Case 3 過去と未来を繋ぐもの ③


 「こんなこと言っても、みなとさんなら笑わないって思うから言うんだけど……やっぱり笑うかな」

 正式に小鳥遊たかなし空穂うつほの祖父に結婚の承諾を貰いに行った帰り道だった。隣に並んで歩いている空穂が突然、真面目な顔でそう言った後、少しの沈黙が落ちた。


 石田に押し切られるように、とりあえず連絡先を交換した空穂うつほと倉部が二人だけで会うようになったのは、またしても石田がらみの偶然からだった。石田の言うところの業務で弁護士会館を訪れた空穂が、用事を終えて霞ケ関駅へと降りる階段に向かって足を一歩下ろした時、下から倉部が上がってきたのである。

 驚いた二人は思わず声を掛け合った。空穂は、いつかまた会いそうな気がしていた、倉部は、まさかこんなところで会うとは思わなかった、いつもは違う出口なんだと互いにちぐはぐなやりとりで笑いが溢れる。

 その場の勢いで(……と、倉部は後に空穂に打ち明けた)食事に空穂を誘った倉部は、それがきっかけで、その後二人でよく出かけるようになり、やがては結婚を意識するようになるにはそう時間もかからなかった。

 しかしこうなってみれば、石田を喜ばせることになりかねないと、暫く二人で仲良くだんまりを決め込むことにしたのは、結婚することにした、と倉部が石田に報告した時のあの驚き様を見たかったからかもしれない、と空穂と二人でよく振り返ったものだ。


 空穂が倉部に「夢のハナシ」をしたのは、その帰り道が最初で最後だった。

 夢にも思わない、とはこのことだろう。

 空穂のその話の意味を考えるようになるのは、そのずっと後のことで、その時の倉部は真剣な顔で見上げてくる彼女に、ただ見惚れていただけだった。

 

「わたしね、夢でみなとさんに何度も会ってるの。……ううん、違うの。親しい人を夢に見るのとは違うんだな。湊さんに出逢う前から、湊さんのことを夢で見て知っていたって言うのかな?」

 そう言うと倉部の反応を探るように、一呼吸置いた後また話始める。


「夢で初めて湊さんを見たのは、まだ小学生だった頃。同じくらいの歳の女の子と病院から出てくる姿。その頃、わたしの両親が交通事故で亡くなったばかりでね。その夢を見たとき、女の子とそのお父さんだと思った。この子は、お父さんと二人になっちゃったんだって。わたしは、お祖父ちゃまと二人ねって。

 次に見たのは中学生になってすぐ。前に見た時より時間が経っていたのに、すぐに同じ人だって分かったの。……夢、だからかな。そんなに不思議だとは思わなかった。その時は、どこかのコーヒーショップで誰かと向き合って話をしていた。相手の顔は見えない。目線がね。わたしの目線が、ちょうど……そう、声も聞こえないんだ。どの夢も定点カメラの映像を離れた所から見ているみたいな感じ。一方向からしか見れないの。それでも感じ方は、古い映画館のスクリーンかなぁ。周囲は暗くて、映像だけがぼんやりと明るいの。

 それからは、結構な頻度で見たわ。いちばん印象に残っているのは、細身の黒いスーツ姿で新宿カレイドビル前の横断歩道を歩く姿。横断歩道を渡っているんじゃないの。きょろきょろしながら、何か、あるいは誰かを探してるんだって、見ているわたしは考えている。

 夢の中で見た人って、目が覚めて誰だったんだろう、思い出せないってなるじゃない? 不思議なことに湊さんの顔、はっきりと思い出せるんだよね。

 運命の人だったってこと? ええーっ。……まあ、そう言えばそうなのかなぁ。でもなんか、しっくりこないんだよね。だって、湊さんと出逢ってからも夢を見るんだよ? ついこの間もね。住宅街で泣いている女性と湊さん。いやいや、含むところはありません。あはは。ホント。あと、背の高い青年を遠くから見てる湊さん、かな」


 空穂が倉部の夢を見るのは、自身に会うためだったと自惚れた結論を簡単に下したのは、そのときの倉部は遠い未来のことなど知る由もなかったからだ。まさか空穂が消えるとも、自身が警察を辞めるとも考えることはなかった。倉部の頭の中には、空穂と二人で暮らす近い将来のことでいっぱいだったのである。


 運命というものがあるのならば、それはクソったれだと考えるようになったのは空穂が居なくなってからだ。


 警察庁から出てきた倉部は、揃って外に出て来てくれた柴崎に頭を下げる。

「……すみません。連絡頂いたのに」

「馬鹿だな。考えようによっては良かったじゃないか。あいつじゃなかったんだから、もっと喜べよ」

 柴崎はスーツの上着の内ポケットから、タバコを取り出そうとして舌打ちをした。どのみち吸うことは出来ないのだが、デスクの引き出しに仕舞ったままであるのを思い出す。

「俺もそろそろ異動だ。今度は多分どっかの県警だろうな。一旦外に出て、また戻るのがいつになるか分からないが……」

 俺が何処にいても、遠慮しないで連絡は寄越せよ。と、柴崎は倉部の肩を叩いて再び警察庁の庁舎の中へ戻って行った。

 その背後姿に倉部はもう一度、頭を下げる。

 扉の向こうに、姿が見えなくなった柴崎をぼんやりと見送った後、のっそりとした動きで駅に向かう。極度の緊張からか、全身に酷い疲労感がある。懐かしい通りを歩く自身の体が機械的に動き、この辺りを忘れていないことに倉部は気づく。

 忘れられる筈などない。今でもあちこちに、自身の残像が見えるようだった。

 仕事の終わりに、何度も待ち合わせた喫茶店。扉を開けた途端、カウンターに座わり、この店の看板メニューの大きなプリンを食べている空穂の背中が怒っていることを確認した後、遅れてきた倉部が気まずそうにそうっと隣に腰を下ろす。ちらっと倉部を見て無言でまたプリンを口に入れる空穂。

 いや。それ以前の、志を抱き入庁したばかりの頃の自身の姿も見える。

 入庁後の警察大学、地方実務研修を経て警察庁勤務。研究員制度を使い、一旦大学に戻り再び警察庁。その日、倉部がビルを見上げた時の高揚した気持ち。

 それらを全て不意にすることを、柴崎はよしとしなかった。何度も考え直すように言われた。

 けれども倉部は、自身の常識が覆るのを目の当たりにした後では、現実はもはや空虚な作り物にしか思えなかった。


 あの日、倉部が見たもの。

 




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