第32話 幻から幻へ飛び移るような

ルグ・ルグ婆さんの神への呼びかけは、フラミィの良く知っている踊りと似ていた。

 自分が何処の島の誰であるかを名乗り、語りかけ祈りをおくる踊りだ。


『八つの島の、五番目の妹島のルグ・ルグでございます』

『声が届きましたら、果報の風でお応え下さい』


 フラミィは、ルグ・ルグ婆さんの踊りを見て、骨の戻った左足の親指をうずうずさせた。けれど、出過ぎた真似をしてはいけないと、じっと大人しくしていた。

 ルグ・ルグ婆さんは渦巻く風の中で身体を揺すり、萎びた両手の平を天へ向かって差し出した。


『手をここに』


 温かく輝く風が夜空から降りて来て、ルグ・ルグ婆さんの周りをくるくる回り始めた。

 フラミィはルグ・ルグ婆さんの伸ばした両手に、淡い光の屑を纏った手が伸びるのを見て目を見張った。

 現れた手は、ゆらゆらとハッキリ定まらない輪郭を光らせていて、中身は乳白色に透けていた。

 淡い光の屑を纏った手は、ルグ・ルグ婆さんの萎びた両手に、鳥が木の枝にとまる様に重ねられた。

 すると、手と同じく中身が乳白色に透けた人型の輪郭もふわりと現れて、ルグ・ルグ婆さんに手を置いたまま地面に足を着けた。輝く足の着地点に、サークル状の花の模様が広がった。

 海の神様が両腕を胸の前で組んで深く頭を下げたので、フラミィも慌ててそれに習った。

  

――――神様だ……。


 胸が高鳴ると同時に、畏れも感じた。

 もしも無礼をしてしまって、お怒りを買ってしまったら島は一体どうなる?

 そんな心配をしていると、ルグ・ルグ婆さんの足と、光る輪郭の足――きっと神様のおみ足だ――が、フラミィの前を通り過ぎ、海の神様の方へ向かうのが見えた。

 コッソリと目を上げると、ルグ・ルグ婆さんが神様の両手を取って、海の神様の方へと引いていた。

 神様の後姿の向こう側に、波打ち際で膝をつく海の神様と、ルグ・ルグ婆さんが見える。

 フラミィは神々しい光景に、頭を下げているだけでは足りない気になり、砂浜に両膝と両手をついて身体を縮め、息を殺した。

 海の神様が、波や泡の音で神様と会話を始めた。

 なんとも不思議な会話で、フラミィには全く理解できない。

 あまりの珍しさに顔を上げ眺めていると、今度は神様とルグ・ルグ婆さんが会話を始めた。

 今度は踊りだ。神様はとても器用らしい、と、フラミィは感心した。

 そして、踊りが会話ならフラミィにも少し内容が分かる。

 ルグ・ルグ婆さんは、フラミィがどうして神様の目前にいるのかを説明してくれている様子だった。

 輪郭だけの神様は、頷く仕草をしてフラミィの方を向いた。

 ルグ・ルグ婆さんがフラミィの傍にヒョイと来て、肘で突いた。


『ほら、ご挨拶をおし! 大体の事情はお伝えしたから、自分で精一杯頼むんだよ。ほら、褒章をお見せして』 


 フラミィはルグ・ルグ婆さんに背を押され、神様の前に一歩出ると、ネックレスの羽を神様に捧げ見せた。

 神様はちょっと身を屈めてフラミィのネックレスを見た。顔の部分も透けているから、表情は分からない。フラミィはそれでも、乳白色に透ける顔の部分をジッと見詰めた。


 大事な気持ちを伝える時は、瞳を見詰めなくては。

 瞳は神様にもきっとある。

 瞳を合わせられない後ろ暗さなんて、神様なら無いハズだもの。


―――ああ、ほら、瞬きをなさった……。


 瞳でフラミィを見返した神様は、輪郭を人型から大きな鳥へと変化させ、翼を開いた。

 クワクワ鳥の輪郭だと、フラミィには直ぐにわかった。

 クワクワ鳥の輪郭は、嘴でフラミィのネックレスの羽を啄むと、輪郭の内側にも存在を現した。

 長い首をすらりと反らせたクワクワ鳥が完全に現れると、フラミィは息を一つ吸い込み、両手を上げてご挨拶の踊りを踊った。


『私はフラミィと申します』

『過去に、失礼をして申し訳ありません』

『今日はお願いがあって参りました』


 クワクワ鳥になった神様が、鈴みたいな笑い声を上げた。


『上手ね、フラミィ』

「え!」


 フラミィはその一言に衝撃を受け、息が止まりそうになった。

 神様が喋ったからじゃない。

 『左足の親指の骨を手に入れ』、『神様に踊りを見て貰い』、挙句に『褒めて貰った』からだ。

 夢が唐突に、思ってもみない時と形で叶ってしまった。

 フラミィはペコリとお辞儀をして、神様に顔を見られない様にした。

 何故だか、はにかむとか、喜ぶとかといった、褒められた後になる気持ちになれなかった。それどころか、泣き出したい気持ちだった。

 可愛い豚の子がどうやったら母さん豚のお腹にやって来るのか知った日の気持ちと、少し似ていた。

 愕然として、フラミィは自分の左足の親指を見下ろす。

 

 想像したじゃない、何度も。

 それなのに、どうして私は喜びに飛び上がったり、心が爆発したりしないの?

 突然だったから? そうだ、突然だったからよ。そうだわ。

 世界には神々がいて、治癒の花が咲き、樹冠の下で雨が降るのよ。そして、夢が叶ったというのに、つまんなく思ってガッカリする理由なんてないわ。


『フラミィ、神様の御前でぼんやりするんじゃないよ!』


 ルグ・ルグ婆さんの声にハッとして、フラミィは神様を見た。

 神様は、クワクワ鳥だというのにふっくりと微笑んで、『あの時はありがとう』と言った。


「……いえ、いえ!!」

『とても助かったの。あのままでは飛べないクワクワ鳥になるところだったから。あなたのお願いをルグ・ルグと海の神から聞きました。痛ましい事です』

「は、はい。神様、お願いします。タロタロを島へ返して下さい!」


 踊りで語り掛けるのを忘れて、フラミィは神様へ懇願した。

 神様は長い首をくるんと曲げて、下の方からフラミィを覗き込んだ。

 瞳は悲し気に湿っている。


『フラミィ、どんな命も、一度きりなの』

「そんな!」


 フラミィはタロタロを救う希望が消えてしまいそうで、これ以上ない程焦った。神様を説得しなければ。なんとかお情けを頂かなくてはと思えど、舌が上手く動かない。声も詰まってしまう。舌と声帯は、感情ととても相性が悪い様に思う。冷や汗をかいて目を泳がすと、ルグ・ルグ婆さんが見えた。婆さんは、唇の動きだけでフラミィに言った。

『お、ど、れ』。

 瞬きするフラミィの頬を、風が撫でた。風は大きくて温かい手の様だった。

 そうか、と、フラミィは思う。言葉が喉から出なくても、私は気持ちを伝える事が出来る。

 フラミィは『風はいつも』と囁き、両腕をクロスさせ開いた。


『神様は』


 私は踊れる。

 骨がある。 


『一度きりだと仰る』


 ふらつかない。


『それなら』


 鋭く足を後ろへ返し、回る遠心力さえ、味方。


『私の一度きりの刹那を』

『憐れんでいただけませんか』


 ターンが出来る。


『私の運命に』

『あの子はまだいます』


 しっかり着地して、転ばない。


『私の運命はこうです』

『あの子が島で、大人になるのを見れる』

『私の一度きりの刹那の欠片を、返して下さい』


 ポーズが決まる。身体がぐらつかないから、視線も揺るがない。

 フラミィは真っ直ぐ神様を見て、『お願い』と締めた。

 目の端に、顔を覆ってうんうん頷き泣いている、ルグ・ルグ婆さんが見えた。フラミィが立派に踊れてきっと嬉しいのだろう。


『タロタロの運命は尽きてしまったけれど、あなたの運命の中では亡くなる予定は無いと言うのね?』

「はい。私の運命の中で、タロタロはまだ生きています。だから島へ返してください」

『あなたの言うあなたの運命は、あなたが望むものである自信がおありかしら?』


 と、神様が言うので、フラミィは眉を寄せて強く頷いた。


――――そんなの、当たり前じゃない!


『自分の選択した事を、誰のせいにもしない?』

「しません。する必要がありません」

『今現在の夢が破れても?』


 質問の意味が解らなくて、フラミィは首を傾げた。

 そんなフラミィに、神様は翼を広げて言った。


『あなたはまだ、気付かないのね。良いでしょう。魂の国へ送ってあげます。タロタロを見つけて御覧なさい。そして、、決めていらっしゃい』



 それは一瞬だった。

 景色が歪み、微笑む神様と、心配そうなルグ・ルグ婆さんと、静かな表情の海の神様がグルグルと混ざり合ってフラミィはその混沌の中へ吸い込まれた。

 混沌の中のあまりの眩しさに、フラミィは目を閉じる。そして、再び目をそっと開けた時、フラミィは霧のかかったマシラ岳の頂に立っていた。

 どうしてマシラ岳? と、フラミィは首を捻る。

 けれど、神様が私をここへ送ったのだから、と思い、フラミィはタロタロを探し、辺りを見渡した。


「タロタロー! ネーネは、ここよー!」


 こう呼びかければ、タロタロはいつも何処かの影からヒョイと現れて、風の様に駆けて来る。

 フラミィはその事を疑わず、タロタロを呼んだ。

 やがて風しか吹かないマシラ岳を諦め、村へ降りてみると、無人の村が霧と静寂の中にあった。

 フラミィは恐る恐る視界の霞む村を歩き回って、タロタロを呼んだ。


「タロタロー! ネーネはここよー!」


 タロタロの家の中を見ても、彼がお気に入りのヤシの木の上を仰ぎ見ても、見つからない。

 フラミィは島の人全員の無人の家を回って、何も見つけられないと、浜へ行った。

 浜でも、見つからなかった。

 ミニラ池も、ロスマウ鍾乳洞も、シェルバードの崖も探した。

 けれど、どれだけ呼んでもタロタロがフラミィ目がけて駆けて来る事はなかった。

 フラミィは島中をぐるりと回ってみる。

 波に連れて行かれたのだから、波打ち際にいるかもしれないと望みを持ったのだ。

 しかし、タロタロはいなかった。


「どこにいるの? ここは本当に魂の国?」


 フラミィは疲れ果て、レインツリーの墓地へやって来ると、レインツリーの幹にもたれて座り込んだ。

 

「ネーネが寝ずに探しているのに。タロタロ、どこにいるの?」


 膝を抱えると、眠気が襲ってきた。

 魂の国で眠るなんて、と、不安に思いながらも、瞼の重みに逆らえずに目を閉じる。

 完全に目を閉じてしまう前に、目の前の草を踏む小さな黄金色の裸足が見えた気がした。



 タロタロ、ネーネはここよ。

 どこにいるの?

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