第36話 新しいルグ
タロタロが海から戻って来て、皆で喜んだ朝から何日か経った。
あの恐ろしい飛行機達が上空を飛ぶ事も無く、島は落ち着きを取り戻していた。
そして、エピリカに代わる新しいルグを選ぶ為、時季外れのルグ・コンテストが行われる事となった。
しかし、ここ数年満場一致でルグを任せていたエピリカに遠慮したり、不吉続きに臆して、我こそはという者が現れなかった。
フラミィは踊り子達の気持ちが良く分かった。彼女達にとって、雷を落とすルグ・ルグ婆さんはどんなに恐ろしかっただろうか。エピリカに代わってルグを勤めるとしたら、他の代よりも厳しく見張られやしないだろうか、なんて、思ってしまっているかもしれない。もしも御めがねに叶わなかったら――なんて心配をする者もいる。
――――そんな事ないのにな。
ルグ・ルグ婆さんを知っているフラミィは、歯がゆい気持ちでそう思った。
けれど、フラミィもコンテストに参加しないので、他人にはっぱを掛ける訳にもいかない。
本当は真っ先に舞台へ躍り出たいところだけれど、ルグを勤めるには昔から伝わってきた踊りの型をちゃんとこなせなくてはいけない。踊り子達が研ぎ澄せ積み上げて来た型は、どんな宝物にも引けを取らない貴重なものだ。伝え続ける価値を持っている。
しかし、残念ながらそれはフラミィの身体向けではないのだ。
フラミィはそれを真っ向から受け止めようと思っている。
皆とは違う自分を受け入れて、皆とは違う道を進まなくてはいけない。
それはきっと、今この状況で舞台に上がる時くらいの勇気がいる事だろうな。フラミィがそんな事を思って再び成り行きを見守っていると、ふいにスッとフラミィの隣でママが立ち上がった。
ママは困惑する島人達と下を向いている踊り子達の間を通り抜けて、舞台に上がった。
皆が呆然とする中ママは一つ息を吸い、静かに踊り出す。鮮やかな型の繰り出し方、流れる様な美しい動きに皆が目を見張った。ママはいつもの物静かさから想像出来ない程の生命力を発して、舞台上を舞う。
エピリカは太陽の様だったけれど、ママは海の様だ、と、フラミィは信じられない気持ちで思った。
あれは本当にママだろうか?
ルグ・ルグ婆さんが悪戯をしてママに乗り移り踊っているんだろうか?
ルグ! と誰かが叫んだ。
フラミィがハッとして「ママが?」と思わず声を発した。
けれど、舞台の上で踊っているのは紛れまなくママで、その踊りほどルグに相応しい踊りはなかった。
「……ママ……」
ママがあんな風に踊れるなんて知らなかった。ママにあんなに勇気があるなんて知らなかった。
パパと結婚する前は踊り子だったんだろうか? そう言えば、フラミィは聞いた事が無かったかもしれない。ママは、あまりにもママだったから。
ママは完璧な型から、次第に自分らしい型で生き生きと踊っている。その踊りは、ママそのものだ。深い底に隠し持ち表にしない様々な感情を、そっと繊細にさざ波立たせる海の様。ああ、ほらキラキラ光る。
「踊り子だったのね……」
ママがこの素晴らしい煌めきを隠していたのかしまい込んでいたのか、フラミィには分からない。
わかる事と言えば、ママがこの島をとても静かに深く愛している事と、誰よりも勇気があるという事だ。
ママは誰もが臆して下を向いた代のルグを、勤めようとしているのだから。
『愛しています この島を』
『踊ります 愛をこめて』
締めの踊りになった頃、踊り子達の表情に、初めの内に恥が、そして、次に誇りが宿った。
踊り子達は、フラミィのママに合わせて踊り出す。
『愛しています この島を』
島の人々も、続けて踊り出した。
『踊ります 愛をこめて』
フラミィも小さく踊った。
ママと目が合った。
ママはちょっとバツが悪そうに笑った。だからフラミィは、精一杯励ます為に顔じゅうで微笑んで頷いて見せた。
皆に祝福されて、ママが再び踊り始めている。
その背後で、キラッ、キラッと光る光を見つけると、フラミィは誇らしい気持ちで微笑んだ。
――――パパ、知ってたんでしょ? ママの事。
知ってたなら、どうして私の踊りを褒めれたの?
そう心で語り掛けると、暖かい風が吹いて、フラミィの身体を抱きしめる様にして去って行った。
*
その夜、ルグとなったママとフラミィは色々な話をした。
ママが昔長い間ルグ候補だった事や、それを断り続けていた事を聞いた。
「どうして? あんなに上手に踊れるのに。皆も勧めていたんでしょ?」
「ママは人の期待が自分の踊りに影響してしまう気がして、怖かったのよ。皆を引っ張って行くのもなんだか怖かったしね」
「ふぅん……? あの……踊りをやめたのは、私を生んだから?」
とても聞きにくい質問だったけれど、この際色々聞いてしまおうと、フラミィは思い切って聞いた。
ママは真剣に首を振って、答えた。
「違うわ。ここが自分の絶頂だと思った時に踊るのをやめたの」
「ど、どうして?」
ママは「ふふふ」と、影の中で寂し気に笑った。
「衰退が怖かったのよ……ママは色んな事が怖かったの」
「……でも、今日は誰よりも勇気があったよ」
フラミィの言葉に、ママはまた笑った。今度はそんなに暗くない。
「それはね、この島がどうなってしまうのだろうと思うと、怖かったからよ」
フラミィは少し呆れた気持ちでママを見詰めた。
栄光より自分の踊りを守ろうとするのは、強さではないの?
小さなプライドを守る決断は、勇気ではないの?
島を誰よりも案じるのは、愛では無いの?
そう言ってしまう事が出来ないママは、やっぱり臆病なのかも。
隙間風がランプの灯りを揺らした瞬間、才能を持て余す内気で繊細な少女が一瞬見えた気がした。
「こわがりじゃないったら。大丈夫。私がいつも味方よ」
フラミィはそう言って、そっとその少女を抱きしめた。
*
『ルグが決まって良かったサァ』
ささやかだけれどお祝いに、ウニや貝を朝ご飯に出してママを驚かせようと早起きをして浜をうろつくフラミィの前に、ルグ・ルグ婆さんが現れてクワクワ笑った。
「おはようルグ・ルグ婆さん。ねぇ、驚いたでしょ?」
『別にだね。アターのママの事は、アターより前から知ってんだから』
ルグ・ルグ婆さんはそう言って、フラミィの採集網からウニを一つ摘まんで取った。
「教えてくれれば良かったのに」
棘を剥かないままウニを口へ放り込むルグ・ルグ婆さんにちょっと目を丸くしつつ、フラミィが言うと、
『誰だって自分の過去を他人にペチャクチャ喋られたらたまんないだろ?』
「……そうね。じゃあ、ルグ・ルグ婆さんは人の過去や秘密をいっぱい知ってんのね」
ルグ・ルグ婆さんはフラミィの言葉に、二ッと笑い、海の方を見て背を向けた。
『そうサ、暴露したくてウズウズしちゃうから、ホント辛いのよォ』
フラミィに向けた背は、言葉とは裏腹に少し切なげだ。ボサボサの白髪が、頼りなげに風に揺れている。
――――そうサ、とっても辛い。誤解し合ったままこの世を去った仲良しや、気付かれない涙、誰にも見られなかった親切や愛……でもワラはそれらに触れてはならないのヨ、決して。ホントはアターとだって……。
「今朝はどんなご用なの?」
――――無邪気に問いかけて来る、涼やかな声。ワラを女神じゃなくしてしまう声……。でもワラは女神でいなくちゃなんない。
ルグ・ルグ婆さんは海の方へ目を細めた後、くるんと陽気にフラミィへ振り返った。
『そうそう、大事なご用だよ! ルグが決定して、島も安泰と言いたいところだけれど、もう一つ問題があるから、アターにそれを告げに来たのさ』
「なぁに?」
『アターは以前、礁原のサンゴ礁をぶっ壊しただろ? そっから島の結界がちみっと壊れちゃってんのサ!』
フラミィがたちまち青くなって叫んだ。
ルグ・ルグ婆さんは耳を塞いで、溜め息を吐く。
――――ああ、ホントに貧乏くじばっか引いちゃうんだからね、この娘は!
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