Case 2-8
……消えた……?
それでも酒井は、自身の目にしたものを信じることが出来ずにいた。
黒いケーブルの両端をそれぞれが持ち、真剣な顔をしている二人が見せてくれるのは、どんな茶番劇だろうと、内心嘲笑っていた酒井にとって、それは余りにも予想外の出来事であった。
一体、どんなカラクリがあるというんだ?
タネも仕掛けもないマジックなど、あり得ない。錯覚を利用した《何か》に違いない。
心配そうに
「おい、君! ふざけるのもいい加減にしろ! 茶番劇もおしまいにしてそろそろ本当のことを言ったらどうだ⁉︎」
ちらりと、ユキは酒井を見た。
怒鳴れば萎縮して、本当のことを言うとでも思っているとしか考えられないその酒井の態度に、ユキは呆れるを通り越して可哀想になる。
本当のこと?
これ以外に何を?
これを見ても信じることが出来ない酒井に、何をどうすれば良いのか。
マジックがどうとか何やら捲し立てる酒井を尻目に、ユキは
『入り口』が分かっても、その先にどんな『世界』があるのかは、ユキには分からない。こことあまり変わらない、ユキが居たような『世界』ならば良いが、全く別の恐ろしい『世界』であるかもしれないのだ。
改めて、自分が幸運だったことに気づかされた。
瑞紀を行かせてしまった罪悪感が、今になってユキを苦しめていた。
それに、とユキは考える。
何かの拍子で、向こうは道路の真ん中だとしたら?
車のことを考えてもいなかった。
あるいは海の上かもしれない。
それはないと言える? 本当に?
向こうが山の中で一歩足を踏み外したら? ……落ちちゃうかも。
でもケーブルが急激に伸びたわけではないから、多分そんな事故は起きていない筈。
きっと大丈夫。
無事でいますように。
「……おいッ! 聞いているのか?」
酒井の声に我に返ったその時、ユキが握りしめていたケーブルが二度三度と引っ張られるのを感じた。
「酒井さん、今です。一緒にこれ、引っ張ってください」
ユキがまったくこちらの話を聞いていなかった事に酒井は呆れ、怒りを込めて力任せにケーブルを強く引っ張る。
……!?
思いの外、手答え感じたと思う間もなく、壁と室外機のあり得ない隙間から猿渡瑞紀が滲むように出現したのを、今度こそ酒井は目の当たりにして腰を抜かした。
「見た? あの酒井の顔! いや、スッとしたわ!」
昼間から、赤ワインをするすると流し込む
「ランチ代をせしめることが出来なかったのは悔しいけど、まぁあの顔が見れたんだから良しとしなくちゃ」
添えられた野菜を牛肉と共にもりもりと噛み砕きながら、ユキの食が進んでいないことに気づくと、口の中のものを飲み込んでから瑞紀は言った。
「どうしたの? これ下げてもらってもう、デザート持ってきて貰う? あ。もしかして、やっぱり蕎麦の方が良かった? 日本酒も捨てがたいと思ってたんだよねー」
さっきトマトソースの匂いを嗅いじゃって、なんとなくイタリアンにしちゃったんだけど……考えてみると、海外で蕎麦ってないからそっちの方が良かったかも?
ぶつぶつとひとり喋りまくる瑞紀を見ながらユキは瑞紀と同じように、牛肉とルッコラと薄く削られたパルミジャーノレッジャーノを重ねてフォークに刺し、同時にひと口放り込むと咀嚼しながら首を振る。
赤ワインで流し込むと、アルコールにあまり強くないユキは、目元が熱を帯びてきたのを感じた。
「ううん。食べる。豪華なランチをしようって張り切って来たじゃない? それにお腹は空いているの。パスタも美味しかったし。デザート違うの選んだよね? 食べ比べしよっか?」
ユキはそう言ってにっこり笑う。
「お腹空いているのは、分かった。でもさ、気になることがあるんでしょう? 酒井……いや。待って、違うな。あれだ……。そっか、ユキは消えた子が気になってるんだ」
瑞紀の言葉に、黙ってナイフとフォークを置いたユキは、グラスの水をひと口飲んでから答えた。
「……そう、なの」
にかっと笑って綺麗な歯並びを見せた瑞紀は、再び牛肉を口の中に入れて噛み締めながら、うんうんと頷く。
「正直で宜しい。まぁ、わたしも気になっていたんだよね。それにこれはアレだね、こんな時こそ『酒井さん』の出番でしょ。今度は実際に行ってもらったら良いんじゃない?」
「……瑞紀ったら」
悪びれた様子もなく、再び赤ワインに喉を鳴らしている瑞紀は、全く瑞紀らしいとユキは思ったのだった。
デザートを食べながら、瑞紀とユキが話し合い考えたのは『入り口』が同じであれば、その先の『世界』が同じである可能性があるのではないかということだ。
瑞紀の入った『入り口』は、裏路地とはまったく違う誰かの家の敷地内だった。そこが消えた少年の『世界』と繋がっているかどうかは、現時点で確かめようがない。
それならば、少年が消えた『入り口』が分かっているのだから、そこから入れば同じ『世界』に行ける可能性が高い。
あくまでも『入り口』の向こうは動かないという前提ではあるが。
瑞紀とユキは、そう結論を出した。
それでも、少年に出会えるのは奇跡に近いかもしれない。
それは第一に、そこがどんな『世界』か分からないということ。
第二に、少年がそこから移動してしまっていたら探しようがないということ。
いずれにせよ一人で知らない『世界』を闇雲に歩き回るという危険は、侵したくなかった。
「小学校の中庭の壁が怪しいんだよね?」
瑞紀の言葉にユキは頷く。
「そう。そこから消えたって言い張る子がひとりいるってことからも、間違いないんだと思う」
でも……と、ユキは言葉を濁した。
「小学校に入るのは難しいよね? 監視カメラもあるだろうし、子どもが行方不明になってるんだから警察の人もいるだろうし」
瑞紀はアマレッティをひと口齧ると、エスプレッソを口に運び至福の溜息を吐いた。
「うーん。いくつでも食べれそう。……警察の人はいないんじゃない? 他の子どもが間違いだったかも、なんて言ってるんでしょ? 学校はもう探し終えていると思うな。きっと通学路とか、近辺の不審者とかを探してると思うよ」
何の根拠もないにも関わらず、きっぱりと言い切る瑞紀を見ていると、ユキもそうかもしれないと思い始める。
「行かせてみようよ。『酒井さん』をさ、壁の向こうに。ビギナーズラックがあるかも」
少し意地の悪い顔を覗かせて瑞紀はそう言った後、表情を引き締め直して続けた。
「運が良ければ、その子も見つけられるかも。助けてあげられるかもしれないよ? ユキ、やってみようよ」
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