Case 2-5
2009年 奇妙な話。
『その奇妙な話とは、以下のようなものであった。
依頼人の孫(以降ここでは《少年》と記す)は、現在八歳になる小学二年生である。
少年は友達4人と放課後、学校の中庭にある飼育小屋の中のウサギを覗きに行った。
ウサギ小屋は最近仔ウサギが二匹加わり、児童たちに人気のスポットとなっていたため、中休みなどの比較的長い時間の休み時間は人垣が出来ていたが、放課後ともなれば皆習い事などに忙しく、穴場の時間として少年とその友達は時々帰宅前に訪れていた。
その日もいつものように、近くに生えているタンポポの葉をちぎり、飼育小屋の金網越しにウサギに《おやつ》をあげて(児童達は決められた餌以外のことをそう言っていた)いる姿を、向かいの校舎の廊下窓から見ていた先生がいる。
本来なら注意すべきだろうが、虐めている様子もなく、特に変なものを食べさせているわけでもないので微笑ましい行為と受け止めその場を離れた。
大人が中庭に居る4人の児童を見たのは、これが最初で最後だった。
そのうちに、誰が始めたのかは忘れてしまったが、ウサギの《おやつ》を毟っては投げ合う、おふざけに少年は友達と夢中になる。
投げあっているうちに、校舎の壁の方へと逃げた少年が不意に目に入ってしまった砂に顔を顰め声を上げた。
「ちょっと待ってよ! 砂が入っちゃった! 目が痛い」
目を閉じて空中に手を伸ばし、校舎との壁の距離を測る。壁に寄りかかり、ひと
「わっ」
背中が壁に触れたと思う間もなく、少年は吸い込まれるようにして消えた。
少年の行方不明の届け出が出されたのは、土曜日である今朝早い時間。依頼人が孫の行方不明を息子さんから知らされたのとほぼ同じ時刻。
息子さんによれば金曜日の放課後、なかなか帰宅しない(実際には17時を過ぎた頃)少年を案じ、母親が学校へ連絡を入れるも学校には居ないという返事。それならば帰宅途中に何があったのではないかと、先生方や何名かの同じクラスの保護者と通学路を探し回るも手掛かりは掴めず20時、そこに息子さんが加わり警察へ通報。
その後も近所を探し回りながら22時、クラス及び学年の連絡網により少年と一緒にいた友達が誰だったのか判明する。
それが先ほど書いた少年の友達の話である。
残された友達3人はしばらく、その場に立ち尽くしていたが、ひとりが悲鳴を上げその場から逃げ出すと、残りの2人もどうしたら良いのか分からないままとにかく早く家に帰らなくてはならない、と思い家に帰ったのだと言う。
「この話は言っても信じて貰えないだろうと思い、誰にも話さなかった」
「月曜日になれば、また普通に学校で会えると思った」
「あの子が自分たちを驚かせるために、わざとやったのだと思った」
少年の友達は口々に、そう言ったのだそうだ。
実際のところ、この話を真実として信じられないのは当事者である少年の友達もまた同じらしく、少年が消えてしまった状況の説明となると何度も聞かれている
その答えは大人たちの舵取りで、子ども達から欲しい回答を導き出したかのようだった。
ただ3人のうちのひとりだけ、頑なに少年が壁に吸い込まれるのを見た、と言い張る子どもがいる。
悲鳴を上げて、最初にその場から逃げ出した子どもだった。その子の親はその話を信じておらず「息子は混乱しているため」このようなことを言っているのだと説明している。』
そこまで読んだ鬼海は、何度か咳払いをした。
それを見たユキが、給湯室の冷蔵庫から水の入ったペットボトルを人数分持って来ると、その中のひとつを鬼海に手渡した。残りをテーブルに置く。
目線でお礼を告げそれ受け取ると、喉を鳴らしひと息に半分まで飲み干した鬼海は、再び読み始める……。
『依頼人の語る話を、一通り聞き終えた私と熊谷さんは、その信じられない内容を飲み込むのに時間がかかっていた。
……否。私は、時間がかかっていた。
熊谷さんの、難なくその話を受け入れている様子はなるほど、猿渡さんが言うように《変わった》人であるということなのかもしれない、とその時の私は思った。
私は依頼人の息子さんに、なぜ連絡を取ることが出来ないのか尋ねる。
もしこれが真実ならば(私は熊谷さんとは違って、未だに信じていないのかもしれない。事務所の代表としては、疑り深いのは悪いことではないのではないか?)こちらから事実を確認するのは当然のことであるとか何とか、言ったように思う。
「子どもがひとり、消えてしまったんですよ? こう言っちゃなんだが、おたくはNPOだとか言っていますが、
依頼人は憤懣やる方なし、といった風情で捲し立てた。
私がどこから紹介されたのかと、やんわりと尋ねると依頼人は不貞腐れたような態度で「警視庁の方ですよ」と言う。
今から少し前の時間、行方不明相談室の前をウロウロしていた所に声をかけてくれた警視庁の人にこの話をしたところ、この相談室に来るにはまだ早い、この事務所ならば親身になってくれると紹介されたらしい。
「話をきちんと聞いてくれたのだと思っていましたが、どうやら厄介払いされたのかもしれませんな」
依頼人は、今や完全に拗ねてしまったようだった。
私には思い当たる人物がいた。
警視庁の相談室に出入りしていた依頼人、そしてそこで出会ったある人物。
「中庭に面した校舎の壁に消えた。そのことに間違いないと言う子どもがいるんですよね?」
熊谷さんが拗ねてしまった依頼人に、再度問いかけた。これまた依頼人のそうですよ、と言うそっけない答えに大きく頷く熊谷さん。
「分かりました。息子さんには連絡しませんので、その小学校だけでも教えて貰えませんか?」
私は彼女のその勝手な言葉に思わずカッとなってしまったが、依頼人の前ということもあり出かかった言葉を飲み込む。
依頼人も、熊谷さんが
その後、依頼人は先ほどの鼻息荒い態度から一変、急に
依頼人の姿が見えなくなった途端、私は熊谷さんを怒鳴りつけた。
そもそもこの事務所は行方不明の人を探し出す機関ではない。残された人達の喪失感を埋めるために、出来得る範囲での様々な支援を行うところなのだ。
責任を負えないのに、あまりにも勝手過ぎる。それにもし、子どもがひとり居なくなったのが事実だとしても壁に消えたりはしないと言った私に対して、熊谷さんはただ静かに「そうでしょうか?」と呟いただけだった。
熊谷さんに下がるよう言い、帰り支度をしていた猿渡さんを応接室に寄越してもらった。
そして私は知ったのだ。
猿渡さんが彼女、熊谷さんを少し《変わった》人だと言った意味を。
熊谷さんが、依頼人の話をすんなりと受け入れた訳を。』
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