第十章 要岩(2)

 要岩から白い煙が上がる。煙の上には依然として要岩の先端が見えるので、その中腹が消し飛んだということはなさそうだったが、元々亀裂が入っていたと聞いている 。油断は出来なかった。


 煙のせいで晴れない視界にも苛立ちながら、片桐が再度、遠藤に詰め寄ろうとしたときだった。


 無情にも飛行体から二発目の弾が発射される。

 先程と同じ柱に向けて。


(駄目だ)


 顔面の筋肉が硬直しているのが分かった。

 見たくもないのに、視線が反らせない。

 祈る間も与えられることなく、二発目の弾は要岩に衝突した。

 骨が砕けるような不気味な音が当たりに響き渡る。

 そして、六柱ある要岩かなめいわの、その一柱が崩落し始める。


「総員、待避!!」

 片桐は叫ぶ。

 戦場で何度口にしたか分からない言い回しだったが、まさか自国で叫ぶ日がこんなに早くやって来るとも思っていなかった。


「逃げろ、何してる。早く逃げないと、!!」

 片桐はその場に立ち尽くしている上等兵の肩を揺すって叫んだ。


 しかし、彼らは動かない。

 彼らは亡霊に取りつかれた愚者のように、その場に立ち尽くしていた。一つぐらい柱が崩落しても、淵主の封印としては足りるのではないかと。そんな妄想に囚われている。


 片桐は空を仰ぐ。

 飛行体は既に空の彼方に去っている。

 賢いことだ、と片桐は思う。

 そうだ。逃げなければならない。我々、人間の力では太刀打ちできない。


 には。


 崩落した要岩の亀裂に沿って、空に向かって赤いが伸びていく。

 それは要岩という体を巡る血管のように細かく枝分かれし、細部にまで到達していた。

 血管は要岩の先端まで達すると、一瞬、鳴りを潜めた。

 そして、

 要岩から血飛沫ちしぶきが上がり、その一柱が爆砕した。


 地鳴りが鼓膜を揺さぶる。


 片桐は、幼年学校の教本にあった淵主が、赤黒い化け物として描かれていたことを思い出す。


 轟音は一瞬で行ってしまった。代わりに大地が、木々が大きく揺れ始め、ざわざわと生き物が山から飛び出していく。地を逃げるのはいのししいたちといった獣。空を飛び交うのは無数の鳥。

 そして、その向こうに見えるのは…、

(出てくる…)

 青黒く縁取られた燃え盛る炎のようなものが、要岩の残骸の中から現れる。

 形は固定しない。腕のようでもあり、百足むかでのような足を持つ無頭の蜥蜴とかげのようでもある。


 禍々しさの中に、どこか美しさがあった。

 そして、どうしてか懐かしみを感じる。


「これが…淵主…」

 片桐が呟くと、弾かれたように近くにいた上等兵が一目散に駆け出した。我も、我もと二年兵と初年兵が後に続く。

 火砲を置き去りにして、皆、広場から撤退を始める。

 その中に遠藤の後ろ姿もあった。


(ようやく本部へ電信を打ってくれるか)

 諦めの想いで、片桐は視界の中、國津の兵士達と逆行して近づいてくる二人の天津人を見つめた。


 一縷いちるの望みにかけて、遠野橘に尋ねる。

「…天津の軍はいつ到着しますか」

「今、確認したところでは一時間はかからないだろうと言うことでした」

「一時間」

 その間にこの地がどれほど蹂躙されるだろうか。

 片桐は奥歯を噛みしめた。

 しかし、こんなところに留まっている場合ではない。

 片桐は和泉小槙の方に顔を向けた。


「…こんな状況になってしまいましたが、あの契約は生きていると認識しても良いのでしょうか」

「無論だ」

 和泉小槙はそう言うと、外套を脱いだ。

 

 その彼女の格好を見て、

「…天津軍の軍装はそんな薄着なのですか」

 片桐は唖然とした。


 それは、この戦況においても無視できない、女の尊厳を踏みにじった異様な格好だった。


 外套の下、和泉小槙が身に付けていたのは、肩から腕までを露出させた白磁色の衣服だった。

 辛うじて、胸元には拳銃嚢けんじゅうのうらしきものが当てられていたが、それ以外に衣類らしきものはなく、下半身についても、太ももの付け根から下は体の外側の肌が露出していた。

 しかも、布で覆われている部分は安心かと問われるとそういうことではなく、体に吸い付くような素材なのか、拾わなくても良い体の凹凸おうとつを全て拾ってしまっている。

 もはや、和泉小槙の首から下は、足元の軍靴ぐんかを除いて、片桐が直視出来る格好ではなくなっている。


「そんな訳がない」

 外套から軍刀を外しながら和泉小槙が言う。

「こんな薄着なのは、めすの私だけだ。おす對精トルトニスはそれなりの軍装があつらえてられている」

「見下されてるんだよ」

 遠野橘が言う。「分かってるんだから着なければいいのに」


「天津まだ男尊女卑だんそんじょひの精神は残っている。軍においては特に色濃くな。それは分かるだろう?」

「分からなくはないですが…」

 しかし、だからと言って、裸同然の格好で戦闘に臨めと言うのは正気の沙汰とは思えなかった。

 天津軍は和泉小槙を、娼婦館の看板娘か何かと、思っているのだろうか。


「まあ、それに利に叶ってはいる。袖があっても破れてしまうからな。そう、哀れまないでくれ。片桐曹長?なぜ貴官まで脱ぐ必要が」

「これを」

 和泉小槙の言葉が終わる前に、片桐は自分の上衣を彼女に差し出した。

「これを着ていてください」

「…貴官の気持ちは嬉しいが、

 和泉小槙は少し困ったような表情を浮かべる。

 天津軍の内部でも色々と問題があることは容易に想像できた。


 しかし、片桐は譲らない。


「悪しき体制と戦おうとする気持ちは汲みますが、気が散ります。それに、これなら破れてもいいでしょう。天津に行くのならいずれ不要になるものです。さあ、どうぞ」

「気が散るってお前…」

「さあ。早く。淵主は既に興ったのです」

「…貴官が足を止めさせてるんだろうが」

 和泉小槙は渋々、片桐の上衣を受けとると、袖を通した。

「それに大きさがな。どうせ胸元が…苦しく…ない!貴官、どんな胸筋をしてるんだ?」

「今はそんな話をしている場合では」

 片桐は言葉を切り、後方、要岩の方を振り返った。








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