第一章 遭遇(4)

「それでは…、明日午前八時に参ります」

「宿までお迎えに上がります」

「いいえ…、こちらの勝手なお願いですから、…どうか気を使わないでください」

 気を使うに決まっている。

 相手は同盟国の少佐と大尉だ。

 片桐は心底そう思ったが、無理強いは出来ない。仕方なく押し黙る。


 遠野橘とおのたちばなは、片桐の沈黙を了解の意と捉えたらしい。ゆっくりと立ち上がると、出口に向かってよろよろと歩き始めた。

 和泉小槙いずみこまきも軍刀を手にしてそれに続いた。外套がいとうの裾をひるがえし、大股で颯爽と出口まで歩いていく。


 座っていたときには気づかなかったが、天津人は二人とも片桐より上背があった。遠野橘は頭一つ分、和泉小槙は頭半分ほど、片桐よりも背が高い。


 平均的に、天津人は國津人よりも背が高く、長生きだ。

 和泉小牧槙が生まれついての、純粋な天津人なのかは別として、そもそも外見も内面も規格外なので、片桐も背が高いくらいでは驚かない。

 むしろ、ようやく比較できる共通項が見つかった、という気持ちだった。


「…では、よろしくお願いします」

 応接間の出口で遠野橘が振り返り、頭を下げる。

「了解しました」

 片桐は敬礼して二人の客を見送った。

 去り際に、和泉小槙と視線がぶつかった気がしたが、気づかない振りをした。


 二人の客が応接間から退室する。

 部屋に満ちていた竜の気配が徐々に遠ざかっていく。

 片桐は安堵の息を漏らす。


 廊下を行く足音が聞こえなくなった頃、遠藤が口を開いた。

「最後の問いは何だったんだ」

「…心当たりはありません」

 遠藤の問いかけに片桐は嘘で返す。

 大して興味もなかったのだろう、遠藤はそれ以上、追求してこなかった。


「…面倒なことになった…」

 遠藤は真新しい大尉服の胸ポケットから煙草を取りだすと、燐寸マッチを擦って先端に火を付けた。

 口元へ運び、煙を吐き出してから、文句を再開する。


「なぜ軍が人探しなど…。警察の仕事だろう」

「本部からの命令なのですか」

「今朝、電信があった。決して無下に扱うな、とのことだ」

「…それだけですか」

「何が言いたい」

「本部との話は、この件についてのみですか、とお尋ねしています」

「…片桐曹長」

 遠藤が片桐の方に向き直る。

 片桐は口を開かない。

 柱時計の秒針の音だけが応接間に響く。


 先に口を開いたのは遠藤だった。

「何を萎縮しているんだ。貴様は…」

 片桐が応える。

「大気がよどみ始めています」

「気のせいだろう」

「遠藤中隊長殿」

 片桐は食い下がる。

 しかし、遠藤は片桐の言葉を遮り、吐き捨てるように言葉を続けた。

「戻ったばかりで呆けているのだろうよ。私の前任は南直なじかの第四中隊だったが、そこよりはこちらの方が大分だいぶ、湿気が多い。淀んでいると感じるのはそのせいだろう」

「私が従軍する前は、現在のような空気ではありませんでした」

「問題はない。高科たかしな少尉からもそう報告を受けている」

「しかし」

「片桐曹長」

 遠藤が片桐の言葉を遮る。彼はゆったりと煙草の煙を吐き出してから、「貴様の職務は何だ」と尋ねた。


(終わったな)

 その問いは、遠藤の最後通告だ。

 これが出てきたら最後、片桐に許されるのは、分かりきった答えを口にすることだけだった。

 ここ数日は、を止めるための儀式となっている。


 一介の下士官に過ぎない片桐は、上官の儀式を無視することが出来ない。

 仕方なく、口を開く。

「…第二小隊長の補佐です」

「そうか。では、その小隊長はどこにいる?」

「…前小隊長の宮藤みやふじ少尉が不在です」

「貴様のすぐ側で爆死したと聞いたが本当かね」

「……肯定です」


「無能だな。上官も守れない下士官が、他の小隊の仕事に口を出してる場合か」

「…失礼致しました」

 片桐は頭を下げた。

 これ以上の問答は無意味だと悟り、胸中で嘆息した。それと同時に、眼前の中隊長が、その器に足りない人物であることを悟り、静かに絶望する。


(本部も罪深い。後任がこれか…)

 遠藤の前任者の中隊長は、変人と名高い人物だったが、その肩書き相応の器で、保身のために部下の意見を頭ごなしに否定するような真似はしなかった。宮藤少尉同様、一月ほど前に、戦場で命を散らしたが。


(良い人材から失われていくな)

 自嘲気味に口の端を持ち上げる。

 表情を咎められることもない。

 眼前の上官は片桐を見てはいない。


 応接間から退室しようとしたところで、遠藤から声がかかる。

「分かっているとは思うが、あの天津人達にも気付かれないよう用心しろ。国策に影響しかねんからな」

 そう思うのなら、なぜ中隊本部に報告しない?

 片桐はその問いを喉元で押し殺した。


 おそらくそれが遠藤の弱さなのだ。

 今しがた、自信の弱さから目を背けたばかりの片桐には遠藤を糾弾する気は起きなかった。


 了解しました。

 そう答えようと口を開いたが、言葉は声となって発されなかった。


(来る…)

 カタカタと窓が音を立ててなり始める。

 続いて机が、椅子が、柱時計も揺れ始めた。

淵主ふちぬしめ…」

 遠藤が忌々しげに顔を歪ませ、窓の外に顔を向けた。

 視線の先には御劔みつるぎ要岩かなめいわがある。


 揺れは長くは続かなかった。

 窓枠が静かになったのを見届けてから、片桐は、遠藤に敬礼した。

「…失礼いたしました」

 扉を閉めた後、応接間を後にする。


 廊下の窓から外に視線を投げると、二人の天津人の後ろ姿が見えた。二人は南門から兵営の外に出ていくところだった。衛兵が敬礼しているのも見える。


『生まれつき、そうなのか?』


 和泉小槙の問いが頭のなかで再生される。

「俺もそれを知りたいんだよ」

 片桐は去り行く女の背中にそう呟いた。

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