第五章 夜道(5)


「これは機密事項なのだが」

 沈黙に飽きたのか、和泉小槙が口を開く。

「天津軍には、昔から世界の聖地に関する報告書がある。当然、伊具栖のものもあった」

 片桐は応えない。

 静かに和泉小槙の言葉を待った。


「記録によれば、当時、國津国で一番危険視されていたのは、伊具栖いぐすだった。淵主がおこるのならず、伊具栖からだろうと」

「…どういう意味だ」


「元々、對源フォンス…、天津では、天星高津神の力が宿った自然物のことをそう呼ぶのだが…、對源としての鏡池の力は脆弱で、封としては不完全だろうと推測されていた」


「俺がそれを補っていたと?」

 馬鹿馬鹿しい、と吐き捨てると、和泉小槙は嘆息した。腰に手をやるような仕種をして、

「貴官は、自分のことを全く理解していないのだな。對素たいそを垂れ流しながら口にする言葉ではない」

「俺はそんなものは垂れ流していない。あんたの方がよほど…」

「他人の分は分かる分、難儀だな」

 和泉小槙は呆れたような声を出す。


「對素というのは、天星高津神の力の基になる元素の名だ。視覚で知覚することは出来ないが、感じとることは出来る。貴官のそれは強大だ。私とは比べものにならないほどに」

 和泉小槙はそう言って、刀の柄に手を置いた。カチン、と返事をするように刀が鳴る。


 片桐は、昨日の応接間での和泉槙の様子を思い出す。脳裏に浮かぶのは、目を見開いて、獰猛な獣のように何者かを威嚇する彼女の姿だった。


「あれは俺を…」

「万が一に備えてのことだ。敵であったらどうしようかと内心、穏やかではなかった」


 和泉小槙の声音が和らぐ。彼女は次いで、

「一人で抱え込んで辛かったろう」

 と言った。

「…それは…」

 口を開くが言葉は続かない。

 先程までの苛立ちが、自身の勘違いによるものだと気付き、うつむいた。


「片桐曹長?」

「…あんただったら俺を殺せるか?」

 ふいに沸いて出た質問だった。

 言い終えてようやく、片桐は自分がこの女に処刑されたがっていることに気づく。


 突然の質問に、彼女は面食らったようだった。数秒おいてから首を横に振る。

「やってみなければ分からないが、おそらく無理だろう」

「そうか…。残念だ」

「死にたいのか?」

 和泉小槙が尋ねてくる。

 片桐は素直に頷いた。

「…俺のせいで死んだのなら、俺が罪を償うべきだろう」

「お前のせいで死んだのではなく、お前のおかげで生き長らえていたのだろう?」

 和泉小槙が不思議そうに聞いてくる。

 慰めのための仮初めの言葉ではなく、心底そう思っているような口ぶりだった。


「…そう…言ってくれるか…」

 片桐は、和泉小槙の言葉を胸にしまう。

 強張っていた心が解きほぐされていくのを感じていた。

「…貴官はただ生きていただけだ。生きているだけの人間に罪などあるものか。誰かが悪者でなければならないという気持ちは汲むが…」

「…ありがとう」

「なぜ礼を?」

「このことで誰かの赦しを得るとは思っていなかった…ものですから」

「…そう言われると、こちらとしても辛いな」

 彼女はぽつりとそう呟くと頭を掻きながら続けた。


「知人によれば馬鹿げたやり方なのだろうが、私はやはり嘘が苦手だ。昨日から何とか演技を続けてきたが、もう限界が近い」

「何のことです」

「貴官の願いは何だ?」

「どうしてそんなことを」

「私の願いを聞いてほしい。だから、その前に貴官の願いを聞こうと。聞いて叶えようと思う」

「…あなたの願いとは?」

 おかしなことを言う女だと思った。

 しかし、一笑に付さなかったのは、その声音が誠実そのものだったからだ。

「私と共に戦場に出てほしい。私なら貴官を上手く使ってやれる。少なくともこの非常事態に外国人の客の相手をさせるような馬鹿な真似はしない」

「把握しているのか」

 片桐は嘆息した。


「ひびが入っているんだろう?このまま放っておけば、舛田もまた滅びる」

「…俺が戻ってきたのに?」

 言った後、形容しがたい羞恥に襲われる。

 しかし、和泉小槙は、至極当然の疑問だと言わんばかりに、真剣な口調で会話を続けた。


「淵主の静穏期が終わろうとしている」

「静穏期?」

「深い眠りに落ちている期間のことだ。活動期の反対。静穏期は活動期に比べて地震が少ない。貴官が舛田に来てから十年だったか…。その間、何度舛田を離れた?」

「従軍回数は十を超えていると思いますが…」

 和泉小槙の言葉を受けて、片桐が応じる。


「これまで貴官がこの地を離れても淵主が興らなかったのは、静穏期だったことと、要岩の力が強大だったおかげだろう」


 和泉小槙はそう言って、こちらへと近づいてきた。


 雲の切れ間から月光が届き、和泉小槙を照らし出す。この季節は、夜に浮島大陸の陰から抜け出すため、雲が切れれば表情ぐらいは分かる。


 彼女は真剣な面持ちでこちらを見下ろしていた。

 紫色の瞳から視線がそらせない。


「片桐曹長。もう一度問う。貴官の願いは何だ?」

「この地を救って欲しい」


 唇からほろりと言葉がこぼれ落ちる。

 考えて出した答えではなかった。

 しかし、片桐はその答えに満足していた。


 どうしてか和泉小槙もそれは同じだったようだ。声の調子が幾分か明るくなる。

「いい奴だな。貴官は」

「そんなことはないでしょう。こんな出来もしないことを望んで」

「そんなことはない。貴官が助けてくれるなら実現可能なただの未来だ」

「本当か」

 片桐の問いに、和泉小槙は頷く。

 そして、

「貴官がそれを願うのなら、私が、序列の底辺であえぐ、最弱の對精トルトニスたるこの私が、淵主を封じて見せよう」

 そう言った直後、


 卒倒した。

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