Case 4 兄と弟 龍之介②
倉部が受話器を置くころ、事務所のメンバーはそれぞれ自身の席に座り、通常の業務をこなしていた。
いわゆる事務所当初の並行世界とは関係のない、行方不明者の家族のための活動は、現在も続けられている。
忽然と姿を消した、大切な人の現在を知ることが出来ない心の穴を埋めることは、年月が経っても難しいことを龍之介はよく知っていた。
居なくなってしまった人を探すには、どこから手をつけたら良いのか、分からない人。
居なくなってしまった人を待つ不安で、心が折れてしまった人。
残酷な現実を知り、それを受け入れて、前に進む人。
残酷な現実を知っても、それが受け入れられない人。
色々な人がいる。
様々な人のために、黙々と事務仕事に取り組む静かな時が、どこまでも流れる。
しばらくの後に、ユキが席を立った姿を目に留めた龍之介は、決心したあることをお願いするために、声を掛けた。
本当は、ずっと前から考えていたこと。
その願いは、もちろん……。
「あの……」
「?」
龍之介の脇を通り過ぎようとしていたユキは、足を止めて振り返った。
「こんなこと言っていいのか、分からないんですけど……。お願いが……お願いが、あるんです」
椅子から立ち上がり、迷子の子供のように言葉を躊躇う心細い様子が、青年と少年のあわいにある龍之介を、すっかり少年に戻してしまっている。
「龍之介くん? 何かしら」
身体ごと向き直ったユキは、やや俯き顔で言葉を探している龍之介が何を言いたいのか、何を言おうとしているのかに気づく。
そして、ふっと目が優しくなった自分に、ユキは思わず唇に微かな笑みを浮かべた。
「……良いわ」
「え?」
戸惑い顔の龍之介が、ユキを見る。
「……入り口。探して欲しいのよね?」
そう言ってくれるのを、願っていたはずなのに……。
いざユキの口から、その言葉を聞いた時の龍之介は、えも言われぬ罪悪感でいっぱいだった。
多分ユキは断らないだろうと、分かっていたにもかかわらず、龍之介が言葉にする前に言わせてしまった甘え、ということなのだろうか。いや。それだけではない。そのうえ自分が『兄を探したい』と口にすることを躊躇ったせいで、ユキを良いように使う酒井と同じになってしまったような気がしたのだ。
……そう。
兄に対する真摯な気持ちを、きっぱりと言葉に出来なかった自分に、龍之介は情け無く思った。
一度完全に俯いてしまっていた顔を、しっかりと上げて、ユキを正面から見る。
全身に余計な力がこもっていた。両手を固く握りしめ、ひゅっと小さく息を吸って吐き出すと同時に、気持ちの全て言葉にする。
「すみません。ユキさんに、言わせてしまいました。ぼくが、ぼくがちゃんと言葉にして、きちんと言うべきでした……ごめんなさい。
あのっ。ぼくは、兄を探したい……んです。それが正しいことなのか、間違ったことなのかは、分かりません。それ以前に、見つかるのかどうかも分からないし、どれだけの時間がかかるのかも……。もっと言えば、見つけたらどうするかなんて考えてもいないし。
ただ兄の姿を一目、見てみたい。
生きているのか、知りたい。
それだけのちっぽけな理由でも構いませんか? ……なので、もし良ければユキさんにお願いがあります。いつでも構いません……ユキさんの都合の良い時で、構いません。
ぼくの家の近くの『入り口』を、探してくれませんか? お願いします」
部屋は、静かだった。
静寂を破るのは、突然鳴り出したパソコンから聞こえるファンの音。
その音に我に返った龍之介が、知らずのうちに、下げていた頭を起こす。
いつからそうしていたのだろう?
倉部も鬼海も自分の席から立ち上がり、ユキと龍之介の二人を見ていた。
「……龍之介くんさ。あーもうっ。なんだかなぁ……」
鬼海が自身の頭を、がしがしと両手で掻き回す。
「鬼海さん……すみません」
「もうさ、謝らなくて良いんだよ! いつから子どもじゃなくなるのかなんて、知らないし分からないけど。出来ないことを大人に頼るのは、おかしなことじゃないんだよ?」
鬼海がデスクを回って、龍之介の傍に立つと真面目ぶった顔をして言った。
「一緒に探すよ。並行世界においては、単独行動は危険だからね。うん」
「理由はそれ以外にも、ありそうだけどな」
にやっと笑いながら倉部が言った言葉に、鬼海があたふたと身体中で反応する。
「なっ、何を意味深な……チーフ?!」
「まあ、龍之介。鬼海も、たまには良いことを言うんだ。……つまり、遠慮なく俺たちを頼って良いんだぞ。で、もちろん俺も一緒に探すよ。鬼海だけじゃ頼りないからな」
「倉部さんが一緒だと、心強いですよね」
「うっ……。そんな……ユキさんまで……ッ?」
両手で自分を抱きしめて悲嘆に暮れている鬼海を見て、龍之介は思わず笑ってしまう。
「おっと。見事な様式美だな、鬼海?」
「チーフ……。自分は、この立ち位置でいつまで我慢すれば良いんでしょう」
「さあな」
とりあえず今日の仕事分を終えてしまおう。後はそれからだと、倉部が再び席に腰を下ろした。
席を立ってどこかへ行く途中だったユキも、龍之介に笑顔を見せると背中を向けて部屋を出て行く。
鬼海は龍之介の頭を軽く小突いて、自分の席へ戻っていった。
龍之介は、黙ってまた頭を下げた。
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