第43話 かえり道

 フラミィはココナツ・ジュースをルグ・ルグ婆さんに手渡して、婆さんとエピリカを心配そうに交互に見た。

 どうしたら踊り続けられるかを純粋に考えて発した提案だったけれど、フラミィの胸の中では、昨夜のオジーの言葉が蘇っていた。


――――それが昔話の娘なら私は素晴らしい誉な娘よと言うだろう。けれど、同じ時間を生きるよく知った娘となると、複雑で、違うね。


 フラミィは身体を捧げたくて仕方がなかった。身体だけでもあんな風に踊れたらと思っていた。

 でも、エピリカは踊れる身体を持っているのだから、自分ほど身体を捧げる事に興味がないかもしれない。むしろ、素晴らしい踊りを踊れる身体を惜しむのではないか、と心配になって来た。

 何か他に方法はないかしら? 不安げなフラミィと、ルグ・ルグ婆さんの目が合った。

 老婆はフラミィにコッソリ片目を瞑って見せ、捧げられたココナツ・ジュースを啜った。


『さて、どうするね?』


 ルグ・ルグ婆さんがエピリカに言った。

 突然思いもよらない選択を迫られたエピリカはハッとして、ルグ・ルグ婆さんにひざまづいた。


「とんでもない名誉でございます……お望みとあらば」

『名誉、めいよ、名誉、ねぇ……アターはアターでなくなるけれど、良いのかえ? ワラは無理に身体を望んでいない。信仰心は嬉しいケド、アターは、よくよく考えなくちゃ。全てとお別れが出来る? そこの優男と島を出れば、アターはアターのまま。そして愛も……』


 エピリカはひたむきにルグ・ルグ婆さんを見て、老婆の言葉が続くのを遮った。

 彼女はそっと両手を島の大地につけて言った。


「私を満たす愛はここにあります」

『その熱がアターを狂わせたんだったね……ホントに残念。ワラはアターが憐れで仕方がない。何故ならアターは皆の様に罪を恥じようとしないから』

「……掟を破った事は、恥じております」

『ふぅむ……アターは少し学んだ方がいいね。二、三百年程ワラの器になって、島を眺めてみんしゃい。島にはいろんな人間が色んな思いで生きていて、アターは島で独りぼっちで踊ってンじゃないって事が判る筈だよ』


 それを聞いていたフラミィは、少しだけホッとした。


「それって、エピリカの中身は消えないって事?」

『そそ、まぁ、ワラとシェアする形になるケド……むふっ』


 不可解そうな顔のエピリカを眺めまわして、ルグ・ルグ婆さんは舌なめずりをする。

 シェアと言えども、念願の若い身体だ。

 エピリカはあまり納得できていない様子で首を振った。


「どうしてそんな事を? お望みならば、私など、消してしまってかまいません」

『あのねぇ、これはアターへの罰なの』

「罰……」

『そう。踊り子を一人踊れなくさせておいて、それでも自らは踊りたいと思うなら、ワラは簡単に終わらせないよ。そして必ずアターに後悔させてみせる。どういう形になるか分からないケドね。島の人々を見続けなさい。そしていつしか情を移し、自分が何をしたか悟って泣くが良い。いいや、アターはもう何をしたか分かっている……だからワラは、根気よく泣けないアターを負かしてやる』


 ルグ・ルグ婆さんの言葉に、エピリカは顔を歪ませ、再び居ずまいを正し頭を砂に擦りつけた。

 悪かった、と、素直に泣ける時なんてくるのだろうか。その瞬間は本当に罰なのだろうか?


――――私は負けない。


 何に対してだろう?

 けれども酷く潔く、エピリカはそう思っていた。

 顔を上げると、潮風に髪を乱してパーシヴァルが微笑んでいた。

 エピリカは唇だけで言った。


『さよなら』


 パーシヴァルの唇が答えた。


『さよなら』



 では、僕は行きますとパーシヴァルが言った。

 皆が片手でアーチを描いて見せた。

 パーシヴァルは晴れやかに笑って、皆の真似をした。

 それからフラミィの方を見てもう一度片手でアーチを描いた。


「フラミィ、がんばって、ね?」


 フラミィは顔をくしゃくしゃにして頷くと、皆より一歩前に出て、踊り始めた。


『私の御守りの踊りを あなたへ

 どうか忘れないでね

 風はいつも 見守っています』


 流れる様にやって来る、次の振付にフラミィは圧し潰されそうになる。

 けれども、踊るのだ。

 アーチを描くだけ。それがなんて難しいのだろう。

 アーチの中に何をどれだけ詰め込もう。

 出会った時の海水を滴らせた笑顔や、大きな手に顔が知らず熱くなった。同じ絵の見方を教えてくれた。それは空の窓だった。道は一本ではないと私に意識させてくれた。出来なくてもやって良いんだと当然の事のように言ってくれた。初恋と、叶わない想いを私にくれた――――

 せめて指先が光ればと、お日様の位置を探し、せめて好意のヒダが伝わればと、髪を揺らす風を待つ。そのは自分の引力を信じて背筋を伸ばす。全ての線、全ての点を妥協しない。


 さぁ、激しくて華麗な動きが私に必要だろか?

 驚きや称賛が、私に何をしてくれるというの?

 この舞の一欠片に、そんなもの必要無い。

 私の踊りこれはあらゆるものが含まれた愛の、受信と発信なのだから。

――――ほら、百の、千の想いを込めて片手を虹のように振るだけ。


 ねぇ、ねぇったらパーシィ。腕で顔を拭ってなんていないで、ちゃんと見てよ。




 パーシヴァルの飛行機は、海上を信じられない速さで滑り大空へと飛び立った。

 やっぱり嫌な匂いの風が巻き起こって、出会った時にパーシヴァルもこの匂いがしていた事を思い出す。

 島に滞在している時は消えていたから、パーシヴァルはやっぱり帰って行くんだなぁ、とフラミィは思った。

 パーシヴァルの飛行機は真っ直ぐ去ってしまわずに、キラキラ輝きながら島の上空を何周かした。

 子供達が鳥の様に飛ぶ彼の飛行機を追って、進行方向を追いかけたり、手を振ったりした。

 大人たちは島風に乗る鳥の踊りを踊り出した。


『鳥の背には 空から糸が垂れているのかしら?』

『いいえ 鳥には 翼があるのです

 島風に乗って 自由に飛ぶのです』

『島風の行く先は どんな処でしょう?』

『きっと素敵な処でしょう 翼を広げて向って行くのだから』


 島中の踊りに、ルグ・ルグ婆さんも踊り出した。


『私が流れ星だったころ

 人々はお願いをした

 我々は迷子だからと……』


 鍾乳洞でフラミィに踊ってくれた時の様に、ルグ・ルグ婆さんは発光し舞った。

 皆がその姿、その動きに息を飲んで見上げた。


『私は幾筋かに流れ

 人々にかえり道を与えた』


 シャンシャン、と、ルグ・ルグ婆さんの鏡の布が鳴る。

 パーシヴァルの飛行機が飛ぶ音が響く中、その音は涼やかで軽い。


『これが アターの かえり道』


 ルグ・ルグ婆さんは一点を指差したと同時に一際輝くと、シュッと音を立てて指差した方へ流れ星の様に飛んだ。

 島の真上で輝いていた太陽よりも輝く真っ白な星が、抜ける様な青空に消えない尾を引いてスーッと流れて行く。

 余りに美しい白い光に魅せられてシェルバード達が集まり、大群が光を追った。

 空にも海にも道標が出来て、パーシヴァルの飛行機が真っ直ぐそちらへ方向を決めた。

 そして賑やかで輝かしいその先には、フラミィの描いた様な虹のアーチが『さようなら』と、七色を発していた。

 パーシヴァルの飛行機は、その大きな美しい門を潜ると消えてすっかり見えなくなってしまった。

 誰もが夢を見ているみたいだった。

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