第二章 探索(3)

 通りの角を曲がると、光彩を放つ赤茶色の瓦をかぶった建物が現れる。通りに並んでいる住宅よりも二周りも大きく、入り口には、「三原屋」と染め抜かれたのれんがかかっていた。


 軒先に、年の頃、五、六才の坊主頭の男児がしゃがみこんでいる。その足元には毛を逆立てた猫。猫は怯えているのか、背中を弓のように丸めて、牙を見せてうなっている。


「平太」

「おじちゃん!」

 片桐が呼び掛けると、男児が跳ねるように駆け寄ってきた。

「元気そうだな」

「おかえり!生きてたんだね」

「まあ、何とかな」

 片桐は平太の坊主頭に手を置く。切ったばかりなのだろう、毛先が手のひらに当たって心地よい。


「誰?」

 平太が遠野橘とおのたちばな和泉小槙いずみこまきを無遠慮に眺めて尋ねる。「お客さん?泊まるの?」

「いや、宿泊はしない。ちょっと親父さんと話がしたいんだが」

「分かった。呼んでくる」

 平太はそう言って、暖簾のれんの向こうへ姿を消した。


 猫と共に三人、三原屋の玄関先に取り残される。

 片桐は猫を見下ろす。


 猫は和泉小槙を睨んだまま、うなり声を上げている。

 当の和泉小槙はいうと、何故か前傾姿勢で腕をあげ、両手の平を猫の方へ向けていた。じりじりと近づいていく。


「…野良なので触らない方が良いと思いますが…」

 和泉小槙は片桐の言葉に体を強張らせると、ゆっくりとこちらに顔を向けた。どういうわけか、失態を咎められ、ばつが悪い子供のような表情で聞いてくる。

「幻滅したか?」

「はい?」

「いや、あ、遊ぼうとしているわけではないのだぞ。國津の猫がちょっと気になったから…。それで…」

 和泉小槙はしどろもどろで弁明し、最後には沈黙した。

「…別に遊ばれても構いませんが」

「いいのか」

 和泉小槙は驚いたように目を見開いた。

「貴官は、猫と戯れる軍人を見て尊敬に値しない人物であると落胆しないか?」

「…それは…」

 発言の意図が汲めなかったが、必要最低限のことだけ伝えておく。

「…病気を持っているかも知れませんので、お気をつけください」

「了解した!」

 こちらの発言をどのように汲んだのかは分からなかったが、和泉小槙はぱっと表情を明るくすると、猫との距離を縮め始める。


(…馬鹿なのだろうか?)

 片桐は、胸中で和泉小槙の評価を下げる。

 それに気づいたわけではないだろうが、遠野橘が和泉小槙に助け船を出した。息も絶え絶えに言ってくる。

「彼女は…動物が好きなんですよ。…動物には…嫌われていますけど」

 それはそうだろう、と片桐は思う。

 おそらく動物も彼女の異常な気配に気づいて、逃げてしまうのだろう。


 言葉が足りないと思ったのか、遠野橘は次いで、

「今までになついた動物は、…牙の生えた巨大な馬と竜だけです」

「…か、片桐曹長も似たようなもののはずだぞ」

 和泉小槙が追い込まれたような調子で言ってくる。


(何の根拠があって決めつけるのか)

 顔の作りが悪辣あくらつだからだろうか、と脳裏に浮かんだが、片桐にそれを笑いに変える話術はない。


 片桐はどう応えるべきか悩んだ後、猫に近づき、片手でその首根をつまみ上げた。

 猫がふぎっと声を上げ、威嚇を中断する。


「…私は大丈夫なようですね」

 猫を見つめて片桐が言う。


 威嚇こそ中断していたが、猫は片桐になついているわけではない。人間ほど表情筋がないため、何を考えているか分からなかったが、それでもどこか不安な表情のように見える。つまり、ひどいことはしないと信じているが、それでも気は抜けない、といった風に。


 この猫(ついでに言えば平太も)は片桐が野犬に襲われているところを助けた縁で、三原屋周辺に居座っていた。


 威嚇されない猫は、舛田の中ではこの猫ぐらいのものだった。普段は、和泉小槙と同じように威嚇され、近づこうものなら脱兎のごとく逃げられる。


 兵営で管理している馬も同じで、なつくまでに数ヵ月を要した。管理係でもないのに、朝から晩まで細やかな世話をやいた後、ようやく背に乗せてもらえるようになる。


「よし、いいぞ、片桐曹長。そのままこっちへ渡してくれ」

 和泉小槙は、本心から猫に触れたかったらしい。反論することも無く、両手を差し出し、猫を渡すように求めてくる。

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