第八章 異変(2)

 仲居に一言断った後、上がりかまちに腰を下ろし、手早く編上靴へんじょうかを脱ぐ。玄関には他の客の姿があった。どの客も島屋の浴衣を身に付けて、手拭いを手に遠巻きにこちらを見ながら通りすぎていく。島屋に温泉はなかったはずなので、浴場にでも向かっているのだろう。

(羨ましい限りだ)

 そんなことを思いながら、脱いだ編上靴を土間の脇に寄せた。室内へと上がる。


 和泉小槇が宿泊している部屋は三階にある。

 玄関の広間を横切って、階段へと足をかける。

 勾配の急な階段で天井も低いため、野崎は身を屈めなければ頭を打つだろう。振り向きはしないが、気配でそのようにしているのが伝わってくる。


 二階の廊下を通りすぎ、三階へと進んだところで、背後の野崎が口を開いた。

「曹長殿」

「何だ」

「なぜ部屋をご存じなのでありますか」

「それはだな……」

 片桐は即答しない。

 頭のなかに浮かんだ答えは二つ。

 一つは、気配でわかるというものと、もう一つは昨晩、酔い潰れた彼女を駅前から宿屋まで連れ帰ったから、というものだ。

(野崎は俺の気配当てのことを知っていただろうか)

 そんな事を考えていると、野崎が次の問いを口にした。


「昨晩、外泊されたとか」

「してない。午後九時には兵営に戻った」

 本当は九時にはまだ兵営には戻っていなかったが、後ろめたさから反論も大雑把なものになる。

「どうして曹長ばかり」

「見た目はともかく…」

 中身は人外だぞ、という一言を飲み込んだ。代わりに、時間稼ぎのための問いを投げる。

「外国人が好みなのか」

「別に外国人だからというわけではありませんが。曹長殿は、綺麗な方だとは思いませんか」

「整ってはいるのだと思うが…」

 片桐は首を捻る。

 元よりそういった方面に明るくない。

「私はあんなに美しい女性を見たことがありません」

「そうか…」

「何です?」

「何でもない。がんばれよ」

 野崎が思いを寄せたところで、実りはしない恋愛だ。水を指す必要もあるまい、と片桐はそれだけ言うと、目的の客間の前で足を止めた。

 障子を前に口を開く。背後に立つ野崎が姿勢を正したのが分かった。緊張しているのだろう。


「片桐です」

「空いてるぞ」

 天津の客間には鍵でも付いているらしい。

 入室の許可は下りたと判断し、片桐は障子を開いた。





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