第ニ部 第一章 マギアト共和国 2
(どうすれば…)
撤退かそれとも応戦か。
「司令を呼んで来ます」
「司令の指示がなくても分かる。撤退だ」
東囃子の言葉を否定したのは先輩の兵士だった。位は彼と同じ少尉であるが、年は3つ上で、東囃子がマギアトに配置されたときから何かと面倒を見てくれた男だった。彼は突然の強襲にも慌てた様子はなく、独り言のように淡々と告げてくる。
「着弾の直前まで探知機が無反応だったんだ。戦況は絶望的だろう。空中機雷の起爆音も聞こえなかった。防衛装置そのものが乗っ取られている可能性もある」
東囃子は息を呑む。
先輩兵士の言葉を頭の中で繰り返し、事態を飲み込むまで数秒を要した。
「そ、それでは、我が軍の最新の設備が役に立たないということに」
「だから撤退だと言っている。お前は士官学校を卒業したばかりだから分からないかもしれないが、こういうことは珍しいことじゃない」
先輩兵士はそこまで言うと、深く息を吐いた。
「分かっているとは思うが、ここの定時連絡が途絶えたら、シェラ
「こ、ここを捨てるということですか」
「そうだ。お前も早くしろ」
先輩兵士はそこまで言うと、部屋の出口に視線を向けた。見れば、別の隊員はすでに部屋の外へ避難し始めている。
「おそらく散転式鋭車装置も超距離列層迎撃装置の一群もすでに破壊されているだろう。歩兵戦闘車もそうだ…。あの群れを見ただろう?空から見えるものは、すでに破壊されていると考えた方がいい」
「し、しかし」
「撤退だ。
「え、は、大佐を援護しないのですか」
東囃子は先輩兵士の言葉に驚嘆する。しかし、先輩兵士は驚くのは自分だと言わんばかりの表情で、
「我々に何ができる?」
「それは…」
東囃子は言葉に詰まる。様々な単語が脳内に浮かんでは消えていく。
先輩兵士は答えに窮する東囃子に向かって一度頷くと、
「無いだろう?無いんだよ。我々無力な人間は、彼を助ける術など持たない。もう一度言う。お前のために。撤退だ。死にたくなければ後に続け」
彼はそれだけ言うと、司令室を去った。
一人取り残される形となった東囃子は、その場で立ち尽くしていた。鼓動がうるさい。突然、変異した現実に頭が追いついていない。感情が暴走していて、つい先ほどまで安穏と椅子に座っていた自分を殴りたい気持ちで一杯だった。
マギアト駐留軍は最重要軍略拠点の一つだ。派兵される兵士も厳選されていると聞く。それは単なる噂ではなく、事実に裏付けられた確度の高い情報だった。少なくとも東囃子はそう思っていた。だから、派兵先を聞かされた時は、異国に行かされる不満こそあったが、一方で、自分の能力が高く評価されたのだと喜んでもいた。
いみじくも、軍人として入隊した以上、軍人としての職責を全うする。そういう志のもと、東囃子はマギアトに入国した。そしてそれは先に派兵された仲間の兵士たちについても、強弱はあれど、ある程度同じ気持ちであろうと思っていた。
(いや、違う。おそらく皆、志は持っている。ただ、それだけではどうしようも出来ないことで…)
突然現れた混乱が、理想を破壊するのに十分の威力を持っていた。ただそれだけ。
士官学校を卒業して半年。初めての戦場だった。それまで見聞きしていた戦場で、自分も母国のために何か出来ることがあると信じ、希望に満ちていた。
(始まった瞬間に負けが決まっているなんてな…)
逃亡が悪いわけでもない。玉砕覚悟で会敵することに意味がないことも理解できる。ただそれが、自分の理想ではなかったというだけ。こんなにあっさりと敗けが決まると想像していなかっただけ。
指令室全体が揺れる。
近くで大きな爆発があったのだろう。
(弾雨が降り注ぐのも時間の問題か)
ふと奇妙な視線を感じ、空を仰ぐ。
自分の頭上、崩れかけた天井の隅に何かがいた。首のない犬のような四足歩行の機械。それは第三帝国の地雷の一種だ。トン、と 軽く飛び降り指令室の床に着地する。 相対する形になり、東囃子は距離をとるように後退した。死が静かに眼前に迫っていた。
東囃子は腰の
「笑える…」
地雷が近づく。頭のない、心も持たない機械の兵器。敵国に与えられるのは、数百万程度の経済的損失のみ。
(こんなものに俺は殺されるのか)
「鈍くせぇなぁ!」
大きな舌打ちと共に頭の上から声が降ってきた。顔を上げると鷺宮がいた。彼は穴が開いた天井の脇に立ち、夜明け前の白じんだ空を背負って東囃子を見下ろしていた。ひどく不機嫌そうな声音だったが、切羽詰まった様子は感じられない。
彼は天井から飛び降りると、無造作に地雷を蹴り上げた。滞空している地雷に向かって掌を突き出し、稲妻のような光を放つ。ジ、という音と共に一瞬、大きく震えた後、黒焦げになってその場に落下する。
「地雷じゃないのか。それ」
「知らねぇよ!なんでまだ残ってるんだよ。鈍臭ぇ。さっさと逃げとけや」
鷺宮が敵国の兵器を知らないはずはない。声にこもった怒気から、彼の機嫌がいっそう悪くなっていることを悟る。
「他の奴らはどうした。死んだか」
鷺宮はそう言って、瓦礫の山に視線を投げた。
「いや、皆逃げた。俺は何かまだ出来ることがあるんじゃないかと思って」
「ねぇよ」
「は?」
「ね・ぇ・よ!テメェがブルって動けなかっただけだろ。それらしい理由並べんなや。
「そうか…。そうだな」
「早く行けよ。10 秒やる」
「10秒って、他の兵士は」
「お前みてぇな鈍くせぇ奴は二人もいねぇよ。7!」
「ちょ、ちょっと待て」
「5!」
「分かった。俺は行かせてもらうが…、鷺宮。お前も気をつけろよ」
「はあ!?」
カウントダウンを中断して、鷺宮が目を釣り上げて睨みつけてくる。あまりの気迫に東囃子はたじろいだ。降参を示すために両手を胸の前まで上げて、
「いや、悪い。戯言だった。じゃあな」
それだけ言うと、東囃子は司令室を後にした。
先輩兵士と同様に、鷺宮を置いて敗走する。
誰もいなくなった司令室で、鷺宮は、口の端を持ち上げて呟く。
「クソが」
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