第二部 第二章 シェラ蓮1

 同時刻 シェラハス第二駐留軍 第5区画B棟303個室


「いい加減に起きろ」


 唐突に起床を命じられ、シーツを剥ぎ取られる。肌の上に広がっていく冷気に腹がたち、鳴子蘭なるこらんは、衝動的に人の気配がする寝台の脇めがけて蹴りを入れた。


 内心で、「藤房ふじふさの奴か。悪いことをしたな」と思っていると、足首に衝撃と鈍い痛みを感じ、蹴りが止められたことを悟る。己の睡眠を妨げた人物が特定され、鳴子蘭なるこらんは、今度は腹を立てた。ベッドの上で体勢を立て直すと、起き上がりざまに相手のあごに掌底を叩きこむ。しかし、それも阻まれた。


 だから彼女は、息がかかるほどの距離で舌打ちをしてから、己を起こした人物に向かって挨拶をした。拳に力を込めたまま言ってやる。

「…ぉはよス。尖隼人とがりはやと大佐殿」


 彼女の目の前に居るのは、彼女の上官である尖隼人だった。身に付けているのは、薄い灰色の詰め襟の外套。足元は軍靴。どうやら外出の予定らしい。


 尖隼人は、鳴子蘭が放った拳を左手で抑えていた。結構な力が加わっているはずだったが、表情からは何の感情も読み取れない。


「二発目を叩き込んだ理由を聞いても良いか」


 尖隼人が口を開く。低く、耳をくすぐるようなかすれた声。知り合った当初は聞き取りづらいこともあったが、耳はすぐに順応した。現在の彼女にとっては聞きなれた声だ。


「寝ぼけただけだ」

 そう言いながら、鳴子蘭は拳を収めた。

「殺意を感じたが」

「気のせいだろ?それより、どっか行くのか?」


 鳴子蘭は、そういって尖隼人の全身を眺めた。現在の時刻は午前4時過ぎ。真夜中と夜明けの狭間で、外出するにはおかしな時刻だ。


鳴子蘭なるこらん中尉は起きましたかー?大佐」

 そう言って、部屋の外から中の様子を伺うように顔を出したのは、尖隼人付きの補佐官、藤房少尉だった。離れた眉と垂れ目のせいで幼さを感じるが、士官学校を卒業してすでに数年が経っている。


「おはよう。藤房」

「次からお前が起こせ、藤房」

 上官から口々に言われるが、藤房はしどろもどろで、

「ええー?重火器の使用を許可してくださるならやりますけど…」

「また小火ぼやを起こすつもりか」

「あれは鳴子蘭中尉があんまりにも起きないからで…。ああ、ええと、今はそんな話をしている場合ではなくて。ええっと、聞こえませんか?鳴子蘭中尉。警報鳴ってます。敵襲ですよ」

「は?」

 鳴子蘭はその言葉で、始めて現状を把握した。そういえば先程から会話が聞き取りづらいと思っていたが…。


「何で早く言わねぇんだよ!?」

 鳴子蘭はそう言って、尖隼人の背中をどついた。


「…自分の階級を認識していないのか」

 無表情のまま、しかし、声音には不満の意を混ぜて尖隼人が言う。


「手加減はしたろ?というか、そもそも、寝てたんだから気付くわけねぇだろう!?俺は、お前とちがって、寝てるときはちゃんと寝てんの!ああ、服がねぇ。おい、服探してくれ」

 鳴子蘭はそう言って、一人床にうつ伏せになり、寝台の下を探し始める。


「ねぇな。昨日、どっかで見たんだけど」

「早くしろ。お前以外の兵士は全員配置についている」

「分かってるよ!あー、どこやったかな。なぁ、もうこのままで良いか?」

 鳴子蘭はそう言って、全身を眺めた。筋肉粒々の体には、大小様々な傷が刻まれている。


 嘆息しながら藤房が言う。

「良いわけないですよ。下着じゃないですか」

「痴女が」

「何だと!?」


「もう、お二人ともやめてください。僕のを貸しますからそれを着て下さい」

「ええー。絶対ちっちゃいだろ。きついの嫌だぜ、俺ー。あ、あった。あった」

 鳴子蘭は、そう言ってシーツの中からシャツとズボンを取り出した。言うまでもなく皺だらけだったが、それについては誰も指摘しなかった。


「っしゃ、行くぜ!俺の装備は?」

 シャツを羽織りながら、鳴子蘭が藤房に尋ねる。

「第三昇降口に固めておいてありますから持っていってください」

「さっすが!おい、何ぐずぐずしてんだ。さっさと行くぞ、大佐」

 鳴子蘭はそれだけ言うと部屋から飛び出した。後ろから小走りでついてくる尖隼人に向かって、ベルトを締めながら尋ねる。


「状況は?」

「何で俺がお前に説明しなければならん」

殿しかいねぇんだからしょうがねぇだろ。藤房は待機要員だし」

 鳴子蘭はそう言って背後を振り返った。


 ひらひらと手を振る藤房はすでに豆のような大きさだ。彼女は一度大きく腕を振るってそれに応えてから、視線を前へと戻す。

「で?」

 尖隼人は嘆息した。諦めたのか少し間を置いて話し出す。


「……マギアトからの定時連絡が途絶えたのが、10分前。それを受けて敵影探査機が緊急発進したのが8分前。同探査機からの連絡が途絶したのが5分前。特別警戒態勢に移行したのも同刻。その間眠り続けていた大馬鹿者を、そいつの上官自ら呼びに行って、ようやく連れ出したのが現在…。何だ、その顔は」

「いや、マギアトが落ちた?オラクソ大佐はいなかったのか?」

「鷺宮なら2週間ほどから配置されていたはずだ。警戒域も『第四』を保持していた」

「…ふーん。それで、俺はどうすりゃ良いんだ?」


「私は六区から戦況を確認する。上林かんばやし等々力とどろきはすでに配置につかせている。お前は…陽動だ。好きに動き回るんだろう、どうせ」

「何でため息つくんだよ。まるで俺が言うこと聞かないガキみたいじゃん」

「存在意義を考えろと言っている」

「お前の隣でぼーっとしてろって?嫌だね、そんなの。お、あった」


 第三昇降口の脇には彼女の装備一式が山のように盛られていた。

 彼女はそれらを素早く装着し始める。


「無駄遣いするなよ」

「分かった、分かった」

 後ろから小言を言ってくる尖隼人に適当に返事をしてから、

「さあ、行くぜぇ!」

 鳴子蘭は勢いよく昇降口から飛び出した。

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