第十章 要岩(1)

 平時には観光客が出入りする道とは言え、もとは山道である。

 地面に転がる石や窪みは多く、それを車輪が拾う度、車両は揺れ、車内から遠野橘の悲鳴が漏れ聞こえてきた。


「到着します」

「ああ」

 片桐の言葉に和泉小槙が頷いた。震えも高揚もない冷静な声。指揮官だと言うのは虚偽ではないらしい。


 木々が繁る道が終わり、唐突に視界が開ける。

 坂道の終点は広場だった。

 元々は、いくつかの商店が並び、ささやかながらも賑わいのある広場だったが、その様相ようそうは一変していた。


(まるで前線基地だ)


 店主不在の店先に並ぶのは、弾薬や銃剣といったきな臭いものばかりで、観光客の代わりに行き交うのは怒号を飛ばす上等兵だった。皆、薄汚れた上衣を身につけ、目の下に隈を作っている。


 先程の高階とは全く違う切羽詰まった様子に、ひょっとしたら第一小隊の方でも、高階を持て余していたのではないかと思う。

(哀れだな)

 だからと言って同情はしないが。


『違う、馬鹿者!そうじゃない!』

『そんな低くちゃだろう!』


 そんな上等兵の怒号を聞きながら、片桐は広場の中央で視線を止めた。

(あれで落とすと言うのか)


 そこには、不穏な空気が立ち込める広場にあって、最も不吉な空気を纏っているものが置かれていた。鎮座していると言っても過言ではないだろう。それには、それだけの風格があった。


 それは火砲だった。

 正式名称を、参弐式サンニシキセンチ加農カノン砲という。口径九糎、砲身長約四百 センチという巨大な大砲は、第十三中隊における最大の威力を持つ大砲であり、車輪の直径は、片桐の上背と大差ないほどの大きさだった。普段は中隊の武器庫で眠るその怪物は、組み立てに半日以上かかる代物で、片桐も武器庫の外で見たのは初めてだった。


 その加農砲のすぐ側で、遠藤を見つける。

「中隊長殿!」

 片桐は叫んだ。

 しかし、雑音に書き消されたのだろう、遠藤の耳には届かなかったようだった。

 視界の中の遠藤は空を見上げた。

 つられるように片桐も上空を見上げる。

 先ほどの機械兵器とやらが要岩に近づいて行くのが見えた。


「総員、用意!!」

 遠藤の叫びに応じて、火砲の砲包が空を向く。最大斜界四十五度。これ以上は上がらないその限界俯仰でもって、

「っ打てー!」

 遠藤の号令とともに、砲口から徹甲弾が発射される。

 砲撃の反動で数名の兵がその場に倒れ込み、土埃が立った。


(当たってくれ…!)

 可能性が低いことは分かっていたが、希望は採用する。固唾を飲んで弾道を見つめる中、和泉小槙の冷めた呟きが耳に届く。


「弾の無駄遣いだ」


 結果は彼女の言葉通りだった。

 射出された徹甲弾は、飛行体に激突することなく、美しい放物線を描いて、山の中へ飲み込まれていった。 樹木が薙ぎ倒され、数秒遅れて、ずん、という振動が体に響く。


「中隊長殿!」

 片桐は馬車から飛び降りると、第二弾を装填するよう命じている遠藤のもとまで駆けた。


「中隊長!」

「何だ。何でお前がこんなところに」

 遠藤は顔をしかめてこちらと、後方、馬車の行者席にいる和泉小槙を交互に見つめた。


「あれは第三帝国の飛行体です。即刻、本部に援軍を求め、住民の避難の指揮をお取りください」

「第三帝国だと」

「コナ海国と手を組んだとのことです。カレニアの報復のために、今度はこちらの本土を戦場にするつもりです」

「しかし」

 遠藤が口を開いて何かを言ったが、一層大きくなった飛行体の轟音に書き消されて片桐の耳までは届かなかった。


 片桐は、再度空を見上げた。


 飛行体が要岩に近づく。

 その腹の下から、装備した弾が外れて、要岩に向かって飛んでいく。


(外れてくれ!)

 片桐は祈った。

 しかし、飛行体の弾道の軌跡から、片桐はその祈りが届かないことを悟る。


 刹那せつなの後、弾は要岩に炸裂した。







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