序章 2
高低差がある二人組だった。一人は長身の男で細く、もう一人はがっしりとした肉付きで背が低い。首の周りなどは衣服の上からでも筋肉の形が分かるほどだった。
二人とも広場で騒ぎを起こしている軍人達と同じ軍装姿だったが、初めて見る連中だ。
背の高い方を先頭に、二人組がこちらへと近づいてくる。
背の低い男は、銃剣の皮ベルトを肩からかけており、肩越しに銃身が見えた。
背の高い方の軍人が身に付けている軍装の肩章は、先ほど拳銃を発砲した軍人と同じものだ。つまり、こちらも階級は少尉らしい。年は二十二、三と若い。去年、士官学校を卒業したばかりの将校だろう。
「止めないか!
長身の少尉は、俺のいる茶屋を通りすぎると、小走りでもう一人の少尉(
俺は視線を騒動の中心へと戻した。
そして、背中で遅れて歩いてくる背の低い方の軍人の気配を探った。直接見ることはしない。その時間は終わっている。不自然な行動は命取りだ。周囲の人間に溶け込むこと、それが重要だ。
先程、「見ていても不自然ではない時間」で見た限りでは、軍帽を目深にかぶっているせいで表情はほとんど分からなかった。分かったことは口を真一文字に結んでいたことと、
(
『曹長』が一歩俺に近づく度に、その気配の特異さが増していく。とは言え、要岩が近いせいで詳細は良く分からなかった。
『曹長』は俺に近づき、そして、俺の座っている腰掛けの横で足を止めた。
(やっべぇ…)
俺はゆっくりと『曹長』の顔を見上げた。
目付きの悪い
『曹長』は銃剣の皮ベルトに手をかけたまま、口を開いた。
「おい、爺さん。こんな所で何してる」
「へぇ…。茶を‥飲んどりますが…」
俺は
そして、
左手で胸元から拳銃を取りだし、迷うことなく引き金を引いた。銃弾が発射され、『曹長』の胸元に命中する。
小型の拳銃だが、人間の胸筋を貫通し、心臓に弾を打ち込むには十分な代物だ。これまで何度もそうして窮地を脱出してきた。
しかし、
『曹長』は倒れなかった。それどころか、顔色一つ変えずに言い放った。
「…いい判断だ」
(防弾か!?)
しかし、
(今はそんなことを考えている場合じゃねぇ!)
俺は反射的に距離を取ろうと腰掛けから飛び退いた。
すると、俺の動きに合わせるように『曹長』の上体が揺れた。
(何を)
突然の衝撃に思考が途切れる。
(やられた!)
「
先に行っていた長身の少尉が血相を変えて戻ってくる。「ご老人に何て仕打ちを!」
「密偵です。近づかないで下さい」
『曹長』は冷静にそう言うと、素早く銃剣から短剣を抜き、こちらへと迫った。
俺は何とか受け身をとって地面を転がった。そして、顔を上げた瞬間、再度発砲する。今度は布で覆われていない『曹長』の顔面に向けて。
しかし、『曹長』は体をひねって弾丸を交わした。短剣を構えて、跳びかかってくる。
(
俺は着物の袖から
「舐めんじゃねぇ!」
一瞬、『曹長』の目が大きく見開かれる。
ようやく崩れたその表情に、俺は口の端をつり上げて、
「喰らえ!」
『曹長』の頭上目掛けて投げつけると、きびすを返し、思い切り前方へと跳躍した。
一歩の違いが生死を分ける。その三歩目を踏み出した瞬間、後方で手榴弾が炸裂した。
爆風は追い風だ。前のめりになりながら俺は駆ける。背後を振り返ることはない。必要もない。どうせ死んでる。
全力で逃げなければならない。俺の仕事は
広場を駆け抜け、壁を飛び越え、広場から山へ。そして町へ。
事前に想定していた逃走経路は俺に味方してくれた。追手の声は聞こえず、気配も近づいては来ない。
民家が視界に点在し始めた頃、向こうから通行人が歩いてくるのが見えた。
俺は走る速度を落とし、腰を曲げて通行人とすれ違う。その頃にはもう、俺はただの
通行人が会釈をくれる。
俺も会釈で返して、「あー…、ご苦労さんです」と、何度か頭を下げた。何に対しての
俺は数歩進んでから足を止め、もと来た道を振り返った。
通行人はまだ視界の中にいた。その背が小さくなっていくのを見つめながら、俺はようやく深く息を吐いた。
「…あっぶねぇ…。何だったんだ、あいつ…」
十数年、密偵をしているが、初見で変装を見抜かれたのは二度目のことだった。一度目は自国の人間だったが、今回は他国の軍人だ。
「イライラさせやがる…。まぁ、死んだから俺の勝ちってことで」
と、
唐突に地面が大きく揺れた。
地震だ。
視界の隅にいた通行人がよろけて転倒するのが見える。
「……」
俺はその様子をただ、じっと眺めていた。
揺れは十秒ほど続いた後止まった。
驚きはない。これは予期していたことだった。だから俺がここにいる。
顔を上げて要岩の光を見つめる。
「そろそろ限界か…」
呟きに応える者はいない。
いつものことだ。もう慣れている。
冷たい真冬の風が吹く中、俺は再び歩き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます