第十章 要岩(3)

 地響きに視界も揺れる。


 視界の中の淵主の体が、じわりじわりと大きくなる。一気に露出しないところを見ると、まだ要岩の力が効いているようだった。


 片桐は視線を地上へと戻す。


 國津軍の上衣を身に付けた和泉小槙(袖が足りていない。)が軍刀を鞘から抜く。呼応するように、シャオンと鳴き声のような音が響いた。それが太刀のだと気付くまで、一呼吸ほどの時間を要した。


(…生きている…)


 驚愕の表情で片桐は太刀を見つめる。

 太刀は、生き物と同じ気配を纏っていた。

 これまで気配を全く感じなかったのは、和泉小槙の気配に紛れていたからだろう。


 刀身の地鉄には、年輪ねんりんのごとき文様が幾重にも刻まれており、刃文は波のように鮮やかだった。一見、実用性が感じられないほどに精練で神事に使う道具のようにも見えるが、長さもさることながら、厚さもあるため、やはりこれは武器なのだろうと、片桐は思い直す。ただし、人間を殺すための武器としては大きすぎ、竜や鳳といった化け物で丁度、という印象である。いずれにしても、和泉小槙の細腕では到底扱えない代物のように思えた。


(…普通の刀ならばな)


 その気配からしても、太刀はおそらく無機物ではない。正体は不明だが、持つ主と同じように不可思議な存在なのだろう。


 思うことは多かったが、片桐は一つとして疑問を口にしなかった。時間が無かったことも理由のひとつであったが、太刀以上の異変がそのあるじである和泉小槙に起きており、太刀どころではなかったというのが正しい。

 片桐はもはや何に驚いたら良いか、分からなくなっている。


(…竜か…)


 和泉小槙の手首、褐色の肌の上に、例の青白い光の筋が走り始めていた。光は片桐が貸した上衣の下を進んでいるらしく、繊維の間から光が漏れ始める。袖から肩、肩から胸元へと伸びた光はそこで上下に分かれたようだった。

顔と下半身の発光が始まる。目の周りの筋は喜劇の役者がする化粧のようで、光の強さが増す度に、和泉小槇の気配も大きくなっていく。


 一呼吸程の後、彼女は白い光に包まれていた。まるでいかづちの精霊のようだ、と片桐は思う。

 静かにこちらを見下ろしてくる紫の瞳は、人のそれではない。

 彼女は今や見た目も、人間とは全く違う生き物となっていた。地上に降臨した伝説上の神のように、目映まばゆく輝いている。


「…大尉殿」

 呼び掛けるが応えはない。神のごとき彼女には、もはや人間の言葉が届かないのかもしれない。今の彼女にはそんなことすら思わせる神々しさがあった。


 和泉小槙が静かに足を一歩虚空に持ち上げた。遅れた光が道のように延び、彼女の軌跡を明るく照らす。

 彼女はそのままくうを踏むと、宙に立った。そして、すっと二歩目を踏み出し、すらすらと空を縦断していく。

 そして、しばらく行ったところで足を止めると、悠然と空に立ち、淵主の姿を眺める。


 数秒の後、彼女は体勢を低くすると、勢いよく宙を蹴り、淵主の方へと跳んでいった。




「…何が起きているのですか」

 片桐は隣に立つ遠野橘に尋ねた。

「對素を放出して推進しているのですよ。竜が飛翔するのと同じ原理です」

對精トルトニスとかいう…」

「序列十一、個体名 最弱ラギリス。我が軍が所有する生物兵器です」

「それで特殊だと…」

 尋ねておきながら、片桐は遠野橘の答えを真摯に受けとることが出来なかった。


 片桐は、今、視界の中の現実を追うことに忙しい。どうしたって、淵主と和泉小槙の姿を追ってしまう。



 地上から這い出してきた淵主は、体を細長く伸ばすと、まだ健在である要岩の一柱へと向かう。

 形はまるで烏賊いかの触腕のようであったが、赤黒い体からは青い炎のようなものがちらちらと上がっており、淵主の体が動く度にそれが大きく揺れるので、色は定まらず、烏賊の白一色の体とは似ても似つかない。生き物とは思えないほどに巨大で、この上で安穏と生活している全ての生き物の危うさに絶望さえ感じる。


(…これが淵主…)


 親兄弟の敵であるはずだったが、どうしてかそれほど憎しみを感じなかった。存在が大きすぎて、憎むことすら出来ないのかもしれない。


 こちらに害さえ与えなければ、淵主もまた神として崇め奉られるほどに荘厳だった。


 片桐は、ただじっと淵主を見つめる。何も出来ない歯痒さが込み上げてくるのを奥歯を噛み締め、やり過ごす。

 

「さて…、和泉小槙は大丈夫かな」


 遠野橘が言うなり、和泉小槙の光がいっそう強くなった。見れば、彼女は抜刀した太刀を上段に構えていた。淵主に接近しながら、一切の躊躇なくそれを振り抜く。

 瞬間、刃のような形の光が太刀から発せられた。大気を裂いて高速で進み、淵主の体に激突する。


 数秒遅れて片桐の元に届いたのは衝撃のなみと音だった。びりびりと皮膚の上を滑った後、行ってしまう。


 その頃には、和泉小槙は二発目を放っていた。今度は下段から上段へと向かって、太刀を振り上げる。


 衝撃と共に淵主の体が青白い光の刃によって刻まれる。淵主の体は今、四つ。更に六つ…。

 太刀を振るう度に、淵主の体と気配は小さくなっていったが、それと比例するように、和泉小槙の光と気配も小さくなっていくのが分かった。


「…そろそろ限界かな」

 遠野橘が呟いたのは、淵主の体が十ほどに分断された時だった。


 遠野橘の呟きが聞こえていたわけではないだろうが、唐突に和泉小槙の攻撃の手が止まった。

 彼女は空中から落下するように、こちらへと戻ってくる。




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