第二部 第五章 第三階層 國津国  葛太南島2

「当たったか?」


 自分では確認できなかったのだろう、『狙撃手』が雪歩に尋ねる。

 その瞳はやはり白く濁っていて、直視していいのかどうか、雪歩を悩ませる。

 だから雪歩は、彼の問いを救いにして、空にちらりと視線を外した。一応、確認したていで答える。


「…当たってない…みたいです…」

「何だと」

「あと…見つかったみたいです」

「くそっ!」


 雪歩の言葉に、『狙撃手』は急いで再度飛行生物に照準を合わせる。


「どこにいやがる」

「二時の方角です。角度は四十五度」


 言いながら、雪歩はこの説明は無駄になるだろうと悟っていた。

 飛行生物は、不規則な速度変化をしている。

 とても『狙撃手』の腕で捉えられるとは思えなかった。


 近づいて来る分距離は短くなっているが、弾が飛んでくる方向はばれているので、事態は全くと言っていいほど好転していない。

 それどころか―、


「おら!」


 狙撃手が二発目を放つ。

 相変わらず発射の際に掛け声を発してしまうので、射出の瞬間にはもう弾道がぶれている。


(もうだめだ…)


 雪歩はすでに弾道を見ていない。飛行生物はすでに彼女から100フィートの距離にあり、裸眼で十分、その輪郭が補足できた。


(やっぱり人だ…)


「くそ!」


 狙撃手は焦っていた。

 彼は、照準も合わせることなく、ダァンと一発適当に発射したあと、どういうわけか銃を投げ捨て、突然、岩の下に飛び降りた。


「え…、あれ…?叔父さん?」


 ひどく長く感じられる数秒だった。

 蝉は最初の発砲ですでに辺りから逃げ去っている。

 奇妙な沈黙に支配された林の中、『狙撃手』の足音が遠のいていく。数秒後、雪歩はようやく置き去りにされたことに気付いた。


(ひどい)


 単純にそう思う。


 雪歩は、自身同様に置き去りにされた銃を拾い上げると、それを見つめた。銃身に籠もった熱はまだ抜けきっていなかったが、久しぶりの感触に、手のひらが喜んでいるのが分かった。


(どんな風に殺されるんだろう)


 飛行人間から逃げ切ることが難しいことは雪歩にも分かっていた。そして、狙撃手がわざと銃を置いて行ったことも。


 彼は雪歩を身代わりにして逃走したのだ。


(本当にひどい世界)


 本土を救った礼として、故郷である葛太南島は天津に献上された。突然、故郷を失った地元の住民は武力を持ち、政府と対立したことにより、反乱軍と呼ばれるようになった。

 闘争は日に日に激しくなり、その中で父は亡くなった。そして、遺された雪歩は、今、叔父の浅はかな策略により、その命を落とそうとしている。


(悲しいな)


 そんなことを思っていると、背後に気配が生まれた。

 ぞくりと背筋が凍る。

 雪歩は、震えながらゆっくりと振り返った。


 案の定、視界の中央には飛行人間がいた。

 飛行人間は平然と空中に浮いており、雪歩を見下ろしていた。


(きれい…)

 

 なぜか、そんなことを思う。


 飛行人間は青白い光を身にまとっていた。

 その顔には波の網目のような模様が浮かんでいる。風に揺れる髪は銀色に輝き、深い紫色をした瞳からは何の感情も読み取れない。


(これが、仙人…)

 雪歩は父の言葉を思い出す。


 風に揺れる飛行人間の銀髪と紫色の瞳を見つめて、雪歩は、ひょっとしてこれは夢なのかもしれない、と思う。飛行人間はそんなことを思わせるほど、夏の葛太南島にとって異質な存在だった。


「えっと、あの…。誰ですか…?」


 問いかけてみたのは、夢見心地であったからだ。そして、ひょっとしたら質問が許されるかもしれないという淡い期待が湧いたから。


 雪歩と飛行人間との間には共通点があった。幼い雪歩は、それを親近感と勘違いすることができた。


 飛行人間は子供だった。雪歩と同じぐらいの背格好をしており、太い眉、それに幼さと凛々しさが混じり合ったような顔の輪郭から、雪歩は、男の子だろうと推測した。


 突然話しかけたせいか、飛行少年が驚いたように目を見開いた。彼は空中に留まったまま、口を半開きにして動かない。


 しばらくの沈黙の後、飛行少年が声を発した。


「imo kusee」


「え…」


 二の句が告げなかったのは、飛行少年の言葉が聞き取れなかったからだ。


(芋…って聞こえたけど…。そんなはず無いよね。外国人みたいだし)


「…適当なこと言いやがって、あいつ…。今度あったらただじゃ置かねぇ。いや…それとも今、芋なだけなのか?」


 飛行少年は顔をしかめて文句を述べた後、最後の一文だけ、明確に雪歩の方を見ながら問いかけた。


(どうしよう…。今のは結構分かったような気がするけど…)


 だとすれば、最初の言葉は『芋くせぇ』ということになってしまう。

 仙人がそんな発言をするはずがない、と雪歩は顔を左右に振った後、


「ご、ごめんなさい。私、外国語が分からなくて」

「…言語は共通だろうが」

 舌打ちをして、飛行少年が言う。

「え?」

「鈍くせぇな」

「あ…ご、ごめんなさい」

 理由はよく分からなかったが、雪歩は『ごめんなさい』を口にした。最近出来た癖は、相手が叔父でなくても湧いて出てくるものらしい。


「反乱軍の子供だな」


 確認するように、飛行少年が尋ねてくる。

 雪歩はどう答えたら良いのか分からない。うなづけば、待っているのは死かもしれない。しかし、答えなければ、助かるという保障もない。


「えっと…、そうです」

 雪歩は迷った末に頷いた。

「ふーん」

 飛行少年はしばらく両腕を組んで雪歩を見下ろしていたが、突然、背後を振り返った。


(どうしたんだろう)

 そう思い、彼の視線を追った先。視界の中に飛び込んでくるものがあった。

 黒くて丸い球。砲弾である。

 軌道の先にいるのは、飛行少年だった。


「あ―」

 危ない、と叫ぼうとした瞬間、飛行少年の手のひらから、砲弾目掛けて光が放たれた。

 砲弾は飛行少年に到達する前に空中で破裂した。

 辺りに爆発音が響く。


 雪歩は思わず目を閉じた。身をかがめて、体に痛みがやってこないことを祈る。


(佐山さん達だ)


 雪歩は独立軍の大砲係の面々を思い出す。大砲係には、独立軍内でも血気盛んな若者が採用されている。砲撃が一回で終わるとは思えなかった。


 案の定、まつ毛にさえぎられてうっすらとしか見えない視界の中、二発目、三発目の大砲が飛んでくるのが見える。

 そして、「うぜぇな」と舌打ちをしながら、飛行少年が、手を伸ばしてくるのも。


「待っ―」

 言葉はやはり間に合わない。

 唐突に足の裏の感覚がなくなる。その代わりに、脇腹辺りを何かに捕まれているような感触が生まれた。


「な、何―」

「うるせぇから、黙ってろ」

 

 見上げれば、飛行少年の顔があった。視界の中、一番面積を占めているのが、飛行少年の顔だった。


 雪歩は、飛行少年のわきに抱えられ、空中に浮かんでいた。

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