鴨居の上

山田沙夜

第1話

一月、最初の日曜日、夕暮れ。


 従兄弟の輝明が年賀と称して一升瓶をぶら下げてやってきた。輝明がひとりでわたしの住まいに来るなんて、初めてのことだ。

 ドアを開け、輝明を見た。迷ったが笑顔はやめて不機嫌な顔で出迎えた。

「めずらしい、しかも連絡なしに来るとは。不在だったらどうするつもりだった?」

「これも運命として帰ったよ」

「わたしの留守が、輝くんの何かの啓示になっちゃうんだ」

「かも……」

 わたしは苦笑いで差しだされた一升瓶を受けとり、同居人の千佐都へ渡した。

「これはこれは 、『空』ではないですか! ありがとうでございます。よく手に入りましたね」

「新城に友だちがいるから……」

 輝くんの新城の友だちなら、わたしは顔も名前も連絡先まで知っている。

「新年の挨拶と『空』のお礼はちゃんとメールしとくね」

 わざとらしく「空」を押し頂いた千佐都は、さっさと背を向けてキッチンへ運んでいった。

 AL D H2が欠損している、つまりアルコール類NGなわたしへの手土産は、スィーツでなければならないのに。

「ほかにはないの?」キリリッと言ってみる。

「はは……」輝明がかしこまって両手で差しだしたのは、ショコラトリータカスのボンボンショコラの詰め合わせだった。

「よろしい」

 にっこりとカウチへ案内する。千佐都は肴を用意している。輝くんの来訪は晩メシ狙いだったのかな。

「輝明さん、飲むでしょ」千佐都が訊く。

「車で来たから」

「あらあら、はいはい、了解です。……小さいおにぎりをいろいろ作るね」

 千佐都がつくる小さいおにぎりは、具をあれこれ入れる。塩昆布、梅、おかかなど冷蔵庫や食品棚の隅でひっそり存在している常備品及び残り物を核に、直径三センチほどにご飯を握る簡単なもので、今日は三人分の数が要る。輝明の食欲に遠慮はないだろう。おにぎり作りを手伝うべき個数になりそうだけれど、わたしのおにぎりは形が悪いと千佐都は文句を言うだろうし……。よし、おにぎり作りは見守ることにしよう。

「千佐都さんは飲兵衛だって、松原の叔父さんに聞いてたし、たまたま『空』が手に入ったからね」

 輝明はピースサインを出した。ピースではなく「空」が二本、という意味なのだろう。一本だけなら、自分用に誰にも知られず輝明ひとりで消費している、たぶん。

「雪ちゃん、よく千佐都さんと松原の実家で晩ごはん食べるの?」

 わたしは微妙にうなずいた。

「よく、は行ってないね。月に一回か二ヶ月に一回ってとこかな。

 大晦日はいっしょに蕎麦を食べに行ったよ。夜十一時ごろから、両親と千佐都もいっしょに、東別院のデジタル掛け軸を見て、初鐘を撞いてきた」

「初鐘? 除夜の鐘のこと?」

「東別院の鐘は元旦〇時から撞きはじめるから、除夜の鐘と呼ばずに初鐘と呼ぶ、とリーフレットに書いてあった。

 初鐘を撞いたあと東別院で両親と解散して、うちでひと眠りしてから昼ごろ千佐都とまた実家へ行って、兄ちゃん夫婦と甥っ子たちとでおせち料理をいただきました。甥っ子たちにお年玉もあげました。いい叔母さんでしょ」

「わたしもお年玉をあげましたよ」千佐都がアピールする。

「元旦に実家で泊まらないんだ……」

「兄ちゃんもわたしも実家近くに住んでるからね。家を出てからは実家に泊まったことないな。

 そうそう、かあさんはデパートで料亭の高級おせちを買ってきててね、エビだのアワビだの、なかなか贅沢だったよ。かあさん、だんだんおせち料理を作らなくなってきてたからね。

 輝くんちの伯父さん伯母さんは元気してる?」

「ん……まあ、ね。千佐都さんは実家に帰らなかったの?」

「二日に顔だけ出してきた。……ひとりでね。

 正月早々、彼氏はいるのか、結婚はまだか、孫を抱きたいのセット攻撃で、降参しながらお暇してきましたよ。わかってたけど、あまりにも予想どおりで、キビシイ現実を再確認ってところです。なので、一月二日は豊橋日帰りでした」

 輝明が「ふうん」と言う。なに身辺調査してんのよ、わたしはイラッとした。

「雪美、お茶お願い。おにぎりも運んで」

 はい、はぁいと台所へ行くわたしを、輝明のすがるような眼が追ってくる。新年から深刻そうだねえ、輝くん。


 まずは水菜の浅漬けと、おにぎり用に四つ切りにした海苔をローテーブルに置く。

 ハゼの甘露煮、卵焼き、大豆の五目煮、数の子にスモークサーモン、ローストビーフ、レタスのサラダ、おでん。

 千佐都は在宅仕事の気分転換に料理を作る。今日は冷蔵庫に食材の在庫がとぼしく、正月料理残り物アラカルトになった。千佐都はおもに在宅だが会社員で、企業年金に健康保険あり。千佐都の被扶養者になれないものかと、フリーランスのわたしは、つい思う。

 ラップに包んでピラミッド型に盛りあげたおにぎりは大皿で運び、「空」は温燗になって運ばれてきた。


 正月気分は抜けてきてるけど、「あけましておめでとうございます」

 しんみりしているのは、輝明から滲みでてくる屈託のせいだ。

 わたしは黙ってサラダを食べ、ハゼを頭からガブリと一口いき、おにぎりを口にいれた。具は野沢菜の漬物だった。


 お悩み相談の誘い水になる気はないよ。言いたいことがあるなら、自分で口火を切ろうね、輝くん。

 横目で輝明を見る。眼が合った。

 輝明が長ったらしいため息をついた。

「輝くん、辛気くさい」

 輝明が、うん、とうなずく。わたしはお茶をすすった。お茶、おいしい。


「雪ちゃん、鈴木瓔子さん、知ってるだろ?」

「ん、まあ、知ってる」

 かなり親しいし、瓔子さんから輝明のことは聞いていた。瓔子さんはデザイナーでわたしはイラストレーター、輝明は中小広告代理店勤務、地方都市名古屋では狭い業界だと言えそうだ。

「雪ちゃん、おれも猪口が欲しい」

 結局輝明は酒の香りに勝てなかった。輝明お帰りの際は、タクシーを呼んで見送らなければならない。

 千佐都は徳利二本に「空」をそそぎ、一升瓶をさっさとシンクの下に仕舞ってしまった。かわりに紙パックの酒を出す。

 輝明は酒の力を借りる気満々だ。そんな奴に「空」を飲まれてたまるか、という千佐都の表情だ。

 

 輝明はちびりちびりと酒を舐め、パクパクとおかずを食べおにぎりを口へ放りこむ。おにぎりの数を輝明と競うのも大人気ないと、わたしは茶碗にご飯をつけ、漬物と煮豆をおかずにして食べた。

 徳利の燗酒を輝明に飲まれてしまったたうえに、おにぎりにありつけなかった千佐都は、出入り禁止だ、という顔で輝明を睨みながら、ご飯にふりかけで食べ終わってしまった。


 酔いにまかせて、輝明の口が開く。酔いにまかせなけらば、開かない口だったのだ。

「三日の日にさぁ、瓔子さんの家に行ったんだ」

 ふむふむと先をうながす。

「熱田区の公団住宅でしょ」

「雪ちゃん、瓔子さんの家へ行ったことあるんだ」

「ありますよ」と千佐都。

「瓔子さんから招待されたの?」

 輝明は首をふり、「おれが家族に会わせてほしいと、瓔子さんに強く頼んだ」と不満げで心細そうに言う。

「もう一年以上付きあってるし、……深い関係って意味だよ」

「セックスもしてるんですね」

 輝明はちょっと顔をしかめて千佐都を見た。

「瓔子さんは、わかった、と言っただけでさ……。でも正月の三日に来てもいい、と言ってくれて……」

「ふうん。おかあさんと、おばあちゃんに邪険にでもされたの?」

「暖かく迎えてくれたんだけど……」

「だけど?」

「瓔子さんて、おれ以外に付きあってる男がいたりする?」

「それは、ない」

「うん、ないね」千佐都が同調する。

「……瓔子さんも、つまり、その……」

「バイセクシャルかもしれないけど、ホモセクシャルではないでしょ。輝明さん、瓔子さんに夢中なんでしょ。でももしかしたら、彼女とのセックスに溺れてるだけかもしれないと、自分を疑ってる?」

「違う! おれは瓔子さんが好きなんだ。大好きなんだ。結婚したいんだ。なんでそんな言いかたすんだよ」

 輝明は充血した眼で千佐都を睨んだ。いつの間にか猪口はコップになり、酒は燗をつけず冷酒になり、テーブルに一升紙パックが立っている。

「それなら何も問題ないんじゃない。婿養子になれとは言われてないんでしょうに」

「そうなんだよ。そうなんだけど……」

「もう、グジグジしないでよ。で、問題は、何?」

「瓔子さんちの襖の桟の上に並んでる写真が……」

「桟じゃなくて鴨居。集合住宅って長押がないとこ多いからね。ここもそうだし」

 千佐都がキッチンから口をはさむ。鯖缶を開け、レンジで温めている。つまみがなく、酒だけ飲む景色が嫌いなのだ。

「鴨居の上の写真ね。気になるんだ、やっぱり」

「あたりまえだよ。瓔子さんが、父、祖父、曾祖父、高祖父って指差しして教えてくれたんだけど……」

「曾祖父さんと高祖父さんは写真じゃなくて鉛筆画だったでしょ。セピア色に時代がかっていい味の肖像画だよね」

「そういう話じゃないよ。そうじゃなくて……そうじゃなくてさ、じいさんたちも親父さんも若いんだ、すごく若い。若い時の写真を遺影にするんだね、って聞いたら、みんな若くして亡くなってる、と言うんだ。そういう家系なんだと。うちの家系の女と結婚した男は若くして亡くなるんだと言うんだ」

 千佐都が温めた鯖の味噌煮と白髪ねぎにラー油をたらして運んできた。グズグズでグダグダの輝明なのに、さっそく箸を伸ばした。千佐都は食べる輝明を面白そうに見ている。

「瓔子さんの曾祖母さんが高祖母さんが寝たきりになったときに、村を出て名古屋へ引っ越してきたって聞いてるけど、輝くんは聞いた?」

「昭和二五年だったらしいと聞いたような気がする。戦後すぐだよな。昔の話もいいとこだ。……瓔子さんの家は山間のごくごく小さい集落にあったそうで、ずっと昔からその集落で巫女のようなことをしていたと言っていた。

 戦争が終わったころから、集落の家々がだんだん山を出ていき、空き家ばかりになっていって、最後の家が仕事を求めて豊田市へ引っ越して、集落に誰もいなくなって、瓔子さんの曾祖母さんが、寝たきりになった瓔子さんの高祖母さんを連れて名古屋へ引っ越してきたらしい」


 村の者がいなくなったら、おまえらも町へ出て行くんだ。もうわしらがお護りする田畑も集落もなくなったんだから、ここに残らんでもええ。


「そう高祖母さんにきつく言われていたのだと、瓔子さんはおばあちゃんに聞かされてきたんだ」

 輝明は踵をカウチへ上げて、膝を抱いた。


 うちが代々女しか生まれない女の家系だというのは嘘なんだ。だから、安心して好きに生きてけ。

 男が生まれたら、養子に出していたんだし、亭主たちは気味悪がって出て行った、そういうことだ。

 もし家を絶やして、巫女の家としての障りや災厄があるんなら、ばあちゃんがぜんぶ背負ってあの世へ持ってくから、大丈夫だ。


「瓔子さんは、小さいころの夜話がわりに、おばあちゃんからそういう話を聞かされてきたって言ってたよ。

 雪美、輝明さんが持ってきたチョコ食べていい」

 千佐都はわたしの返事など待つ気も聞く気もないらしい。


 瓔子、戸籍を信じちゃだめだ。昔の戸籍なんて、村の者がなんとでもしてくれたんだから。祀りごとのためには巫女がいる。そのためにもいろいろ按配よくしてくれていたんだから。わかったな。うちの戸籍は嘘っぱちだ。

 山の家はとっくに朽ちて無くなった。どこにあるかなんて、探しに行ったり見に行ったりしたらいかん。


「瓔子さんは、そんなこと言われたら怖くて探す気にもならない、って笑ってたけど、無理のある笑顔だった」

 そう言って、千佐都はチョコをかじりスパークリングワインを飲んだ。

「おれ、どうしたらいいんだろう」

 寝言のように輝明がつぶやいた。

「明日のことなんか誰にもわからない。生きているかどうかも含めてね。瓔子さんと結婚するかどうか考えるのは輝くんしかいないし、答を出すのも輝くんだよ。瓔子さんが投げたボールは、今、輝くんの手の中にあるんだから、さ」

「瓔子さんちの家系のこと、話半分だとしても、好きな女のためなら死ねるなんて、サイコーのオトコだよ」

 千佐都はグラスを上げる。

 輝明はカウチで寝息をたてていた。


 翌朝、そんな義理などないと、わたしは輝明を起こさなかった。

 輝明は昼過ぎに起きてきて「今日は大晦日のカウントダウンイベントと元旦の仕事の代休を取ってんだ」と、しゃあしゃあと言った。


 二週間後。


 新しく二人の戸籍をつくりました。結婚式は近日中にお知らせします。ご参加ください。今後ともよろしくお願いします


 同じ内容のメールが瓔子さんと輝明から届いた。もちろん千佐都にも。

 

 noteより転載(2019/1/15投稿)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鴨居の上 山田沙夜 @yamadasayo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ