第八章 異変(7)

 沈んだままの片桐をおいて、天津人達の話は進む。


 遠野橘は和泉小槙の依頼を受け入れたらしい。彼は、布団をしまうと、部屋の隅にあった荷物の中から金属製の御膳おぜんのような装置を取り出した。

 和泉小槙が押し入れからちゃぶ台を引きずり出すと、その上にその装置を置く。


 お膳のような装置は二枚貝のような作りで あるらしかった。遠野橘が上の貝殻を開くと、真っ黒な鏡のような面が現れ、その表面に三人の影が映る。影は明瞭なもので、こちらの表情すらわかる程度だった。


 和泉小槙が遠野橘の隣に腰を下ろす。しかし、彼女は黒い面を凝視した後、少し遠野橘から距離をとった。彼女はこちらに顔を向けると、

「片桐曹長もだぞ。そこだと映ってしまうからな」

「どうせ途中から映るのに」

 遠野橘が言う。彼は荷物の中から針金のような装置を取り出すと、それをお膳のような装置に差しながら、

「部隊を派遣してもらうのに、隠してはおけないだろう?」

「私は構わないが、少佐は良いのか」

「最初から処罰されるのは覚悟してるよ。まぁ、對源が見つかったから除籍にはならないと思うけどね。ただ、逮捕ぐらいはしてもらわないと」

「何のことだ?」

「まあ、僕のことは気にしないで。それよりも、片桐さん」

 遠野橘がこちらへと視線を向ける。その口調は昨日とは比較できないほどに快活だった。先ほどの和泉小槙が何をしたのか片桐には分からないが、活力の源となるものを譲り渡したのであろうことは想像にかたくない。


「本当に宜しいのですか?天津に行ったきり、ということにもなるかもしれません」

「構いません。それでこの地が救われるなら」

「分かりました」


 遠野橘はそう言った後、御膳の縁を撫でるような仕草をした。数秒遅れて黒い面に青い映像が写り込む。遠野橘が画面上を指先で二、三触れると映像がその都度切り替わった。


「覚悟は決まっているとして…それで、どこに繋げばいいの?」

「それはだな……」

 和泉小槙は即答しない。 彼女は瞼を閉じると腕を組んだまま、何かを熟考し始めたようだった。ああでもない、こうでもない、と呻き声にも似た声音で呟く。


「君のところの連隊長が一番早いと思うけど」

「いや、いきなり楢崎ならさきかむり中将はまずい。ここは宇和うわはや少将ぐらいから慣らしていく必要が」

「最終的に中将にめちゃくちゃ叱られるのは変わらないと思うけど。僕が君の同意なしに君を連れ出せるわけないんだから」

「当然私も罰を受ける所存だ。貴官一人を差し出すつもりはない」

「だったら良いじゃない。別に」

「理屈では分かっている。だがな」

「じゃあ、楢崎冠中将に繋ぐということで」


 和泉小槙が非難めいた声を上げたが、遠野橘はそれを無視した。彼は面に向き直ると、装置を操作したらしかった。

 唐突に装置から男の声が発せられる。


「こちら第201通信中隊です」

「遠野橘少佐です。認識番号は19274056」

「本人確認完了。どちらへ繋ぎますか」

楢崎冠ならさきかむり中将をお願いできますか?」

「承知いたしました。呼び出します。……。中将の回線は塞がっています。どなたか別の方をお呼びしますか?」

「ええと、それでは…」

 遠野橘が別の人物の名を口にしようとしたときだった。


 客間の外。

 遠くで何かが破裂するような重低音が鼓膜に届いた。

 何だ、とは思わなかった。

 脳裏に浮かんだのは、要岩のことだけだった。

(間に合わなかったのか!?)

 片桐は窓に駆け寄ると、鋭く外を見やった。

 やはり、というべきか、要岩に異変は起きていた。


 要岩の一柱から煙が上がっており、その周りを旋回する飛行体の陰が見えた。

 とびにしては巨大すぎる。しかし、おおとりにしては小さすぎる―そんな大きさの陰で、形はまるで鳥とは違っていた。くびを切り落とした蜥蜴とかげのような、それでいて背からは硬い羽のようなものを生やした不気味な形。


(何だ、あれは)

 あの不穏な飛行体は。


「ツェータ・テン!?」

 同様に窓に近寄ってきた和泉小槙が叫んだ。彼女はこちらに顔を向けると、苦しそうな面持ちで、

「第三帝国の機械兵器だ」

と告げた。



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