第二部 第一章 マギアト共和国1

 三月の第三水曜日

 午前四時四十二分

 マギアト共和国内、天津国租借地、第7駐留軍(通称マギアト駐留軍)



 拳で潰された三角錐さんかくすい


 それが、東囃子あずまばやしのマギアト共和国に対する印象だ。


 地図上のマギアトの形によるところが大きいが、マギアト共和国の史実の中に、その形のように歪で凄惨な時代があったため、より強くそう感じていることは否めない。


 大国に翻弄され、蹂躙された三角錐。それがマギアト共和国である。


 聖人の名を冠した山脈の麓には鉄を含有する肥沃な大地が広がり、それゆえに、第二次階層間大戦以前からそれ目当ての戦争が頻発した。先の大戦時においては天津軍を中心とする同盟国の混成軍基地が置かれ、その後、現在は天津の駐留軍が置かれている。

 東囃子あずまばやしがいるのは、その駐留軍本部の司令室だった。



 第一階層の朝は遅く、日の出までまだ二時間以上ある。


 部屋の中には自分を含めて5人の兵士がいたが、話し声はない。各自雑務を片付ける作業に負われており、聞こえてくるのは無機質な電子音だけだ。


 爆音も破裂音もないが、和平協定が締結されない以上、ここはまだ戦場だ。警戒レベルも4の【要警戒】を維持しているため、気を緩めることはできない。

 たとえ膠着状態が一年に及ぼうとも。


 それに、と東囃子は、警戒を声高に叫ぶ司令官のの姿を思い出す。


 兵士のなかには司令長の言葉を疑うものもいたが、東囃子自身は、ある程度の確度を持った言葉だと思っていた。


 東囃子は真摯に電波探知機の画面を見つめる。電波探知機レーダーの液晶画面に映っているのは、緩やかに傾斜するこの国の地形を縁取った線とそれを断つように引かれた太い横線…国境だった。


 敵影は当然確認されない。探知機の警戒音も平常だ。それにもかかわらず画面を確認したのは、定時確認が情報特技兵である東囃子の仕事だからだ。


 司令室の扉が開き、長身の男が一人司令室に入ってくる。ポケットに両手を突っ込んで、大股で足音に気を配ることもなく横柄おうへいな様子から、不機嫌であろうことは容易に想像出来た。


 東囃子を含めた全員が立ち上がり、男に向かって敬礼した。けれど男はそれらに一瞥もくれることなく、部屋の中央に置かれた椅子に腰を下ろした。

 電波探知機の画面を見て舌打ちすると、

「まだ来ねぇのか」

 こちらに向かって尋ねてきた。


 主語はなかったが、東囃子は男の発言の趣旨が理解できた。それは、東囃子が男と士官学校の同窓であり、室内にいる兵士の中で一番付き合いが長いから、というわけではない。室内にいる全ての兵士は、おそらく全員、男の発言の趣旨を正しく把握しているだろう。


「敵影は確認されず」

 応えると男は鋭く舌打ちをして視線を外した。

 眉間の皺が深くなる。


 報告内容については男自身ある程度予測していたはずなので(というより、敵襲がないのは明らかだ。)、不満があったのはこちらの態度に対してだろう。


(大佐相手にタメ口では話せないだろ)


 たとえ士官学校の同級生であったとしても、ここでは上官と部下だ。二人だけならまだしも、他人の目がある場所で気を使うなというのは無理な話だ。男自身が許容したとしても、周りがそれを許さない。


 兵士の一人が立ち上がり、男に向かって口を開く。


鷺宮さぎのみや大佐、ここは我々に任せ、どうか今はお休みください」

「あぁ?」

 男…鷺宮は口を開いた兵士の方にゆっくりと顔を向けた。お世辞にも良いとは言えない人相がより凶悪なものとなる。眼光鋭い紫の瞳がいっそう大きく開かれ、口元は大きく歪んでいた。まるで、理性を持たない獰猛な野生生物のようだ。


 けれど兵士は怯まない。彼は勇気を奮い立たせるように鷺宮に敬礼した後、

「お加減が優れないと聞いております」

「お加減だぁ?」

 言いながら鷺宮は東囃子あずまばやしをねめつけた。


 余計なことを吹き込んだのはお前か。


 視線でそう糾弾してくる。

 やむを得ず、東囃子も口を開く。


「いつ第三帝国の機械兵器が飛来してもおかしくない状況です。鷺宮大佐におかれましては、序列一位のその御力をどうかご温存されたく」

「俺が負けると思ってんのか」


 別の兵士が口を開く。

「司令官からも、大佐殿にはお休みいただくよう申しつけられています。ここはどうか」

「よそもんはじっとしてろって?」

 鷺宮が投入されたのは二週間ほど前のことで、半年以上前からここにいる兵士たちからすれば新参者ということになる。


 現在、彼が座っている司令官の椅子は、彼の身分にふさわしい立派な造りのものであったが、実は彼のために用意された椅子ではない。その椅子はこの駐留基地の責任者たる司令官が腰を下ろすために存在する。


 この司令室に鷺宮のための椅子はない。なぜなら彼の職責は、戦場の最前線に立ち、敵を殲滅せんめつすることだからだ。


 序列一位の生物兵器。

 姿形こそ人間に似ているが、彼は人間よりも高位の生き物だ。彼がその能力を最大限に発揮できれば、第三帝国の一個大隊すら粉微塵に出来るだろう。


 竜と人の混血種。對精と呼称されるその頂点に君臨するのが鷺宮だった。


「クソが」

 舌打ちをして、鷺宮が腰を上げる。

 その時だった。


 突然、司令室に電波探知機の警戒音が響いた。


 機器の故障かと疑うような音量で、しかも回避不能を告げる最終段階の、悲鳴のような音だった。

 困惑の表情を浮かべた兵士が顔を見合わせる。


「伏せろ!」

 鷺宮が叫ぶ。


 直後に衝撃音とともに司令室の天井が落ちた。降ってくる鉄金とセメントの塊を必死で避けながら、逃げ惑う。


 頭上を見上げると、仄暗く不気味な空が東囃子を見下ろしていた。それを背景に無数の何かが飛行している。目を凝らして見ると、一つ一つが首のないトカゲのような形をしているのが分かる。


「あ、れは…」

 予想外の出来事に声が震える。

 それらは敵国の機械兵器だった。


「クソが!」

 鷺宮が床を蹴って屋外へと飛び出していく。瞬きほどの間に彼の姿は視界から消えた。


 鷺宮の待つ者、敵が襲来したのだ。




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