第38話 二人の行く道

 賑やかな朝ご飯の後、フラミィはパーシヴァルのいる小さな入り江を尋ねた。

 タロタロがついてきたがってソワソワしたけれど、事情を話して我慢してもらった。

 タロタロは、『ぱーしばるは島を出て行かなくてはいけない』、『だけどネーネは絶対に島を出て行かない』という図式が分かると、至極素直に頷き、フラミィを送り出してくれた。

 さておき、パーシヴァルはオジーの家にお世話になっていると思ってばかりいたけれど、飛行機が島の上空を飛び回った日から自分の飛行機の傍に張ったテントに戻って寝起きするようになったという。

 エピリカが先に尋ねていたり、彼女のいる所へ出かけていたらどうしようと心配していたけれど、パーシヴァルは一人だった。

 彼は大きな端切れで作ったハンモックに揺られて空を見ていた。

 そろりと近づくと、見た事のない厳しい顔をしている。

 もしかしてまた飛行機が飛んで来たのでは、と、思わず空を見上げたけれど、ただただ真っ青な空に雲が流れていた。

 彼はフラミィが更に近づくと、ハッとして勢いよく起き上がろうとした。パーシヴァルのハンモックがバランスを失くしてグラグラ揺れる。


「あ、わ、わ!」

「パ、パーシィ!」


 フラミィが駆け寄るより早く、ハンモックがひっくり返り、パーシヴァルは砂の上に転がって呻いた。

 その際、「はぁ~、フラミィかぁ」と、ひっくり返った声を漏らした。


「ご、ごめんなさい。そんなに驚くとは思わなくて……もちろん、驚かそうとしたんじゃないよ?」

「イタタ……うん、うん、大丈夫、です。僕が、勝手に、慌てただけ、です」


 パーシヴァルはそう言って砂だらけの顔で「ヤア」と、フラミィに微笑んだ。 

 もっといたたまれない訪問になると思っていたのに、なんだか笑ってしまう。フラミィも彼の真似をして「やあ」と、片手を上げた。フラミィはすぐに笑顔を引っ込めて、パーシヴァルに小さな声で言った。


「お見舞いに行かずにごめんなさい」


 パーシヴァルは首を振って、凄く嬉しそうに微笑みに微笑みを重ねた。


「忙しかった、みたい、ですね」

「そう……そうなの。飛行機が四つ島の上で火を吹いたり、タロタロが波に攫われちゃったり、ルグ・コンテストがあったりね……でも」


 微笑みを崩さずに頷くパーシヴァルから目を逸らし、フラミィは俯いた。


「でも、本当はね。ちょっと怒っていたの」

「うん」


 パーシヴァルは穏やかにフラミィの言葉を受け止めた。

 どうして? と聞くなり、少しくらい慌てて欲しかった。

 君が怒っていても僕は平気だ。そう言われている気分だ。

 フラミィは消え入りそうな声で続けた。責めても許しを請われない虚しさを、エピリカの件で知ったはずなのに。


「……エピリカの味方をしたから……」

「うん」

「どうしてって、怒っていたの」

「うん」

「……回復してからも、ずっとエピリカの傍にいたし……」

「うん」


 フラミィは大きな目を細め、唇を尖らせた。


「……『うん』しか言わないの?」

「うん。フラミィ、それでも、会いに来てくれて、ありがとう」


 青い空に、海鳥がミャアミャア鳴いて飛び交っている。

 波の音が忘れられまいと絶えず寄せては引いてさざめいているのに、こんな時には忘れてしまう。

 風にシダの葉の影が濃く揺れて、ああ、今日はとても晴れている。

 次に瞬きをすれば、パーシヴァルの微笑みと共にこの景色はフラミィの中に焼き付くだろう。


 ずるい。


 それでも瞬きをする。だって「うん」と応えて微笑まなきゃいけないから。

 パーシィったら随分日に焼けたなぁ、なんて思っている程度の心持でいるみたいに。



 優しい人だと思っていたのに。ちょっとがっかり。

 でも、心にもない事を無理に言わせて惨めになるよりずっと良い。

 謝らないでくれてありがとう。

 ああ、解る。私にも。

 人の気持ちって楽器の弦みたいに、何本か同時に弾く時があるんだ。



 ココナツジュースを啜りながら、フラミィとパーシヴァルは色々な話をした。もちろん、彼が島を去らなければいけない事も。

 フラミィは島の事を覚えていて欲しくて、たくさんの事をパーシヴァルに喋った。

 シェルバードの事や、ルグ・ルグ婆さんや海の神様の事、島が結界で護られている事……自分の親指の骨の事を話すときは、ちょっとだけ勇気がいった。けれど、タロタロの事を二人だけの秘密に出来たので、ちょっと嬉しかったりした。何も知らないタロタロが知ったら、怒るだろうけれど。

 パーシヴァルは自分が島を出て行かなくてはいけないと聞いた時、苦笑いをして溜め息を吐いた。


「いつかは、とは、思っていました……そうか」


 まさか自分が島に害をなしてしまうとは思っていなかったのだろう、少しショックを受けているみたいだった。


「パーシィが島を見つけられたのは、海の神様の計らいだったの」

「うーん、成程、珊瑚……。確かに、不思議、でした」


 君はクジラに乗ってた、と、パーシヴァルが言って微笑んだ。

 フラミィも出会った時を思い出して微笑んだ。


「パーシィは飛行機に乗ってた」


 パーシヴァルは唇の端を少し上げた後、目を細め自分の飛行機を見た。飛行機は燦々と照るお日様の光に、キラキラと輝いている。


「はい。……島の上を、飛んだ、飛行機と、同じ、です」

「あの飛行機達は、一体何をしていたのかしら?」

「……えっ」


 フラミィの何気ない言葉に、パーシヴァルの顔が驚きでいっぱいになった後、強張って碧い瞳が影った。

 何かいけない事を言っただろうかと心配になって、顔を覗き込んで見たけれど、パーシヴァルはフラミィから顔を逸らしてしまった。そして、囁くような小声で素早く言った。


「……もし、この島が本当に護られているのなら、君は知らなくていいんだろう」

「え?」


 フラミィに、彼の素早い囁きを全て聴き取る事は難しかった。なんとなく意味は分かるものの、どうしてそんな事を言うのかは解らなかった。

 反射的に身を乗り出して聞き返したフラミィに、パーシヴァルはいつもの笑顔を向けた。


「ふふ、喧嘩、でしょうか、ね?」

「喧嘩……でも、皆海に墜ちてしまったよ。パーシィは飛行機で喧嘩しないよね? あの飛行機に名前まで付けて、大事にしているものね?」

「フラミィ……」


 涙が一番似合いそうな笑顔で、パーシヴァルは唇を震わせた。


「パーシィ、どうしてそんなに悲しそうなの?」

「そうですか……? お別れが、辛いから、かな」


 それを聞くと、フラミィもしゅんとした。


「私も、とっても悲しい。まだ字を教えてもらってないし、振付の意味も教えてあげてない」

「僕も、フラミィの、踊り、見てない、です」

「そう言えば、一度もパーシィの前で踊った事無かったね。さっき話した通り、足の親指の骨が無いから上手く踊れないの。でも……」


 自分でスラスラと喋ってから、フラミィはさほど抵抗なく言えた事にちょっと驚く。

 そして、自分がパーシヴァルの前に立ち上がっている事も。

 踊るの? と、心の何処かで気弱な声がした。だからフラミィは答えた。


「見ててね」


 上半身は大丈夫なのよ。右足だって。左足だって、足の裏は平気。

 パパは褒めてた。両腕を流れる様にクロスさせてから開く『風はいつも』。


「両腕の流れは風なの。風はいつも流れているでしょ? だから腕を開いて見せて『いつも』」


 自分を見詰めるパーシヴァルの瞳の中に、お世辞や同情を探したりしない。それよりも踊る。

 私は信じる。私は踊れる。パパは言ってくれた。顔を両手で覆い、ふわりと両腕を開いて抱く『見守っているよ』。


「表情も頭の中も、心の中も一緒の事を思ってるのを見せてるの。抱きしめる様に『見守っています』」


 パパは知らずに教えてくれてたのかも知れない。

 左足の親指が使えないなら、使わない踊りを踊れば良いじゃないか。

 笑い方や泣き方がたくさんあるように、踊りだって――――。

 何がこの単純な答えを邪魔していたんだろう? 伝統? しきたり? 研ぎ澄まされてきた技たち?


『私の御守りの踊りを あなたへ

 どうか忘れないでね

 風はいつも 見守っています』


「『さよなら』は、片手を虹のように振るだけ」


 そう言って片手を振ろうとするフラミィを、パーシヴァルが止めた。


「待って。寂しいから、飛び立つ時にしてください」

「……そ、そうね。うん! あ、でも今日は行かないでね? オジーに話さなきゃいけないし、そしたらきっとお別れ会をするし……準備もあるでしょ?」


 寂しいなんて言われると、どんどん引き止めたくなってしまう。彼に出て行ってと言うのは、こちらなのに。


「いますぐ、じゃなくていいなら……」

「う、うん、一晩位ならきっと大丈夫だよ」


 確証も無いのにそう言ってしまうのは、ルグ・ルグ婆さん達がこの問題をフラミィに緩く投げっぱなしにしたせいだ。それから、島ののどかな空気も危機感を薄れさせている。

 パーシヴァルは内心呆れているのか軽く笑い声を上げて、砂に寝転がった。


「じゃ、もっと、お話ししましょう」


 フラミィは彼の申し出に喜んで頷き、ドキドキしながらパーシヴァルの横に寝転がった。


「島を出たら、今度は何を探しに行くの?」

「そうですねぇ……ここが不思議過ぎて、他を思い付き、ません。一度家に帰ろうと、思って、ます」

「おうちに……パーシィのおうちはどんな所?」

「つまんない、ところ、です。でも、妹が待ってる」


 そう言って、パーシヴァルは恋しそうに空を見詰めた。きっと、彼の妹が青い空の中で微笑んでいるのだろう。


「それから、物語を書こうと、思い、ます」

「物語を? どんな?」


 パーシヴァルの方へ顔を向けると、彼もフラミィの顔を見て微笑んでいた。彼の瞳の中は、あぶくが湧く様にキラキラ光っていた。


「まだ、決めてない、です。楽しい話にしようか、悲しい話にしようか」

「楽しい話がいいよー」

「そうですねぇ~」

「そうですよ~、どうして悲しいお話なんか作ろうとするの?」

「美しいからだよ」


 短く答えたパーシヴァルに、フラミィは首を傾げる。


「美しいと悲しいの?」

「そうだよ。あんまり美しいと……眩しくて、信じる事が出来なくて、酷く不平等に思えて、涙が零れちゃうのさ」


 そうなのか……。フラミィは疑問を残したままだったけれど、なんだかパーシヴァルが満ち足りた様に言うので「パーシィがそれでいいなら」と頷いた。


「フラミィは、また、踊りに参加、できますね」


 さっきの踊りも、とても良かったと、パーシヴァルが言った。

 フラミィは、はにかんで髪で顔を隠した後、黒い簾の内側から今考えている事を打ち明けた。


「参加しないの」

「え、どうして?」

「あのね、私、自分が踊れる踊りを、自分で創っていこうと思うの」


 左足の親指を使わなくていい振付は、地味なものになるかも知れない。けれど、それで如何に人を魅了できるかを考えて、創っていきたいと思う。


「へぇぇ……」

「ご先祖様が守って来た型はあるから、全く何もない所からの出発でもないし、出来ると思うの。足の親指がある人は当然踊れるものになるし、もしも今後、私みたいに足の親指の骨がない人が島に生まれても、踊れるでしょ?」

「いいと、思い、ます」

「ありがとう。他にも考えてるの。肩や腰を痛めたお年寄りが楽に踊れる踊りや、他に痛いところや使えないところを使わずに踊れる踊りをたくさん……。それからね、いつか自分流の踊りで、島に新しい踊りを一つ贈りたいの」

「楽しい踊り、に、しますか?」


 フラミィは「あら」と、パーシヴァルを見た。パーシヴァルは悪戯そうに笑っている。

 フラミィも同じように笑ってみる。目の前にいるパーシヴァルよりも、ルグ・ルグ婆さんをお手本にして。


「私が創ろうとしている踊りは、しんどくて暗いの。信じる事しか出来ないまま、絶対に線引きなんてないって、泣き叫ぶような。美しくないから、悲しくはならないハズだよ」

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