序章 2

 高低差がある二人組だった。一人は長身の男で細く、もう一人はがっしりとした肉付きで背が低い。首の周りなどは衣服の上からでも筋肉の形が分かるほどだった。

 二人とも広場で騒ぎを起こしている軍人達と同じ軍装姿だったが、初めて見る連中だ。


 舛田ますだの中隊には第一小隊と第二小隊があり、要岩かなめいわの監視に当たっているのは第一小隊だが、騒ぎをおこしている連中の交代要員は既に入山した後であるし、何より見覚えがないので、あの二人は第二小隊の人間だろう。


 背の高い方を先頭に、二人組がこちらへと近づいてくる。


 背の低い男は、銃剣の皮ベルトを肩からかけており、肩越しに銃身が見えた。


 背の高い方の軍人が身に付けている軍装の肩章は、先ほど拳銃を発砲した軍人と同じものだ。つまり、こちらも階級は少尉らしい。年は二十二、三と若い。去年、士官学校を卒業したばかりの将校だろう。


「止めないか!高階たかしな少尉。そんな物を持ち出して」

 長身の少尉は、俺のいる茶屋を通りすぎると、小走りでもう一人の少尉(高階たかしなと言う名らしい)の方へ足早あしばやに近づいていった。


 俺は視線を騒動の中心へと戻した。

 そして、背中で遅れて歩いてくる背の低い方の軍人の気配を探った。直接見ることはしない。その時間は終わっている。不自然な行動は命取りだ。周囲の人間に溶け込むこと、それが重要だ。


 先程、「見ていても不自然ではない時間」で見た限りでは、軍帽を目深にかぶっているせいで表情はほとんど分からなかった。分かったことは口を真一文字に結んでいたことと、濃紺のうこんの上着の袖に三本、白い線が入っていることだけだ。それは國津国くにつこく陸軍りくぐん曹長そうちょうの軍装だった。


(對池体質ラカンってやつか‥?こんな下層の国で珍しい)

『曹長』が一歩俺に近づく度に、その気配の特異さが増していく。とは言え、要岩が近いせいで詳細は良く分からなかった。金木犀きんもくせいが咲きほこる中、木犀の花の匂いを嗅ぎ分けることは難しい。


『曹長』は俺に近づき、そして、俺の座っている腰掛けの横で足を止めた。

(やっべぇ…)

 俺はゆっくりと『曹長』の顔を見上げた。

 目付きの悪い獰猛どうもうな亀。そんな顔の作りをした男だった。年の頃三十前後の中年で、眼光鋭く、愛想の欠片もない。


『曹長』は銃剣の皮ベルトに手をかけたまま、口を開いた。

「おい、。こんな所で何してる」

「へぇ…。茶を‥飲んどりますが…」

 俺はしゃがれ声で応えると、右手で湯飲みを差し出した。

 そして、

 左手で胸元から拳銃を取りだし、迷うことなく引き金を引いた。銃弾が発射され、『曹長』の胸元に命中する。

 小型の拳銃だが、人間の胸筋を貫通し、心臓に弾を打ち込むには十分な代物だ。これまで何度もそうして窮地を脱出してきた。

 しかし、

『曹長』は倒れなかった。それどころか、顔色一つ変えずに言い放った。

「…いい判断だ」

(防弾か!?)

 國津国くにつこくの衣料技術は高くない。少なくとも至近距離からの弾丸を無効化するような技術は持ち合わせていないはずだ。

 しかし、

(今はそんなことを考えている場合じゃねぇ!)

 俺は反射的に距離を取ろうと腰掛けから飛び退いた。

 すると、俺の動きに合わせるように『曹長』の上体が揺れた。

(何を)

 突然の衝撃に思考が途切れる。

 脇腹わきばらを蹴り込まれたのだと気づいたとき、俺の面前には地面が迫っていた。

(やられた!)


片桐曹長かたぎりそうちょう!?」

 先に行っていた長身の少尉が血相を変えて戻ってくる。「ご老人に何て仕打ちを!」

「密偵です。近づかないで下さい」

『曹長』は冷静にそう言うと、素早く銃剣から短剣を抜き、こちらへと迫った。

 俺は何とか受け身をとって地面を転がった。そして、顔を上げた瞬間、再度発砲する。今度は布で覆われていない『曹長』の顔面に向けて。


 しかし、『曹長』は体をひねって弾丸を交わした。短剣を構えて、跳びかかってくる。

(くそが!)

 俺は着物の袖から手榴弾コンカッションを取り出すと、その撃針を引き抜いた。

「舐めんじゃねぇ!」

 一瞬、『曹長』の目が大きく見開かれる。

 ようやく崩れたその表情に、俺は口の端をつり上げて、

「喰らえ!」

『曹長』の頭上目掛けて投げつけると、きびすを返し、思い切り前方へと跳躍した。

 一歩の違いが生死を分ける。三歩目を踏み出した瞬間、後方で手榴弾が炸裂した。


 爆風は追い風だ。前のめりになりながら俺は駆ける。背後を振り返ることはない。必要もない。どうせ死んでる。


 全力で逃げなければならない。俺の仕事は玉砕覚悟ぎょくさいかくごで特攻することではない。生きて情報を持ち帰らなければ意味がないのだ。


 広場を駆け抜け、壁を飛び越え、広場から山へ。そして町へ。


 事前に想定していた逃走経路は俺に味方してくれた。追手の声は聞こえず、気配も近づいては来ない。


 民家が視界に点在し始めた頃、向こうから通行人が歩いてくるのが見えた。


 俺は走る速度を落とし、腰を曲げて通行人とすれ違う。その頃にはもう、俺はただのじじいに戻ることに成功していた。


 通行人が会釈をくれる。

俺も会釈で返して、「あー…、ご苦労さんです」と、何度か頭を下げた。何に対してのねぎらいかは不明だ。だが、爺は大抵こういうことを口走っている。


 俺は数歩進んでから足を止め、もと来た道を振り返った。


 通行人はまだ視界の中にいた。その背が小さくなっていくのを見つめながら、俺はようやく深く息を吐いた。


「…あっぶねぇ…。何だったんだ、あいつ…」

 十数年、密偵をしているが、初見で変装を見抜かれたのは二度目のことだった。一度目は自国の人間だったが、今回は他国の軍人だ。


「イライラさせやがる…。まぁ、死んだから俺の勝ちってことで」

 と、

 唐突に地面が大きく揺れた。

 地震だ。

 視界の隅にいた通行人がよろけて転倒するのが見える。

「……」

 俺はその様子をただ、じっと眺めていた。


 揺れは十秒ほど続いた後止まった。

 驚きはない。これは予期していたことだった。だから俺がここにいる。


 顔を上げて要岩の光を見つめる。

要岩かなめいわは平生と変わらずそこにあった。少なくとも俺にはそう見えた。


「そろそろ限界か…」

 呟きに応える者はいない。

 いつものことだ。もう慣れている。


 冷たい真冬の風が吹く中、俺は再び歩き出した。





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