Case 4 兄と弟 朔太郎②
アルバイト先のレジカウンターの後ろで朔太郎は、お釣りを数えてトレーに載せそれをまたカウンターに置いた後、手早く本のラッピングを始めた。
プレゼント用でお願いしますと頼まれた単行本二冊を、ぎこちない手つきで包装紙に包み、あらかじめ選んでもらってある水色のリボンのシールを貼る。
少し包装紙に皺が寄ってしまったが、どうだろう。これでもだいぶ上手くなった。店では本を包装紙で包む機会が何度もないこともあり、苦手なのは否めない。
「こちらでよろしいでしょうか?」
緊張しながら朔太郎が品物を見せると、白髪混じりの恰幅の良い紳士は優しく頷いてくれた。
思わずほっと息を吐く。
厳しい方だと、合格を貰えずやり直しになるか、品物は受け取るものの罵声を浴びせられることもある。そもそも朔太郎の包み方が悪いのがいけないのだが、こういう時に限って、普段は滅多にいない列に並ぶ人を見ると、手元が焦ってしまうのだ。
言い訳に過ぎないと自分でも良くわかっているから、誰にも言ったことはない。
練習すれば良いだけなのだから、当たり前である。
ありがとうございましたと、朔太郎は頭を下げて顔を上げた。
大型の書店であれば、会計と包装は別になっているが、朔太郎のアルバイト先のこの書店は、こじんまりした個人の経営する書店ともあって現在レジカウンターの内側にいるのは朔太郎ひとりだ。
もうひとり書員がいるものの、それはこの店の店主で、今は本棚の整理をしている。
この店でアルバイトをすることになった理由も、この店主にある。
「朔ちゃん、ちょっとアレ届く?」
低い背を高くしようと台の上で背伸びをしながら、朔太郎に声を掛けた店主は同じ大学に通う、一学年上の先輩であった。
背の高さを無駄なく発揮できる職場に、興味はないかね? と、よく分からない誘い文句で声を掛けて来たのである。
どうやら満遍なく背の高い人を見かけては、誰構わず声を掛けているらしいが、その職場とやらがどんなものかも皆目検討がつかない上、誘い方の微妙さからも目を合わさずに通り過ぎる人ばかり。
全くの初対面で、当時新入生だった朔太郎は、上京して友達もまだ出来ておらず、強引な勧誘に負けてこのアルバイトを始めること早くも今年で三年目。
「届きますよ」
朔太郎が大股で近づいて、一番上の本棚から頼まれた一冊を抜き出す。
「助かる。ありがとう」
「どういたしまして。頼まれたやつですか?」
この本屋は、五階建マンションの一階に店舗として店を構えている。とはいえ、もともと昔から本屋だった古い家屋を十年ほど前に建て替えて、上の階を賃貸マンションにしたのだそうだ。
店主とは自らアルバイトを勧誘してきた一学年上の先輩であり、雇われ店長でもあり、すなわちこのマンションのオーナーの娘さんでもある。
つまりは、親の店で働いている大学生だ。
「そうだよ。302号室、
「でもそれ、絵本じゃないですよね?」
何冊も抱えている絵本に混じって、朔太郎が手渡したのは、日本の写真集だった。
「ああ。これは私からお祝いで、猿渡さんに差し上げたいと思って」
それから、持っていた写真集をぱらぱらと捲りながら少し自嘲気味に笑って続けた。
「……失敗かな? 海外で生まれた子どもは、これを見て日本とはどういう所だろうと想像するんだろうか。これを見て育ったら、美しいだけだと誤解させるようなことになってしまうかな? 魅せるだけのものばかりの写真を見て、これが日本だと勘違いしてしまわないだろうか。美しいばかりじゃないのは、住んでいると良く分かるが、こうやって綺麗なところだけを切り取ったのだとしても、それもまた日本なんだよな」
実際、日本に訪れたときに、失望しないと良いのだがと写真を眺めながら、俯きがちに言う。
それを見た朔太郎は、思わず熱心に言い返してしまった。
「そうは言っても、日常でふとした美しさに、魅入られる時もあるじゃないですか。それに、人の目に映る景色はそれぞれ千差万別ですよ。何を見ているのかなんて、誰にも分からない。何に惹かれるのかも分からないのと同じです。美しいものを見るというのは、美しい心の持ちようであればこそ。そういう人は、何時でも何処にいても、綺麗なものを見ることが出来ると思いますけどね」
「ほう。朔ちゃんは、ロマンチストなんだな。さらには、己れが美しい心を持っている、とまで言うか」
朔太郎を揶揄いながら、形の良い唇がふわりと
「さて、ちょっと行ってくる。店番をよろしく頼むぞ」
朔太郎は片手を上げて応えた。
彼女をよく知らない人は、まず外見で近寄って来る。花に群がる蜂のように。
黙っていれば、可愛いのだ。
ものすごく。
さらには人当たりが良さそうで、どんなことも拒絶せずに、笑顔で受け入れて貰えるような見た目をしている。
もちろんそんなことある筈もないのに。
見た目だけで判断した人達は、彼女がその後、少し変わった話し方をするせいで変人だと馬鹿にして、やがてはお高くとまっているだのと、遠巻きに悪口を言うようになるのが今まで朔太郎が見てきた流れだ。
まあ確かに、わざとらしいその喋り方が鼻につくと言うのも分からなくはない。
それくらいで馬鹿にする方がバカなんだと思ったことから、強引で一風変わった誘い文句のアルバイトを引き受けたのだったが、朔太郎は知らなかった。
なぜ彼女が嘲りの対象になるのか。
それは、御し易いと思っていた可愛い彼女にも自分の意見があり、思っていたような可愛らしさとはかけ離れていることだったり、自分の好意を受け入れて貰えないことの身勝手な裏返しが、彼女を馬鹿にすることで憂さ晴らしをしているのだと、恋愛に疎い朔太郎が分かる頃には、彼女と一緒に、すっかり周りから距離を置かれるようになってしまったのだった。
そのため周囲は誰も知らないのだ。
朔太郎ひとりが、特別な好意を受けているわけではなく、当の彼女はどんな相手にも同じ態度の、至って鈍いだけの人物だということを。
スカートの裾を翻して店の奥に消えた背後姿を見送った朔太郎は、彼女に弟の話をしてみようかと思った。
それを聞いた彼女は、なんて言うだろう。
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