卒業式の日、総元伊澄はわたしの耳元に囁き、頬に軽くキスをした。


 ありきたりな歌詞、ありきたりなメロディのJポップが流れる、ありきたりな卒業式の中、 伊澄は講堂の中心の花道をズンズンと進んで行く。式の幕間だったせいか、誰も舞台に上がる伊澄を不思議に思わないみたいだ。


 わたしは自分のスマホを操作し、講堂のプロジェクターやスピーカーにわたし自ら編集した映像を無線接続させる。


 プロジェクターにもパスワードが必要だが、誰もこんな馬鹿げた事などしないから、箱から出したまま……初期設定の状態だった。


〝10987654321〟という、古い映画のカウントダウンのようなパスワード。


 講堂のスクリーンに、わたしたちが作った映画……総元伊澄とわたし、中野かずさが、これまで作り上げていた映画が、卒業生、在校生、教職員、保護者たちの前で公開される。


 観客たちは、学校側か卒業生からの粋な演出だと思っていたが、観客を睨む伊澄を見て、そういう訳じゃないと雰囲気がガラリと変化したような気がした。


 さっきまで流れていた、Jポップがミュートされ、伊澄自らが作曲した七十年代のプログレを意識した変拍子のピアノソングが大音量で講堂内を包み込む。その曲を聴きながら、伊澄は少しだけニヤリとした顔をする。


 伊澄は、肩に止まっているヤモリのクリッターを頭上高く上げ、観客全員に見せつける。そのまま、観客の前で叫んだ。

「はじめは、このクリッターというカメラだった!」



<クリッター>と呼ばれるカメラがある。


 動物の行動生態を調査するために開発され、次にファウル判定や中継用にと、スポーツ競技用に開発された体中どこにでも、付着が可能な超小型の全天球カメラである。


 五百円玉ぐらいの大きさの本体に、複数の魚眼レンズによって、歪みのない正距円筒図法方式の動画をリアルタイムに録画できるビデオカメラであったが、スマホ用OSを開発する大手ハードウェアメーカーが新型のスマートフォンに、このクリッターをイヤホンのように付属させた。


 クリッターは普段から身に付けられるよう、時計、ペンダントや指輪などの宝飾品や、服などに取り付けられるアタッチメントが豊富であり、中でも肩の上にチョコンと乗せられる小動物クリッター型のカバーケースが特に人気だった。ちなみにわたしは、アレキサンドライト・キャッツアイ風のペンダントケースにクリッターを収納している。


 このカメラはメーカー側の予想を遥かに超え、瞬く間に一般層へと浸透した。それは、生活の一部となっていたSNSの普及と密接に関係している。


 例えば、一通りの犯罪行為。窃盗、強盗、恐喝の他にも、公共交通機関での痴漢に突発的な喧嘩、通り魔、職場や学校のイジメ、同意の無いレイプ、一方的で不条理な家庭での暴力に対して、それは実用的かつ効果的な成果をもたらした。


 クリッターに録画された編集もされない、状況証拠としてクリアなリアルタイム映像は、SNSへとアップされ、瞬時に〝他人〟へと共有される。


 暴力を介した一方的な搾取を行う者は、ネットやSNS上での格好の的であり、話題を膨らませるエンタメであり、犯罪行為の法的な証拠にもなる、一種のヒトの意識に変革をもたらす画期的なガジェットへと進化を遂げていた。


 いわゆる、人間ドライブレコーダーとなったクリッターが、一人一台、常時互いを監視できるカメラを所有していて、この時代の高校生……つまりわたしたちが従来通りの学校生活を行える訳もなく、互いに銃を突きつけ合っているかのように、授業中や休み、部活中でさえも、〝無害な人〟を演じられるよう、空気を熟読し合い、常にピリピリしていた。


 そんな歪な相互監視社会の中、伊澄とわたしは互いに〝相棒〟として、一緒に映画を撮る関係を、学校の生徒たちにはバレないように、活動を続けていた。


「あーっ! もうやってられるか!」


 伊澄はくたびれたソファ席に座るなり、わたしにそう嘆く。


 学校から数駅離れた、今時の女子高校生だったらまず入りそうになさそうな、昭和の残り香が強い純喫茶で、放課後にわたしたちは合流していた。


 この店だったら学校の誰にもバレず、なおかつこの店そのものにもカメラの類が無さそうだから、わたしたちにとって安心する場所そのものだった。


「伊澄、約束したでしょ……わたしたちには」


「学校や家族の愚痴は禁止……だろ! でも、聞けよ!アホなダチが休み時間中に生物の大多喜の後頭部を撮った映像を、わたしにずっっっっっと見せてくるんだぜ? こっちはメシを食っているっていうのに、ハゲ頭の映像見てて、食事が不味くなってきたんだよ……もうっ!」


「確かに、ハゲ頭を見ながら食事をするのって……っていうか、モザイクは?」


「モザイクを消すアプリみたいだな。どうせ、すぐ消されると思うけど」


「犯罪でしょ……それ。この前だって、どっかのバカな変態が、クリッターと違法アプリを使って、風呂場を盗撮して捕まっていたのに」


「32Kが当たり前なこのご時世に、1K以下の解像度の乳首で満足できるっていうのかよ?」


「その場合は、乳首の解像度じゃなくて、盗撮をしている行為そのものに、興奮しているの。だから、変態なのよ……乳首の話はともかく、持ってきたの?」


 モジモジと学生鞄を抱えながら、少し高くて小さい鼻を恥ずかしそうにポリポリかいている伊澄。そんな顔を「可愛いなー」と、わたしは緩んだ表情を隠しながら、伊澄から脚本を無理矢理奪い取る。


「おい! まだ心の準備が!」


「心の準備ってなによ? 何の為に、わざわざ、わたしの家から十キロ以上も離れたこのお店を集合場所にしたと思っているの」


「そ、それは……」


「それは、わたしたちが映画を撮っているのを誰にもバレずに、完成させたいからでしょ?」


 わたしは、多色ボールペンで伊澄の書いたシナリオにチェックを入れる。落ち着かない伊澄は、スマホではなく、喫茶店で流れているテレビをジーッと眺めている。


 テレビでは、クリッターを使った恋愛リアリティーショーものが放映されていた。モザイクを一部分だけ外された特殊なクリッターと、街中に設置されたドローンや監視カメラを合成させ、編集されたハイドキュメンタリー映像が流れていて、まるでのような若者の恋愛ドラマが、繰り広げられていた。


 伊澄はこういう、ロマンの欠片もない映像そのものが大嫌いであり、わたしも同様だった。


 ステレオタイプなイケメンが、人の往来が激しい駅の広場で、片思い(と演出された)の女性にありきたりな言葉を使って告白をしている。


 監視カメラと、クリッターの映像が交互に切り替わり、ぐるぐるとスピン・アラウンド・ショットのように編集され、この告白シーンが、世界の中心のような出来事のように演出されていた。


 スマホでリモコンアプリを使って、チャンネルを教育番組にへと、瞬時に切り替える伊澄。


「ありがと」と、わたしは小さな声で言った。


「ん」と、伊澄は静かにうなづく。



 わたしがどうして、伊澄と一緒に映画を撮ることになったのは、わたしも、恐らく伊澄でさえ、いまだに信じられない出来事だと思っているに違いない。


 というのも、高校三年生の春。最後のクラス替えの時、伊澄とわたしは初めて同じクラスメイトになったばかりの関係だからだ。


 伊澄は、クラスでのスクールカースト上位者である〝青春を謳歌するイケてる女子〟というレッテルを貼られている者であり、当のわたしは、カーストの底辺辺りにいる地味な〝ガリ勉いい子ちゃん〟のレッテルを無造作に貼られている者であった。


 そんな、正反対のレッテルを貼られた二人が、どうして〝相棒〟として付き合う事になったのかというと、それは映画の神様か何かの悪戯なんだろうと思っている。


 最終学年となり受験に追われる中、大の映画好きでもあるわたしは、学校や予備校帰りに決まって、シネコンに行く習慣があった。


 その日も、大好きな日本の怪獣映画のハリウッドリメイクが公開されていて、出来が良すぎたせいか、二回目のリピート鑑賞。


 比較的、後ろの方の席で鑑賞するのが好きなわたしは、さっきから予告編のときから、ちょうど前の席でスマホをチラチラさせながら煌々と照らしている女性が気になってしょうがない。


 本編が始まってもスマホを操作しているものならば、注意しようと思ったら、彼女がクリッターのアプリを起動してから、場内が暗くなるのをわたしは目撃した。


 映画泥棒……と、わたしは、大好きな怪獣映画を汚されたと思い、腸が煮え繰り返りそうな気持ちになったが、冷静に考えてみると、クリッターでの映画の盗撮は出来ない仕組みになっている事を思い出した。


 クリッターの空間認識ソフトは正確無比なもので、映画のスクリーンだけを把握し、高価なアプリでも復元が不可能なぐらいの、著作権保護を目的とした重層的モザイクで処理されるようになっている。


 それを知らないでやっているのであれば、とんだ間抜けな奴だなと映画が終わった際にその顔を拝もうと思ったわたしは、その〝間抜け〟の顔を見て仰天した。


 総元伊澄。


 同じクラスで、いつもやかましい女子グループにいる取り巻きの一人……そんな奴が、どうして怪獣映画を観ているのだろうかと、わたしは疑問に思ったが、どちらにせよ、映画泥棒をしていたのには変わりがないので、伊澄に対する軽蔑心がムクムクと膨れ上がっていた。


 それからほどなくして数日後、日本ではカルト的な人気があるスペースオペラ映画が公開されている時、わたしの目の前に、見覚えのあるショートボブの癖っ毛女がいたのに気が付いた。相変わらず伊澄はクリッターアプリを起動し、真っ黒なモザイクだらけの映画を盗撮していた。


 どうして、そんな意味のない事をしているのだろう。


 わたしは、映画の内容よりも、伊澄がやっている行動に対してばかり、気にするようになっていて、映画に集中出来なかった事を恨む。


 伊澄は、別の映画でも辺りをキョロキョロしながらクリッターを起動し、ネット通販で購入したのだろうか、小型の集音マイクを接続させ、映画のエンドロールまで席を立たずに盗撮を続けていた。


 コソコソしながら伊澄が劇場から出ていく瞬間、業を煮やしたわたしが、入口の辺りで彼女を呼び止める。


「総元伊澄さん、どうして盗撮なんてしてるの?」


 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした伊澄は、小さく深呼吸をしながら、呼び止められた時の為に用意したと思しき魔法の言葉を使う。


「べ、別に盗撮をしていたわけじゃねーし! 個人保護の為に、やむを得ずクリッターを使っていただけだよ!」


 伊澄は肩に乗っけたヤモリのケースを付けたクリッターをトントンと指で叩く。


〝個人保護〟……クリッターでよく使われているお題目の一つ。事実、クリッターを使った盗撮を扱ったもので個人保護という目的で、カメラを回し続ければ、別にそれは盗撮とは把握されないし、クリッター自体に出来ないようになっている。


 元々、迷惑防止条例によって、カメラの類による盗撮行為は禁止されている筈だが、クリッターの普及率と利便性が高すぎるが故に、法的な認可を受けたクリッターだけなら、特別に使用が認められるぐらいに、法律がに改正されていた。


 クリッターには一般的なカメラにはない、いくつかの機能が備わっており、それは空間や画像、人物をクリッターが搭載するソフトウェアが自動的に識別し、動画を証拠能力ギリギリの範囲で低解像度化、強固なモザイクを幾重にもリアルタイム処理する。


 刑事訴訟などで状況証拠として必要となった場合、法的機関の厳正な審査と認可を得て、モザイクを外す仕組みなっているのだ。


 しかも、ハイクオリティな盗撮をしたければ、普通のカメラを使えばいい話で、わざわざ映画館で、盗撮目的でクリッターを使うバカはいない。


 冷や汗をかきながら、わたしの目の前で、目を泳がせる伊澄を除いては……。


「はいはい……個人保護に自己防衛。でもさ、ガラガラの映画館で、デカいマイク使って、自己防衛っていうのも変な話じゃない?」


 わたしは、アレキサンドライトのケースに入れたクリッターと、スマホの画面を伊澄に見せつける。クリッターの録画映像からキャプチャーした、高感度でノイジー、モザイク越しだけど、それは明らかにマイクを用意している伊澄の姿だった。


 伊澄は、「てめえ、覚えていろ……」と、心の中で思っていそうに八重歯をむき出した顔をしながら、クルッと回れ右をする。


「逃げないでよね総元伊澄さん。同じクラスで顔も割れてるし、仮にわたしから逃げれたとしても、そこの従業員に、この映像を提出してもいいのよ? 言っておくけど、スクリーンの裏側にも、客席には見えないカメラが設置してあってね、わたしのクリッターと照合されたら、あなたは一巻の終わりだから」


 それを聞いた伊澄は再び、わたしの元へ回れ右をする。


「なにが、目的なんだよ? 中野……えっと」


「かずさよ……わたしはね、理由を知りたいだけなの。とりあえず、下のカフェのフルーツパンケーキをご馳走してよね」



「えっ、総元さん、映画を撮っているの?」


 好物だから気にしていなかったが、千キロカロリーはありそうな厚いパンケーキをペロリと完食するわたし。そのわたしにドン引きする伊澄は、ハッと何かを思い出したかのように、スマホでアプリを起動させる。


「わたしは、さっきの映画の音が欲しかっただけなんだよ。ICレコーダーだと音はイマイチだし、だからといって専門的な録音機器だと目立つし高いからな、映画泥棒で捕まるだろ」


「だからクリッターを使えば、仮に録音しているとしても、バレにくくなる。それを、映画の効果音に使えるから……って、別にそんな危ない事しなくてもフリーとか配信されてるもので充分でしょ」


「それがな……良いんだよ!映画館で録音した音って!」


 伊澄が興奮気味に、イヤホンをわたしに手渡す。彼女が使っていたというイヤホンに少し抵抗感を覚えながら、伊澄が盗んだ音を聴いてみる。


「えっ?」


 言葉に出来ない、聴いたことのない音たちが鼓膜にへと叩きつけられる。キラキラで、ドロドロで、シトシトとした音の洪水が、シャッフル再生され、わたしの感情を揺さぶった。それは、さっきまで観て聴いていた映画の音とは思えない。


「これって……」


「今は数百円で、音を加工するアプリが沢山出ていてな。さっき録音したもののノイズを除去して、簡単にエフェクトをかけるだけで、今のような音を簡単に作る事ができるんだよ。映画館の反響音も一役買っているのかも。わたしは、受験生の身だからお金も時間もない。だけど、いい映画は撮りたいと思っている」


 わたしは、メロンソーダを一気に飲み干す。


「でも、なんで今、わざわざ映画を……」


「誰にも話していないけどさ、中野さん……わたしは、将来映画を撮る仕事がしたい。誰にも話していないけどさ、学校もそっち関係に行きたいし、今もそこへ入学する為の勉強もしている。誰にも話していないけど、だからといって、今まで撮った映画がゼロっていうのも、つまらないだろ? 誰にも話していないけど……」


 伊澄が鬼気迫る表情で、「誰にも話していない」を連呼しながら、わたしの顔に近づいてくる。少しヴァーベナの甘い香りがして、ドキッとした。


「か、顔が近い……総元さん」


「中野さん、わたしはこの映画を撮って、夏の学生映画祭に提出しようと思っている。それで賞でも取れば、誰にも話していない奴らをギャフンと言わせる事が出来るし、推薦入試も楽できるかもしれない。一石二鳥だ。だからさ、中野さん……」


「だ、誰にも話さない?」


 半ば強引に、その言葉を言わされる。


「お願いだ! これはわたしにとって、最後の賭けみたいなものなんだ」


 伊澄は、テーブルに頭を叩きつけながら、わたしに土下座をする。


「ちなみにさ……総元さんが撮ろうとしている映画ってなに?」


「あっ? ……スプラッターだよ!正確には、低予算ならではのワンシチュエーション!血まみれ、切株、スプラッターなホラー映画!」


 ここで、学生がよく撮りがちな、自己探求とか恋愛映画を撮っているなんて言っていたら、速攻で映画館の従業員にチクってやろうと思っていたわたしは、沸き立つような喜びを隠しながら、スマホを操作する。


「総元さん」と、わたしに呼ばれ、ゆっくり顔を上げる伊澄。


「一つ、交換条件があるの」


「わたしも、その映画制作の手伝いをさせて欲しいの。だから、その……連絡先を交換してよ」


 恥ずかしそうな顔をして、スマホを見せるわたしに、伊澄は警戒の顔から笑顔にへと、信号機のように切り替わるのであった。



 こうして、わたしたちだけの映画撮影はクランクインとなった。クリッターのせいで、仮の自分を演じ続け(伊澄は知らないけど)、感情を溜め込んだ性格だけに、それから解放された時の行動力は、普段のわたしたちを知る者から見れば、信じられないと思えるほどだった。


 二十分の短い尺とはいえ、映画とは脚本、編集、カメラ、美術、音楽、衣装、小、大道具、メイクなどなど、あらゆる業種職種による、総合芸術なのである。それを二人だけでやるとなると、毎日が大忙しだった。


 放課後すぐに映画の準備をしながら、予備校で受験勉強をし、そのまま映画撮影の打ち合わせをして、休日で一気に撮影を繰り返していた。


 休む暇などは無かったが、伊澄とわたしにとって、ここまで夢中になりながら、同じモノを創り続け、共有した事などない。


 時に打ち合わせや本番での撮影で、意見の衝突や、喧嘩などをしているが、それも作品自体を良くしたいだけの衝突であり、互いの絆は深まる一方だった。


 映画を盗聴する時も一緒で、映画の音を盗んだりするスリルと、盗んだ音を加工して、聴いたこともない音を生み出した時の快感は、誰にも教える事の出来ない二人だけのモノであった。


 わたしの実家にある古い物置を使い、撮影用にしたセット内で、伊澄はわたしに、傷などの特殊メイクを施していた。


「メイクが上手なのね、伊澄」


「元々、こういう事がやりたくて、メイクの知識を学んでいたからな。よくツルんでいるダチも、コスメ関係で仲良くなったんだ」


「そういえば気になっていたけど、学校で映画を撮ろうとは思わなかったの?映研とかなかったけ?」


 伊澄は、メイクをする手を止める。


「あー……うちの学校はなー」


  遠い目をした伊澄に、何かを察したわたしは手元の脚本を再チェックをする。そもそも、互いを監視するカメラが普及しているこの世で、わたしたちのように、新しく映画を撮ろうと思っている若い人が、昔と比べてどれだけいるのだろうか。


 わたしたちが撮ろうとしているのは、ゼロ年代初頭に流行っていた低予算のシチュエーションホラーものだった。未知の宇宙放射線によって、死者が蘇る(ゾンビとは言いたくないらしい)異常現象に襲われ、とある密室に逃げ込んだ少女が、想像を絶する現象に遭遇するという、悪く言えば、ありがちなエンタメ系の劇映画だった。だけど、それがいいのだ。


「こういう密室劇って、音楽があれば展開が映えるんだけど……これこそ、フリーの音源を使うの?」


「……あ、音楽ならあるかも」


 傷のメイクを確認している伊澄が、ぽつりと言った。



 伊澄の実家は、築年数が四十年以上も経っていそうな、古い賃貸マンションの一階にあった。


「汚いけど、入れよ」


 玄関の扉に引っかかった捨てられていないビニール袋とダンボール、床へ無造作に置かれた何かの家電と積まれたチューハイ缶をまたぎながら、本当に部屋が汚いという事は、捨てる、捨てられないかどうかは別として、モノが異常に多い事なんだとわたしは思い知った。


「今はババア……いや、母親も出張でいないから遠慮するな」


 散らかった引き出しからUSBメモリを取り出し、パソコンにいくつかの音楽ファイルを放り込む伊澄。


「今は二人暮らしなの?」


「お陰様で中学の頃は、好き勝手にやってたんだ。作曲もその一つ」


「へえ……動画サイトとかにも上げてたりして」


「上げたけど、もう消したよ。あんまり、再生もされなかったからね。土に埋めたい中二病ってヤツ……はい」


 伊澄は、音楽ファイルが入ったUSBをわたしに渡すとき、彼女の視線が、引き出しからほっぽり出したままの、ある物に向いているのに気が付く。


 それは、幼い伊澄と両親が写った写真で、父親と思しき人物の顔の部分がビリビリに破けていた。


 伊澄は「アハハ」と、妙に乾いた笑いをしながら、引き出しにその写真をしまう。



 撮影は順調に進行していた。梅雨のせいで雨が多くなり、ロケ撮影をしているわたしたちは、シャッターが降りた八百屋の軒下で、雨が止むのを待っていた。


「ったく……今度は、互いに傘を持ってるか確認しないとな」


 大事なビデオカメラをタオルで拭きながら、ぶつぶつ文句を言っている伊澄。


「はいはい、伊澄監督。この雨のせいで、わたしのメイクも落ちちゃってますよー」


「またかよ? かずさ、あんたいい加減、自分でメイクできるようになりなよ」


「わたし、伊澄ほど上手くないからね」


「教えようか、メイク道具も貸すよ?かずさは、ベースの肌が白くて綺麗だしね……おかげで、メイクのしがいがあるんだ」


「……あ、ありがとう」


「いいってことよ。この憎い美肌を傷だらけにしてやるから!」


 伊澄は、メイク道具を取り出し、わたしを傷だらけにする。


 メイクをする間、奇妙な沈黙が流れる。わたしは、先週見た写真の事を聞こうと思っていたが、触れてはいけない事のような気がした。だから、以前貰った音楽がとても良く、劇中でも使える事を伊澄に伝えようと口を開いた瞬間だった。


「わたしね……コクられた」


 伊澄がメイクをしながら、突然言い放つ。


「誰から?」


「B組の久我原」


「久我原って、あのバスケ部の国吉?」


「そう、あのバスケ部の」


「わたしはタイプじゃないけど、イケメンでしょ……えっ返事は?」


 どうしてか分からないが、わたしは「返事は?」のところで、すごくドキドキしていて、雨音がだんだんと大きくなっているような気がした。


「断ったよ。かずさの言うとおり、ぜんぜん好みじゃないから」


「……そっか」


 わたしたちの間に、再び気まずい沈黙が流れた。


 どうして、気まずいのだろうかと、その答えを知っている筈なのに、それを言うことも出来ないままでいる。早くこの雨が止めばいいのにと、わたしは強く願っていたが伊澄は違った。


「ねえ、かずさ」


 ヴァーベナの香りが強くなった気がした。伊澄のほうへ振り返ると、彼女の瞳にわたしが映り込んでいた。雨の音が次第に弱くなり、低空を飛ぶ飛行機のエンジン音が徐々に聞こえてくる。

 

 わたしの唇を重ねた伊澄は、ジーッとわたしの瞳も覗いていた。わたしは、クリッターで録画したくないのか、右手でアレキサンドライトのカバーをギュッと握りしめる。この感覚、この時間、この瞬間こそが、わたしだけのものなんだから。


「伊澄……これって」


「駄目かな? かずさ」


 伊澄は少し震え、怯えた顔をしていた。普段は芯と我が強そうな印象を持っていた伊澄とは思えないほど、信じられないような表情だった。


 気付けば、わたしは伊澄をギュッと抱き締めていた。思い返せば、男性との恋愛にも疎いわたしにとって、共通の話題と認識を持つ中野かずさとの出会いは、今回の映画製作を通して、誰よりも失いたくない存在となっていた。


 伊澄のシャツにメイクのドーランが付着している事に気が付き、わたしは慌てて、彼女の胸元から顔を離す。


「ご、ごめん……伊澄」


「ううん……これくらい」


 雨が止み、わたしたちは何事も無かったように撮影を続ける。これ以上、二人の間の事で、詳しい説明など不要かもしれない。



 わたしたちにとって、大きな問題が起きた。


 学校で伊澄が久我原国吉を振った事が学校中に広まり、女子からの理不尽なヘイトを伊澄は集めるようになっていた。何でも伊澄が振った事ではなく、久我原が振られた事が、気に食わなかったらしい。久我原は、学校の中でも指折りのイケメンであり、成績優秀、元バスケ部……レッテルを貼られまくりなヒエラルキーの中でも上位に入る存在だった。最近、別の学校の彼女と別れたらしく、学校中の女子たちが我先にと盛りのついた猫のように、アプローチを試している中、久我原自身はよりにもよって伊澄を選びやがった。


 何でも春の球技大会で、一緒に手伝った時から好意を寄せていたらしい。少しでも女子から優しくされると、自分に好意を持っていると勘違いするのは、世界中の多くの男が持つ病みたいなものだろうか。性別問わず、スキンシップが多い伊澄に触れられた時間を、久我原はミシシッピテストのように計っていたのかもしれない。1ミシシッピ、2ミシシッピ、3ミシシッピ……。


「はっ? キモイんだよ」


 本当に久我原のコクり方がキモイのかは知らないけど、正直な伊澄の事だから、恐らく彼女の返事は正しいのだろう。


 元々、表面上の薄っぺらい友達付き合いをしていた伊澄を庇ってくれる友人がいる訳もなく、一緒に隠れて映画を撮っている事をわたしに相談する事なども出来るわけがなかった。伊澄は一方的にイジメによる、制裁を受ける立場へと状況が悪化していく事となる。


 イジメ。互いを監視するクリッターの普及によって、最も淘汰されたものの一つでもあったが、結局のところ、小さなカメラとスマホ一つだけで、紀元前から行われている行為が無くなる訳でもなく、イジメが別の形となって変化しただけだった。


 その別の形というのが、<サイドキック>と呼ばれている。元は、欧米でのスクールヒエラルキー用語からの引用であり、日本では学校でイジメをする対象を学校から追い出すための助手サイドキックという意味で使われていた。

 

 その方法は至ってシンプルなやり方で、ひたすらイジメをする対象をクリッターなどで撮影し、匿名性の高く、大元の履歴も三分後に削除されるP2P方式のアプリを使って、写真を集団で共有化させるのだ。


 イジメを受ける本人が、その写真をブロックしていても、匿名の集団……どこかの誰かが伊澄の、登校、授業、昼休み、トイレ、着替え、体育、下校時などなどに、常に誰かが四六時中、監視し、その様子の写真をバラまくのである。


 誰でもリアルタイムで録画が出来るカメラを持つこのご時世に、誰もが誰かに監視されているということを、なるべく不可視化させているシステムが普及しているのにも関わらず、それをわざわざ、写真画像として露見しているのである。晒された本人には、たまったものではないだろう。


 伊澄に対して、理不尽なサイドキックが行われて、一週間後。ある写真が、学校中のスマホに放り投げられた。


〝総元伊澄と中野かずさはビアン〟という簡易的なメッセージと共に、クリッターの違法モザイク処理アプリで、加工された荒い画像のわたしたちが、無造作にバラまかれた。


 その写真を見た伊澄とわたしは、一瞬だけお互いの顔を見合わせながら、何かを諦めたような顔をして、そのまま駆け出すように教室から出て行く。


 それから、伊澄とわたしが登校する事は無かった。つまり、わたしたちが映画撮影を続ける事も、実質困難なものとなっていたのだ。


 学校側も、クリッターによるイジメはイジメではなく、生徒の〝個人保護〟と〝自己防衛〟によるのものの一点張りで、この事態を対処しようともしない。


 伊澄からひっきりなしに連絡がやって来るが、すべてどうでも良くなったわたしは、それを無視していた。


 無数の人の瞳とカメラの瞳……わたしもサイドキックを受けて初めて知ったけど、家の外に出たとき、他の玄関先や電柱の上、電車の中や行き交う人々が持つ、クリッターやカメラのレンズの瞳が恐くてしょうがなかった。四六時中、わたしの一日が写真や動画で、記録されているのかと思えば思うほど、不気味で気持ち悪かった。


 鏡に向かって「お前は誰だ」と言い続けると、いつか自分が誰なのか分からなくなる都市伝説のように、クリッターによって「お前は誰だ」と言われながら、目の前で、リポーターにカメラを回されている気分。


 パシャッと、誰かが電車の中でスマホの画面をスクショしたのだろうか、その音がわたしにとっての引き金には十分だった。次の瞬間、目の前が真っ白になって、そのまま自分のゲロに顔を埋めていた。

 


 期末試験の時期に差し掛かり、別室で試験勉強を受けに行こうと、遅い時間に学校へ向かおうとしたわたしの目の前に、いつもの可憐なメイクが台無しになるくらいに、涙でボロボロになったギャルが待っていた。


「伊澄……」


「バァカ! どうして連絡してくれないんだよ!」


「……ごめん」


 わたしは伊澄へ必死に謝ったが、伊澄の怒りは収まる事はなかった。


 結局、わたしたちは学校をサボり、伊澄の大好きな生チーズケーキを奢ることによって、ようやく事態の収拾がつくようになった。


「そういえば……わたしらが初めて出会ったときも、かずさにパンケーキを奢っていた時だよな」


「今は、わたしがご馳走しているけどね」


 わたしたちが持つクリッターのLEDが点滅している。顔認識によるオートフォーカスサインだろう。


「わたしらは、ただ映画を撮りたかっただけなのによ……かずさ」


「なに?」


「学校もサボったし、ちょっと旅行にでも行かないか?」

 

 わたしたちはファストファッション店で、制服から私服にへと着替え、最寄り駅から電車に乗り、延々と始発駅から終着駅へと乗り継いで行く。車窓の景色が、都会から田園と山の風景にへと、刻々と変化する。


「まだ聞いていなかったけどさ、かずさはどうしてわたしと映画を撮ってくれるの?」


 未完成のままである映画の脚本を読みながら、伊澄は尋ねた。


「んー……何でだろう。映画が好きだから? いや、違うな」


 わたしは眉間にシワを寄せながら、よく考えてみる。


「きっと誰かに見て欲しいものだからかもしれない」


「なにそれ?」


「動画配信サイトで、エレキベースが上手な大人の女性がいたの。オリジナルの楽曲を毎週欠かさず演奏してアップしていて、わたしはすごく好きだったんだ。その人が作った曲や歌声が」


「うん」


「でもね全然、再生回数が伸びなかったの。多分、わたしだけしか見てなかった事もあったよ。だから〝こんないい曲なのにもったいない〟って、コメントしたんだ。そしたら、その女性がね〝それでも誰かがきっと聴いてくれる〟って言ったんだ。かっこいいでしょ? だからさ、わたしもそんな風に映画を伊澄と撮りたいなって思ったんだよ。誰かがきっと見てくれる映画を……そんで、伊澄は?」


「えっ……わたし?」


「わたしが答えたんだから、伊澄も答えてよ。なんで映画を撮るの?」


 伊澄は、ジッとわたしの瞳を見つめる。


「それは秘密だよ」


「はあ?何それ」



 電車はどんどん南下し、とある半島の先端にある寂れた漁村がある駅に辿り着く。


 コンビニもカフェも無い閑散とした駅前に、ここの観光名所と思しき灯台がある崖の看板に導かれるまま、わたしたちはそこへ目指す事にした。


 その崖は、イギリスのドーバーの白い崖を彷彿させた。白いスジの火山灰層を間に挟んだ、三百万年前から現在にかけての四つの地層を持つ、ティラミスケーキのような美しい崖だった。そうだと、観光案内の看板には書いてある。


「たった二時間ぐらいでこんな、この世の果てみたいな場所に来れるもんだな!」


 伊澄は夢中になりながら、灯台の麓でカメラを回し続ける。


「日本の国土のほとんどが山か海か森なのよ。それだけこんな場所が多い……」


 わたしが、伊澄の方を振り返ると、さっきまで夢中にファインダーを覗いていた伊澄の顔が目の前に現れ、わたしの両手を強く握りながらキスをした。


「もう! いつも伊澄って、強引だよね!」


「ハハッ! ゴメンゴメン! それに、ココだったら、クリッターの目もないし……ふ、二人っきりだから」


 伊澄は少しだけ顔を赤くして、突然のキスにポカーンとしたわたしの両手を更に強く握る。なぜか、伊澄の手がガタガタと震えていた。


「いたいよ、伊澄」


「あっ……ゴメン!」


「でも、ありがとう」


 伊澄は、滅多にしない事をやった照れ隠しからか、「ち、ちょっとトイレに行ってくる」と、慌てながらその場から離れる。


 伊澄が戻ってくる間、わたしは崖下をブラブラと、ハンディカメラで撮影をしていた。


 ドスン 


 なにか重いものが落ちたような音がした。その音のする方角へ向かってみると、見覚えのあるヤモリのクリッターのレンズが、わたしを覗き込んでいた。


 

 わたしの瞳を覗き込んでいた。



 それから、三十分以上もトイレから伊澄は帰ってこなかった。わたしは焦っていた。脳裏に最悪なイメージが浮かんでばかりいたからだ。


「いや……いやいや! それはないでしょ伊澄!」


 必死に辺りを捜索してみると、伊澄が、灯台から少し離れた崖っ縁に立ち、眼下の海を眺めていた。


「そこは高い?」


 わたしはおそるおそる、伊澄の元へ近づく。


「すごく高いよ……ここでわたしが飛び降りて、クリッターのセルフスナッフにして、わたしをサイドキックしたやつらに送りつけたいって考えた」


 クリッターの普及に伴う犯罪率の減少は、自殺件数と反比例し、セルフスナッフと呼ばれる自分自身を録画しながら自殺するのが、よくネットやテレビのニュースを騒がせている。わたしは、そんなつまらない死に方はゴメンだ。


「笑えないよ、伊澄!」


「笑えるよ! でも、わたしは幸福なんだ!こうして、かずさと出会って、映画を撮って、キスをしてさ……わたしは、この幸福を抱いたまま死にたいんだよ!」


「駄目っ!」と、わたしは伊澄をギュッと後ろから抱き締める。妙に冷たく、いつものヴァーベナの香りがしない気がした。


「……かずさはワガママだな。それでも、わたしが飛び降りるのを止めないなら、どうするよ?」


「わたしが、下であなたを受け止めてやる」


 マジでバカみたいな事を言うわたしを笑う伊澄。


「笑わないでよ! こっちは大真面目なんだから!」


「フフフッ! ごめん……本当にかずさはワガママで可愛いな。食べたいくらいに」


 伊澄は、わたしの髪を撫でながら、そう小さくささやいた。



 伊澄のクリッターが泣いているわたしを覗いているが、電源が入っていない気がした。



 ポツポツと雨が降り始め、あっという間に土砂降りとなる。相変わらず傘を忘れ、ずぶ濡れになったわたしたちは、仕方なく駅前のビジネスホテルで一泊する事となった。


「風邪ひくから、とっとと風呂に入りなよ」


 伊澄が服を脱ぐと、彼女の背中に無数の生々しい傷跡が露わになり、わたしはギョッとした。


「伊澄、これって……」


「小学校の頃、クソ親父から痕だよ。それが、児童保護プログラムによって表沙汰になったんだ。誰かのクリッターによって録画された映像と共にね。親父が児童虐待で捕まった後、クソババアは養育費だけは出すけど、わたしに口を開く事は一切無くなったんだよ。変な話だよな……わたしが一体、何をしたんだよ」


 わたしは何も言えなくなった。ただ、伊澄の背中の傷跡が、映画のメイクでわたしに付けた傷と似ている気がした。


「かずさ……これが、わたしが映画を撮る理由だよ。はじめて、かずさと出会ったとき、やっと、わたしの趣味に共感してくれる人に出会って、わたしは確信したんだ」


 伊澄は、わたしをベッドに押し倒す。


「なにを確信したの?」


「かずさはわたしを救済してくれるって」


「重いよ」


「うん、知ってる。それでもわたしを優しく受け止めてくれるのは、かずさしかいないんだ」


「そうじゃなくてさ、本当に重いから、どいてくれない?」


 わたしは、伊澄から奪ったカメラを回していた。


「騙したな」


 顔を赤くした伊澄は、枕でわたしを叩く。


「ごめんごめん……でも、わたしも嬉しいのよ。一緒に、大好きな映画を一緒に撮れるのが、伊澄で……これも救済ってヤツなのかも」


 わたしたちはキスをしようと、互いの顔を近付ける。しかし、わたしは鼻をスンスンと伊澄を嗅ぐ。


「でも、その前にシャワーを浴びようよ。ゲロ拭いた雑巾みたいな臭いしてるよ、わたしたち」


 

 互いに馬鹿笑いをするが、妙にホテルの外をパトカーや救急車のサイレン音がけたたましく鳴りながら往来している。



 その日の深夜、わたしたちはベッドで横になりながら、テレビで放送されていた古い映画を観ていた。親友同士の女性二人が、不運の連続の果てに人を殺め、警察に追われながら、最後には、一緒に手を握りながら車ごと崖から飛び降りるシーンで有名な映画だ。もし、伊澄と心中するなら、こういう死に方がいいなと思った。


「伊澄は、この二人が生き残ってるっていうの? このオチで?」


「せっかく、この二人が本当の自分になれたのに、死ぬなんてあんまりだよ。だから、わたしの中ではこの二人は死んでいない」


「伊澄らしいわね……未来に希望があるって気分」


「そう、わたしらにも希望はある」


 映画の中で、フォード・サンダーバードが宙を舞う。


 今晩、わたしたちは同じ夢を見ていたかもしれない。どこかの森林限界を超えたスカイラインをドライブしている大人になった伊澄とわたしの夢だ。


 互いに見つめ合い、映画のように手を握る。クリッターとは無縁そうな雄大な大自然の景色を眺めながら、わたしはある事を思いつく。目が覚めたら同じことを、伊澄に言うかもしれない。


「伊澄、わたしにいい考えがあるの。最後にさ、みんなにギャフンと呼ばせる映画を撮ってみない?」



 ドヤ顔の伊澄の顔は、何故か傷だらけで、薄い頬肉がタマネギみたいにめくれ上がっていて、そのイケてる特殊メイクをわたしにも試して欲しいと言いかけたら、この夢が終わってしまった。




 受験シーズンを迎え、映像系の学校を目指す伊澄と一般大学を目指すわたしは、映画撮影どころでは無くなった。


 学校へは別室登校するようになり、クリッターの監視から逃れ、煩わしい人間関係を絶ちながら、受験勉強に専念できる。ある意味、わたしたちがサイドキックをされたのは、ある意味、良かったことなのかもしれない。 


 クリスマスのイルミネーションが煌めく、都心郊外にある公園で、伊澄とわたしは、高校最後のクリスマスを満喫していた。


 同じ撤を踏まないよう、帽子、ウィッグ、マスク、サングラスで変装しながら。わたしは、学校から盗んだある映像を一緒にタブレットで観ていた。


「これで映像は全部?」


「全部よ。それにしても、校内のカメラデータを保管をしているのが、わたしたちが別室登校している教室の隣とはね。立派なサーバーか何かだと思ったら、サポートの切れた旧OSパソコンに外付けHDDを直差しとはね」


「セキュリティがガバガバだし、誰もこんなバカな真似をしようとは思わないからなー」


「伊澄が、映画を盗聴したように?」


「いいのか、かずさ? 仮にもこれは犯罪になるかもしれないんだよ。威力業務妨害ってやつで捕まるかもしれないし、下手をしたら、せっかく合格した大学へも取り消しになってしまうのに……」


 わたしは、自分のおでこを弱気になっている伊澄のおでこにぶつける。


「はあっ? 何を今更……わたしと映画を盗聴したのを忘れたの?ここまできたら共犯なのよ、わたしたちは!」


「後戻りは出来ない……かずさ」


 わたしはハンディカメラの録画ボタンを押す。


「……覚悟の上よ伊澄。一緒に崖から飛び降りましょ」


「わたしたちの映画をレイプして、わたしたちをサイドキックした連中に、ギャフンと言わせてやる!」


 わたしたちはイルミネーションが瞬く、ありきたりな景色の中でキスをした。数ヵ月後の卒業式、この時の映像が、講堂のスクリーンに大画面で映し出されていた。


 

 だけど、おかしいなぁ……その画面には、映っていなかった。編集のとき、失敗したのだろうか。




「わたしは、嫌いだよ! クソッタレだ! この三年間! 学校なんて! 友達なんて! クリッターなんて!」


 伊澄は舞台上で叫ぶ。不思議な事に、客席の反応が薄い。


「でも……でも、わたしは、わたしはっ! 同じクラスの中野かずささん……かずさをっ!」


 卒業式当日、総元伊澄は舞台上で叫んだ。卒業生、在校生、教職員、伊澄やわたしの保護者たち、計二百三十六人の観衆と、それを録画している無数のクリッターの目の前で、ありきたりなあの言葉を叫んだ。


 ありきたりな、あの一言を。


 恋愛リアリティーショーだったら、安っぽいJポップが流れそうだ。伊澄のバックには巨大な伊澄とかずさが、様々なキスのシーンのモンタージュが流れる。生徒の誰かが「ヒュー!」と、茶化したが、伊澄はニヤリと笑う。


「……!」


 8ミリのデッドメディアで撮影した粒子の粗い映像の伊澄が、わたしの首元に喰らいついた。食紅とインスタントコーヒーとチョコレートによって作られたドロドロの血しぶきが、スクリーンを真っ赤に染める。


 怒号と、悲鳴と、どよめきと、笑いが巻き起こる体育館内。伊澄による精巧かつパラノイア的特殊メイクによって作られた傷口をハムの塊肉から作った肉片を引きちぎり、伊澄は貪り喰う。食べられているわたしは、幸福感に浸ったような表情をしていた。


 わたしは、目の前で起きている事が未だに信じられなかった。思った以上の大混乱だからだ。


 わたしたちが生み出した映画を躍起になって止めようとする教職員。ざわめく生徒と保護者たち。踊るように「この光景が見たかった」と言わんばかりに、恍惚に満ちた顔で小躍りをする伊澄。そんな彼女を見て、わたしも笑いが止まらなかった。


「ザマァみろ!」と笑い続ける。


 これは復讐だ。クリッターを使って、伊澄とわたしの映画をサイドキックによってレイプした報復だ。わたしたちは映画を武器に城美や、イジメに加担した生徒、それを無視した学校に対して復讐していた。


 伊澄に食べられるわたしの映像の間に、わたしたちが盗んだ、学校の監視カメラの映像が数秒間だけインサートされる。


 その映像は、伊澄をサイドキックした瞬間、吊るし上げ、誹謗中傷し、疎外し、隔絶し、無視した連中が伊澄に対して行ったを、サンプリングし、一緒に映画館から盗んだ鮮明な効果音と一緒に観客の脳裏とクリッターに刻み込む。


 まるで、伊澄に食べられるわたしが、この行為によって一方的に搾取されるメタファーのようにだ。


 舞台の脇から、教職員が伊澄を捕まえようとする。「駄目!」と、わたしは伊澄が立つ舞台へ向かおうとすると、どうだろう……伊澄の身体を、教職員が舞台の反対側へと走り抜けて行った。


「えっ……?」


 伊澄の背後のスクリーンから、鮮明な伊澄の死体の写真がまろび出てくる。こんなの撮った覚えがない。


「いや、撮ったよ。これはかずさ……あんたが撮ったんだ」


 首と四肢があらぬ方向に折れ曲がり、骨が傷だらけの背の肉と衣服を突き破って羽のように露出した血まみれの伊澄の亡骸が、講堂の大スクリーンに投影されていた。特殊メイクでもない、本物の伊澄の……どうしたんだろう、スクリーン越しに立っている伊澄が、少しだけ透けているような気がしたのだ。


「元から、わたしはあそこの崖で死ぬのが目的だったんだ。その結果、わたしは死んで、かずさがわたしの意思を受け継いだんだ」


 伊澄が死んでいる? そんな馬鹿な話が……。


「伊澄、何を言ってるの?」


「かずさは、許せなかったんだよな。一緒に作ってきた映画を、わたしたちの恋路を、わたしの命を奪ったこのクリッターが……だから、すべてをぶっ壊したかったんだろ? おい、ふり返ってみろよ」


 講堂の客席の方に振り向くと、わたしは唖然とした。


 殴る、蹴る、掴み、床や壁に叩きつけ、首を絞め、歯を使って、耳や鼻を噛み千切り、自らの頭を武器に、他人の歯や顎を折っているのは当たり前だった。


 卒業生たちが、手に持っている卒業証書が入った筒を使って、隣にいる人間を片っ端から叩きまくっていた。ふざけたり、喧嘩で叩いているという訳じゃなくて、本気で頭蓋骨を割ろうと馬乗りになって叩き潰していた。


 筒だけじゃ殺せないからと、卒業証書の紙をカッター代わりにして、頚動脈を切ったり、教職員や保護者は自分の座っているパイプ椅子を振り回しながら、近くにいる人間を片っ端に頭蓋骨を叩き潰そうとし、ネクタイで首を絞めたり、メガネのツルで眼球を突き刺し、司会者の生徒は自分の持つマイクを使って校長の首元をひたすら、マイクが埋もれるくらいに、喉仏あたりを潰していた。


 伊澄とわたし以外の人間が、正気を失い、発狂したかのように、がむしゃらに他者を殺す事に夢中になっていた。不思議なのが、全員無言で、ながらスマホをするように、スクリーンに投影される映画から目を離さずに、残虐行為に勤しむ。まるで、わたしたちの映画が操っているかのように。


「かずさは以前、サイドキックを受けたときにさ、鏡に向かって〝お前は誰だ〟と、言い続けて自分が誰なのか分からなくなるって言っていたよな。だからさ、わたしは同じことをにやってやったんだ」

「みんな?」


「学校から盗んだ監視カメラ映像を、ここにいる奴ら全員に再分配してやったんだよ」


「そんな事が出来る訳……」


「出来るさ。ほとんどやったのは、かずさ、あんた自身だから」


 スマホで履歴確認してみると、わたしは無意識で無差別にこの講堂内にいる全員に、サイドキックのように、監視カメラの映像をバラまいたのだ……けれど。


「けれど! 映画を、それを見ただけでなんでこんな事をするのよ!」


「知ってるか? いや、かずさなら知っているはずだ。ミラーニューロンがもたらす、フォリアドゥ二人狂いと呼ばれる感応精神病をさ。この状況はそれにも似ているんだ。クリッターとSNSによる相互監視による耐え難いストレス、それに伴う過度な刺激と情報の洪水は、統合失調にも似た症状に陥りやすい。こいつらは無自覚に溺れているんだ。かずさがサイドキックによって監視されていると、改めて可視化させる事によって、自分が自分だと感じられなくなっただろ? 鏡に向かって〝お前は誰だ〟と言っているように」


 伊澄は何を言っているのだろう。


「カメラワークか、盗んで加工した音や映像のお陰か、わたしの特殊メイクか音楽か、かずさの演技による偶然か分からないけど、最初はわたしたちの映画を公開する事によって、この場にいる全員を気持ち悪くさせて、ゲロまみれにさせてやろうかと思っていたんだけどよ、まさかこんなにとはな……マジでウケるわ。わたしやかずさが見ている世界を、同じようにコイツらへ伝染させたんだ。呪いのように」


 わたしが知っている伊澄ではなかった。彼女の言っている意味がわたしには理解できない。


「理解してない? わたしがあなたを作ったように、あなたもわたしを作ったんだよ。あの崖で死んだわたしの意志を継いでさ。自分で言っていただろ? これが、かずさが望んでいた、誰かがきっと見てくれる映画なんだよ」


「違う……こんなの、誰かがきっと」


「かずさが言う、誰か……って結局、誰なの? 人気が出てチヤホヤされて、安っぽい承認欲求を貰うだけ? 違うだろ! かずさはそんな、つまらない人間じゃない! かずさは誰のために見て欲しい映画を撮ってるんだよ!」


 暴徒と化した誰かが、わたしの後頭部にパイプ椅子を叩き付けた。その場に倒れた拍子に映画のスクリーンを観てみると、その画面の中には伊澄の姿はどこにもいなかった。わたしが伊澄に食べられていると思いながら、一人で透明人間に食べられているかのように、勝手に血で染まっていた。


「わたしは」


 ありきたりな言葉をブツブツ言って、暴徒……久我原国吉が、わたしたちの映画を観ながら、パイプ椅子をわたしに振り下ろす。制服のポケットに先の尖った硬いものがあったので、わたしはとっさにソレを、久我原の喉元に突き刺す。伊澄のヤモリのクリッターをだ。


「わたしはっ! 誰かのためじゃなくて、伊澄だけのために見て欲しいのよ!」


 プラスチック製のヤモリの長い尻尾で喉を貫かれた久我原は、相変わらず、わたしたちの映画を観ながら、ブツブツとありきたりな言葉を繰り返す。なんで、伊澄のクリッターをわたしが持っているのだろう。


 そっか、あの崖下で、スマホと一緒に伊澄から……その亡骸から……ああ。


「ああ……やっと理解した」


 久我原に刺さったヤモリのクリッターを引っこ抜く、チョコレートソースじゃない、本物の鮮血がシャワーのように降り注ぐ。血に染まったヤモリのクリッターの瞳に映ったわたしが、わたしを覗いていた。


「〝暗い日曜日〟という曲に影響されて自殺をしてしまう、ハンガリーの都市伝説を思い出すよな。わたしの特殊メイク、音楽、わたしたちが産み出した映像……すべてが無駄じゃなく、繋がっているんだよ。わたしたちはギャフンと呼ばせるどころか、とんでもない映画を偶然産み出してしまったんだ。わたしたちだけの暗い日曜日を。クリッター同様、人間の意識を変えてしまう、とんでもないものを……これは映画の神様の天罰であり、贈り物なんだ」


「伊澄……わたしって狂ってしまったの? あなたは、狂ったわたしが産み出した幻なの?」


「狂っているのは、クリッターを生んだこの世だよ。わたしは、歪んだこの世から産み落とされた悪霊だ」


 伊澄が舞台から飛び降りる。約束通り、わたしは伊澄を受け止める。重さがないはずなのに、受け止めたような気がした。少しだけヴァーベナの、彼女の匂いがした気がする。


 それだけで、十分だった。


「これからどうしようか、かずさ?」


「とりあえず、まだまだ足りない。この動画をネットにアップしたら、新作を今すぐ撮らなきゃ。休んでられないわよ、伊澄」


「そうこなくちゃ、かずさ……この国だけじゃなくて、世界中をこの講堂のようにしてやろうぜ」


 わたしたちは、ありきたりな言葉を互いに叫び合い、講堂内を駆け抜ける。バレエのように数多の骸をまたぎ、スケートのように血の海を滑るように疾走する。わたしたちを止める者は誰もいない。クリッターの瞳でさえも、わたしたちを捉え、ピントを合わせることでさえ不可能だろう。


 あなたとわたしは、ボケていく、ボケていく。


 あなたとわたしは、実像のない世界へと駆け抜ける。


 あなたとわたしは、どこまでも、どこまでもへと……。

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And You And I 高橋末期 @takamaki-f4

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