第六章 墓標の誓い(3)

「会いに行って頼んでくる」

「部下になるように、ですか?」

「部下でなくとも良い。共に戦場を駆けてくれるのならどんな間柄でも」

「戦場は、で立つには、過ぎた場所でしょう」

「それならば、相応の間柄を用意するだけだ」

「どのようにして?」

「それは…」

 返答につまり、足を止める。

 振り返ると女は一歩近づいた。じりじりと詰め寄ってくる。

「我が軍は外国人の入隊を認めていませんよ」

「それは分かっている。だからまずは帰化してもらってだな…」

「帰化」

 女が単語を繰り返す。責められていることを悟り、急いで続きを口にする。

「いや、分かってるぞ。それが難しいことぐらいは。だからそこは説得して…」

「どなたが?」

「もちろん私が」

「どなたが?」

「…何で二回訊くんだ…」

 言いながら、それが平易な道ではないと悟る。

「難しいかな…」

「そもそも」

 女はそう言って形の良い人差し指をこちらへと向けると、

「会いに行くと言ったって、あなたは現在、国外渡航を禁止されているでしょう」

「渡航申請は出す」

「許可が降りるわけがないでしょう。生体兵器の自覚があるのですか」

「痛感はしている」

「責任の所在について指摘しているわけではなくて」

「同じことだろう」

「全く違います。そもそも、誰もがあなたと同じように清廉なわけではない」

「どういう意味だ?」

「仮面をつけて生きている人間は多いです。私も含めて」

「この際、人格は度外視だ。少々破綻していても、對源でさえあればよい」

「耐え難い恥辱に晒されるかもしれないのに?」

「私が?」

 和泉小槙はそう言って笑った。

 むっとした表情で女が応える。

「姿だけなら人間とそう変わらないでしょう? 寧ろ、そういう特殊なのを好む男もいるでしょうし」

「特殊」

 言い返そうとして、ちらりと脳裏を掠めた別の言葉を選ぶ。

「…そんなに酷そうなのか?」

「そんな気概のない様子では、引き込むなんてとても無理でしょう」

「いや、忘れてくれ。私にできることなら、何でもする。例え、それが常人には耐え難いことでも」

「何でもって…」

 女はそこまで言うと、深く嘆息した。

 頭の帽子をぞんざいに取り去ると、もう一方の手を腰に置いて言ってくる。


「馬鹿だよな、お前は本当に」

 心底呆れたのだろう。女の声音と口調は完全に地に戻っていた。少し掠れた甘い声に乗る言葉は粗野そのものだ。


「自分に対して誠実でありたいだけだ」

「それが通用するのは、お前と同じ種類の人間だけだって言ってるんだ」

「…對精トルト二スということか?」

「ばーか」

 女はそう言うと、帽子をこちらに投げてきた。和泉小槙は胸元でそれを掴む。

「何のために、作戦中に、俺がわざわざ戻ったと思ってんだ?」

「?」

「手助けしてやるって言ってるんだ」

「それは有り難いが…。いいのか?」

「しょうがねぇだろ。中途半端なところで手を離すにしてはでかすぎる話だ。象徴だぞ?しょーちょー」

「…天津神教か。しかし、『象徴』の席はからなんだろう?」

「三十年ほど前からな。それまでは、五百年生きたとかいう少女が席を埋めていた」

「五百年も」

「いやー、五百年も籠の鳥か。俺なら耐えられんな。あ、分かっていると思うが、おっさんだからな。今回の對源は」

「まぁ、彼の国に女の軍人はいないと聞くからな」

「遅れてんだ。いろんな面で。まぁ、うちほど少子化が進んでないのもあるがな。出生率は倍らしいから、当面、女子供を当てにしなくても戦争を続けられるだろう」

「羨ましいとは思わないな」

「同感だ。まあ、性差に平等な軍なんざ存在しないさ。うちはうちで問題が山積みだしな」

私に對源の話を持ってきたのか」

「それもある。現状、我が軍で諦めてない女はお前くらいのものだからな。まだあの服で戦ってんだろ?」

「そうだ」

 頷くと、女は大きな溜息を吐いた。

「本当に馬鹿だな、お前は」

「あれで戦うことに意味があると思っている」

「男どもは喜んでるぜ。胸のでかい美女がエロい戦闘服コスチュームで飛び回ってるって。良かったじゃねえか。人気者で」

「気の毒な奴らだ。よほど視力が悪いと見える」

「それが強がりじゃねぇんなら、お前は、もうちょっと自分の見てくれを正確に把握した方が良いぜ?手入れをすれば十分、武器になる。まぁ、口を開いたら台無しだがな」

 女はそう言うと、後頭部で両手を合わせ、淑女とはおよそ程遠いと評価されるであろう仕草で空を見上げた。


 共同墓地の門扉前が見え始める。


 煉瓦造りの門には白薔薇の蔦がからみついており、所々に蕾も付いていた。

 門を潜ればどこかに向かわなければならなくなる。

 けれど、

(一人では無理か…)

 胸中で舌打ちをする。


「どうする?都合の良い佐官を一人だけ知っているが」

遠野橘とおのたちばなだろう?しかし、良いのか?恐らく…かなりの迷惑をかけることになるぞ」

「だろーな。降格どころじゃ済まねぇだろう」

 女がひひひ、と歯を見せて笑う。


「…ひょっとして仲が悪いのか?」

「子供に説明するのは面倒だなぁ」

 女はそう言って口角を上げた。

「年齢は大して変わらないだろう」

「大雑把なんだよ。お前は。普通の人間は十以上離れていたら一括りにしない。世代が違うからな。對精お前らと一緒にしてくれるな。寿命、倍なんだろう?」

「天寿を全う出来れば二百年ぐらいだということだ」

 皆、戦場で散るため、百を越えて生きる者はほぼ皆無だが。

「ふーん。竜の半分ってところだな」

 大した興味もないのだろう。

 女はそれだけ言うと、話を戻した。


「で?どうするよ。諦めるか、あいつと二人で行くかのどっちかだぞ」

「私が一人で渡航するという選択肢はないのか」

「お前には無理だろう」

 女ははっきりと否定した。自分でもそう思うので反論はしない。

 戦場にさえ一人では行けない。いつも連れていってもらうばかりで。


「それに」

 女が次いで口を開く。

「最近、西の動きが怪しいらしい。単独での渡航は避けた方が良いぜ」

「西…。第三帝国か。戦線は膠着こうちゃく状態なのだろう?」

「今はな」

 女は低い声でそう呟いた後、声音を元に戻してから、


「用心するに越したことはない。遠野橘のことは気にすんな。最終的に是非を判断するのはあいつなんだし」

 女はそう言って和泉小槙の肩を叩いた。

「嘘をつくのは苦手なのだが…」

「出し抜こうと思うからだ。今回は、正直に言え。對源フォンスを探すために渡航したいから手伝ってくれってな。餌はそうだな…。俺か。俺の居場所を伝えればあいつも動くだろう」

「しかし、遠野橘は低對素状態だと機能不全に陥るのだろう?第三階層では…」

「最近、特殊な薬箱を作ったらしい。それに對素を入れておけるかどうか実験しているようだ」

「連絡を?」

「まさか」

 女が驚いたように目を剥いた。続ける。

「頭の中を覗いているだけだ」

「…同僚と言えどもハッキングは重罪だぞ」

「ハッキングじゃない。あいつのIDとパスワードで、あいつの研究データにアクセスしているだけだ。あいつとして」

「どうして遠野橘のIDとパスワードが分かるんだ?」

「それは俺も知りたい」

「意味が分からん」

「気持ち悪いよな、お互いってことだ。ま、向こうも気付いてるから問題ないだろ。で、どうする?」

「遠野橘に頼んでみよう」

「そっか。じゃあ、頑張れよ」

「一緒に来てくれないのか?」

「お前の冗談にしてはおもしれーよ」

「名は?」

「自分で訊けよ。一目見れば分かるだろ」

 女はひらひらと手を降ると、門を潜って墓地を出た。通りに出るまでの一瞬に、彼女はすっかり傷心の淑女に戻っていた。顔を伏せて、通りを弱々しい足取りで歩いていく。


(對源フォンスか…)

 心中で呟くと、体が震えるようだった。

 深く息を吐いてから、女を追って共同墓地の門を潜る。

 

 後ろを振り返ることはなかった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る