第一章 遭遇 (2)

 男の謝罪を最後に遠藤の追求が止む。


 男は、客である自身が頭を下げることにより、遠藤がどう動くか既に理解しているようだった。


 賢い男だ、と片桐は客の男を評価した。それと同時に、ほどけかけていた緊張の糸を再度、引き締める。


 客の男が続ける。

「私は天津国あまつこく軍少佐の…、遠野橘とおのたちばなと申します。…こちらは大尉の…、和泉小槙いずみこまき

 遠野橘と名乗った男は、そう言って隣に座る女の方に視線を向けた。


 しかし、女は、明後日あさっての方向を眺めて何か思案しているようで、自身が紹介されていることに気づいていないようだった。


「ごめんなさい。…本当に」

 三度みたび、客の男、遠野橘が謝罪する。かすれた声で、単語と単語の間に、妙なが入る。そういう話し方、というよりも、息苦しいのを我慢して何とか話しているようだった。


 しかし、それよりも

(この娘が大尉だと?)

 國津国くにつこく陸軍において、大尉の階級にあるものは中隊を率いて戦場で指揮をとる権限を有する。中隊の人数は管轄の規模にもよるが、都市部だと二百名程度で、田舎(十三中隊はもちろんこちらだ。)でも五十人程度はいる。


 よって、大尉に選別されるのは、経験豊富で優秀な将校でなければならない。

 無能な中隊長は存在自体が罪だ。大量殺人を犯した被告人と同程度の罰が必要となるぐらいには。


 遠藤とて、舛田ますだの中隊長に着任するまでは中尉だったと聞いているから、天津人の客二人の階級の高さは異常だ。


(それに)

 と、片桐は思案を続ける。

 そもそも、和泉小槙は見た目からして天津人ではなく、しかも女なのである。


 片桐は、銀髪に褐色の肌の民族が属する国を知らない。

 天津人は、遠野橘のように赤茶色の毛髪が特長的な民族だ。


 ちなみに、國津人は黒髪である。元々は、天津人同様に赤茶色の毛髪だったらしいが、地上に降りてから変化したらしい。


 ともかく、和泉小槙について、彼女の親の片方が天津人なのか、それとも、彼女本人が天津国に帰化したからなのかは分からなかったが、そういった人物が軍の要職に就いていることも、にわかには信じられなかった。


 遠野橘がおらず、かつ、彼女のまとっている気配が凡人のそれと同一であったならば、片桐は彼女を密偵として排除しているところだった。


「人を…、天津国のご令嬢を探していらっしゃるそうだ」

 遠藤が口を開く。丁寧な物言いだったが、不満が見え隠れする声音だった。


「…この人物です」

 遠藤の言葉を受けて、遠野橘が外套がいとうに縫い付けた物入れ袋から、薄い銀色の板のような装置を取り出す。


 それは、遠野橘の手のひらよりも少し大きな板で、裏面は銀色一色だったが、側面には小さなぼたんのような突起物が付いていた。


 遠野橘は、板の表面を指先で二回軽く叩いた。数秒遅れて板の表面から淡い光が発せられ、その中央に少女の姿が浮かび上がった。


 それはまるで、小人こびとが板の上に立っているのかと錯覚するほどに鮮明だった。


「…立体写真です」

 驚きを感じ取ったのか、遠野橘が説明した。


「…近頃は専用の眼鏡がなくても、…きれいに見えるようになりました」

「さすが技術先進国です」

 世辞ではなく、事実を述べる。


 遠い祖先が同じとはいえ、天津国と國津国の間には百年の格差があると言われている。それは、単純な工業技術についてはもちろん、国民の成熟度に同じことが言えた。


 二国の間には、天國てんごく同盟という名の盟約が締結されているため、天津国にとって、國津国は同盟国という立場にあるのだが、だからといって、国際社会において、二国が同等に扱われているわけではなかった。


 天津国に従属し、その後ろ楯によってようやく国際的な地位が保証される国。それが国際社会における國津国の位置付けだ。


 國津人である片桐にとって、それは決して気持ちの良い話ではなかったが、一方で過度に誇張こちょうされたものだとも思っていなかった。


 国内では、現状の天津頼みの外交を批判し、天國同盟を不当な契約だと糾弾する声もあったが、戦場で天津国の援軍に助けられる場面が多い軍部では、むしろ、天津国との結び付きを一層強めようとしているとさえ聞いている。


 写真一つとっても色のない不鮮明なものしか写せない國津国と、今にも喋りだしそうなほどに鮮明で立体的な像を結べる天津国とでは、その技術に天と地との差がある。


 国際社会において、同等に扱えと言うのは無理があるだろう。


 片桐は、そのうち國津国という国はなくなるのではないかとすら思っている。


 片桐は立体写真の少女に視線を落とす。


 年の頃、十六、七。均整のとれた顔立ちをしていたが、どことなく無機質で人形のような印象を受ける。普段、むさ苦しい坊主頭の男たち(片桐自身を含む。)ばかりで生活している片桐には、たとえ町ですれ違っても、他の少女と区別できないだろう。


 少女は、大きな白い一枚布を体に巻き付けたような服を身に付けていた。すそがくるぶしまである一方で、そでは肘のところで切り落とされており、そこから細い腕が伸びていた。


「…簾宮すだれのみや・ハイアシー・菊乃きくの様です」

 遠野橘が少女の名前らしきものを告げる。

 片桐は口を開く。

「申し訳ありません。聞いたことはないと思います」

「いいえ。…一般的に名が通った方ではありませんから、ご存じないのも無理はありません…」

 遠野橘はそこまで言うと、差し出していた写真を自らの方へ引き寄せてから、

「…この方は、貴族のご息女なのですが、…一月前から行方が分からないのです」

 と言った。



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