第二部 第六章 天津国 空木工廠1

 天津国

 四月の第一金曜日

 空木うつぎ工廠こうしょう内 第九研究棟 門扉もんぴ


 護送車に揺られて到着した先は、見飽きた施設だった。


(監獄の方がマシだったな)


 内心で舌打ちをしながら、和泉小槙は押送者に向かって口を開く。


空木うつぎはいつから代用監獄を兼ねるようになったんだ?」

「黙って降りろ。茶番は終わりだ」

 押送者は、そう言って座席から立ち上がった。連れの者たちもそれにならって立ち上がる。


「別についてこなくて良い」

 連れだって車を降りようとする軍人たちに、和泉小槙が告げる。

「ここまで来て、今更逃げたりしないから安心しろ」

「そういうわけにはいかない。我々は、お前をはた津森つもり博士に引き渡すよう命ぜられている」

「それ、本気にしているのか?真面目だな」

「何だと?」

 軍人が怒気をはらんだ声で応える。


「お前達の力で私をどうこうできやしないだろう?は、そう言えば、私が理解するだろうと推測しての命令だ。要は伝書鳩だな。貴官らは」

「貴様…!」

「その激昂…、直した方が良い。戦場で判断を誤る」

 言いながら車を降り、振り返りもせず歩き出す。

 門扉を開いて建物の内側へと入った数秒後、車が発車していく気配があった。念の為、人間の気配を探るが、残った者は居ないようだった。彼らも、薄々、自身の真の役割を感じていたのだろう。


 次いで、建物内の気配を探る。建物内部には、三百人程度の人間の気配が散らばっていた。對精の管理、保持それに研究を主な目的とするこの棟にいるのは、白衣を纏った研究職の軍人ばかりで、それは今日も変わらない。


 入り口の守衛に手を振ってから内部へと進む。

 目当ての人物は、いつも通り3階の自室に居るようだった。


 歩いていると、人の気配が近づいてきたのが分かった。

 目当ての人物の第一助手を務める人間だった。ややあって、曲がり角を曲がってくるのが視界に入る。第一助手は和泉小槙に気付くと、慌てた様子で駆け寄って来た。驚いた様子で口を開く。


「い、和泉小槙大尉殿!?もう来ちゃったんですか。今日はまだ駄目です。申し訳ありませんが、お引取りください」

「何かあったのか?」

「何かって…。大尉殿、この数日のご自身の行いを、胸を張って他人に宣言することが出来ますか?」


 和泉小槙は、「人形の對源を見つけてきた」という一言を飲み込んだ。今は、まだ片桐の存在を公にしていけないだろうと、反った胸をゆっくりと戻す。片桐は国内外を問わず、高度に政治的な配慮を必要とする存在だ。ここで安易に発言するべきではない。


「えぇと、だな…。遊びに行っていたわけじゃないんだが…」

「ピクニックではなかったことは我々も理解しています。遠野とおのたちばな教授も勾留されていたと聞いてますので」

「あいつはそれ自体が目的だからなぁ…。まあ、満足してるんじゃないか」

「は…?」

「いや、済まない。気にしないでくれ」

「あぁ、いいえ…。それで…、ええと」

 何の話でしたっけ、という第一助手に向けて、和泉小槙は先を促す。

「担当医に会ってはいけない理由を教えてくれないか」

はた津森つもり先生はひどく疲れているのです。ここ数日、ろくに眠れていません」

「…ひょっとして…、私と関係あるか?」

「そんな…謎が解けた、みたいな顔で言わないでください…。当然でしょう?ここ数日、軍内はあなたの話で持ちきりですよ。本当はすぐに僕達も國津に渡航する予定だったのですが、飛行戦艦が飛ばないって言うから今日まで待機していただけで…。今、あなたにGPSを埋め込む話が出ています」

「また?」

 第一助手の言葉に和泉小槙は口元を歪ませながら、「無駄だろう。壊すぞ」

「分かってますよ。それに、どうせ戦闘時に壊れるだろうし…でも、もうそれ以外に方法がなくて…。毎度、毎度あなたと来たら…。五歳児でももうちょっと言うことを聞きますよ」

「そうだな。私も五歳のときの方が聞き分けが良かった気がする」

「分かっててやってる分、たちが悪いんですよ…」

 そう言って第一助手は項垂うなだれる。


 そうしていると、3階の研究室から話題の人物の気配が動いた。ひどくゆっくりとした動作で階段を下ってくるのが分かる。

 和泉小槙は眼前の第一助手見つめた。

 人間である彼はまだ彼女の動きに気付いておらず、ひたすらに愚痴を吐き出している。更に彼の疲労を貯めることになるのだろう、と予想して和泉小槙は先んじて謝罪した。


「何か…済まんな」

「…分かっているのなら、もう少し上の命令を聞いてください。せめて聞かなくても良いから、行き先くらいは事前に伝えてもらわなければ…」

「いや、そうではなくて…」

 和泉小槙は廊下の先に視線を投げた。

 その視線を追うように、第一助手が背後を振り返る。



 コツン、とハイヒールの先が床に当たる音がした。続けて数回。そして、第一助手は、ようやく敬愛する上司が近づいて来たことを知る。

 そして、

「さっさと追い返すべきでした…」

 自身の行動を悔やむ。

「大げさだな」

 和泉小槙は腕組みをして廊下の先を見据えた。


 曲がり角にちらりと白い布がのぞく。壁の下の方、人間の膝がある辺りだ。

 続いて、髪の長い、細い体躯の女が現れる。長い眉と切れ長の目が白い肌の上にバランス良く並んでいるが、その表情は明るくない。薄い唇は肌色。和泉小槙にとって、見知った―見飽きたとも言えるその女が、はた津森つもりだった。


 正確な年齢は和泉小槙も知らないが、和泉小槙が彼女に初めて会ったとき、彼女はすでにこの研究棟で働いていたことから推測すると四十は超えているだろう。


 秦津森は白衣の裾を揺らしながら、近付いてくる。そして、やおら口を開いて、


「拝啓 親愛なる便所コオロギ様へ」


 と言った。


 

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