第六章 墓標の誓い(1)

 三月の第二水曜日

 天津国 共同墓地


 振り返ると、喪服姿の女が一人立っていた。


 トークハットのベール越しに、垂れた目尻と長い睫毛が見える。薄い唇には、落ち着いた色の口紅が引かれており、毛髪の色は明るい栗色だった。肩の上で揺れているのはカールした毛先。喪服姿だというのにどうしてか華やかな雰囲気を纏っている。


 見覚えのない女だ。しかし、知人である。


 著しく低い對素濃度。顔の作りや体型等ではなく、それがこの女の目印だった。對素の濃いこの第一階層に置いては特に目立つ。


「…珍しいな。いつ戻った?」

 尋ねると、女は落ち着いた声で応えた。

「昨日です。午後には発ちます」

「そんなに早く?」

「慰めが必要でしたか」

 女はそう言って、こちらの後方へと視線を向けた。追うように顔を戻すと、白い墓石が映る。


 墓石には部下だった男の名と、彼の生きた期間が刻まれている。没した日付は二月前のものだった。帝和歴1874年12月8日。それが、自分が国に申告した部下の死亡日だ。彼を看取ったのが自分だったから。


 葬儀に駆けつけ、遺族に頭を下げたかったが、所有者である国はそれを許してはくれなかった。帰国後、自身を待っていたのは、数百にも及ぶ機能検査だった。

 検査の途中で降格と謹慎期間が決まった。検査官は目敏めざとくも、左腕の放出孔の火傷から発動回数を推測したようだった。結果、謹慎期間は二ヶ月となった。


「…不要だ。遺族も理解を示してくれたから」

 だからと言って楽になったわけではなかったが。

「大尉に降格したと聞きました」

「さすが情報部だな…。私自身、ここに来る前に知らされたばかりだと言うのに」

「今度は何をされたのです?」

「発動回数の不遵守。いつもと同じだ」

「三、といったところでしょうか?」

「四だ。しかし、それでも助けられなかった」

 墓石には確かに部下の名前が刻まれている。

 けれど、その石の下、冷たい土の中に部下の亡骸なきがらはない。

 彼の体は遠く離れた戦場の大地に置き去りにした。形見として持って帰れたのは小さな指輪一つだけだったが、それすらも同僚を介して既に遺族に渡っており、自分の手元にはない。結果、部下の墓石の下には、部下を構成したものは何一つ埋められなかった。そういう意味では、ここは部下の墓などではなく、彼の名が刻まれた石碑が立つだけの場所だ。それでもここに来たのは、ここ以外に部下をしのぶ場所が思いつかなかったからだ。


「…結婚を誓った相手がいたらしい」

「良くある話です。婚約者がいて、配偶者がいて、子供がいる…。天涯孤独なほうが珍しいでしょう?あなただって」

「…私のは形だけだ。冗談の類いだよ」

「お相手はそうは思っていないのでは?」

「良い人だとは思うが、化物を嫁に迎えるほどの物好きではないだろう」

「破棄するので?」

「近いうちにそうなるだろう。元々、先代同士が勝手に決めたことだ。お互い縛られる必要はない。…それよりも、どうしてこんな所へ?」

 本題へと水を向けると女は口の端を持ち上げた。

 女は密偵だ。変装しているとは言え、理由もなく基地の外で姿を現したりはしない。


「三年前の御礼に参りました」

「お礼?」

 ざっと記憶に当たるが思い当たるものはない。

「何のことだ?」

「大尉殿は遠慮深くあられますね」

 女は呆れた、という様子で小さく息を吐いてから、

「命を救ってもらいましたが、お忘れですか」

「…あんなことを未だに?」

「私にとっては人生が終わるかどうか、という大きな出来事だったのですよ」

 女はそう言って不満げな表情を作って見せた。


「そういう意味ではなくて、仲間を助けるのは当然のことだろう?何もいちいち礼や褒美をねだるようなことではない」

「素敵なお言葉。小競り合いしている上層部の連中に聴かせてやりたいですね」

 女はそう言って両の掌を胸の前で合わせた。笑顔で宣言してくる。

「上の連中とは違い、私は義理堅いのです。ずっと相応のお返しをしなければ、と考えていました」

「真面目なことだな」

 嘆息して言ってやると、女は音量を下げて、

「ちなみに私のことは内密にお願いします。戻ったのが本部にばれたら処罰されますので」

「待て。作戦中なのか?」

 目を剥くと、女は安心させるように微笑んだ。

「大丈夫ですよ。何も起きないはずです。昨日、重石おもしが戻って来ましたからね」

「重石…?」

 心当たりが無かったにもかかわらず尋ね返さなかったのは、それが女の職務に関わりのある言葉だと察したからだった。尋ねたところで回答は見込めない。質問の代わりにくれてやれるのは感想くらいのものだった。

「貴官が作戦中に現場を離れるとは…。よほどのことだな」

「ええ。きっと誰だって、じっとしていられないはず。だって…」

 女はそこまで言うと、 首を斜めにした。

 したり顔で告げてくる。


對源フォンスを見つけたのですから」


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