第39話 紡げ、紡げ、パーシヴァル
オジーは結界の話を聞いて、フラミィやパーシヴァルを責めなかった。
彼は島の結界が壊れていた事が分かると、島を護るものは確かにあるのだと安堵すら覚えた。勿論、解決策があるからこその安堵ではあるが。
そうか、そうやって護られていたのか、そうか……。
それから、大きな島の事を思った。
では、大きな島の結界は、一体どうしてしまったのだろう?
オジーは空港を見に尋ねた時、大きな島の長老から『異変は徐々にだった』と、聞かされていた。
だから自分の島の上を飛行機が火を吹いて飛び交った時、『異変』が始まってしまったと彼は思い、恐れた。
けれどまだ大丈夫なようだ。女神ルグ・ルグと海の神はこの島を見捨てていない。だから島を守るお告げをフラミィに託したのだ。オジーはそう考えた。
「寂しくなるが、仕方がない」
「とても、お世話になり、ました」
「大きな島の珊瑚の事、よくよくお願い申しますぞ」
「はい、もちろん」
頷くパーシヴァルに頷き返して、オジーはフラミィへ言った。
「宴の用意をするように皆へ伝えておくれ。余計な事は言わなくて良い。心乱す者が現れてしまうからね。『誰かのせい』という風に決めつけ後から恥じる事はもう、こりごりだ。気持ち良くお別れしよう。その後で、我々は色々話し合おうじゃないか」
パーシヴァルが深々と頭を下げた。
オジーも、自作の草の敷物に額がつきそうな程頭を下げた。
二人がちっとも顔を上げないので、フラミィはそっと立ち上がりオジーの家を出た。
出入り口の外に、エピリカが壁に背持たれて目を閉じていた。
(あ……)
エピリカはジッと動かない。
きっと自分と目を合わせたり話したりするのを避けているのだ、と察して、フラミィは黙って立ち去る事にした。
言いたい事、聞きたい事があったけれど、今は無理だろう。もしかしたらずっと無理なのかもしれない。
オジーの家が小さくなるくらい離れてから、フラミィは振り返ってみた。
エピリカは先ほどと全く同じ姿勢で、まだ目を閉じていた。
その姿に、フラミィは何故か見惚れてしまう。静かに踊り出しそうな絵みたいだ――――
踊りに必要なものを全て備えた肢体は、踊る場所を失くしたらどうなるのだろう、と、フラミィは思った。
*
何故やって来たのかイマイチ分からない島の外の若者が、明日島を出て行くらしい。そう報せを受けて、島人達はせっせと宴の準備をし、夜になると松明に火を灯した。
島の上を飛んだ飛行機の恐ろしさに憑りつかれていた者達は、色々な疑惑を胸にしまい込んだ。
自分から出ていくと言ってくれて良かった。
争いになったら、あの飛行機だって火を吹くかも知れないのだ。恐ろしくて隙を狙って壊してしまおうという声もあったが、誰も実行できなかった。
それは、彼がエピリカをルグ・ルグ婆さんの罰から庇ったからだった。
彼らは自分で自分の気持ちを解らずにいたけれど、なんてことはない。自分達も庇われた様な気がしていたのだ。
そして彼ら以外の呑気な島人達も、やっぱりイマイチなんだったのか分からないまま、『まあ、別に良いヤツだったし? え、帰っちゃうの?』といった様子で送迎会を楽しみ、それなりに別れを惜しんだ。
パーシヴァルはいつもニコニコしている男だったけれど、今夜はそれ以上に笑っていた。まるで笑顔の仮面を被り、誰かから笑い声を借りているみたいだった。けれど皆、それに気付かないみたいだ。
男達は握手を求めたり、出立の無事を祈ったりと、その場を厳かに過ごそうとしていたが、女達は胸を騒がすお気に入りの若者にたくさんの御守りを与え、母親の様に喧しく心配した。
子供たちは、親の背中に纏わりついて、コッソリ涙を拭いている。タロタロはと言うと、家にこもっているみたいだった。
島の娘達の幾人かは、シダの葉の影で、シェルバードが喜びそうな大粒の涙をポロポロ零していた。
フラミィも彼女達と同じように泣きたかったけれど、オジーが寄って来たので宴から離れる機会を逃してしまった。
パーシヴァルの事を何か言うのかと思っていたのに、オジーは全く違う事を切り出した。
「女神ルグ・ルグへ身体を捧げると、神罰の夜に聞いて驚いたのだよ」
「……はい。でももう少し、この身体が必要なの。この身体じゃなきゃ出来ない事があるの。だから、やめました」
「ふむ、残念がれば良いのか、喜べば良いのか、わからないよ。もしもアナタが女神に身体を捧げたとして、それが昔話の娘なら私は素晴らしい誉な娘よと言うだろう。けれど、同じ時間を生る良く知った娘となると、複雑で、違うね。きっと」
フラミィは俯き「ありがとう」と口の中だけで囁いた。夜風が温かく優しかった。それは、この島ではいつもの事なのだけれど。
「満月の晩の踊りに加わらないと聞いたが、本当かね」
「はい。エピリカが正しいかなって、少し思うの。私のいない舞台は、足並みが揃って素敵だったでしょう?」
オジーは目を閉じて、息を震わせた。上瞼と下瞼の間が、松明の橙色に少し潤んでいた。
――――オジー、泣いているの? もう、私は責めたりしてないよ。
「で、でもいつかね、私も皆へ混ざりたい。その為に、新しい踊りを創るんだ」
「ならば満月の踊りに加わった方が良い」
「どうして?」
「だってアナタ、何を元に創るのだい? そして『皆』とはどこだい?」
「……」
木琴の奏でが流れて来て、喝采が沸いた。
踊りの舞台で、ママを先頭に別れを惜しむ舞が披露され始めたのだ。
ママは素晴らしいルグだ。誰よりも巧みで、皆をリードしている。皆がその包容力にリラックスし、足並みを揃えて素晴らしい舞を繰り出していた。
フラミィとオジーは黙って明るく熱い舞台を眺めた後、顔を合わせた。
「ややや、不満が出るよ」
「競いたい者の為には、女神の言う様にコンテストを開こう。工夫し合おう、フラミィ。島にはたくさんの時間があるはずだから。そして、踊りたい者は踊って良いんだ……」
(許しておくれ)
(許しておくれ)
オジーが涙声で囁き、フラミィの手を取った。
「オジー、泣かないで……踊るから。私踊るからさ……」
フラミィはオジーの手を握ったまま、右へ左へ小さくステップをして見せた。
オジーの小枝みたいな年老いた身体が、フラミィの動きに合わせて揺れた。
「あ~、ペアダンス、ですね」
オジーに宴のお礼を言いに来たパーシヴァルが、二人を見つけて声を上げた。
「ペアダンス?」
「なんだね、それは」
「そうやって、ペアで、踊るん、です。そう言えば、皆、ペアで、踊りませんね?」
フラミィとオジーはきょとんとパーシヴァルの言葉を聞いた後、顔を見合わせて、ニッと笑った。
オジーがフラミィの手をそっと引いて、軽いステップを踏み始めた。
踊りの島の長のリードに、島の踊り子フラミィも応える。
「あ、あれ? ペアダンス、あったん、ですか?」
「ふふふ、我々は踊りの島の民ぞ」
オジーが得意げに言った。
彼らに出来ない踊りなんて無い。例え、初めてでもだ。
「素敵。ぐらついちゃってもどちらかが支えれるね」
フラミィは喜びつつも、ちょっと複雑だった。
島に新しい踊りを、という課題を、パーシィが先にこなしてしまった!
*
宴がお開きになりかけた頃、パーシヴァルが舞台に上がって皆に呼びかけた。
皆、彼がお別れの演説をするのだと思い、彼に注目し静かになった。
「みなさーん、本当に、よくしてくれて、ありがとうござい、ました!」
パーシヴァルは口に手を添えて大声で言った後、
「みなさんに、相談が、あります!」
と、続けた。
皆がなんだなんだと首を伸ばして彼の言葉を待った。
「あの、僕、エピリカを、連れて行っても、いいで、しょうか!?」
皆が目を見開き、顔を見合わせざわついた。
「もちろん、本人の了解を、取ってから、ですがーっ、皆さんは、いい、です、かー!?」
頬張ろうとしていたパンの実のウニ・サンドを手からぽろりと落とし、オジーが慌てて舞台へ駆け寄った。フラミィも驚いて舞台の傍へ走った。
「なにを言っているんだ、アナタは」
「だってここではもう、彼女を踊らせてくれないじゃないか」
言って、パーシヴァルは舞台上から島人皆を見まわした。
「何人が知らん顔しているんだ? 彼女はここで燻って死ぬのか? 僕はそんなの許せない」
「彼女はフラミィを罠にはめたのだ」
「それで起こる結果を望んだのは、エピリカだけか?」
しんと静まり返る人々に、パーシヴァルは歯を食いしばって笑って見せた。怒りの混ざった、激しい悲しみの表情は、フラミィの胸を鋭く突き刺そうとした。
――――皆だろ。と、大好きな声が聴こえる。
フラミィは貝殻のペンダントをギュッと握った。
砂浜にしがみ付くみたいに足の指で砂を握る。
――――大丈夫。ママ、オジー、タロタロ、アローラ……ミニラ池で水汲みを手伝ってくれた女の子達……。私は信じる。パーシィの事も。パーシィは、一部の人の事を言っているだけ。エピリカの為に……。だから、彼の言葉のどこにも、私は傷ついたりしない。そして、彼を尊敬する。
オジーが項垂れて言った。オジーだって、エピリカをなんとかしてやりたいと思っていたから、怯えつつも希望を提示した。
「島人が島から出てはいけないという決まりは無い。時間は少ないが、良く話し合うと良い。その後は女神ルグ・ルグが合否を決めてくれるだろう……」
パーシヴァルはニヤリと笑った。
「僕は、ルグ・ルグに、貸しが、あり、ます」
*
御伽噺にしたいんだ。わかるだろ?
二度と覗けないのなら、くもり一つ無い鏡を磨かせてくれ。
この島が、好きだ。
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