第35話 島に新しい踊りをひとつ

タロタロが意識を取り戻して目を開けると、星空が目の前に広がっていた。

 自分の家には天井があるハズだ、と、驚いて起き上がると、そこが草のベッドの上でもない事に更に「えー」と声を上げた。

 何か真っ黒でツルツルしたものの上に乗っかっている。辺りをぐるりと見渡すと、暗い海ばかりで、狼狽えた。


「な、なに……? 夢?」


 頬を張って見ると、ちゃんと痛かった。それから、自分が波に攫われた事や、力尽きて暗い海へ沈んでしまった事を一気に思い出した。


―――オレ、死んだの?


 ブルッと身体を震わせると、そっと何かが傍に寄りそって来た。

 それはタロタロの顔を見上げて、嬉しそうにプルルと鳴いた。


「シェルバードじゃんか。なー、ここどこ?」


 シェルバードはやっぱりプルルと鳴いて、タロタロがいる地面を両翼でパチパチ叩いた。

 すると、地面がうねり、潮を吹いた。


「わわわ……!? クジラ?」


 また勢いよく潮が吹き出された。タロタロは水しぶきに濡れて、笑い出した。


「オレ、クジラに乗ってンの?」


 クジラはタロタロを乗せて悠々と夜の海を進んでいる。島に連れて行ってくれるのだろうか?


 それとも、天国へ連れていくのかしら?


 もしもクジラだけだったら、タロタロはちょっと怖がったかもしれない。けれど、シェルバードが傍でのほほんとしているから慰められた。


「オレの子供の歯は全部抜けちまってんだ」


 タロタロはシェルバードに律儀に申告すると、少しだけ湿った羽を撫でた。

 すると、シェルバードはタロタロを見上げ、プルルと鳴くとほとんどあって無い様な首を縮め、嘴を開けてプッと小さな何かを吐き出した。それは歯だった。月明かりに宝石みたいに白く光っていた。

 タロタロは歯を摘まんで「あ」と声を上げる。


「お前、あの時オレになったシェルバード?」


 シェルバードは嬉しそうに両翼をパタパタさせて、プルルと鳴いた。意思疎通の後は、そそくさとタロタロの手から歯を取り返すのを忘れない。

 どうやらこのシェルバードは、喜んで天へ昇ったものの、子守をせずに歯を貰ったのを気にして戻ってきてくれたみたいだった。その采配に神様が関わったどうかは、タロタロにはあずかり知らぬところだ。

 安心させようというのか、嘴を擦りつけてくるシェルバードにもたれ掛って、タロタロは星を見上げる。星をよむなんてまだ出来ないから、ただ願いを込めて見上げる。

―――ネーネが泣いてませんように。


「オレが帰れなかったら、ネーネはきっとパパとママと一緒くらい凄く泣くんだ。ンジャとグーグがネーネを喰っちまうかもしんないし、ぱーしばるが飛行機に乗せて何処かへ連れて行っちまうかも。お人好しでよく損をしてるし、なんでもすぐ信じちゃうし……」


 とにかく、オレがいなきゃいけないのに。足りないものを、全部埋めてあげたいのに。

 いっつもうまくいかない。

 オレ、死んでるの? 生きてるの?


 シェルバードが背伸びをして、嘴の先でそっとタロタロの頬をなぞった。


「うう、帰りたいよぉ!」


 タロタロが鼻を啜ってシェルバードを抱きしめた時、クジラの進みが飛沫を上げる程加速し始めた。

 不思議な事に、クジラの進みと共に夜空がどんどん剥がれて明るくなっていく。

 落っこちない様にクジラの背にしがみ付いていると、朝焼けが始まった前方に大きな影が霞んで見えた。それは、タロタロの見慣れた島のシルエットだった。


「島だ!」


 タロタロは歓声を上げた後、ちょっと不安になった。


 本当に島だろうか? 天国なんじゃないか?


 顔を強張らせていると、シェルバードがプルルと鳴いてクジラの背をパチパチ叩き、タロタロの姿になってニッと本人そっくりに笑った。

 タロタロシェルバードは、自分の耳に手を当てて島の方を聴け、といったジェスチャーをした。

 恐る恐るそれに習うと、風や波の音に混じって、微かに声が聴こえる。声の主が誰なのか、直ぐに分かってタロタロは目を輝かせた。

 タロタロシェルバードがニッコリ笑って、朝焼けの空へと浮き上がって行く。


「行っちゃうの?」


 答えは無かった。タロタロシェルバードは既に空の方へと顔を向け、どんどん天へ昇って行く。

―――ちぇっ、やっぱそっけないでやんの。

 タロタロは苦笑いして手を振り、島の方を真っ直ぐ見た。あそこは島? それとも天国?

―――どっちだっていいや。ネーネが呼んでる。

 あの呼び声が聴こえるなら、何処だっていいんだ。


* * * *


 朝の潮風が木々に実る果実たちをポコポコと鳴らす音がして、フラミィは薄っすら目を開けた。

 起き上がろうと腕を動かすと、自分が砂浜の上にうつ伏せに横たわっている事に気が付いた。

 ちょうど視界の先に朝焼けの空を映す海が見える。

 打ち寄せる穏やかな波に足を浸して、海の神様が立っていた。海の神様は長いヒゲをそよりとさせ、心なしか目を細めた。微笑んでいるのかもしれない。

 フラミィがしっかりと起き上がると、そばで赤金色に輝く風がクルンと回って『良くやったねぇ』と言った。ルグ・ルグ婆さんだ。


「私、取り戻せたの?」

『そうしてきたんだろう?』

「……うん。でも、タロタロがいないよ」


 頭の中の霞を振り払うために頭を振って、フラミィは辺りを見渡した。

 朝の静かな浜辺の景色の中に、タロタロの姿を見つける事が出来なかった。


『大丈夫』


 ルグ・ルグ婆さんが微笑み、フラミィの手を取って波打ち際へホトホトと歩き出した。

 手を引かれ一緒に歩きながら、フラミィはルグ・ルグ婆さんに謝った。


「ルグ・ルグ婆さんごめんなさい。左足の親指の骨、生まれる前にあげてしまっていたの」


 ルグ・ルグ婆さんは立ち止まって静かに目を見開き、唇をわななかせた。

 けれども、女神の心の中で落胆は安堵に代り、安堵に代わった事でまた安堵した。元々エゴイストなこの女神は、自分の中の善性に対して微かな驚きと共に深い満足を感じ、未練にケリをつけた。


『……ふんだ。アターはなんでもあげたがっちゃうクセがあンだろね』

「そうなのかな……本当にルグ・ルグ婆さんへ身体を捧げたいと思ってたよ」

『どうだかねぇ、ワラは人間不信になっちまうよ』


 セリフとは裏腹にルグ・ルグ婆さんの頬は艶々としていたけれど、フラミィはそれに気付かない。


「ほんとのホントに夢だったんだけど、その夢の元となったのがこの選択なんだ。私ね、骨が無い事を覚悟して島に生まれて来たの」

『……』

「それでも踊るって決めて来たの」


 ルグ・ルグ婆さんはフラミィを見上げた。

 この女神は時折、どうして人間は万能では無いのだろうと思う事がある。そうすれば、女神の仕事なんてないのになぁ、なんて、思ってもみない事を悪戯に思い浮かべて遊ぶのだ。

―――ああ、目が痛いねぇ。朝焼けに魂があるとしたら、この娘のようだろうよ。この娘は骨がなくとも踊ると言う。この娘の様に、世界で一番最初の人間は選ばなかったのかも知ンない。万能でなくても良いと。それでも生きると。

 夢想が一つ終わり、退屈が一つ増えた女神は、抜け歯だらけの歯茎を見せてニッコリ笑った。


『悠久の時の中でサ、一個使命を見つけたよ。これは途方もない慶事だから、身体の事はお祝いに許してしんぜる』

「本当? ありがとう、ルグ・ルグ婆さん」

『ワラほど心の広い女神はいないね』

「うん」

『しっかり子孫に語り継ぐんだよ』


 ルグ・ルグ婆さんは、よくよく念を押した。それから海で待つ海の神様の所へ行くと、フラミィの背をそっと押した。

 今度は海の神様がフラミィの手を取って、海水が腰の辺りにくるところまで進んだ。


『二度は無い。その時は、何処かで私も泣こう。海が如何に饒舌か覚えておいておくれ』


 海の神様は泡の声でそう言って、フラミィの髪を撫でつけた。腰を抱く海水の揺れがゆりかごの様に優しかった。


「はい。お世話になりました」

『うむ。さぁ、呼んでおやり』


 頷いて海の方を見ると、まだ波の下で眠っている礁原の向こうから、クジラがやって来るのが見えた。


―――クジラが来ると、良い事があるんだって。


 タロタロの言葉を思い出してフラミィは微笑み、大きく息を吸った。


「タロタロー! ネーネはここよー!」


 ルグ・ルグ婆さんは背後の浜で踊っているだろうか。

 振り向いて見てみたいけれど、あの子をしっかり捕まえて、胸に抱いてからにしよう。きっと今日は、島中で踊るだろうな。とても楽しみ。

 燃える朝焼けを侵食するブルースカイは、私の心の中の様。

 いつかこの場面と気持ちを踊りにして、島に新しい踊りを一つ贈ろう。


 フラミィはそう思った。


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