第九章 高階(4)
高階が膝から崩れ落ちる。
見下ろすのは初めてかも知れない、と思いながら片桐は口を開いた。
「同情しますよ。同期に宮藤少尉という人格者がいたことは。しかし、あなたも少尉ならば、少しは部下や民間人の事を考えなさい」
そう言ってから、片桐は、未だに銃剣を構えている初年兵に向き直った。数えで十六の、幼さの残る少年達だ。当然、銃の扱いには長けていない。彼らは焦った様子で照準を合わせようとするが、そもそもこの近距離で歩兵銃を使用するのが間違いなのである。照準が合わないのだろう、情けない声を漏らす。
「…曹長殿」
「退いてくれ。急いでるんだ。出来れば手荒な真似はしたくない」
「それは我々も同じです。小隊は違いますが、我々初年兵は、皆、曹長殿には気をかけてもらいましたから」
「打て…」
地面から呻き声が上がる。声の主は高階だった。彼は初年兵に再度命ずる。
「片桐を打て」
「え…、いや、でも」
「打てと言っているだろうが!!」
高階は胸元から拳銃を取り出すと片桐に向けて発砲した。
片桐は避けない。
避けずとも当たらないことは分かっている。高階の射撃が下手なのは有名だ。
案の定、高階の拳銃から発せられた弾は明後日の方向へと飛んでいった。
高階が顔を真っ赤にして初年兵に怒鳴り上げる。
「お前も打て!これは上官命令だ!」
「申し訳ありません、片桐曹長!」
初年兵はそう言って引き金を引いた。
幼い初年兵を殴るのは気が引けるが、仕方がない。
片桐は嘆息しながら、一歩足を踏み出すと、初年兵の銃剣の先端を掴んで、思い切り引き寄せた。
体勢を崩した初年兵の顎下を、掌底で打つ。初年兵はそのまま地面にうつ伏せに倒れ込んだが、ほとんど力を入れていなかったので、気絶するのは不自然だった。
(賢いな)
片桐はそのまま狸寝入りを決め込む初年兵から、視線を外した。
彼らは若い。残りの任期を考えれば、ここで高階を裏切るわけにはいかないことも理解できた。
片桐はもう一人の初年兵に向き直ると、同じ要領で彼を地面に沈めた。
彼も同様に起き上がっては来なかった。
それを視界の隅で確認しながら、片桐は再度、高階に向き直った。
「止まれ、片桐」
「…別に宮藤少尉はあなたのことを敵視していたわけではないと思いますがね」
「何のことだ」
「元々の能力が高いにも関わらず、努力も怠らない方でしたから、
「だまれ、片桐」
圧し殺したような声音で高階が言う。
「嫌ってしまった方が楽なのは分かります。しかし、忘れないであげてください。宮藤少尉は決してあなたのことを嫌ったりしていませんでした。価値観は違えど大切な友人の一人だと仰って」
「黙れと言っているだろうが!」
高階が再度激昂して引き金を引く。
弾道を予測して体を捻ると、そのまま大きく足を踏み出し、全体重を乗せて高階の左頬に右手の拳を打ち込んだ。
悲鳴を上げる間もなく、高階が後方へと吹き飛ぶ。
「まあ、俺は大嫌いなんですがね」
「そ、曹長殿」
二年兵が困惑の表情で片桐を見つめてくる。
「…高階少尉は体調不良のため兵営にてお休みされるそうだ」
「し、しかし、これは反逆罪で…」
二年兵はそこまで言うと、言葉を飲み込んだ。
しかし、それは、こちらの気持ちを理解してくれたからではない。
覚えのある音が鼓膜を揺らす。
(早い。もう戻ってきたか…)
あるいは、最初から時間差で二機目が準備されていたか。
片桐は舌打ちをすると、呆然と空を見上げる二年兵の肩を掴んだ。
こちらを向かせてから、
「付近の住民を避難させながら兵営に戻れ。途中、第二小隊の連中がいたら手伝え。事態は一刻を争う。死にたくなければ迅速に動け。いいな」
「り、了解しました」
二年兵はこちらの勢いに負けたのか頷くと、高階を担いで通路を開けた。
昏倒していた筈の初年兵も、急いで起き上がり、きびきびと動き始める。
「片桐」
後方から和泉小槙の声がかかる。近付きつつあることには気付いていたので、驚くことはない。
彼女は馬の手綱を引いていた。
遠野橘の姿はない。彼の気配は車両の中にある。
「お見苦しいものを見せてしまって」
「どこも似たようなことはある。それよりも急げ」
「無論です。さあ、乗ってください」
片桐は行者席に飛び乗る。
どういうわけか、和泉小槙は車両ではなく、行者席に上ってきた。
「……意図を…。いいえ、結構です。出します」
そう言って、手綱を大きく上下させ、再び馬を走らせた。
轟音が響く中、坂道を上っていく。
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