第33話 傷付いた魂と、せっかちな魂

 何処かから話声が聴こえて、フラミィはぼんやりと目を開けた。

 目を開けたそこは、レインツリーの下ではなかった。

 起き上がって話声のした方を見れば、靄のかかった真っ白な場所に、少し開いた大きな門があり、その前で人型の光が向かい合っていた。


『さぁ、あなたの番です』

『神様、お慈悲をくださいませ! 私は現世へ生れ落ちたくありません。私はもう、愛する人たちが鎖に繋がれ連れて行かれるのも、恐ろしい武器を突き付けられ脅されるのも、全てをあっけなく奪われるのも、見たく無いのです』


 どちらも光の輪郭だけで、乳白色の輝きを内側にうねらせているので、声や仕草で何となく区別をするしかなかった。

 フラミィは、片方の声に聞き覚えがあった。


『魂は巡らねばなりません。皆が現世を嫌がれば、現世に人がいなくなってしまいます。それなのに、人々はあなたの様に循環を恐れる傷付いた魂を自ら作り出しては、首を絞めている……』


 神様の声だ、と、フラミィは首を伸ばした。 

 神様の声の方は、もう一人の方を宥めている様子だった。

 もう一人の方は、今にも逃げ出しそうな様子で、生まれ変わるのを拒んでいる。


『現世の事など、どうして心配するのですか? どうして再び戻れと、そんな苦行を強いるのでしょうか』

『現世が人々の場所だからです。ここであなたの喜びが得られますか? ここにあなたの友情や愛がありますか? ここにあなたを満足させる景色がありますか? ここには何もありません』

『でも、私はここで、心穏やかです。どうかお願いします、私を現世へやらないで……もうたくさんです。もうたくさん……』


 フラミィは神様ともう一人の会話に聞き入っていた。

 きっとあの人は今、魂の国の魂で、魂になる前にとても酷い目にあったのだ、と、フラミィは胸を痛める。

 穏やかな島で暮らすフラミィだって「もういやだ」と思って投げ出したくなる事がたくさんあった。ついさっきも、ルグ・ルグ婆さんにそんな事を言ってはいけないとお叱りを受けたばかりだ。

 きっと想像もつかない程の酷い目にあったのだろう、その魂はとても怯えて見える。


―――あの人、私の島へ生まれてこれれば良いのに。


 フラミィがそんな事を思っていると、神様が怯える魂へ優しく言った。


『可哀想な傷付いた魂よ、安心して。あなたの様に、あまりにも傷付いた魂の為の島があります。その島で傷を癒し、再び喜びを手に入れてください』

『いいえ、どんな穏やかな島もいつか、野蛮な人々に見つかり犯されていくのです。私の島の様に』


 悲痛な声は神様の愛情溢れる言葉を、尚も断った。

 フラミィは大きな島の事を思ってドキリとする。


―――あの人の言う通りかも知れない。大きな島は、島の人間以外のものになってしまった。


 それから、エピリカのしていた心配も思い出す。エピリカは、自分たちの島も大きな島の様になってしまうのではないかと心配していた。

 そして、島の上空を実際におかしな飛行機が飛び回り火を吹いていた……。


 神様の悲しげな声がした。


『そうです。幾ら神々が守ろうとも、そのような事が起こります。しかし、それは島の人々がその道を選べばの話です』

『……その島はどんな島でしょうか』

『島は八つあります。島にはそれぞれ、愛するものがあります。歌い、奏で、演じ、活け、舞い、描き、造り、語る……好きなものはありますか?』

『自由にして良いのですか?』

『もちろん』

『急に禁止されたりしませんか? 罰されたり……』

『そのような事は、島の女神たちが許しません』


 神様の頬の辺りから滴がぽろりと零れたのが見えた。

 フラミィには傷付いた魂と神様の両方の気持ちが良く分かった。愛する物事を自由に出来ない辛さを、フラミィは知っている。神様は、それを憐れんでいらっしゃる。


『……私、踊る事が好きでした』

『では、踊りの島へ。どうぞ楽しんで』


 神様がそう言うと、大きな門が開いた。開いた門の向こう側は、空から見下ろした景色が広がっていた。穏やかな海に、美しい泡の様な島が浮かんでいる。


―――きれい。踊り出してしまいそう。


 フラミィの心の声と、門の前の魂の声が重なった気がした。

 魂が一歩、門へと進んだ、その時だった。

 門の向こう側からヒュウッと風が吹き込んで、小さな何かが飛び込んで来た。

 神様がそれを抱きとめると、それは『せっかく島で生きられたのに!』と、泣き声を上げた。


『小さく生まれちゃったんだ! 早く生まれたくて焦っちゃったんだよ! とても、とても楽しみで……ママは貝のスープを作ってくれたけど、ファイアフライが貝を食べちゃうから満足な分スープを貰えなかった!』


 小さな魂はしゃくりあげて神様に訴えた。


『神様、もう一度島へ行かせてください』

『可哀想に。けれど、順番があるの。あなたには五十年ほど待ってもらわなくてはいけません』


 小さな魂が、声を張り上げて泣き出した。


『やだやだ!! ママが凄く泣いてたの。すぐにママの所へ帰ってあげなくちゃ!! ねぇ、その人はこれから島へ行くの? 一緒に行っては駄目かしら? そうしてくれたら、一生をその人の為に使うよ』

『駄目です。あなたの身体がまだ用意できませんから……』


 どうなるのかしら、と、フラミィがハラハラしていると、初めて神様がフラミィの方を見た。

 お顔はなかったけれど、目が合って、微笑まれた様な気がしてフラミィは背筋を伸ばす。

 神様はそんなフラミィに手を振る仕草を見せた。―――否、違う。あれは踊りだ。


『行きなさい』、『決めなさい』


 何を? と、聞き返す暇は無かった。

 門の前の傷ついた魂と、小さな魂を抱いた神様が急速に遠ざかって行く。

 神様は今度こそフラミィに手を振っていた。

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