短編1(2)

「片桐、入るぞー」

 和泉小槙大尉はそう言って、ノックもなく、對源様の部屋の扉を引いた。


 中にいたのは、厳めしい顔つきの中年男性だった。趣味の筋トレにいそしんでいたのか、額に汗が浮かんでいる。


(良かった。顔はゴリラじゃない)

 安心すると、小さく息が漏れた。


 筋トレが趣味と言うだけあって、シャツの上からでも筋骨粒々とした体つきなのが分かった。ただ、どういうわけか、部屋には中年男性にはおよそ不釣り合いな、爽やかな香りが溢れている。



 突然の訪問だと言うのに、彼は、全く驚いていなかった。まるでこちらの来室を予期していたかのように手をとめ、姿勢を正している。


(これが、人の形をした對源フォンス…)

 私は緊張しながら最敬礼をする。

 隣で和泉小槙大尉が口を開く。


「耳の調子はどうだ?」

「耳ですか?」

 あまりにも局地的な様子窺ようすうかがいだったが、對源様は表情を崩さない。ただ、『また変なことを言い出したな』という雰囲気はあった。二人が出会ってまだ何日も経っていないはずだが、おそらくこの對源様は、すでに和泉小槙大尉に慣れつつあるのだろう。和泉小槙大尉が、美人で変人(人ではないが。)なのは天津軍部でも有名だ。


 事実、對源様は、いろいろなことが理解できていないようだった。確かに、唐突に現れた私の存在も含めて、不自然なことが多すぎる。しかし、彼は、全ての不自然を飲み込んだようだった。真面目に和泉小槙大尉の質問に答える。


「特に問題はありません」

「本当か?聞き取りづらいとか、痛むとか」

「いいえ。そういったことはありませんが、何故です?」

「え?いや、耳って結構心もとないだろう?身体の中で一番ちぎれやすそうというか。気を抜くと落としてそうだ」

「これまで生きていて、あまりそういう心配をしたことはないのですが…」

 多少、困惑しながら對源様が応える。


「そうか?まぁ、良い。耳に問題がないのなら、私が抱えて帰る方法が採用出来そうだしな」

「抱えて帰るとは?」

 對源様が私に尋ねる。

「あ、はい!ええとですね…」

 私はしどろもどろになりながらも、さっきの和泉小槙大尉とのやり取りを伝える。

 一通りの説明をした後、對源が言った言葉は、


「拒否します」

「…何でだ」

 對源の言葉に和泉小槙大尉はあからさまに肩を落とす。


「早くて良いじゃないか。竜やおおとりに襲われても私と貴官が居れば対応出来るのだぞ。最も被害の少ない方法だと思わないか?」

「それはそうかもしれませんが…」

「艦内にいれば、皆に迷惑をかけることになるかもしれん。片桐はそれで良いのか?」

勿論もちろん、それは本意ではありません」

 和泉小槙大尉の言葉に、對源は少し考え込んだ後、

「抱える。又はおぶさる。こういった方法でなければ私も考えます」

ひもくくける」

「却下」

 和泉小槙大尉の提案を、對源は、一瞬で切り捨てた。


「じゃあ、なわくくり付ける!」

「いや、そういう意味ではなくて」

「じゃあ、布?布なら満足するのか?」

「拘束物に不満があるわけではありません」

「どうしてもくくりつけたいのですね…」

 両手が空くからだろうか。


「どうしてだ…」

 和泉小槙大尉が尋ねる。

「どうしてくくりつけては駄目なんだ?」

「…大尉殿」

 對源が嘆息する。

 彼は、和泉小槙大尉の質問には答えずに、

「早く帰国しなければならない理由は何ですか?」

 と訊いた。


「ん?」

「護衛艦を待てば良いという話なのでしょう?そうしない理由は何ですか、と尋ねているのです」

「…それはだな」

 和泉小槙大尉は視線を對源から外した。そっと目を閉じ口を開く。


「愛玩動物の餌を二週間分しか置いて来なかったのだ」

「餌…」

 對源さまの口から思わず声が漏れる。


「ペットホテルに預けなかったのですか?」

 私が尋ねると、大尉はうむ、と頷いて、

「残念なことに満室だったのだ」

「誰か他の人に頼めないのですか」

 對源様も尋ねる。

「頼めなくはないが、おそらく、その者にとって、生死を懸けた餌やりとなるだろう」

 どんな餌やりなんだろう。それは。


「何を飼っているのです?」

 ずばり、と對源が和泉小槙大尉に尋ねる。

 彼は、追撃の手をゆるめない。答えをもらう前に更に、

「普通の犬とか猫ではないのでしょう」


「そうなのですか?」

 和泉小槙大尉を見上げて、私も問う。

 責められていると感じたのか、彼女は視線をさ迷わせながら、

「そんなことはない。普通だぞ。その辺にいる…、ごく普通の、ありふれた、何の変哲へんてつもない、ただの…普通の…………竜だ」


 對源が深いため息をはく。

 無理もないことだった。






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