第九章 高階(1)

 馬の許可申請書に記載した目的地は、舛田駅前付近だ。当初の目的地とは正反対の、曲谷へと向かう馬車の行者席で、片桐は奥歯を噛み締める。


 昨日の天津軍人達の様子から、場合によっては行き先や返還時刻の変更を余儀なくされることはあるかもしれないと推測していたが、馬を生きて返せなくなる可能性については予想していなかった。

 馬の命だけではない。

 人間も町にも消滅の危機が迫っている。


(こんなことになるならば、もっと強く言っておくべきだった)

 強く言ったところで、遠藤が片桐の思うような対応をしてくれたかは分からないが、可能性を残したままやり終えた仕事には、往々にしてそういった後悔の念をいだく。


 ガタリ、と車両が揺れる。

 後ろの車両に乗っているのは、二人の天津人だ。

 馬を駆っているのは野崎で、片桐はその隣に座って、上空、煙をあげる要岩を凝視している。

 空には既にツェータ・テンなる飛行体の姿はない。あれは、2度発射の後急旋回して空の彼方へ去っていった。


「まさか、空からやってくるとは思いもしませんでした」

 野崎が言う。

 風と車輪の音がやかましく、聞き取りづらい。

「和泉小槙大尉が言うには、ツェータ・テンに搭載出来る誘導弾は2発限りらしい」

「また戻ってくるということですか」

「その可能性は高い。それまでに何とか市民の避難を完了させなければ」


 片桐は眉根の皺を深くした。

 恐ろしくて、空から地上へと視線が戻せない。飛行体までは距離があったせいで、気配当てでは気づけなかった。もっとも、和泉小槙の話では、『機械』兵器とのことなので、そもそも気配を感じとることは難しいのかもしれない。しかし、人間の搭乗無く、機械に空を飛行させる技術が存在するとも思えなかった。


 そんな焦燥の中、一瞬だけ視線を地上へと戻すと、視界の中に見慣れた煉瓦造りの営門が映った。第十三中隊本部に到着したのだ。


「馬を停めたら、初年兵を率いて曲谷まがりだにへ向かえ。付近の住民を避難させろ」

「片桐曹長はどうされるのです」

「遠藤大尉に会ってくる。本部に連絡を取ってもらうのと、勝手に動くことの断りをいれておかねばならんが…」

 そこまで言って兵舎本部の三階、中隊長室の方に視線を投げた。気配を探る。


(居ない…?)

 『気配当て』は、距離があればそれだけ精度が下がる。

 営門から遠藤の執務室までは、直線距離にして半マイルほどもある。


(すぐに確認はとれるか)

 片桐は、営門のすぐ側にある、衛兵の詰め所から出てくる初年兵の気配を感じた。


「片桐曹長?」

「いや、何でもない。その馬は残しておいてくれ。他の馬では怯えて使い物にならないからな」


 片桐は、そこまで言ってから振り返った。

 案の定、初年兵が二人、営門から飛び出してくる。


「曹長殿!軍曹殿!一体、何が起きているのですか!?」

「遠藤中隊長はいないのか?」

 質問には答えず、片桐が初年兵に尋ねる。


「居られません。登営した直後に曲谷へと向かったきりです」

「そうか」

 片桐はそこで顔を野崎の方へと戻すと、

「手間が省けた。野崎、後は任せる」

「承知しました。曹長もお気をつけて」

「ああ」

 片桐は頷くと、車両の扉を開けた。

 中には遠野橘と和泉小槙がいる。

 扉が開かれることが分かっていたのだろう、和泉小槙の視線はすでに扉の方を向いていた。遅れて遠野橘がこちらを向くのが見える。

 片桐は和泉小槙と視線を合わせると、

「このまま曲谷へと向かいます」

「了解した」

「で、出来たら安全運転でお願いします」

「善処します」

 遠野橘の嘆願に片桐はそうとだけ返した。車両の扉を閉めて、行者席へと飛び乗ると、急ぎ馬を走らせる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る