第十章 要岩(4)

 地上へと戻ってきた和泉小槙には、人間と同じ程度の気配しか残っていなかった。纏っていた神聖な気配は消え、袖が破れた片桐の上衣と相まって、出涸らしの茶のような印象すら受ける。


「後、一歩だね」

「ああ。小さくて助かった」

 遠野橘の言葉に頷きながら、和泉小槙は後方を振り返った。


 視線の先にあるのは、淵主の姿であろう。半分ほどに散らされた淵主は、弱々しく触腕を伸ばしている。


「あの程度の小物ですら一人で対処できないとは。情けない」

 彼女はそう言うと、こちらへと向き直った。


「見ての通りだ。片桐曹長。私は弱い。對精の中で最も出力が小さいのが私だ」

「いいえ、充分です。これで本隊が到着するまで時間が稼げる」

「本隊?…いや、このまま私がけりを着けるが…。そうか貴官、自分の役割をいまいち理解していないのだな」

 和泉小槙はそう言いながら、遠野橘をちらりと睨んだ。


「体験した方が早いと思ってね」

「専門官が何を言う」

「僕が話すと白兎はくと博士が唱えた基礎理論から説明することになるけど、それで良かった?」

「…片桐曹長」

 和泉小槙は嘆息すると、こちらへと視線を戻した。遠野橘との議論は時間の無駄だと言わんばかりの表情である。


「私の仕事はあれと同じだ」

 彼女はそう言って、太刀の切っ先を広場の中央に置かれたままの参二式 九 センチ 加農カノン砲を指した。瞬きほどの間でさえ、この戦場の主役になれなかった空虚な鉄の王は、前線から撤退することすら出来ず、この戦況にあっては、がらくたのように廃棄された存在だ。


「…趣旨をご説明ください」

「敵陣営の最終防衛線において、最も苛烈な攻撃を加える。これが最も効率的な戦争のやり方だということは違いないだろう?」

「はい。それは肯定しますが…」

 片桐は言い淀む。

 和泉小槙はその対応に深く頷くと、

「問題は、どこが最終防衛線か分からない、ということだろう?」

「目印があるわけではありませんから」

「しかし、そこにおいて、最大値のエネルギーを出力し、敵の戦力を薙ぎ払うことが、私に課せられている唯一の命令だ」

和泉小槙は空を仰ぐように顔をあげた。淵主を見つめながら続ける。


「人間同様、對精のめすおすに比べて力が弱い。一度に出力できる力は当然、体内に保持できる對素の量もしかりだ。一度、体内の對素が尽きれば元に戻るまでに十数時間がかかる。だから、私は最終防衛線に至るまで、戦場で力を使うことを禁じられている。…私の部下の主な仕事は、私を無傷で敵の深部へと運ぶことだった」


(だから砲台なのか‥‥)

 片桐は武器庫から運び出された加農カノン砲を見つめた。

 取り巻きを失った加農砲に今や王の威厳はない。


「過去形…なのですね」

「貴官に会えたからな」

 和泉小槙が薄く微笑んでから、

「もう部下を失わなくて済む」

「私なら死なないからですか」

「それだけではない」

 和泉小槙が近づいてくる。


「…片桐。ありがとう。貴官に会えたとき、私は本当に嬉しかったんだ」

 彼女は片桐の耳元で囁くようにそう告げると、思い切り片桐の首筋に食らいついた。






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