Case 2-4


2009年 6月


 『猿渡さんの紹介で事務所にやって来たのは、柔らかい印象の女性だった。

 面接の席だったとはいえ、熊谷さんというその女性に、猿渡さんが言ったような《変わった》ような様子は見られずごく普通の……どちらかといえば綺麗な女性に、この事務所へ来ることにした理由を尋ねると「今まで勤めていた会社のような大きな組織ではなく、もっと直接、人と寄り添った仕事をしたいと思った」とのことだった。

 それにしては、どこかしら人を拒絶するような雰囲気もあり、彼女の言葉は全てを語っているわけではないと感じる。

 面接で本心を覗かせたり、本当のことを言うなんて私も思ってはいないが、大手の会社を辞めてこのような事務所に来るなんて確かに彼女は《変わって》いるのかもしれない。

 猿渡さんが今月の中頃には海外へと行ってしまうので、月初めの何日かの間だけ熊谷さんに仕事の引き継ぎをするために猿渡さんには事務所に通ってもらうことにする。

 先月、最初の一度だけ一緒に警視庁の行方不明相談室へ行った依頼人から、電話があった。未だ娘さんの手掛かりは無いようだった。

 ただ依頼人によれば、相談室は行方不明者のデータベース化を現在進めている途中とのことで、県を跨いだ管轄の違うところは直接そちらへ尋ねた方が分かりやすいと教えてもらったそうである。

 元気な姿で見つかってくれたら、どんなに良いだろう。

 願わずにはいられない。』



 鬼海はそこで一旦読むのを止めると、ユキの方を見て確かめるように尋ねた。

「ここに出てきた『熊谷さん』は、ユキさんのことで間違いないですよね? って間違いようもないか」


 ユキはひとつ頷くと、懐かしそうに目を細めた。

「そうです。わたしが居たあちらでも、この『並行世界』でも瑞紀みずき……猿渡瑞紀さるわたりみずきは幼馴染みで親友でした。わたしの僅かな変化さえも見逃さない、そんな親友です。……はじまりは瑞紀みずきに……彼女に、わたしが本当のことを話してしまったこと。彼女の追及から逃れることが出来ず、話してしまった……。その上、決して許されないと思っていたのに許されてしまった。そのことにすっかり甘えてしまったわたしのせいで、それが今、に繋がっているんです」


 まるで何かに祈るように、胸の前で両手を固く結ぶユキが訥々と語るそれは、懺悔のようだと龍之介は思う。


 ユキのせいで人生が狂った?

 そうではないだろう。

 酒井という人物は、誰かを失った時点で人生が狂ってしまったのだ。


「ついこの間も、ひとり救えたじゃないですか」

 鬼海がユキに優しく声を掛けた。


「……ユキ。お前がそう思うのは勝手だが、お前のせいだとか、そんな風に思っているヤツはここには誰も居ないよ」

 首を傾げるユキに、鬼海に続けて倉部も言った。

「それにまぁ、こう言っては何だがイカサマ師のお前がいなけりゃ今のこの事務所は、存在する理由があっても無いようなもんだしな……?」

「チーフ……それって褒めてます?」

「褒めてもないがけなしてもないぞ」

 倉部と鬼海のやりとりを黙って聞いているユキを見ていた龍之介は、ユキの表情が柔らかくなってゆくのを目の当たりにして、酒井という人物が初めて見たときの『熊谷さん』を垣間見たような気がした。


「続き、読みますね。6月の記載はもう少し続きます」



2009年 6月続き


 『熊谷さんと猿渡さんとの引き継ぎも順調に進み、猿渡さんが事務所を退所する日まであと少しとなった今日、新たな依頼人が事務所のドアを潜った。

 行方不明人の祖父だという。

 まずは話を聞こうと応接室に案内をしようとするも、子ども(つまりは話の流れから想像するに依頼人の方の息子さん)には内緒でこちらに来たのだと言うばかりで冷静さの全く見られないその様子から、事件は今まさに起きたばかりであることが窺い知れた。


 ようやく応接室に移動いただき腰を据え話始めたそれは、奇妙としか言いようのない行方不明である。


 行方不明になったのは、彼の孫にあたる八歳の少年。

 場所はその子が通う学校。

 時間は放課後。

 友達の見ている前で中庭の(はっきりと依頼人は言ったのだ。壁、と)に消えたのだと言う。


 遽には信じられない話だった。

 こう言っては何だが、依頼人の方の年齢からくる《思い込み》なのではないかと疑いたくもなる。

 子ども(息子さん? 果たしてこの人物も存在するのか?)とは連絡を取るなとか、詳しい学校名は今は言えない、など怪しい点が多すぎたのだ。


 私はどうやって断るかを考えていた。

 あるいは調べている振りをした方が、依頼人の方には良いのだろうかと思ったりした。もしかしたら、依頼人が失くされたのは息子や孫ではなく、別の何かなのではないかと。それならば、この事務所がお付き合いするのも何かの縁なのではないのだろうか、など。


 そこにコーヒーを運んできた熊谷さんが、依頼人の繰り返し話すその内容に対して驚きのひとことを投げかけたのだった。

 「壁に消えてからどのくらいになりますか?」

 彼女はごく当たり前の質問をするように、そう依頼人に尋ねると彼の前に座り、続けてそれを目撃していた友達からの話を詳しく教えて欲しいと言った。


 私は何の冗談だろうと、目を白黒させていたに違いない。実際に、熊谷さんに言ったものだ「そんなことを訊いてどうするんだ」とか「そんなこと分かるわけないだろう」とかそういった類いのことを。

 けれども依頼人は、やっと話を真面に聞いてくれる人が現れたとばかりに熊谷さんに飛びつくようにして話始めたのだ。


 驚くほど奇妙な話を……。』


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